KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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海外メジャー・マラソンへの「幻滅」vol.3~遅ればせながら、北京マラソン

2004年11月20日 | マラソン観戦記
もたもたしているうちに、北京マラソンから1ヶ月経ってしまった。賞味期限の切れたネタを無理矢理料理してみたい。

'80年代に数々の名勝負や好記録を生み出してきた北京マラソンが、11年ぶりにTBS系列に戻ってきた。しかも生中継!!

次期五輪開催地だけに、中継のリハーサルも兼ねていたのかもしれない。実況担当は、自らもマラソンを走る中村秀昭アナと、すっかりおなじみになった「金ちゃん」こと金哲彦氏。

舞台装置は十分だったのに、役者が不足していたのが惜しまれる。やはりアジア・カップでの反日フーリガンの暴れっぷりが災いして、陸連が一線級の派遣を渋ったのか?

それでも、男子は思わぬ好レースとなった。既に城西大のコーチとなっていて、レース前日も箱根駅伝の予選会を見ていた櫛部静二、すでに競技者としてはピークを過ぎていたと思われていた彼が、昨年の優勝者のイアン・シスター相手に予想以上の健闘を見せたからだ。20kmの通過タイムは、指導する学生たちの予選会の記録よりも良かった!!後半は失速して7位に終わったが、それでも今後の期待を持たせてくれた。
「やるじゃないか!まだまだいけるぞ!」

実は、彼が在籍していた頃の早稲田はいわば「エリート集団」で、それに対する「雑草軍団」山梨学院大に肩入れしていたので、かつての櫛部は僕にとっては「ヒール」だったのだが。

それに引き換え、女子はがっかりだった。日本から3人の選手が出場するも、アジア最高記録保持者の強豪、孫英傑と勝負できるレベルではなかった。ここは、ベルリンで2位の大南博美を出場させて欲しかった。彼女の「育ての親」である竹内伸也前UFJ銀行陸上部監督は、ソウル五輪女子マラソンで入賞し、北京のアジア大会でも金メダルを獲得した趙友鳳を育てた人である。

中国女子マラソンの礎を築いた指導者が育てた日本人選手と、現在の中国のトップランナーとの対決、というのは見応えのある勝負と思ったのだが。

結果として、女子のレースは孫の「公開練習」となってしまった。監督を乗せた車が伴走し、給水ボトルまで手渡していたのにはあきれた。

そのうえ、女子のスタートが男子の15分後というのが不可解。男女同時スタートの方がまだましだ。男子のランナーをペース・メイカーにできるし、女子のトップ・ランナーと並走できるランナーは、いわゆる「市民ランナー」としてはかなりの上級レベルである。例外もあろうが、競技進行上の最低限のマナーも心得ている。

ところが、15分遅れてスタートする彼女たちに追いつかれるランナーは、こう言っちゃ悪いが、「障害物」になってしまう。前をペースの遅いランナーが多数走っていると、自分のペースも狂ってしまうし、彼女たちの進行を妨げる不心得者も混ざっている。もっとも、この点はゴール後、彼女も不満を漏らしていたというから、来年以降は改善されるかもしれない。いや、してくれないと困る。

ベルリン、北京と見てきたが、男女同時スタートの海外マラソンにおいては、女子のレースというのは「サブ・イベント」に過ぎないのだろうかと思えてきた。女子マラソンの人気が男子のそれを上回る日本から見れば、物足りなく見えてもやむを得ないことかもしれない。

3週間後もニューヨーク・シティ・マラソン、アテネ五輪で棄権した、世界記録保持者のポーラ・ラドクリフが優勝したという。それまで、他の追随を許さず、独走でゴール・テープを切ってきた彼女が、初めて、ライバルとの接戦を制したのだとか。セントラル・パークはさぞや沸きかえったであろう。そういうレースこそ見てみたかったと思った。


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