老麗・美しく老いる

「美しく老いる」を余生の目標として、そのあり方を探る。

あんこう鍋歌会

2009-02-19 07:30:10 | Weblog
17日、18日と茨城市方面に旅行に行ってきた。

近年、
どういうわけか私の所属する団体・グループが
260Kmも離れた北茨城市の
磯原・出浦・平潟方面に旅行する機会が多くなった。
ここ、3年で4回は行っている。

今回は「作風」
茨城歌話会の民宿で「あんこう鍋歌会」
と銘打った歌会に誘われ、
妻を同伴して参加した。
 
支部長の飯島氏以外は全員女性の支部で、
いつも愉快で賑やかだ。

民宿「出浦」に客は私たちだけ。
前にも
「あんこう鍋」をうたい文句にしているホテルへ来てはいるが、
形ばかり。
「あんこう鍋なら民宿」と言われていた通り、
今回は期待通りの鍋で満腹し、満足を得た。
 
翌日は、全く予定外の招待があって、
会員のご自宅を訪問。
衣食住の研究会のお仲間二人と共に
精進料理の数々を作って待っていてくださった。

高台の大きな旧家で、
雪見障子からお庭を見ながらの食事に、
至福の喜びと最高の思い出を得た。

北朝鮮拉致

2009-02-17 06:04:19 | Weblog
曽野綾子がこんな事を言っている。
 
現代は見かけを信じる時代だ。
「オレオレ詐欺」が成り立つのも
孫が災難に巻き込まれるのだけは防がねばならないという
お祖母さんの短絡的弱みに付け込んだものだし、
見知らぬ人からいい仕事があるからと言われただけで
北朝鮮にまで連れて行かれるのも、
すべて土台から実体を発見し、
さらに本質を見つめ、
それでやっと確信する、
というまともな手順が省かれのが普通になった
軽薄な社会の風潮のせいである。
 
これは
『晩年の美学を求めて』という書の一節だが、
曽野綾子らしからぬ失言であろう。

「北朝鮮に連れて行かれた人達は、皆、
人間として必要である
まともな手順を省いた軽薄な人間である。」
という事になる。
北朝鮮拉致被害者家族の皆さんに失礼な発言だ。 

どこかの総理大臣の軽薄な失言とは違って、
曽野綾子の言っている事は正しいのだが。
例えが軽薄で不適切だ。

日本字

2009-02-16 06:36:56 | Weblog
私は、いま憤っている。
憤って3月号から「編集方針」を変更した。

日本人は、
「あいまい」な民族である。
白か黒かよりも、その中間色を好む。
「わび」や「さび」、或いは
「余情」「余白の美」「言外の意味」のような
「あいまい」を好む。
従って「あいまい」な言葉が極めて多い。

しかし、
日本の国の漢字の字体が「あいまい」
であって良い筈がない。 
学校で教えるのは常用漢字表字体で、
印刷物は印刷標準字体、
パソコンやケータイは日本工業規格(JIS)字体
とバラバラで良い筈がない。
 
私は、
月刊短歌雑誌「作風」を編集しているが、
毎月の投稿原稿の文字が
パソコンやケータイ・電子辞書
の字体で書かれてくるため、
もはや「常用漢字を原則とする」
編集方針があまりにも空しくて、
抗しきれなくなってしまった。

経済産業省よ、文部科学省よ、
縄張り争いをやっている段階ではない。
漢字ならぬ
「日本字はこれだ」
という字体に統一して貰いたい。

雲泥の差

2009-02-15 07:18:48 | Weblog
組織の長は、長に就任したその日から、
後継者の育成を重要課題として取り組むべきだ。
組織の維持・発展を期するのであれば、
会社組織でも文化的組織でも同じである。
 
先日、ある組織が解散になった。
一人の会長が長くやり過ぎて、
権力者気取りになってしまった。
自分が会長を続けるにはどうしたら良いか
しか考えていないから、
実力者は追い出し潰してきた。

ところが、
その会長が脳溢血で倒れてしまった。
そして、
会長は譲る事になったのだが、
権力の維持を画策したから、
仲間が嫌気をさして解散と言う事にしてしまった。
 
また、別の組織では、
会長は
優れた人物であり、人望の厚い方だった。
それを笠に着て副会長が実権を握り、
おだてて17年も会長に留まらせた。
それでも、
高齢を理由に降りる事になった。

そして、
その副会長が会長になったのだが、
その途端、
大変な無能力者ぶりを露呈してしまった。

正と副とは、近いようだが、
実は、雲泥の差がある。

挨拶の理由

2009-02-14 07:32:47 | Weblog
梅林堂という老舗菓子舗がある。
先日、
頼んでおいた母の13回忌法要の引き出物を受け取りに行った。

店へ入ると、すかさず店員が
「いらっしゃいませ」という。
常識的な営業上の挨拶言葉である。
 
昨日、
熊谷総合病院へエコーの検査に行った。
警備員が「お早うございます」という。
さすがに「いらっしゃいませ」とは言わない。
受付でも「お早うございます」という。

エコー検査室の前の廊下の椅子で順番を待っていると、
看護師が「お早うございます」
と言いながら前を通って行った。

待つ辛さも薄れ、
それだけで嬉しい気持ちになった。

挨拶は、積極的にすべきであるが
「何で俺が見も知らずの人に挨拶をしなきゃあならないんだ。」
という人がいる。挨拶は、
そんな義務とか権利とか言うものではない。

しかし、
私から挨拶をすると、私の気持ちが明るくなる。
私が挨拶をされると、私の心が楽しくなる。
 
だから、
それだけの理由で、どうだろうか。

近所迷惑

2009-02-13 07:18:54 | Weblog
東京都は
皇居周辺の半径2Km程度を「景観誘導区域」に指定した。
東京は日照権の争いから、
景観が多く問題にされるようになってきた。

その点、田舎はまだ遅れている。
何年か前に川を背にして数件の家が建った。
それらの家の前は空き地で日当たりが良く喜んでいた。
当然、素人でも予想される事件が起こった。
空き地に不動産会社が
八階建のマンションを建てる事になったのだ。

完全に日陰になる家々は
ベランダに横断幕を張って抵抗していたが、
金で決着がついたのだろう一年で幕を下ろした。

農家が廃屋になった。
更地にして200坪を4分割して売り出した。
しかし、
一年経っても買い手がつかなかった。

分割を前後2分割にしたら、
安い北側の土地が先に売れて、
間もなく二階家が建った。
住み始めて半年もしない内に
南側の土地に土盛りが始まった。
北の家よりも高く。

昔は、
他人の目、まして、
近所迷惑になることをもっとも忌避していたのだが・・・。
昔の良き事を言う
私も、年をとったものだ。

邪魔者

2009-02-12 07:38:53 | Weblog
最近、お年寄りは世の中に隠れている。

「老麗・美しく老いる」を考えるとき、
先輩を見渡す。
尊敬すべき先輩を捜す。

ところが、
吾が地域でもお年寄りの数は増えているのに、
前より目立たなくなってきている。
静かになっている。
小さくなっている。
 
いつからこうなったのか。

国の成長が止まり、
或いは、少子化が進み、
健康保険制度や年金制度が破綻した途端に、
国民に占めるお年寄りの比率がどうのこうのと、
盛んに問題にされるようになった。
 
子供の減少とお年寄りの増加、
その対比でものが言われるようになった時、
後期高齢者だのと言われて、
お年寄りが悪者扱いされ、
まるで
邪魔者かのように見られるようになってしまった。

近年、公園では
ブルーシートの住人・ホームレスが邪魔にされている。
また、
今は、派遣社員が邪魔者扱いにされている。

弱き者達よ、立ち上がれ! 
貴方は、邪魔者などではない。

勘違い

2009-02-11 06:46:35 | Weblog
ウオーキング、ハイキング、ジョギング、トレッキング。
何か王様のような名がついているが、
みな歩いたり軽く走ったりすることだ。
 
先日の日曜日も天気が良かったせいか、
駅でリュックを背負った一団に出合った。
秩父方面へハイキングに出掛けたのであろう。
ところが、
こういう人達に出合う度に、
いつも不思議に思う事がある。
それは、
橋上駅へ行くのに殆ど全ての人が
エスカレーターの乗っている事だ。
 
私は、
ウオーキングもハイキングやらないから、
運動不足気味で、駅等では出来るだけ
エスカレーターに乗らないようにしている。
むしろウオーキング代わりに階段を
上り下り出来る事が嬉しくて仕方ない。
 
健康維持と体力作りに
毎日歩いている友人がいる。
彼の意志の強さには感心している。

その彼が寒い中を歩いて風邪をひいた。
それでも歩いている。
「毎日歩かないと気持ちが悪い」のだそうだ。

人は時に「目的」と「手段」を勘違いし、
あるいは、見失う事がある。

白か黒か

2009-02-10 06:42:30 | Weblog
軽自動車が田舎道で脱輪した。
何度も脱出に失敗して車輪が深みに嵌っている。
三人ほど手伝いが集まった。
「じゃあいくよ!いーち、にぃーの、三」。
全員の瞬発力が一瞬に集中されて難なく脱出に成功した。
 
「三人寄れば文殊の知恵」という諺がある。
子供用の自転車は三輪車である。
苗木を植えた時の支柱は三本立てる。
三点支えは、
安定を得るための必要最小限の接点である。
しかし「三角関係」は不安定だ。
 
「三本指に入る」という言葉がある。
表彰台は三位入賞までが一般的である。
「三つ子の魂百まで」という諺もある。
私の人生四ばかり。
 
「天地人」という熟語がある。
一位、二位、三位を言ったり、
生け花の基本形を言ったりする時に使う。
「優良可」や「上中下」
あるいは「上位・中位・下位」とも言う。

「老麗」は、
「是か非か」「白か黒か」等と、
性急で短絡的な事を言わず、
三点目の解決方法を探す事だ。
ゆっくり、
穏やかにまいりましょうよ。

母の13回忌

2009-02-09 06:45:05 | Weblog
人は、
偶然の巡り合わせを「運命」と言う。

私の母は、
平成7年の8月に胃癌などで
「余命6ヶ月」の宣告を受けた。
その4ヶ月後に、
偶然にも私にも胃癌が発見された。
しかし、
農業で鍛えられて頑健な体だった母は、
1年6ヶ月存えた。

母が最期を迎えていた時、
母に可愛がられていた私の子供達は、
偶然にも二人共アメリカにいた。
一人は留学中で、
もう一人は旅行中だった。

娘は旅行を取りやめてすぐ帰国したが、
留学中の息子は帰国手続きなどの関係で、
枕元へ着いたのは母が亡くなる何秒か前になった。

間もなく二人の子供達は結婚したが、
共働きで、
子供をさずかろうとはしなかった。
それが昨年、
偶然にも二人にそれぞれ子供が生まれた。

昨日、
その母の13回忌法要を実施した。
妻と私は、
孫が少し大きくなる17回忌にと考えていたが、
子供達に背中を押されて決断した。

読経を温和しく聴いている曾孫達を見て、
写真の母はじつに嬉しそうだった。