KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

マラソンを愛する皆様、こんにちは。
2022年は積極的に更新していく心算です。

2010年の始まりに

2010年01月08日 | 管理人より
皆様、新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

一昨年の大晦日に僕は、

「2009年は、2008年よりはいい年になると思う。」

と書いた。それは当時の僕の切なる願いだった。失業に父親の入院から死を経験して、これ以上は落ち込むことはないと思いたかったのだ。昨年2月の愛媛マラソンは30kmで終わった。2時間51分というのは、リタイアした時も含めて、これまでで最も遅い30km地点の通過タイムだった。

2009年の秋、生活が変った。4時間勤務のパートタイマーとして勤務していた会社と8時間勤務の契約を結ぶことが出来たのだ。非正規雇用社員であることには変り無い。給料も時給制なので以前とは比べものにならない。それでも、これで走ることをこれからも続けられる、と思ったのだ。

失業中はいくら時間があるとはいえ、とても走る気持ちにはなれなかった。
「こんな事をしている場合か。」
という焦りもあったし、大会に参加する費用にも事欠いた。

再就職にあたって最も重要視した要因は、給料の額ではなく、日曜日に休めるかどうか、だった。いくら収入のいい仕事に就けても、マラソン大会に出られない生活は我慢できないと思ったのだ。ランニングを続けられるだけの体力があるのだから、深夜勤務のある仕事で稼ぐことも考えたが、そんな生活ではトレーニングは出来ないと思った。三交替の勤務や消防局など徹夜もある勤務をしながら走っている人がいることは知っている。しかし、若いうちならともかく、50歳が迫っている自分にはとても出来ないことだと思った。

こうした選択が可能だったのも、僕には妻子がいない身だったからだろう。養うべき妻子がいれば、とてもこんな「わがまま」は許されないだろう。

安定した生活があってこそ、ランニングを楽しみ、大会にも出られるのだということが身に沁みて分かった。いささか低いレベルではあるが安定した生活を取り戻した僕は今年はもう一度、マラソンで記録にチャレンジしていこうと決心したのだった。このサイトのトップに村上春樹氏の言葉を引用して掲載しているが、
「ほんのわずかな(走り続けるための)理由を磨き続ける」ことも大事だが、それ以上に「走るのをやめるための理由」を消していくことも大事だと分かった。

実は、今年の東京マラソンにも申し込んだのだが落選してしまった。30代最後のマラソンとして出場した'01年の長野以来、愛媛マラソン以外のフルマラソンに出ていない。愛媛マラソンは目前に迫っているが、むしろ今年は愛媛以外のマラソンに出てみようと考えている。勤務シフトが変り、土日祝日も出勤するようになったが、1ヶ月前に申請さえすれば休日を確保するのは容易なことだ。以前勤めていた会社では、海外マラソンに出場するために、有給休暇の取得を申請すると
「何様のつもりだ。」
と陰口を言われた。有給休暇を1年間に一度も使用しなかった社員を表彰するような会社だったからだ。

実を言うと、現在左足の太腿を痛めている。今月末に開催の愛媛マラソンまでに回復できるかどうか、不安が一杯である。しかし、この故障が回復できさえすれば、十分なトレーニングは可能だ。今は先月末に「自分への御褒美」のつもりで買った自転車で往復36kmの通勤をしている。なんとか体力の低下と体重増を最低限にとどめたいと思っている。体重は故障の直前のレベルを維持している。この連休にはジョグを再開できればと思っている。

今年は自分自身のランニングについても、ここでお話する機会を増やせられれば、と思っている。40代最後の年を、充実したものにしたい。

今年もまた、僕のとりとめもない話にお付き合いのほどよろしくお願いします。


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