昭和の時代

アナログの時代がなつかしい

終戦記念日に憶い出す事

2016-08-15 05:35:48 | 日記
 終戦時私は4歳、昭和16年生まれです。鳥越氏は昭和15年生まれ、終戦時20歳だったそうですが、

 岩国基地(当時は岩国航空隊)から直線距離にして10数キロの場所で生まれ育ちました。
7月だか8月だかそこは定かではありませんが暑い日であった事はは憶えています。
母親と裏山の畑に行っており、私は日陰に座らされておりました。母親が急いで私の所に駆け寄り、空を見ると
お尻から煙を出した飛行機が上空を通り過ぎ、しばらくすると落下傘が3基降りてきました。
航空隊が爆撃され、微かにその音が聞こえたようですがその記憶はありません。
 その夜、父親は山狩りに駆り出され、竹槍と提灯を持って出かけました。
田舎では台風の時以外雨戸を閉める事はありませんが、その夜は雨戸を締め切り、暑い中で父親の帰りを待ちました。
 4歳の記憶は、煙を吐く飛行機、落下傘、竹槍、そこまでです。

 飛行機は10キロ程先の村に(今は岩国市)墜落しました。
その後どんな経緯があったのかは知りませんが、今も墜落した米兵の子孫と村人の交流は続いているようです。

 20歳の時父親が亡くなり、家の片づけをしている時農具置き場に先を鋭利に削った2m程の竹竿を見つけました。
あの時の竹槍だと勝手に思っていますが。
 当時、山狩りの武器は村田銃が一丁、後は全て竹槍だったようです。















最新の画像もっと見る

コメントを投稿