盛岡からわざわざ、田原市博物館で開催中の『渥美窯~国宝を生んだその美と技』展を見学しに行ったのは、地元で出土した渥美窯で焼かれた壺を見るためではありません。
何を見たかったかというと・・・・

山梨県南部町・篠井山経塚出土(展示図録より)

静岡県三島市・三ツ谷新田経塚出土(展示図録より)

伝・鎌倉周辺出土(展示図録より)
この3つ。
窯で焼く前の生乾きの段階で、ヘラを使って文字が記されていて、いずれにも「藤原顕長」という名が見えます。
この人物、今から約850年ほどまえに活躍した京の貴族。
当時の文献史料にもしばしばその名を見つけることができます。
この3つの壺、いずれも経塚といって、56億7千万年後に弥勒菩薩がこの世にあらわれたときに備えて、仏教の経典を納めた場所から出土したもの。
顕長はその他に一族の霊をなぐさめることも目的としていたようです。
これらの壺の存在は以前から知ってはいましたが、なかなか目にする機会がありませんでした。
今回の展示ではこれら3つの壺がいっぺんに見られるということで、出かけたわけです。
で、やっぱりこの目で見なければわからないこともたくさんありました。
3つとも形は違うことは写真で知ってはいましたが、大きさもかなり違います。
焼き具合も違えば、粘土の色・質も異なります。
文字の形や書き方も統一されていませんでした。
だからといって、何かがすぐ分かるというわけではないのですが、見たことで蓄積できることは間違いなくたくさんあるのです。
何を見たかったかというと・・・・


山梨県南部町・篠井山経塚出土(展示図録より)


静岡県三島市・三ツ谷新田経塚出土(展示図録より)

伝・鎌倉周辺出土(展示図録より)
この3つ。
窯で焼く前の生乾きの段階で、ヘラを使って文字が記されていて、いずれにも「藤原顕長」という名が見えます。
この人物、今から約850年ほどまえに活躍した京の貴族。
当時の文献史料にもしばしばその名を見つけることができます。
この3つの壺、いずれも経塚といって、56億7千万年後に弥勒菩薩がこの世にあらわれたときに備えて、仏教の経典を納めた場所から出土したもの。
顕長はその他に一族の霊をなぐさめることも目的としていたようです。
これらの壺の存在は以前から知ってはいましたが、なかなか目にする機会がありませんでした。
今回の展示ではこれら3つの壺がいっぺんに見られるということで、出かけたわけです。
で、やっぱりこの目で見なければわからないこともたくさんありました。
3つとも形は違うことは写真で知ってはいましたが、大きさもかなり違います。
焼き具合も違えば、粘土の色・質も異なります。
文字の形や書き方も統一されていませんでした。
だからといって、何かがすぐ分かるというわけではないのですが、見たことで蓄積できることは間違いなくたくさんあるのです。