昭和の時代

アナログの時代がなつかしい

長州とちしゃ

2016-04-25 21:03:31 | 日記
 ちしゃが美味しい季節になりましたね。(今風だとサニ-レタスですか)
私の小さい頃、この時期毎日のように、血が綺麗になるから、と
ちしゃもみを食べさせられたものです。
いりこ、と酢があれば、庭先のちしゃを摘んでくれば料理が一品
出来上がります。

 長州藩は貧乏な藩でした。
ちしゃもみがあれが客を接待できる、武家でも粗末な食事に堪えて来た。
この質素倹約を庶民も習い、その食習慣が今も残っているのです。

 各藩の江戸藩邸には表札が無かった。
[薩摩藩上屋敷]とか[南町奉行所]等の表札は映画やドラマの世界の話で
幕府の施設にも表札は一切無かったようである。
 長州藩では江戸藩邸の庭にもちしゃを植えていた。
庭を見れば長州様と判る、表札代わりになったようである。

 ふるさとは ちしゃもみが美味い ふるさとにいる   山頭火

山頭火は長州生まれの乞食放浪の歌人である。
ある時放浪の途中、ほいとう(乞食)の様なボロを纏い妹の嫁ぎ先に現れた。
妹は直ぐに家に引き入れ、ちしゃもみでもてなした。
山頭火の好きな酒も少々付いたに違いない。そこで詠んだのが上の句である。

ことほど長州人には、ちしゃもみは欠かせない特別な食べ物なのです。






 










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