晴旅雨旅

爺の前に道は無し。爺の後にも道は消えかけて…枯れた中年爺の独り言

書店は現実空間とネットの接点で新しい領域を拡げては?

2016-09-21 10:33:44 | 経済
「書店撤退、大型店でも ネットに押され、売り上げ減 賃料重荷に」
朝日新聞2016年9月21日

私たち以上の年齢の子ども時代、私たちは天国に暮らしていた。
時代は貧しく、大人は食べることで頭がいっぱいだから子どもなんぞにかまっていられない。よって子どもはフリーだった。大人に悪いことをやってぶん殴られても、彼らは子どもの世界には立ち入ってこなかった。「学校など義務教育で十分、さっさと終えて早く稼げ!おもちゃが欲しかったら自分でどうにかしろ」だった。よって、万引きなんて、今よりずっと多かった気がする。

街の本屋さんも、今のような大型書店は無い時代だったから、店の数も客も、おそらく売り上げもずっと多かっただろう。しかし、時代は変わるもの。
金の無いやんちゃ坊主である我々は、本屋というのは立ち読みする所と決まっていた。単行本なら2、3時間で読み終えないと、さすがにトイレも行きたくなるし、お腹も空いてくるから、必然的に速読の技を身につけた。でも、いつまでもお小遣い無しで雨風の心配なく過ごせる貴重な空間だった。書店員による追い出しや嫌がらせなんて、当時のやんちゃ坊主が従うはずもない。

しかし、先月、大阪駅近くの大型書店に立ち寄って驚いた。本棚がフロアいっぱいに円形に置かれ、その空間の一部ではワークショップが催され、他では香り高いコーヒーのカフェで老若男女が談笑し、さらには電子本を取り扱う電気店まで同居している。
本は現在、Amazonなどを使えば、どんなに希少な本でも早ければ当日、大体は翌日配達される。読み終えれば、ブックオフなどの中古本取扱業者がメールや電話ひとつで回収し、現金が直ぐに振り込まれる。
しかし、私たちはそんな本だけを求めて本屋さんをうろつくのではない。本に書かれている内容など、調べればあふれんばかりにネット空間を漂っている。私たちが求めているのは、一冊一冊の本に込められた著者やそこに登場する現実、架空の人々の体温だ。
新しい空間、すなわち現代の広場はほどよく孤独でほどよく温かい、そんな空間に私たちは人生のいっときを委ねたいのだろう。

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