皆様、こんばんは。
事務局です。
28日の一宮市内は、曇り時々小雨の天気でした。
21時頃から、本格的に雨が降ってきました。
昨日から、島根県出雲地方のお話を再開しています。
前回の続きになります。
一畑電車の沿線が舞台になった神話を3つ、簡単に紹介しています。
(2)八岐の大蛇退治--------------
『日本書記』などから抜粋して書いています。
八岐(やまた)の大蛇退治(おろちたいじ)は、皆様、よくご存知だと思います。
・斐伊(ひい)川上流の鳥髪(とりかみ。今の船通山)に降り立った、須佐之男命(すさのおのみこと)は、さらに上流に向かいました(※1)。
※1:八俣大蛇公園。文面では省きましたが、上流から流れてきた箸を、見つけて拾った場所が、木次町新市の地であった、と伝えられています。
住所:島根県雲南市木次町新市地内
・村で、ひどく歎いている老夫婦(足名椎:あしなづち、手名椎:てなづち)と娘(奇稲田姫:くしいなだひめ)に出逢われました(※2)。
※2:温泉神社。奇稲田姫の両親である、足名椎、手名椎のお墓がある場所です。
住所:島根県雲南市木次町湯村1060番地
・聞けば、毎年この時期に、1つの胴に、8つの頭と尾を持つ、目はホオヅキのように真っ赤、体にはコケやヒノキ、ズギが生え、8つの谷と8つの丘にまたがるほど巨大で、腹は、いつも血でただれている、八岐の大蛇が、娘をさらっていき、今年は奇稲田姫の番であると聞きました。
・そこで須佐之男命は、奇稲田姫を嫁にもらう約束のち、老夫婦に強い酒を八樽用意させるように指示して、八岐の大蛇との戦いに臨まれました(※3)。
※3:印瀬(いんぜ)の壷神。須佐之男命が八岐の大蛇を退治する時に飲ませた酒樽の1つがここになるそうです。
住所:島根県雲南市木次町西日登1524-1
・やがて現れた八岐の大蛇は、樽の酒を飲み干して、眠りこみました。
・須佐之男命はすかさず、眠り込んだ大蛇を刀で打ちとられました(※4)。
※4:八本杉。須佐之男命が退治した八岐の大蛇の八つの頭を埋めて、その上に八本の杉を植えたと伝えられています。
住所:島根県雲南市木次町里方地内
・打ちとった大蛇の尾から、1本の剣が出てきました。
・この剣は「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」と呼ばれています(※5)。
※5:尾留(おどめ)大明神旧社地。須佐之男命が八岐の大蛇の尾から、草薙剣を取り出した、と伝えられている場所です。
住所:島根県雲南市加茂町三代地内
退治した後、須佐之男命は、喜びの舞をされました(※6)。
※6:佐世神社。須佐之男命が「佐世の木」を頭に載せて、喜びの舞を舞っている時、佐世の枝が落ちたことから、佐世という地名になったそうです。
住所:島根県雲南市大東町下佐世1202番地
・大蛇を退治したのち、土地に心地よい風が吹きました。
・須佐之男命は、「-この地で、俺は、こんなにもすがすがしいぞ」とお話になりました。
・このお話から、須賀という地名が付けられて、雲南市大東町須賀(※7)と、現在も語り継がれています。
※7:須我神社。八岐の大蛇を退治した、須佐之男命が、奇稲田姫と作った、「日本初之宮(にほんはつのみや)」と言われています。
須佐之男命が作った、日本初の和歌を詠んだ地、と言われています。
住所:島根県雲南市大東町須賀260番地
・須佐之男命は出雲の地が気に入って、奇稲田姫と住むための神殿を造ることにしました。
・宮殿を作っている時、雲が立ち上がった様子を見て、須佐之男命は歌を詠みました。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(ご)みに 八重垣造る その八重垣を」
・これは、日本で初めて読まれた和歌として、神話に残っています。
次回に続きます。
ブログに関するご感想・ご意見・クレーム等は、ブログのコメントや携帯電話にお願いします。
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28日の一宮市内は、曇り時々小雨の天気でした。
21時頃から、本格的に雨が降ってきました。
昨日から、島根県出雲地方のお話を再開しています。
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一畑電車の沿線が舞台になった神話を3つ、簡単に紹介しています。
(2)八岐の大蛇退治--------------
『日本書記』などから抜粋して書いています。
八岐(やまた)の大蛇退治(おろちたいじ)は、皆様、よくご存知だと思います。
・斐伊(ひい)川上流の鳥髪(とりかみ。今の船通山)に降り立った、須佐之男命(すさのおのみこと)は、さらに上流に向かいました(※1)。
※1:八俣大蛇公園。文面では省きましたが、上流から流れてきた箸を、見つけて拾った場所が、木次町新市の地であった、と伝えられています。
住所:島根県雲南市木次町新市地内
・村で、ひどく歎いている老夫婦(足名椎:あしなづち、手名椎:てなづち)と娘(奇稲田姫:くしいなだひめ)に出逢われました(※2)。
※2:温泉神社。奇稲田姫の両親である、足名椎、手名椎のお墓がある場所です。
住所:島根県雲南市木次町湯村1060番地
・聞けば、毎年この時期に、1つの胴に、8つの頭と尾を持つ、目はホオヅキのように真っ赤、体にはコケやヒノキ、ズギが生え、8つの谷と8つの丘にまたがるほど巨大で、腹は、いつも血でただれている、八岐の大蛇が、娘をさらっていき、今年は奇稲田姫の番であると聞きました。
・そこで須佐之男命は、奇稲田姫を嫁にもらう約束のち、老夫婦に強い酒を八樽用意させるように指示して、八岐の大蛇との戦いに臨まれました(※3)。
※3:印瀬(いんぜ)の壷神。須佐之男命が八岐の大蛇を退治する時に飲ませた酒樽の1つがここになるそうです。
住所:島根県雲南市木次町西日登1524-1
・やがて現れた八岐の大蛇は、樽の酒を飲み干して、眠りこみました。
・須佐之男命はすかさず、眠り込んだ大蛇を刀で打ちとられました(※4)。
※4:八本杉。須佐之男命が退治した八岐の大蛇の八つの頭を埋めて、その上に八本の杉を植えたと伝えられています。
住所:島根県雲南市木次町里方地内
・打ちとった大蛇の尾から、1本の剣が出てきました。
・この剣は「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」と呼ばれています(※5)。
※5:尾留(おどめ)大明神旧社地。須佐之男命が八岐の大蛇の尾から、草薙剣を取り出した、と伝えられている場所です。
住所:島根県雲南市加茂町三代地内
退治した後、須佐之男命は、喜びの舞をされました(※6)。
※6:佐世神社。須佐之男命が「佐世の木」を頭に載せて、喜びの舞を舞っている時、佐世の枝が落ちたことから、佐世という地名になったそうです。
住所:島根県雲南市大東町下佐世1202番地
・大蛇を退治したのち、土地に心地よい風が吹きました。
・須佐之男命は、「-この地で、俺は、こんなにもすがすがしいぞ」とお話になりました。
・このお話から、須賀という地名が付けられて、雲南市大東町須賀(※7)と、現在も語り継がれています。
※7:須我神社。八岐の大蛇を退治した、須佐之男命が、奇稲田姫と作った、「日本初之宮(にほんはつのみや)」と言われています。
須佐之男命が作った、日本初の和歌を詠んだ地、と言われています。
住所:島根県雲南市大東町須賀260番地
・須佐之男命は出雲の地が気に入って、奇稲田姫と住むための神殿を造ることにしました。
・宮殿を作っている時、雲が立ち上がった様子を見て、須佐之男命は歌を詠みました。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(ご)みに 八重垣造る その八重垣を」
・これは、日本で初めて読まれた和歌として、神話に残っています。
次回に続きます。
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