かながわ平和運動推進委員会

神奈川県高等学校教職員組合の平和について考えるブログです。

改定教育基本法 2006.12.15 地方紙社説

2007-01-10 21:10:59 | 教科書・教育基本法
行く先は未来か過去か 教育基本法59年ぶり改定
中日新聞・東京新聞・北陸中日新聞 2006年12月16日

 教育基本法が59年ぶりに改定された。教育は人づくり国づくりの基礎。新しい時代にふさわしい法にとされるが、確かに未来に向かっているのか、懸念がある。安倍晋三首相が「美しい国」実現のためには教育がすべてとするように、戦後日本の復興を担ってきたのは憲法と教育基本法だった。「民主的で文化的な国家建設」と「世界の平和と人類の福祉に貢献」を決意した憲法。その憲法の理想の実現は「根本において教育の力にまつべきものである」とし、教育基本法の前文は「個人の尊厳を重んじ」「真理と平和を希求する人間の育成」「個性ゆたかな文化の創造をめざす」教育の普及徹底を宣言していた。

■普遍原理からの再興
先進国中に教育基本法をもつ国はほとんどなく、法律に理念や価値を語らせるのも異例だが、何より教育勅語の存在が基本法を発案させた。明治天皇の勅語は皇民の道徳と教育を支配した絶対的原理。日本再生には、その影響力を断ち切らなければならなかったし、敗戦による国民の精神空白を埋める必要もあった。
 基本法に込められた「個人の尊厳」「真理と正義への愛」「自主的精神」には、亡国に至った狭隘(きょうあい)な国家主義、軍国主義への深甚な反省がある。より高次の人類普遍の原理からの祖国復興と教育だった。一部に伝えられる「占領軍による押しつけ」論は誤解とするのが大勢の意見だ。のちに中央教育審議会に引き継がれていく教育刷新委員会に集まった反共自由主義の学者や政治家の熟慮の結実が教育基本法だった。いかなる反動の時代が来ようとも基本法の精神が書き換えられることはあるまいとの自負もあったようだ。しかし、改正教育基本法は成立した。何が、どう変わったのか。教育行政をめぐっての条文改正と価値転換に意味が集約されている。

■転換された戦後精神
 教育が国に奉仕する国民づくりの手段にされてきた戦前の苦い歴史がある。国、行政の教育内容への介入抑制が教育基本法の核心といえ、10条1項で「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」となっていた。国旗・国歌をめぐる訴訟で、東京地裁が9月、都教育委員会の通達を違法とし、教職員の処分を取り消したのも、基本法10条が大きな根拠だった。各学校の裁量の余地がないほど具体的で詳細な通達を「一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制する『不当な支配』」としたのだった。不当な支配をする対象は国や行政が想定されてきた。
 これまでの基本法を象徴してきた「不当な支配」の条文は、改正教育基本法では16条に移され「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と改められた。政令や学習指導要領、通達も法律の一部。国や行政が不当な支配の対象から外され、教育内容に介入することに正当性を得ることになる。この歴史的転換に深刻さがある。前文と18条からの改正教育基本法は、新しい基本法といえる内容をもつ。教育基本法の改定とともに安倍首相が政権の最重要課題としているのが憲法改正だが、「新しい」憲法と「新しい」教育基本法に貫かれているのは権力拘束規範から国民の行動拘束規範への価値転換だ。自民党の新憲法草案にうかがえた国民の行動規範は、改定教育基本法に「公共の精神」「伝統と文化の尊重」など20項目以上の達成すべき徳目として列挙されている。
 権力が腐敗し暴走するのは、歴史と人間性研究からの真理だ。その教訓から憲法と憲法規範を盛り込んだ教育基本法によって権力を縛り、個人の自由と権利を保障しようとした立憲主義の知恵と戦後の基本精神は大きく変えられることになる。公共の精神や愛国心は大切だし、自然に身につけていくことこそ望ましい。国、行政によって強制されれば、教育勅語の世界へ逆行しかねない。内面への介入は憲法の保障する思想・良心の自由を侵しかねない。新しい憲法や改正教育基本法はそんな危険性を内在させている。

■悔いを残さぬために
 今回の教育基本法改定に現場からの切実な声があったわけでも、具体的問題解決のために緊急性があったわけでもない。むしろ公立小中学校長の3分の2が改定に反対したように、教育現場の賛同なき政治主導の改正だった。現場の教職員の協力と実践、献身と情熱なしに愛国心や公共の精神が習得できるとは思えない。国や行政がこれまで以上に現場を尊重し、その声に耳を傾ける必要がある。安倍首相のいう「21世紀を切り開く国民を育成する教育にふさわしい基本法」は、同時に復古的で過去に向かう危険性をもつ。改定を悔いを残す思い出としないために、時代と教育に関心をもち続けたい。

「改正教基法の課題」 危うい国家的関与の強化
陸奥新報 2006年12月18日

 「教育の憲法」といわれる教育基本法改正案が成立した。しかし参院本会議では投票総数230票のうち賛成131票、反対99票。総数を100とすると「57%対43%」と、ある意味ではわずかの票差は異様であり、それだけ問題のある改正法である点を忘れてはならない。
 教基法は1947年に制定されて以来、初の改正だ。なぜこの時期に、という素朴な疑問は消えない。「戦後体制からの脱却」を掲げる安倍晋三首相にとって、政権の最終目標は憲法改正であり、その布石となるのが教基法改正だ。また、郵政造反組の復党問題や政府のタウンミーティングでの「やらせ質問」などで内閣支持率が急落している折である。今回の改正はつまずいてはならない改憲への第一歩とみての強行突破なのだろうか。とすれば教基法は踏み台とみなされたことになる。教基法の審議中には、いじめ自殺や必修科目の未履修など教育にかかわる深刻な問題が相次いだ。それだけに民主、共産、社民、国民新の野党四党の反対を押し切った与党の姿勢に対して「なぜ今なのか」「急ぎ過ぎ」という批判の声が上がっている。
 改正教基法の一番の特徴は、教育に対する国家的な関与の度合いを強めたことだろう。この点で同法が具体的に反映される今後の学習指導要領改定や学校教育法、教員免許法、地方教育行政法など30を超す関連法の改正から目が離せない。法律は一度成立すると、反対意見があったことは次第に忘れられ、やがて拡大解釈されていく。「抵抗力」の弱い地方では特にその傾向が強く、法解釈は形式的になりがちだ。教員が多忙で、子供と正面から向き合うことが少なくなった教育現場では、国の方向転換に混乱し、いじめの再発や新たな問題も起こりかねない。
 改正教基法の条文では第二条「教育の目標」として豊かな情操と道徳心、公共の精神、伝統と文化を尊重し国と郷土を愛し国際社会に寄与する態度が明記された。これまでの教基法で学問の自由や自発的精神が前面に出ていたのと比べ、改正法では徳目教育を目標化した点が目立っている。「愛国心」について安倍首相は「内面に入り込んで評価することはない」と言っている。だが政府は「教員の指導は責務」「学習姿勢を評価」と、現場に具体的な指導を求めている。
 現場にとって、徳目教育は難題だろう。これから新たな指導要領や関連法に沿った教育が試みられ、やがて「模範校」が一つの基準になるだろう。その過程で、教師の多様な価値観や子供の自由な発想が変にゆがめられないか心配である。学校や教育委員会の硬直的な対応でいじめ問題が膨れ上がったのと同様、徳目教育も形式化する恐れがある。国歌斉唱が学校評価の一つの基準になっているのと同じ理屈だ。上意下達ではない幅のある試行を望みたい。国の教育への関与は、あくまでも抑制的であるべきだ。

             改正教育基本法が成立
北海道新聞 2006年12月16日

 憲法とともに戦後日本の民主主義を支えた教育基本法が改正された。改正法は「わが国と郷土を愛する態度」などを条文に盛り込んだ。戦後教育の枠組みと理念を根底から変える内容だ。
 新しい法律の下で、教育はどう変わるだろう。「国を愛せ」と教師が子供たちに強く求める場面が起きないか。そんな授業を受ける子供たちの態度が「評価」につながらないか。教育現場の創意工夫はどこまで生かされるだろう。こうした点の審議が必ずしも十分だったとは思えない。改正に国民の合意ができていたともいえない。数の力を背景に、今国会で改正法の成立を図った政府・与党のやり方は強引だった。
 安倍首相は、占領時代に制定された教育基本法と憲法の改正は、「自民党結党以来の悲願」だとしていた。それほど重要なら、国民への丁寧な説明と合意形成の真摯(しんし)な努力を重ねる必要があったはずだ。次の課題は憲法改正ということになるのか。国の基本にかかわる問題で、「数の力」に頼る姿勢は、許されるものではない。
*「国家」重視に軸足を移す
 教育基本法は一九四七年、戦前の国家中心教育への深い反省を踏まえて制定された。 前文で「個人の尊厳」を基本とする教育理念を掲げ、憲法の理念の実現を「教育の力」に託した。これに対し、改正法は「わが国と郷土を愛する態度」や「公共の精神」などの徳目を「教育目標」に掲げた。教育理念の軸足を「個人」から「国家社会」の重視に移した。
 しかし、そもそも法で、内心にかかわる「教育目標」を定めることは、憲法が保障する「思想と良心の自由」にそぐわないのではないか。中国や旧ソ連のような社会主義国を除けば、多くの先進国では「国を愛する態度」のような内心の問題まで国法では定めていない。教育目標に徳目を並べ、評価までするという日本の教育は、異質と見られるのではないか。
 「わが国や郷土を愛する態度」を自然にはぐくむことは、国民として大切なことだろう。「公共の精神」を身につけることも、社会生活を営むうえで欠かせない。それを法律に書き込み、子どもが学ぶ態度まで評価するとなると話は別だ。国による管理や統制が過度に強まる懸念がぬぐえない。
*法の名の下で行政介入も
 改正法で見逃せないのは、教育行政のあり方に関する条文の変更だ。改正前の基本法一○条は、教育は「不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負う」と定めている。戦前の国家統制への反省を踏まえ、行政の教育への介入を防ぐ役割を果たしてきた。
 改正法は、「国民全体に対し直接に責任を負う」という文言を削除し、新たに「法律の定めるところ」によって教育を行うと定めた。現場の教師はこれまで、「国民全体に直接に責任を負う」という条文があったからこそ、父母や子どもたちとともに、創意工夫のある教育活動を試みることができた。しかし、法改正によって、時の政府が法律や指導要領を決め、それに基づいて教育内容が厳密に規定されれば、教員は行政の一員としての役割を強いられる。教育法学者からは、政治や官僚の不当な圧力からの独立と自由を目指した当初の立法の趣旨が、法改正で逆転したという見方が出ている。
 文科省は教員評価制度の導入を一部の学校で始めている。制度の運用によっては、教師の仕事が国の決めた教育目標をどこまで実現したかという観点から評価されかねない。こうした問題をはらんでいたからこそ国民の間に懸念の声は強かった。東大が十月にまとめた全国アンケートでは、公立小中学校の管理職の三人に二人が「現場の混乱」を理由に改正に反対していた。ところが安倍首相は国会で「国民的合意は得られた」と繰り返した。政府のタウンミーティングでは、姑息(こそく)な世論誘導も明らかになった。
*施策の吟味が欠かせない
 「教育基本法は個人の価値を重視しすぎている。戦後教育は道徳や公共心が軽視され、教育の荒廃を招いた」 自民党内の改正論者は、このように基本法を批判してきた。教育現場は、子どもの学力低下やいじめなど多くの課題を抱えている。しかし、教育荒廃の原因は基本法に問題があったからではない。むしろ、文科省や教育委員会が、基本法の理念を軽視し、実現に向けた努力を怠ってきたのが現実ではないか。
 文科省は今後、改正法に基づき具体的な教育政策を網羅した「教育振興基本計画」を策定する。教育改革の名のもとに打ち出される施策の中身を、学校現場と父母は十分に吟味し、子どもの成長に役立つ施策かどうかを見極める必要がある。改正法の下での教育現場の変化を、注意深く見守らねばなるまい。


教育基本法 運用の監視が怠れない
信濃毎日新聞 2006年12月16日

 教育基本法の改正案が参議院の本会議で可決、成立した。戦後教育の背骨となった重要な法律が全面的に改定された。個人の尊重より公共の精神を優先し、国を愛する心を求める内容だ。反対が根強い中、論議を尽くさないままに成立したのは残念だ。今後、関連する法律の見直しが進められる。法律に何が盛り込まれるのか。学校はどう変わるか。国の動きをチェックする必要がある。
何より、子どもたちがより息苦しくならないよう、現場の声を上げ続けることが大切になる。
 「伝統と文化を尊重」「わが国と郷土を愛する態度を養う」「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度」-。改正法にはこういった「教育の目標」がずらりと並ぶ。憲法の理想を実現するには「教育の力にまつべきもの」として、個人の尊厳を重んじる現行法から、基本的な考え方が大きく変わる。規範意識を植え付け、国が期待するあるべき姿を押しつける方向に教育がねじ曲げられないか、心配になる。
<規律の重視だけでは>
 教育をめぐる問題は深刻だ。学ぶ意欲の低下、家庭や地域の教育力の弱体化など山積している。こうした問題を、政府は個の尊重や自由が行き過ぎたゆえに生まれたものだとする。根本的な改革のための、基本法見直しだと説明している。
 いまの教育を良くしたいという思いは国民の間に強い。ただ、そのために教育の理念を変える必要性は認め難い。政府の目指す方向と、学校現場や家庭が抱えている問題には大きなずれが感じられる。例えば、相次いで表面化したいじめにどう対応するかだ。いじめられた経験を学校などで語る、20代の人たちの話を聞く機会があった。「学校に行けない自分を悪い人間だと責めながら、行くなら死んでしまいたいと包丁を持った」「生きるのもつらいが、死ねないつらさにも苦しんだ」
過去を語ることは、死にたいほどのつらさを再び体験することにもなる。それでもいじめをなくしたいと、訴え続けている。彼らがそろって口にするのは、いじめる側を厳しく指導しても、解決にならないということだ。「なぜいじめるのか、自分の心に向き合わせる対応が大切」「先生は忙しく、子どもに接する時間が少なすぎる」「親や教師も絡んだ複雑ないじめの実態に、もっと耳を傾けてほしい」。こうした訴えは、どこまで国会に届いているのか。
 14日の参議院特別委員会で、安倍晋三首相は「相手をいじめる気持ちを自律の精神で抑え、教室で迷惑をかけてはいけないと公共の精神や道徳心を教える」と述べた。体験者の声とは懸け離れた理屈である。問題を深刻化しかねない。論議が不十分に終わった一因は、民主党にある。民主党の対案は前文に「日本を愛する心」をうたい、保守的な色合いは政府案よりむしろ強い。政府案が決まれば、どんなマイナスの影響があるのかといった問題追及が足りなかった。
<内心に踏み込む恐れ>
 改正法に基づき、政府は5年間の目標を定める「教育振興基本計画」を作る。関連法の改正や、学習指導要領の見直しも始まる。今後の動きに厳しい目を向ける必要がある。最も心配されるのは、子どもの内面に踏み込む方向が強まることだ。安倍首相は「内心の評価は行わない」としたものの、日本の伝統や文化を学ぶ姿勢や態度を評価することは明言している。評価の対象は「態度」だとしても、法律などで教育目標となれば、子どもに強制することになりかねない。通知票で「愛国心」を評価することに、どんな意味があるのか。
 かつて国旗国歌法の審議でも、日の丸掲揚や君が代斉唱を義務付けるものではないとの答弁はあった。しかし、現実には教職員への指導強化になり、自殺者まで出た。事実上の強制である。二の舞いは避けねばならない。第二の心配は、地域や学校の自主性が狭められることだ。教育基本法は、戦前の教育が国家のために奉仕する国民を育てた反省に基づいて生まれた。「不当な支配に服することなく」と、教育の中立性や自由をうたっている。
<改憲への岐路に?>
 改正法は教育行政について「この法律及び他の法律の定めるところにより行われる」としている。教育内容への国の関与は、強まると考えねばならない。学校の裁量や自由が狭められる心配が募る。学校も家庭も余裕がない。そんな中で、例えば「いじめや校内暴力を5年で半減」といった目標が掲げられたらどうなるか。現場はより息苦しくなる。子どもたちに徳目を押しつけるだけは解決にならない。そういった生の声をこれからも上げ、法の運用に目を光らせていく必要がある。
 教育基本法改正は、憲法改正にもつながる。自民党の新憲法草案は個人の自由と権利の乱用を戒めている。このまま、国の関与が強まる道を選ぶのか。岐路に立っていることを自覚しなくてはいけない。


教育基本法改正・懸念は残されたままだ
琉球新報 2006年12月16日

 教育基本法の改正案が参院本会議で与党の賛成多数で可決、成立した。1947年の制定以来、59年目にして初めて改定となった。教育基本法改正案は、衆院特別委員会、本会議でも与党の単独で採決され、参院でも与党単独での力ずくの採決となった。与党側は、審議は十分尽くしたとするが、果たしてそうだろうか。「成立ありき」の感がぬぐえない。国会での論議を聴いていても、高校の社会科未履修問題などに時間が割かれた。そのことは重要だが、なぜ教育基本法改正が必要なのか、改正で教育をどう変えていくのかなど、改正の本体を問う論議は少なかった。政府側の説明も不十分だった。
 教育が現在、解決すべき問題を抱えていることは、多くの国民の共通の認識だろう。しかし、その解決が教育基本法改正とどうつながるのか、政府、与党から明確な答えを聞くことはできなかった。教育基本法は、憲法と同じく戦後の日本の進むべき方向性を示してきた重要な法律だ。改正は慎重の上にも慎重を期して当然だ。教育は「国家100年の大計」といわれる。その理念を定めた基本法が国民合意とはほど遠く、数を頼みの成立では、将来に禍根を残すことになる。
 改正する理由について政府、与党は「個人重視で低下した公の意識の修正」や「モラル低下に伴う少年犯罪の増加など教育の危機的状況」などを挙げる。しかし、教育を取り巻く問題がすべて現行の教育基本法にあるとするのは、無理がある。安倍晋三首相は、いじめ問題などについて「対応するための理念はすべて政府案に書き込んである」と繰り返した。「公共の精神」や「国を愛する態度」といった精神論を付け加えることで果たして問題が解決できるのか。むしろ、現行法の最も重要な理念である「個の尊重」が、教育現場で本当に生かせるような枠組みづくりが必要なのではないか。
 教育と政治の関係も大きく変わる。現行法では「教育は、不当な支配に服することなく」とされているが、改正法では「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり」が付け加えられた。国会で多数をとって法律を制定させれば、教育内容に介入することも容易になる。教育が時の政権の思惑によって変えられることになりはしないか。改正法が成立したことで、政府は教育振興基本計画を定め、関連法案の改正に着手する。しかし、基本法改正への懸念は残されたままだ。政府は、計画策定などの論議の中で国民の懸念に十分に応える必要がある。


         国会閉会 将来恥じぬ議論したか
中国新聞 2006年12月20日

 安倍内閣が九月に発足後初めての臨時国会が閉会した。85日間の今国会では、「教育の憲法」といわれる教育基本法が制定以来59年ぶりに改正され、防衛庁の「省」昇格関連法もあっけなく成立した。戦後の教育の根幹や防衛政策が大きく転換する、曲がり角の国会になったといえる。しかし、重要法案の白熱した論戦があったか。政府の説明は全く十分でなく、民主党など野党の追及も迫力を欠く体たらくだ。国民に賛否があり、国の行く末を左右する法案に対して、今国会が将来の検証に恥じない丁々発止の議論をしたとはとても思えない。今国会は、安倍新内閣の国づくりの方向性とその実像を国民に示す機会だった。「改革、競争」一辺倒だった小泉前内閣の何を継承し、何を刷新するのか。だが、安倍晋三首相の打ち出す「戦後体制からの脱却」の必然性や真意は、多弁ながら明確ではなかった。
 改正教育基本法は、現行法が培った「個」の尊重から「公」重視に基本理念を急旋回させた。教育目標に「愛国心」重視の姿勢を掲げた。では、なぜ戦前回帰なのか、それによっていじめ自殺や各教委の無責任対応など混迷する現場が立て直せるのか。愛国心も個々に価値観が違うものを強要していいはずはない。社会情勢の変化を見据えた教育再生について、説明責任が果たせたとはいえまい。
 防衛庁の省昇格関連法にしても、国防権限が強化され、「付随的任務」だった自衛隊の海外派遣が「本来任務」に格上げになる。これまでの「専守防衛」を根本から覆しかねない重大な懸念をはらむ法案である。こうした安倍内閣の「危険ゾーン」への踏み込みをただせなかった民主党の責任は大きい。独自に提出した教基法改正案では、むしろ愛国心は自民党より色濃く盛られた。集団的自衛権でも一昨日まとめた「政権政策」で一部容認に踏み込むなど、自民党との対立軸が明確でない。対案を出しつつ攻め切れない小沢体制の弱さが、重要国会で露呈した形だ。考えてみれば、自民党復党問題に大義があったか。タウンミーティングやらせ問題、税制改正の企業優遇路線。民主党が攻める切り口は多々あった。それを生かせない野党第一党に、来夏の参院選で政権交代をかける力量があるか。
 昨秋の衆院選で自民党に圧倒的多数議席を与えた有権者も、今後の国の在り方を見極めたい。

【声明】新教育基本法制定に断固として抗議する

2007-01-10 20:54:42 | 教科書・教育基本法
▼▼【声明】新教育基本法制定に断固として抗議する

 政府・与党は12月15日、参議院で教育基本法政府「改正」案の採決を強行し、成立させた。私たちはこれを絶対に許すことはできない。
 この「改正」案は、日本国憲法の立憲主義に反し、時の政権が教育内容を規定し、統制することを自由にする違憲の法案である。それを、充分な国会審議もなく、数の暴力をもって強引に成立させた。成立過程においても民主主義を踏みにじるものであった。
 いま、なぜ教育基本法を改定する必要があるのか、改定によって教育の諸問題が解決できるのか、政府は何ら具体的な説明もしていない。改定を急がず、充分な国民的論議を求める世論を無視し、教育改革タウンミーティングで多額な予算を浪費し、「やらせ」によって教育基本法改定の世論をねつ造した。道義無き政府がこどもたちに道徳や規範意識をたたき込むと言い、愛国心を強要し、国に命を捧げさせようとしている。
 いま憂慮されている教育の諸問題は、かつての国家主義教育の強い反省から生まれた教育基本法を実現してこなかった政府の責任である。私たちは、子どもたち一人一人のための教育、子どもたちが自分で自分の人生を選びとる力をつける教育をめざしてきた。私たちは烈しい憤りをもって「新教育基本法」を否定する。
 政府は、早くも12月22日にこれを公布し、施行する。各学校の卒業・入学式において、「愛国心」の名のもとに教職員・児童・生徒ひいては市民に「日の丸・君が代」について敬意の表明や斉唱の強要を適法としたい意図が見える。私たちは、こうした思想・信条、表現の自由の侵害を許さない。私たちは、政府お抱えの教育再生会議の成り行きを注視し、今後急がれるであろう学習指導要領や関係法令の改悪、教科書をはじめ教育内容への介入を許さない取り組みをそれぞれの場で進めていく。国家教育への進行を阻止するとともに、私たち自身の教育を受ける権利を確かなものとし、こどもたちに平和で明るい未来を約束する努力を続けていくことを表明する。

2006年12月21日
               教科書・市民フォーラム(横浜市港北区)気付
               教育基本法改悪をとめる!神奈川実行委員会

沖縄平和ネット首都圏の会

2007-01-10 19:01:00 | 沖縄の歴史と現代
  「沖縄平和ネットワーク首都圏の会」にようこそ!  
「沖縄平和ネットワーク」が沖縄で産声をあげて10年目に入った2004年の3月、「首都圏の会」が設立されました。
 「沖縄平和ネットワーク」は学習活動を基本に、修学旅行などの平和ガイド、戦争遺跡の保存・活用運動に取り組んできた市民グループです。平和ネットワークの40%は本土会員で、その65%が首都圏在住です。
 これまで沖縄での連続講座、フィールドワークなどの様々な活動について、本土会員は実際上参加することが難しく、会報のみを購読するという参加の仕方を余儀なくされていたのが現状でした。そこで、首都圏でも参加できる活動の場をめざして「首都圏の会」が立ち上がりました。
 活動の主な柱は以下の2つです。
・ 沖縄に関する学習会:沖縄の歴史、自然、文化、米軍基地、戦争と平和につい  てなど。
・ フィールドワーク:首都圏の米軍基地や戦跡などを訪問し体験学習。


《講演会のお知らせ》
2007年3月4日(日) 午後13時15分開場、13時半開始

証言「ひめゆり学徒の沖縄戦体験」
上江田千代さん(ひめゆり同窓会東京支部常任委員)
会場:神保町の岩波セミナールーム


集会報告 「パレスチナ、レバノンで何が起き、どうなっていくのか」

2007-01-06 15:06:07 | 平和通信vol149(2006/10)
集会報告

「パレスチナ、レバノンで何が起き、どうなっていくのか」
 
     主催:明治大学軍縮平和研究所・日本ビジュアル・ジャーナリスト協会

 「美しい日本」で登場した人物が隣国への「武力攻撃」も辞さない構えだ。この集会のテーマは突き詰めて考えると、国家間の紛争の解決手段として軍事力を認めるか、認めないかと言う問いかけだった気がする。
 10月8日明治大学で、明治大学軍縮平和研究所と日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)共済の集会に参加した。報告者は、大手メディアのジャーナリストがいない危険な地域で、カメラひとつで現地を取材している面々だ。豊田直巳、綿井健陽、古居みずえ、森住卓(当日取材のため欠席)、土井敏邦。
報告者の綿井は司会を務めた土井に「250席満席になったら、坊主にする」といったそうだ。正直、私も、「パレスチナ、レバノン」で人が250も来るのかと思っていた。しかし、参加者は238人。スタッフの席はなかった。しかも、もっと驚いたのは若者が多いことだ。
 マスコミで報道されない生の映像はそれだけで迫力はあるのだが、取材する側の真摯な姿勢が伝わって来る映像が4時間半という時間の長さを感じさせなかった。紙面がないので、土居が報告した「イスラエルの市民が今回のレバノン攻撃をどう見ているのか」について報告したい。イスラエル国民の92%が支持し、「勝てなかった」という今回のレバノン戦争だが、インタビューした市民のほとんどが、戦争の失敗は政府指導者にあるとし、戦略戦術上の失敗が敗因と考えている。一般市民の犠牲についても、攻撃すると言っているのに(実際ビラを空からばら撒く)逃げない市民が悪い。さらに、アラブ系のメディアの被害者の映像は捏造と誇張だと言う。イスラエルではアラブ人が被害に遭っているという報道は反イスラエル報道とされ、伝えようとするジャーナリストもパージされると言う情況があるというのだ。真実を見ようとしない、真実を見たくない。情報を受け取る側がそうなったとき、ジャーナリズムは何に依拠すればよいのか?
 他国の問題ではない。綿井がこんなことを話した。「レバノンの取材映像を何度もテレビ局に持っていくが、なかなか取り上げてくれない。レバノンのニュースになったとたんに視聴率が下がる」と言うのだ。見ようとしないのだ。一方、朝鮮人民共和国に対して、拉致問題以降、過剰なまでの報道だ。「核実験を実施した」と声明を出したことで、さらに、敵国「北朝鮮」キャンペーンが加速する。国連決議に反対などと誰も言えない。反日的とされるからだ。決議に賛成すると言うことは朝鮮の船舶を臨検するということだ。トラブルが武力衝突に、それをきっかけに、戦争を仕掛ける。仕掛けるのは必ず勝つというアメリカだ。そして、多くの市民が殺される。そうなったとき、破れかぶれになった指導者が核のボタンを押すことになるかもしれない。戦前追い詰められた日本がなにをしたかを考えてみればよい。報告者のひとり、豊田直己の「これだけ人が殺される現場を見て、やはり、武力では人は守れないんだ。」といった言葉が心に残る。             (敬称略)
                         

 日本のイラク戦争は終わっていない ②

2007-01-02 14:02:54 | 平和通信vol149(2006/10)
イラク内戦と報道
          日本のイラク戦争は終わっていない ②

イラク戦争で日本のマスコミが報道しないこと              

 アメリカの侵略戦争~侵略と言う言葉は使わない。

 ブッシュの戦争の理由は「イラクの大量破壊兵器の保持」。国連はイラクでの査察継続を訴え、多くの国も戦争に反対した。周知のとおり、後に「大量破壊兵器はなかった」ことが明らかになり、アメリカも認める。世界でもっとも大量破壊兵器を保持しているのはアメリカである。反米であると言うことで、「大量破壊兵器」を保有していると言う可能性や憶測だけで、先制攻撃したのだ。たとえイラクの大量破壊兵器を保持していてもそれがアメリカにどのような直接的な脅威があったのだろうか。このことだけでもアメリカの侵略戦争であったことは明らかだ。しかし、日本のテレビ、大手の新聞で「侵略」という言葉を使ったことを見聞きしたことはない。
さらに、「大量破壊兵器がない」となると、ブッシュはフセインが「イスラムテロ組織・アルカイダと関係がある。」と言い出した。しかし、これもなかったことが判明すると、今度は「それでもイラクはアメリカにとって脅威だった」と言う。ならば、「アメリカが脅威を感じたときは戦争を仕掛けることがある」と公言したということだ。
一方、ブッシュの「確たる証拠がある」という情報については、当時の日本の国会でも議論があった。真っ先にこの侵略戦争に支持を表明し、戦時下に軍隊を派兵した小泉を批判することはなく、彼の開き直りとも言うべき国会答弁は面白おかしく伝えるのだ。日々、罪もない人が殺されているのにである。この侵略戦争に加担しているにかかわらず、NHKはじめテレビは何回も何回も「自衛隊のイラクの復興支援活動」と宣伝する。


石油のための戦争ということ                        

 イラクに石油がなかったら、イラクは攻撃されなかっただろう、と言われる。1998年OPECのデータによると、イラクの原油生産量は1日当たり218万バレル(世界原油の3.3%)世界11位であるが、石油埋蔵量はサウジアラビアについで世界第2位。当時の水準で生産しても140年は採掘でき、これは世界一位だ。しかも、良質で安価で砂漠地帯にはまだまだ優良な油田があるとも予想されている。しかも、チェイニー副大統領(当時)始め、政権内には石油関連企業の責任者も多数いたのだから、イラクは最高のターゲットだった。

 1991年の湾岸戦争後、国連の厳しい経済制裁を受けたイラク。乳児死亡率10.8%、5歳以下の死亡率13.1%、1991年からの5年間で100万人が死亡その大半が子供と言う。それでも、フセイン政権を支えたのは豊富な石油資源だった。湾岸戦争後、イラクの油田利権を獲得した国はフランス、ロシア、中国、イタリア、スペイン、オーストラリア、インド、インドネシアなど10カ国を超える。もちろんアメリカとイギリスは油田の利権を獲得できなかった。

 占領後、無政府状態の中でも、石油施設だけはアメリカ軍の厳重な警備下に置かれた。しかも、占領軍の石油部門の顧問団のトップは、元ロイヤル・ダッチ・シェル米国法人社長のフィリップ・キャロルが就任した。2003年5月のブッシュの戦争終結宣言の前4月末に、すでにイラクの主要油田のひとつキルクーク油田で、米軍の手によって原油生産が再開され、その後、2ヶ月もたたないうちにイラクの原油が輸出された。全くイラクに石油利権を持たなかったアメリカがイラクの石油の生産、輸出をコントロールすることになったのだ。
2003年12月9日ブッシュは全世界にこう言う。「われわれは(アメリカ、イギリス)は戦争と言う代償を払った。復興はわれわれがする。」と。言い換えれば、「戦争で獲得したものは自分たちのもの。戦争に反対した国には渡さない。」と公言しているように聞こえる。
アメリカにとってイラクは石油なのだ。アメリカの当初の計画では石油生産を戦前水準の日量200万バレルにまで「復興」させる計画だった。原油価格が1バレル当り約30ドルとすると、その生産額は1日当り6千万ドル(70億円)を超える。1日70億円。年間に直すと2兆6千億円。CPAのブレマーは「イラクは今年末までに約50億ドル分の石油を売却するが、手数料や湾岸戦争の賠償金の名目でまずアメリカがその3割、15億ドルを収奪する。残り35億ドルも、開発事業を賄う基金に預託する。」と2003年6月米紙に語ったと言う。
イラクの戦後復興の利権は石油だけではない。戦争で破壊されたインフラの整備もまた大きな「ビジネスチャンス」なのだ。これも戦争終結宣言前の2003年4月中旬、アメリカ国際開発庁はイラク復興の中核をなすインフラ整備にアメリカの建設大手企業ベクテルに発注することを決めた。一年半の契約で総額は6億8000万ドル。イラクに投入された「復興資金」は、米系多国籍企業に流れるシステムができあがっている。

ベクテル社

 世界60数カ国でプロジェクトを展開するアメリカの大手建設会社。共和党への献金は1999年から4年間で76万5504ドルの大スポンサーだ。イラク戦争で最も利益を上げた企業である。社長はイラク戦争1ヶ月前2003年2月、ブッシュ大統領の輸出諮問委員会の委員長に任命され、中東地域の「市場経済化」を推進する任務を与えられた。イラク戦争開戦時の顧問がG・シュルツ。レーガン政権時代には国務長官。「ネオコン」のリーダー的存在で2002年「イラク開放委員会」の議長を務め、フセイン政権に対する武力攻撃キャンペーン活動を展開した。
                                       (出展:『週刊金曜日483号』)

復興支援というが                               
 派兵当初から自衛隊が行くより、NGOの方が同じ予算で何十倍の復興支援が可能で、武器を携えた支援活動はNGOの活動も危険になる可能性があると多くのNGOが指摘した。

 マスコミは自衛隊のサマワ撤退にあたって、「サマワで7割が自衛隊の活動を評価」とする記事を大きく報道した。この報道のイメージは絶大だ。およそ800億円は投じたと思われる今回の派兵にはさまざまな問題があっても、現地で評価されているから良かった。という最大のPRである。
アンケートはサマワに日本人記者はいないので、現地のメディアと協力で実施したとされる。この結果がまったく虚偽とは思わない。事実、ひとりの被害者や加害者を出さず、派兵当初の給水活動や破壊された施設の補修、さらに医療機器の提供など800億円も掛けて評価されないわけがない。報道すべき大切なことは、それにもかかわらずどうして次のようなことがあったのかということの検証である。まず、自衛隊は日を追って、基地外で活動することが危険になり、宿営地内外合わせて、13回も迫撃砲で砲撃されたのはなぜかということ。イギリス軍、オランダ軍、地元の警察に守られていたのにである。後半の自衛隊は宿営地から出て、活動することはほとんどできなかった。撤退時には宿営地の後の地権をめぐって、イラク軍と地主が対立、発砲事件まで起きて、自衛隊は秘密裏に撤退したのだ。
アメリカの侵略戦争に加担したと受け止められたからではないのか?そう、事実、加担している。アメリカの掃討作戦は続き、自衛隊派今、要因、物資、おそらく兵器も輸送している。それを報道しない。

 アフガニスタン
 
 最近になって、ようやくアフガニスタンの記事が増え始めた。
ブッシュの「テロとの戦争」の幕開けが、アフガニスタン攻撃だった。ビン・ラディンを匿っているとして、9.11報復戦争を仕掛けたのだ。世界中でこのような戦争ができるのはアメリカだけだ。犯罪者は警察によって検挙されるべきだ。それが国際的な犯罪なら外交で解決されるべきだ。もし、アメリカの戦争で解決する論理が正しいと言うなら、亡命したフジモリ大統領を受け入れた日本はペルーに攻撃されかねない。

 それはさて置き、アフガニスタンはついこの間まで、タリバン政権以後、女性の社会進出や民主化など、カルザイ政権のもと順調な国内情勢が報道されていた。2002年、新政権が発足し、カルザイ大統領も日本にやってきた。内戦状態になって、初めて伝えられる。つまり、我々はアメリカの「対テロ戦争」がうまくいっていると言う部分だけ報道されていたということではないだろうか。
もうひとつ忘れてならないのは、このアメリカの侵略に加担するインド洋での海上自衛隊の活動は今でも継続されている。防衛庁の資料によると今年9月20日までの実績は艦艇用燃料補給回数678回(うち330回がアメリカ)総量約45万kl、ヘリコプター燃料補給回数49回〈うち27回がアメリカ〉740klである。

自衛隊の経費は

 2005年11月4日 内閣総理大臣小泉純一郎 の 衆議院議員阿部知子提出イラク特措法に基づく陸上自衛隊の活動等に関する質問に対する答弁書より

 法に基づく対応措置の実施に係る所要経費のうち、現段階で集計が終了している平成十七年七月三十一日現在の実績は、次のとおりである。
 陸上自衛隊に係る所要経費は約四百八十八億円であり、その内訳は(組織)防衛本庁の(項)防衛本庁として約三百六億円、(項)武器車両等購入費として約七十八億円、(項)装備品等整備諸費として約百四億円である。
 海上自衛隊に係る所要経費は約五億円であり、その内訳は(組織)防衛本庁の(項)防衛本庁として約二億円、(項)武器車両等購入費として約一億円、(項)装備品等整備諸費として約一億円である。
 航空自衛隊に係る所要経費は約八十五億円であり、その内訳は(組織)防衛本庁の(項)防衛本庁として約三十億円、(項)武器車両等購入費として約十六億円、(項)装備品等整備諸費として約三十九億円である。

 平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法(平成十三年法律第百十三号)に基づく対応措置の実施に係る所要経費のうち、現段階で集計が終了している平成十七年九月三十日現在の実績は、次のとおりである。

 海上自衛隊に係る所要経費は約四百三十二億円であり、その内訳は(組織)防衛本庁の(項)防衛本庁として約三百三十五億円、(項)武器車両等購入費として約二十三億円、(項)装備品等整備諸費として約七十四億円である。
 航空自衛隊に係る所要経費は約十七億円であり、その内訳は(組織)防衛本庁の(項)防衛本庁として約千万円、(項)装備品等整備諸費として約十七億円である。


イスラエルのレバノン侵攻とパレスチナ

 9.11でアフガニスタンに戦争をした同じ論理でイスラエルはレバノンの「ヒズボラ」を攻撃した。実際に攻撃されたのは大多数の市民と子供たちだ。その日の朝日新聞の夕刊の一面トップは秋田県の女性が子供を「殺した」とされるという記事だった。他の多くの新聞もである。

 注目したいのは、レバノン侵攻後、直前まで報道された、イスラエルのパレスチナへの攻撃の記事はなくなった。レバノン南部のヒズボラが拘束した2人のイスラエル兵の救出を名目にしたレバノン攻撃、国際社会の目がレバノンに向いているとき、それと同時進行している同じイスラエル軍のガザでの武力攻撃は、何一つ私たちには伝わってこない。

 パレスチナでは日々、パレスチナ人が殺されている。被害は日常化しているのだ。それでも、報道されることはほとんどない。一方、イスラエルで「テロ」があって、被害者が出たことは報道する。「テロ」の後にはイスラエルの報復攻撃が何倍、何十人の市民を殺しているのだが、それはあまり伝えられない。日常化されることはニュースではないということか。

 パレスチナではハマスが選挙によって、政権をパレスチナ人から付託された。長期化したファタハ政権下で、いつまでも続く、イスラエルの攻撃と日常的な生活を常に奪われる現状。さらに、ファタハ内部の腐敗。イラクで行われた選挙と比べ物にならないほどの民主的な選挙の結果であったと考えられる。ところが、ハマスは「武装組織」という宣伝をされ、欧米はパレスチナへの人道支援を中止した。日本もである。この結果、占領下でただですら厳しいパレスチナ人の生活はどうなっているのか?ハマスは武装組織なのか?国際的な支援がなくて、今、パレスチナ人はどれだけ、危機に瀕しているか。マスコミは報道しない。水平線のかなたの子供たちの死が、本当は私たちも関与しているのに、私たちの関心事はある母親が娘を殺害したかもしれないと言う、自らになんら関係のない事柄ということなのだろうか。

自衛隊員の生の声が伝わってこない

 3年6ヶ月、第10次に及んだ自衛隊の派兵。陸上自衛隊が600人、航空自衛隊が200人、合わせて、800人が10次というから、単純計算すると8000人が派兵されたことになる。8000人もいて、彼らの声が何一つとして伝わってこない。現地取材が全くできなかったマスコミであるから、イラクの派兵を検証する上でも、現場で何が起き、そのとき隊員たちはどう行動し、何を感じたのか?公務員の秘守義務を根拠に、当局が厳しい緘口令を敷いているのは想像に難くない。だからこそ、マスコミは彼らの本当の声や思いを伝える必要があるのではないか?

 2004年から2005年夏まで、約1年半の間に、イラク派兵の陸上自衛官が3人も自殺していることが、今年の3月明らかになった。そのときの陸上幕僚広報室は次のようにコメントした。「3人の自殺がイラク派遣によるものかは分からない。プライバシーの問題もあり、詳細は明らかにできない。」と。プライバシーの問題もあろう。しかし、なぜ自殺したかを把握できなくて、どうして対策が立てられるのか?兵隊の命を粗末にする、これも日本軍の伝統なのだろうか。

記者が居ない                                 
イラクが「内戦」状態となって、日本のメディアは一斉に記者を引き上げさせた。それでも、危険承知で取材活動を続けたジャーナリストは・・・2004年5月27日、日本人ジャーナリスト橋田信介と小川功太郎は殺害された。武装グループによる犯行と報道されたが、本当のところは分からない。彼らをねらっているのは、現地の武装グループだけではない。もっとも報道されたくない国は、皮肉にも「世界中に自由と民主主義を」と公言するアメリカだ。事実、アメリカ軍は記者のいるホテルに砲撃したのだ。アルジャジーラの記者はアメリカ軍によって殺された。アメリカは一貫して、誤爆と言う。そんな状況下で、バクダットから中継で報道されるNHKの記者の姿は異様と言うしかない。ホテルから出られない。それでも取材しているように報道する。
本誌発行の神奈川高教組は継続してイラク現地報告会を実施してきた。高遠菜穂子さん始め、数名の方に講師をしていただいたが、講師の一人、2004年のファルージャを取材されたジャーナリストの土井敏邦さんの著書(「フォトジャーナリスト13人の眼」)にこんな一文があった。「私がバクダッドから送ったその映像や文章は、『スクープ』として日本のテレビや雑誌で伝えられた。ジャーナリストの本分をいくらか果たせたような気がした。しかし、帰国後、『ファルージャ 2004年4月』というルポを読んで愕然とした。それは、まさに米軍の猛攻撃のなか、(中略)負傷者の救援と遺体の収容のために奔走した英国人平和活動家たちの記録だった。〈中略〉少女の首からどくどく流れる血、射抜かれた心臓が飛び出し、胸が空洞となったまま路上に放置された老人の遺体〈中略〉ジャーナリストの自分がなぜ、平和活動家が入れたその現場にいなかったのか。〈中略〉過酷な情況のなかで呻吟する底辺の人々の、声にならない『叫び』に耳を澄まし、伝えていくこと---それこそがジャーナリストとしての自分の役割だと思っている。その民衆のうめき声を聞き取れる距離に自分の身を置くことができないなら、ジャーナリストとして私は失格である。」と。

カタール放送局アルジャジーラ爆撃

 2001年11月、アフガニスタンの首都カブールのアルジャジーラ事務所を爆撃。2003年4月、イラクのバグダッドにあるアルジャジーラ事務所を爆撃し、タリク・アユーブ特派員を殺害している。アメリカは攻撃の意図を否定しているが、イギリスのミラー紙は2005年11月22日付で、ブッシュ大統領が2004年4月16日の米英首脳会談で、ブレア首相にカタールのアルジャジーラ本社の爆撃計画を伝えたと報じた。2006年1月、イギリスの治安判事裁判所はこのときの機密メモを持ち出した元内閣府の職員と当時労働党の議員の元調査員を機密保護法違反容疑で予備審問にはいるとした。(2006年8月「赤旗」の記事参考)
〈特集終わり 敬称略〉

日本のイラク戦争は終わっていない ①

2007-01-02 13:59:28 | 平和通信vol149(2006/10)
イラク内戦と報道
          
日本のイラク戦争は終わっていない ①

「一発の銃弾も発せず、一人の死者も出さずに帰国したことは日本国民、イラク国民にとって長く記憶に残る」7月29日、首相小泉純一郎のイラクから撤退した陸上自衛隊部隊の隊旗返還式での誇らしげな発言である。マスコミも自衛隊の「復興支援」の成功を宣伝し、日本のイラク派兵は終了したかのように報道した。しかし、陸上自衛隊が撤退する一方、航空自衛隊は米軍の軍事作戦の支援を継続し、最も危険な都市、バクダッドまで新たに派兵された。さらに、8月21日にイラクに向けて、小牧基地から派兵された航空自衛隊の第2陣200名は、バクダッドからのイラク北部のカルバラまで、軍事支援の範囲を広げた。
「イラク復興支援」の名の下に、米軍の要員や物資・兵器の輸送を「戦闘地域」に送る。国民に知らされず、アメリカのイラクの侵略戦争への参戦は続いている。

  内戦のイラク                                             
「自衛隊が派遣される地域は戦闘地域ではない」これが派兵前からの政府の建前だった。2003年5月、ブッシュはイラク戦争の終結を宣言した。ところが、終結宣言とは裏腹に、イラク民間人の死者は増え続けた。当初は米軍による攻撃や掃討作戦が、そしてアメリカの占領政策が次から次へと失敗するに連れて、スンニ派とシーア派の宗派間抗争の被害者も急増し、今では毎月1000人以上の民間人が命を落としている。
今年8月1日、アメリカ国防総省でさえ、議会に提出するイラク情勢報告で、「内戦につながりかねない状況にある」と認めている。さらに、その中で、「イラク国内の暴力行為は、単一に組織化・統一された反対派や武装勢力のものではありえず、治安情勢は現在、イラク自由作戦の開始以来最も錯綜している」とし、「民族・宗派間抗争の継続がイラクの安全と安定にとって最大の脅威」としている。
9月18日、国連のアナン事務総長も国連本部で開かれたイラク支援のための国際会合で、「もし現在の排斥と暴力のパターンが継続するなら、イラクの国家が崩壊する重大な危機があり、全面的な内戦に陥る可能性がある」と警告した。「身元不明遺体や、その属する宗派を理由に虐殺された遺体はバクダッドで4月だけで1091人にのぼる」2006年5月10日の、イラクのタラバニ大統領に声明である。バクバッドでは毎日、頭部を撃たれたり、拷問の傷の跡がある遺体が見つかると言うのだ。アメリカ国防省の認識どおり、これは「民族・宗派間抗争」が背景にあることが物語っている。この情況は「内戦」と言えるのではないのか。

 いったい被害者はどのくらいいるのか。マスコミでもよく登場するイラクでの民間人の死者を集計している欧米の市民組織「イラク・ボディカウント」によると、2003年3月に始まったイラク戦争から2006年9月現在までのイラクでの死者は約46000人。次ページのグラフに見られるように、ひと月あたりのおよその死者は2003年が400名、2004年は600名、2005年は1000名を越え、今年になって、1200名と増加の一途をたどり、今では毎日40人が殺されていることになる。手や足を失ったり、その負傷者の数は計り知れない。そして、そんな膨大な死者の数の数倍の遺族の悲しみが一人一人にあることを想像しなければ、ことの悲惨さは理解できない。13万を越える米軍も治安維持が不可能な状態にある。バクダッドを始め、イラク各地で日常化している爆弾攻撃のターゲットは米英を中心とする占領軍だけではない。米英の傀儡とみなされたイラク政府機関にも広がっている。いずれにせよ、被害者の多くは、何の罪もない一般の人々だ。被害者はそれだけだろうか。
 
 忘れてはならないのは13万人の米軍は治安維持部隊ではない。2004年の2度に及ぶファルージャでの虐殺に見られるように、「テロとの戦争」を遂行するための反米勢力すべてを掃討するための占領軍と言うことだ。掃討作戦で死傷する市民は計り知れない。それが、次の暴力をうむ。今のイラク市民は米軍の掃討作戦、宗派・部族間の抗争、そして無政府状態という三重苦の恐怖のなかで、生きている。それでもイラク戦争を支持する人はフセインの恐怖よりましだ。と言うかもしれない。確かに、フセイン政権はクルド人虐殺など、国際的な人権団体アムネスティ・インターナショナルも報告してきたように、その恐怖政治は有名である。それは許されることではない。問題は彼がいなくなったあと、恐怖政治はなくなったが、日々人が殺され、日常的恐怖が蔓延した無秩序な内戦状態になったと言う事実だ。この状態を作ったのは誰か?支援しているのは誰か?この状態を予想なかったのか?もっとも予想しなかったのはブッシュ政権の人々ということか?。



本当に内戦は想定外だったのか                     

 イラクの内戦状態を2003年に、すでに警告していたのはアジア経済研究所の酒井啓子だ。フセインが優遇したスンニ派に変わって、多数派のシーア派が政治を主導していくと、権力関係が逆転し当然宗派対立が発生する。宗派の対立だけではない、クルド人などの問題もある。フセインが徹底的に弾圧し、虐殺したクルドの民族問題も表出する。イラクの戦後は相当複雑化する。ブッシュは「パンドラの箱を開けた」ということだ。
事実アメリカの占領政策は2003年当初からつまづきの連続だった。アメリカの支援を受けていた亡命イラク人に主導権を持たせようとしたことの失敗から始まり、現在まで。2003年6月1日、連合国暫定当局CPAが戦後統治を開始し、その代表者にポール・ブレマーが任命された。文民をイメージさせたのだ。テレビ画面にいつも登場した背広とネクタイ姿の人物である。その彼が2004年6月、CPAの解散にともない、帰国するとき、やはりいつものネクタイにスーツ姿だった。しかし靴は軍用靴。その映像はテレビでも報道された。一刻も早くバクダッドを離れたい、身の危険を感じたのかもしれない。ブッシュがバクダッド入りしたときも、現地の誰にも知らされないトップシークレットだったという。内部に通報者がいるかもしれない。イラク人は信用できないのだ。それらはアメリカの占領政策の失敗の象徴のようである。
極々単純に考えたとして・・・。イスラム教徒の宗派別で人口構成をみるとシーア派の多い国はイランだ。イラクもスンニ派よりシーア派が多い。フセイン政権はスンニ派の政権で、重要ポストからシーア派を排除し、スンニ派が独占していた。1979年以来10年以上にも及ぶ、イラン・イラク戦争ではアメリカはシーア派イスラム共和国の革命がイランから波及させないために、フセインを支援した。今でも、アメリカの次の戦争の最大のターゲットはイランだ。フセイン後に、イラクにシーア派主導の政権ができると言うことは、反米、親イラン国家と言うアメリカにとって最悪のシナリオとなる。
事実、イランからのシーア派政党への資金援助、国境地域での親イラン民兵への軍事的経済的援助や、10万人単位のイラン要員のイラクでの活動など、イランの影響力は相当大きくなっていると言う。それがさらに、宗教間の抗争に拍車を掛けている。

 アメリカは、そんなイランの存在がイラク支配にもっとも脅威となることから今後さらに、イランへの圧力を強めていくだろう。自らイラク戦争を開始して、泥沼化した情況の原因をイランにあると、責任を転嫁し、戦争を仕掛けるということになれば、これはイスラム教をなくすまで戦うと言う終わりなき戦争となる。それはアメリカにとっての石油とイスラエルを「守る」ための戦いなのだ。

 内戦はアメリカの占領政策が作った。

 戦争前までは、イラクでは異なる宗派間の結婚も普通のことで、諸共同体は共存していた。ブレマーの基本法が宗教や民族に基づく共同体を社会・政治秩序の基盤に据える考えを導入し、国の構造を変えた。統治評議会の構成から軍隊、警察、行政と、国のあらゆるレベルでシーア派,スンニ派、クルド人、トルクメン人がそれぞれ何割と割り当てられた。米国はシーア派とスンニ派を敵対させるよう、宗教的な民兵を経済的、軍事的に援助し、各地に送り込んでいる。ペンタゴンは、民兵や暗殺団のために2004年度に900億ドルを投入している。・・・こうした民兵は、内務省傘下で超法規的な逮捕、監禁、拷問を組織化する死の部隊と繋がっている。
(2006年8月「世界」より要約 アブドゥル・ジャバル・アル・クバイシ氏へのインタビューから クバイシ氏はイラク愛国者同盟代表で、反占領の言論活動で米軍に逮捕された経歴を持つ)

 イランイラク戦争
 
 イランは1979年、イラン革命によって、親米政権のパーレビー国王が倒され、シーア派の宗教指導者ホメイニのもと、イスラム共和国となった。中東に反米イスラム国家が出現したのだ。石油利権がからむ重要な中東でアメリカにとって、反米イスラム革命の封じ込めは最重要課題といえる。1980年9月、フセイン政権のイラクの攻撃で始まったイランイラク戦争。1990年に停戦となる10年以上の戦争で双方の被害者は100万人を越えるといわれている。この間、一貫してアメリカはフセインのイラクを支援し続けたのだ。

 余談だが、この戦争中、ほとんどの中東諸国がイラクを支援した。イランを支援した国もある。シーア派が多く、イスラム重視政策を取っていたシリア、反米ではトップキャスターだったカダフィ大佐が政権を握るリビア。もうひとつ意外な国がある。それはイスラエルだ。 

 ブッシュは60年前の日本の占領が日本を民主的国家にしたと言う成功例をイラクに重ね合わせたと言う報道もある。もし、本当にこれが、世界を支配している国家の指導的立場に居る者の考えなら、呆れるばかりだ。60年前のイラクと日本では恐怖政治と独裁と言う面では同じだが、戦争前の情況が全くちがう。日本はアメリカとは4年足らず、アジアとは14年、続いた戦争で、贅沢は敵と言われ、食料は配給制、国民は疲弊していた。しかし、国民は公民科教育の中で天皇のために死ぬことが名誉とされ、死を意識して生きていたのだ。私の母に以前、終戦の日のことを聞いたことがある。「泣いたんか?」「泣けへん。明日から空襲がないんかとほっとしたわ」と。イラクはどうか。湾岸戦争後の経済制裁にもかかわらず、世界第2位の埋蔵量の石油を糧に国力を回復し、インフラも整備され、女性の社会進出も中東で最も進んだ国家のひとつだ。ひとつだった。
アメリカはフセインの国内での人権侵害が背景にあるため、圧制からの解放者として、広く受けいれられると考えたというのは想像に難くない。40日間で終わった戦争はその希望的観測を確信にしたかもしれない。イラクの市民もフセイン独裁政権が崩壊し、自由と民主主義を標榜する国家に期待した国民は少なくなかっただろう。石油があり、外貨もある豊かなイラクで、仕事がない、子供が学校にも行けない、女性が町を歩けないほど治安が悪化し、生活できなくなった現状に対する矛先がどこに行くかは明らかだ。しかも、アメリカ企業が復興を独占し、石油利権をおうとしているのだから。

日本の首相だけは批判に曝されなかった?何故?          

 アメリカの戦争に、早くから支持し参戦したイギリス、イタリア、スペインの首相らは次々と支持率を低下させていった。しかし、小泉だけは違っていた。もっとも、戦死者を出していないことも、他の国と大きく違うが、「自衛隊広報」しかメディアが伝えないことも大きな要因である。
2003年1月、陸上自衛隊の先遣隊を待っていたのは約100人の報道関係者だった。2月末、本隊が到着して、3月の給水活動や公共施設の補修の様子が大きく報道される。このときのことを共同通信記者・石坂仁は「先遣隊が設定した『話題づくり』をしているだけで一日を終わってしまうことが多く、そんな記事でもかなり大きく掲載されているのを見て、『これでもいいのかな』と勘違いしそうになったこともあった。」と記している。(『世界』2006年8月号)情報発信者が勘違いしそうという報道を何回も聞かされた多くの国民はどうなるのだろう。
派兵当初の3ヶ月は自衛隊の活動PR期といっていい。しかし、バクダット始め、イラク全体の情勢は次第に混沌としてくる。2003年4月、サマワでも宿営地近くに最初の迫撃弾攻撃があった。そして、日本人3人の人質事件が起こる。「自衛隊の撤退」が人質解放の条件という、政府にとって想定外の事件である。この事件を期に(利用して)記者の安全確保という名目で、一部の記者を宿営地に「保護」し、記者たちは自衛隊の装甲車と航空自衛隊の輸送機でサマワを追い出す。
死者を出さないことが政治的な最重要事項であった政府・防衛庁は「隊員の安全確保」という名目で報道規制を要求する。結局、2004年3月11日、報道側は報道規制を受け入れた。取材について、取材申請を行う。さらに、「情報の取り扱いに関する事項」の中に「安全確保等に悪影響を与える恐れのある情報については、防衛庁または現地部隊による公表または同意を得てから報道します。それまでの間は発信および報道は行われません」とされている。安全確保等に影響を与える項目として10項目も挙げ、自衛隊の部隊の配備や各部隊の人数や実際に活動する人数、将来の行動計画など、ほとんどが「検閲」を受けるということだ。これを「大本営発表」というのであるが・・・
2004年10月、宿営地をねらった7回目の攻撃はロケット弾が宿営地内に着弾するものだった。しかし、このころには大手メディアの記者たちは姿を消していた。イラク報道はフリーのジャーナリストしか発信できなくなり、その後、フリーのジャーナリストも殺害され、私たちにはまさに自衛隊については「大本営発表」しか知らされなくなった。
NHKのニュースは自衛隊撮影の映像を繰り返し流す。戦時中の記録映画のようである。NHKはご苦労にもバクダッドの町を背景にして、記者が現地の様子を報道する。記者自らが街中を取材したものではないだろうに。バクダットにいなくてもつかめる情報を発信するのである。自衛隊と同じである。何をしたかより、そこに居ることに意味があるのだ。真実味のある情報だと思わせる効果が。問題なのは、リアルタイムで流されるその映像について、見る側が「大本営発表」という意識があまりにも希薄だということだろう。

日本の役割
 
 イラク国内で何が最も日本に望まれているか、といった根源的の部分が精査されないまま「自衛隊の派遣」ということ自体が対米公約のごとくに扱われて「派遣ありき」というかたちで進められていったことの問題点は、改めて問い返えされるべきであろう。確かに戦後のイラクの混乱に対して、国際社会が何らかの形でこれを正常化の方向で支えていくことは、必要である。急務といってよい。だが問題は、この混乱が軍事力で解決すべき問題なのかどうか、ということである。・・・日本がになう役割はどこにあるのか?・・イラクにおいてこれまでに日本が構築していたイメージとは、あくまでも経済大国としての日本であり、民間企業の技術力である。・・・イラクでは現在、外国軍はすべて「占領軍」と見なされる環境が形成されつつある。・・・「(外国の)兵隊たちに「止まれ」と制止されるような」なかで、イラク人たちは「ここは自分の土地なのに」と反発を強めていく。・・・日本に対するイラク人の期待が高い分だけ、イラク人の失望もまた深いものとなろう。
〈岩波新書「イラク 戦争と占領」より抜粋
       酒井啓子著2004年1月発刊〉


 12月の国民議会選挙の投票率は7割と報じられたが
選挙登録や投票率の不正もある。シーア派、スンニ派、クルド人などが共存するバクダッドの選挙区では、不正を避けるため各共同体が自主的に監視を行い、投票率は18%だった。これが現実的な数字だろう。モスル近郊ではクルド人が投票用紙で一杯になった投票箱を投票所に持ち込んだことが発覚している。まず、技術的に問題があった。「民主選挙」の国際監視団はわずか20人。監視団も運ばれてくる投票箱の監視方法がないと認めている。
(2006年8月「世界」より要約 アブドゥル・ジャバル・アル・クバイシ氏へのインタビューから クバイシ氏はイラク愛国者同盟代表で、反占領の言論活動で米軍に逮捕された経歴を持つ)