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爺の前に道は無し。爺の後にも道は消えかけて…枯れた中年爺の独り言

電子教科書前夜

2010-08-31 15:18:35 | 教育
デジタル教科書導入が子ども達にもたらすもの
 かつての「ゆとり教育」のころ、生活科や総合学習で、教育現場は社会と遊離せず、社会の中に教材を求める動きが活発でした。今はそのころの華やかさはありませんが、その本来の趣旨に沿った教育活動は引き続き行われています。
 また、電子教科書導入がいよいよ現実のものになりつつある今日、私はより大きな意味で、教育のデジタル化が「ゆとり教育」本来の一人一人を主人公とした教育を実現していく上で、貴重な戦略的存在として表舞台に出てきた、と感じております。「ゆとり」や今の「基礎基本重視」を、いわば道具である電子教科書が大きく揺さぶってしまう「教育革命」が思わぬ形で実現するかもしれないのです。意図した革命ではなく、自ずと最も自然な形での教育、そもそも人が人として人に教育を通して生き方を伝えていく時代が始まろうとしている、そんな気さえしてくるのです。

教育を受け持つ側すら変わる
 教科内容をデジタル化していくことによるメリットは無数に思いつきますが、その中でも殊に重要なのは、教員の側からすると地域ごとに行われている実践経験やアイディアを共有できることではないでしょうか。
 今までの学習指導案をデジタル化することなら、一般教員にも簡単にできることかと思います。教員一人一人の指導案とそれを実施した上での反省点・改善案は貴重な教育財産です。これをデッドストックとしておくにはあまりにも惜しい気がします。
 また、教員一人一人は授業を展開していく上で、個人でプログラムを作ったり、データを収集したりしている方が多いと思われますが、デジタル化による教員同士の協力、交流などが期待されます。そうしたネットワークが新たに生まれることにより、教育は基本的には1対1だったものが複数対複数、さらにそこに時間軸も加わり、想像を絶するものに生まれ変わる可能性を感じます。それが、教育の質的向上・深化を推し進め、最終的には教育の在り方そのものに大きく影響せざるを得ないでしょう。

教育は今後…
 今まで、教科書に縛られ、それを「教える」という誤った教育手法が蔓延しているにも関わらず、それに寄りかかることによって自らの教育責任を放棄していたのが教員をはじめとする大人ではなかったでしょうか。今後、教育は教員が児童生徒に押し付けていくようなものでは到底あり得なくなるでしょう。個人個人が生きる上での「プロ」となっていく上で欠かせないものとして、その本来の役割を獲得すべきなのです。

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