かながわ平和運動推進委員会

神奈川県高等学校教職員組合の平和について考えるブログです。

大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会(仮称)結成総会

2007-05-26 10:01:37 | 教科書・教育基本法
■06・06 沖縄戦の実相と教訓を継承し、
              子どもたちに市民に歴史の真実を伝えるために!
大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会(仮称)結成総会
  ──────────────────────────────────
○日時:6月6日(水)18時30分 21時頃 開場:18時
○会場:文京区民センター 2階 2A会議室
    都営三田線/大江戸線春日駅A2出口すぐ
    丸の内線/南北線後楽園駅から徒歩3分
    JR総武線/水道橋駅から徒歩10分
○資料代:500円  
 *予約は不要、どなたでも参加できます。直接会場にお越しください。

☆記念講演 操作されつづける「沖縄戦認識」 経過と背景
      石原昌家(沖縄国際大学教授)
☆特別報告 大江・岩波「沖縄戦」裁判について
      岡本 厚(雑誌「世界」編集長)

○会の主旨
 大阪地裁に「沖縄戦」の記述を巡って岩波書店と大江健三郎氏を相手取り、裁判が起こされました。原告は1945年に慶良間列島で発生した住民の「集団自決」は、原告らが命じたと記述しているが、これは事実に反し、名誉を毀損、あるいは故人に対する敬愛追慕の情を侵害する、というものです。原告らは「健全な国民の常識を取り戻す国民運動にしなければならない」と裁判を利用した運動を展開し、軍命令による「集団自決」はなかったとすることによって、日本軍による住民虐殺の事実を抹殺し、「軍隊は住民を守らない」という認識の転換をねらっています。
 さらに、この3月の高校日本史教科書の検定結果によれば、文科省は、この裁判での原告の主張を理由に沖縄戦における強制集団死・「集団自決」について日本軍による命令・強制・誘導等の表現を削除・修正させたことが判明しました。
 このような動きに対し、歴史の歪曲を許さず、沖縄戦の真実を広く子どもをはじめ市民に知らせていくために、「大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会」(仮称)を結成します。ぜひ多くの方が結成総会に参加し、入会くださるようお願い申し上げます。

○入会は当日会場でも受付(個人年間1000円)   総会参加のみも可

<連続講座>
日時:6月18日(月)18:30 神保町・岩波セミナールーム
講師:高嶋伸欣(琉球大教授) 教科書検定ー沖縄からの異議申し立て

 連絡先:東京都千代田区神田神保町3-2 千代田区労協気付
     E-MAIL okinawasen@gmail.com
 主 催:大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会・準備会
     http://okinawasen.blogspot.com/

 大江健三郎氏と岩波書店が被告とされた「沖縄戦裁判」の勝利のために、支援の活動をすすめます。また、沖縄戦の史実の歪曲を許さず、沖縄の真実を広く子どもをはじめ市民に知らせていくことを目的にとします。

癌で苦しむイラクの子どもたち

2007-05-03 19:17:06 | 平和通信vol151(2007/4)
イラク医療支援NGOレポート

癌で苦しむイラクの子どもたち
                              JIM-NET

 「限りなき義理の愛大作戦」
 まさに容赦のない大作戦になってしまった。限りなき=イラクに平和が来るまで続ける 義理の愛=すべての人々に愛を、という作戦である。
 
私たちは、イラクの癌で苦しむ子どもたちのために薬を支援してきた。2005年は、一年間で約2000万円の支援が2006年は、5000万円を超えた。われわれの、資金はすべてカンパで成り立っているといってもいい。
 
現場では次から次へと薬の支援要請が来る。白血病の子どもの場合は2-3年間、キモセラピーといって薬を摂取すれば、80%は直る。白血病の場合、高額治療のイメージが高いが、実際この間に使う薬の金額をすべて足して日数で割ってみると一日400円程度の薬代がかかる。私たちが、一日400円の節約を2-3年やってみると一人の子どもを救える計算になる。意外に、それほど難しいことではないかもしれない。
 しかし、問題は、日本の中でもイラクの関心が薄れてしまっているということ。ほとんどニュースにもならなくなってしまった。一方、2月14日が近づいてくると、日本はバレンタインデーで大騒ぎだ。なんと530億円の売り上げがこの時期に集中するらしいのだ。
 
そこで、募金してくれた人にチョコを差し上げようというのがこの作戦。この作戦のために日本国内は大騒ぎになっていた。
 
その隙に、私たち3人はこっそりとヨルダンに飛んだ。限りなき義理の愛大作戦の現場編はBMT作戦である。私たちの使命は日本で調達した薬をヨルダンに持ち込み、その後、イラクの病院に届けるという作戦。
 
まず、一番手のBが失敗した。飛行場の税関で荷物検査をされ、薬を差し押さえられたのである。結局、ヨルダンには持ち込むことができず、数日後に飛行場から、直接DHLでイラクに空輸することに成功し、難なきを得たが。つぎのMとTが持ち込むのは要冷蔵が必要な薬だった。寒い冬といえども保冷剤を入れていても24時間以上たつと温度は上がってしまう。
 
アンマンに着いたら直ちに冷蔵庫に保管しておき、治安情報をチェックしながら、タイミングをみて再びイラクへ送りだす。 税関で預かりになっただけでも薬の品質に影響する。あらかじめ、ヨルダン大使館にも確認し、薬をヨルダン経由でイラクの病院に送る許可も取っていた。Bが薬を持ち込むという話もヨルダン政府に連絡してあったのだが、現場まで情報が伝わらず、薬を持ち込むことができなかった。 
 
これは、まずいということで、ヨルダン大使館に電話するが、「本国と連絡を取っているが返事がまだ来ない」とのこと。「税関で見せるようにアラビア語でレターを書いてほしい」とお願いした。しかし、ファクスが届かず、Mの出発は、24時間を切ってしまった。あきらめかけていたところ、夜の10時に大使館職員から電話。「レターを作りましたので、すぐ取りに来てください」というのだ。今は、夜の10時。「私は都心から離れているので、ファクスしてください」というと「ファクスではダメです。封印してあるので、決して中を開けずにそのまま、税関の係りに手渡して下さい」というのだ。これから出発しても私の家からだと1時間はかかる。しょうがない。大使館員の自宅の最寄り駅で会う約束をした。
 
小雨が降る中、私は自転車を飛ばして駅まで行きそこから電車を乗り継ぐ。ほぼ約束どおりの時間に駅につき携帯に電話する。「中央口から出て左に行ってA6の出口を登ってください。」「ハイわかりました」地上に登っていくが、誰もいない。もう一度電話すると、「右です。」ちょうどスクランブル交差点の向こう側に傘をさした大使館員らしき人物が携帯を持っていた。私たちは、横断歩道の中央あたりですれ違いざまに書類をうけとった。
 
家に帰ると、一時を過ぎていた。昼、薬と保冷剤をパッキングしていざ出発。アンマン国際空港の検査では、X-線検査で引っかかり、質問を受けるが、レターを見せると、愛想よく対応してくれ、問題なく薬をヨルダンの事務所まで持ち込むことができた。家を出てから24時間以上かかったが、薬はまだつめたかった。ほっと一息。
 一週間後にアンマンに到着したTもレターのおかげで無事に薬を持ち込むことができた。それらをまとめて今度はクウェートまで持っていき、イラクから出てきたドクターに無事に手渡すことができた。

 バスラのイブラヒム

 イブラヒムは、クウェートの国境近くの町、ズベイルに住んでいて、朝の9時には、バスラ市内にある産科小児科病院に行く。子どもたちはイブラヒムが大好きで、彼が寝坊したり、イギリス軍のチェックポイントで時間をとられて、遅れたりすれば、子どもたちは、「イブラヒム先生はどこにいるの」と不満そうに騒ぎ出す。
 
「子どもたちは、闘病生活が長く、読み書きもろくにできない。数字の書き方を教えたり、文字の読み書きとか子どもたちに合わせて臨機応変に授業をしている。」先生と言いながらも、ちょっとおっちょこちょいな性格が子どもたちをひきつけるようだ。親が注射を嫌がる子どもをつれてきて、「イブラヒム先生、子どもが注射をきちんと受け入れるように諭してください」と言われることも多い。

 バスラの子供たち

 バスラには、貧しくて病院にいく交通費すら払えない家族が多い。イブラヒムは、そんな子どもたちを車で迎えに行ったり、生活補助金を配ったりしている。今回、限りなき義理の愛大作戦で絵を描いてくれたのは、こういった、貧しいがんの子どもたちである。
 
サブリーン(12歳)は、目のがんを患い、右目を摘出した。落ち込んでいた彼女は、イブラヒムの教室で絵を教えてもらい、とっても素敵な絵を描きだした。
 
彼女が生まれてすぐに、父親は、徴兵を拒否したために捕まって殺される。お母さんは再婚して新しいお父さんができたが、今のイラクでは仕事がなく生活していくのがやっとである。ちょっとしたお金があれば、サブリーンは放射線治療を受けることができる。がんが左目に転移したらもう絵はかけなくなってしまう。
 
「サブリーンに絵を描き続けてあげあせたい。少しでもいいから支援してあげて欲しい」イブラヒムの呼びかけで、お金が集まり、サブリーンがモスルまで放射線治療を受けに行くことができた。
 
 しかし、イブラヒムの生徒たちの多くは死んでいった。

 ドゥア・ハッサンは9歳の女の子。いつもお花の絵を描いていた。「お花がいっぱい」で絵を提供してくれた。4歳の時からがんの治療を受けていたが、2006年に再発。父親はイランイラク戦争に従軍し、腕を怪我したので仕事につけず、街道の脇の掘っ立て小屋を借りて生活していた。「私はドゥアが大好きだった。私の娘のファートマをよく病院に連れてくのだけど、2人は親友だった。いつも一緒にいたよ。

 イブラヒム、たすけてくれと家族はいつも言っていた。でも私は医者じゃないから、洋服を買ってあげたりするくらいしかできなかった。胃や肺もだめになっていた。そして、出血、出血、出血だ。いつも血小板が必要だったんだけど、もう輸血もできずに死んでいった。

彼女は、学校が好きだと言っていた。でも、もう学校には行けなかったよ。病院に時々紙を持っていってやったら、ベッドで絵を描いていたなぁ…。彼女は花が好きだったな。ミッキーマウスも描いていた。いつも彼女はイブラヒムおじさん! と言ってキスしてくれた。食事などを差し入れしてあげるとうれしそうだった。」

 イブラヒムは、お悔やみを言いに家族を尋ねた。遺族の相談相手になるのもイブラヒムの大切な仕事だ。彼自身が、妻を白血病で亡くしているから、この役割は彼ほどふさわしいものはいない。

 薬の不足

 バスラの病院では、小児がんに必要な、医薬品が、病院に政府から供給されることはほとんどない。JIM-NETとオーストラリアのNGOが、何とか必要な薬を届けている。

 朝、イブラヒムは、いつもドクターに呼ばれる。「もう、抗がん剤が底を付きそう。イブラヒムさん買ってきて!」イブラヒムは、隣国ヨルダンのJIM-NET事務所に電話して、薬を手配したり、街中の薬局を駆けずり回って薬を調達する。すっかり、薬には詳しくなった。「私は医者になれるよね」と冗談をいう。
 
「昨年暮れに、薬がたくさんバスラの飛行場に届きました。しかし、病院のすべての人間が怖がって受け取りに行かないんだ。病院を警護している警官ですらいやだと言った。抗がん剤だけじゃない。その中には、輸血に必要な血液バッグもむくまれていた。 患者は薬がないと死んでしまうし、輸血も受けられない。それで、私の友人の警察官に連絡をしたら警護をしてくれるというので、GMCをチャーターして、朝8時にパトカーと一緒に、飛行場に行ったけど、4時間待たされた。私の車は入り口でイギリス軍に止められた。それで、飛行場の車で43個のダンボールを運んできて、GMCに積み替えた。

  私の横には、警官がついて銃を構えながら薬を守ってくれていた。なぜなら、飛行場から病院間での道のりは危なくてしょうがないからだ。盗賊や武装勢力、テロリスト、だれかれかまわず、何にでも撃ってくるから…。

 病院に戻って来たときは、お医者さんも患者さんも、みんなが「ありがとう」って言ってくれたので、とってもうれしかった。

 怖かったかって? 神が守ってくれるから…。それより、子どもたちに助かって欲しいからね。」

しかし、バスラの状況は悪化している。

 イブラヒムの最近のメールでは、サブリーンの様態が悪くなったことを伝えてきた。目の検査をしたところ、再発していることがわかったのだ。サブリーンはもう自分は死んでしまうと思い込んだ。「もう薬はいや。死ぬんだったら、家に帰りたい」泣き叫ぶサブリーンを説得するイブラヒム。

 イブラヒムは、サブリーンの絵が使われている「義理チョコ」をサブリーンに手渡した。「日本のみんなが君の絵を楽しみにしているんだよ。この甘いチョコレートが、薬に変わるんだ。」サブリーンは、ちょっと元気になって、また絵を描きだした。そして、注射を我慢した。

 3月24日、イブラヒムから連絡が入る。
「今日、私は、バスラで大きな事故に巻き込まれました。私は、命を失っていたかもしれません。マハディ軍と政府軍が衝突したのです。銃撃戦がはじまり、ちょうどそのとき私は薬を買いに来ていました。ドクターがどうしても足らない薬があるので飼ってきて欲しいというのです。私は、3時間、薬局に身を潜めていましたが、周りには血を流して倒れている人や死体が転がっていました。しかし、その後、何とか、薬は病院に届けることができました。子どもたちが薬を待っていたからです。」

 私たちの作戦に終わりはない。


JIM-NETはJapan Iraq Medical Networkの略

1991年の湾岸戦争以降、イラクではガンや白血病の子どもたちの数が増え、JVC(日本国際ボランティアセンター)が2004年、イラクで医療支援を行っている他のNGOとともにこの「日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)」を立ち上げた。現地のニーズに合わせた、医療支援活動を厳しい内戦状態の中、今も活動している。

事務局 : 〒390-0303 長野県松本市浅間温泉2-12-12
        電話:0263-46-4218 FAX:0263-46-6229
           http://www.jim-net.net/ 

  募金先 郵便振替口座:00540-2-94945   口座名:日本イラク医療ネット



イラク内戦 Ⅱ

2007-05-03 19:04:25 | 平和通信vol151(2007/4)
イラク内戦 Ⅱ

 先に引用したのは、2003年のイラク戦争開始から、その後の米軍の占領下のイラクの状況をバクダッド在住の女性リバーベンド(ネット上の名前)が、今も発信し続けているインターネット上のブログ「バクダッド・バーニング」
(http://www.riverbendblog.blogspot.com/)からである。日本では「バクダッド・バーニング」翻訳プロジェクトが翻訳して出版され、(http://www.geocities.jp/ riverbendblog/)すでに続編が発刊されている。

 さて、皆さんはこれを読んでどう感じ、また思われたでしょう。
有名なブログとはいえ、個人が発信しているものであるから、信頼度が低いと言われる読者もおられるかもしれない。ただ、先の「バクダッド・バーニング」を読んでみると彼女の日常が淡々と語り続けられているだけだ。彼女の日記に書かれた「彼女の日常」は数少ないイラクからの貴重な情報と私は感じ、掲載した。信憑性については読者の判断に任せたい。

 米軍占領も3年を迎えた昨年、宗派対立が激しさを増す中、新聞にイラクの「無縁仏」の記事があった。恐怖政治と言われるフセイン政権下では、治安は中東の国の中で極めてよかったのだ。しかし、そんなイラクでも身元が判明しない、引き取り手のいない他殺体が発見されることが、たまにあったという。今ではその数が急増し、その死体も顔をつぶされたり、明らかに拷問の後があるというのだ。さもありなんである。
 ただ、私が衝撃を受けたのはその記事の中の別の部分だ。それはフセイン政権下の他殺体には女性が少なからずいた。ということだ。性に関して厳格なイスラム社会では婚姻関係のない性交渉は厳しく罰せられ、罰を下されるのは女性であり、下すのは彼女の家族の男性なのだ。
 
 内戦状態のイラクには、彼女と同じその何十倍何百倍のイラク女性がいる。イスラムの社会では生きていくことのできない。生きようとしても殺されるかもしれない社会がある。それが日常化している。
 一方、レイプした多くの男性はどうか。アメリカ兵?シーア派?彼らはいつから強姦をするような人になったのか?そこが問題だ。
 南京大虐殺、ユダヤ人のホロコースト、ベトナム戦争でソンミ、東チモール、アチェ、ユーゴ、ダルフール・・・何の罪もない人々をレイプし殺したのはかつては善良な市民だったのではないか?
 
 内戦というのは爆弾テロで何人死んだかということだけではない。日常茶飯事におきる人殺しの背景には数限りない人権侵害と抑圧がある。

2月、米軍の掃討作戦開始
 
 2月14日、2003年のイラク戦争開始以来最大の規模となるという掃討作戦がバクダッドを中心に開始された。1月に戦闘部隊2万1500人の新たな派兵を発表してから、後方支援部隊、軍警察部隊、陸軍の航空旅団も加えて、増加兵力は全部でおよそ3万人に及ぶ。イラク国内に駐留する米軍は13万2千人。なんと25%の増派である。国内の反戦気運や民主党の議会での反対の中で、この軍事的掃討作戦はブッシュ政権の命運をかけた最後の戦いといえるかもしれない。
 3月下旬来日したペース米統合参謀本部議長のこの掃討作戦についての発言が興味深い。彼はこの作戦を3段階にわけ「①米軍増派による治安の確保②イラク政府や宗教指導者らの統治による、イスラム教シーア・スンニ両派の対立の解消③イラク国民の雇用」と規定したという。
 
 昨年、米政府は一貫してイラク内戦状態を否定し続けた。しかし、現状は宗派対立が激化し、毎日1000人の市民が殺されている。そこで、軍事力による治安回復が第一段階というわけだ。それはわかりやすいのだが、あまりにも単純ではないか?13万以上の兵力をもってしても、治安が回復しない原因は何なのか?②で「シーア・スンニ両派の対立の解消」としたのは内戦の背景には、米軍もそう認識しているということだ。昨年までは混乱の根拠を外国からの「テログループ」が関与しているとしていた。もちろん現在もその影響はあるだろう。しかし、イラン、シリアなどシーア派の国に囲まれたスンニ派のイラクでシーア派政権ができたのだ。しかも、フセイン政権は1990年の湾岸戦争時、米軍の支援を受けて蜂起したシーア派を徹底的に弾圧した。(ブッシュの父親は当時大統領で、途中で彼らを見捨てた。フセイン政権崩壊後の混乱が米軍の国益に沿わないと考えたからと言われている。)そこに、今回の掃討作戦は米軍とシーア派政権の治安部隊との合同作戦で、軍事力に治安回復を目指している。治安回復と言われれば、聞こえはいいが、これはイラクの現状ではスンニ派掃討作戦の様相を呈する側面は否めない。そうなると、暴力の連鎖となるのは必至である。シーア・スンニ両派の対立がイラク混乱の主要な要因であるなら、米軍の力を借りた一方の側による暴力的な手段ではなく、政治的な解決をまず模索すべきであろう。
 ③の「イラク国民の雇用」をみて、暗澹たる思いを感じざるを得ない。現在、周辺へのイラク難民は200万人。難民キャンプでは女性の売春も報告されている。湾岸戦争、その後の経済封鎖で多くの市民が亡くなったが、それでも石油資源を背景に、経済力を回復しインフラも整備、失業者も少なくテクノクラートも多い。さらに、中東は数少ない女性の社会進出が進んでいた国である。フセイン政権が行った虐殺や人権侵害は決して許されない。しかし、括弧つきの平和であれ、それを奪ったのはまぎれもなく、ブッシュ政権である。そして、まっさきにブッシュを指示したのが、前首相の小泉であり、いまも「戦闘地域には行かない」と国会で答弁したにかかわらず、内戦の地域に派兵を続けているのが、憲法を改悪しようとしている日本政府である。

さらに2年、参戦する航空自衛隊

 昨年12月8日、14日の期限切れが迫って、政府は閣議で航空自衛隊のイラク派兵を来年7月末まで延長することを決めた。延長は3回目だった。そして今度は、7月末で期限切れとなるイラク復興支援特別措置法を2年間延長することが国会に提案されようとしている。安部政権はアメリカの要求に応じ、どこまでも着いていく姿勢だ。  
 「イラク復興は国際社会の願い 世界26カ国がイラクの復興のために協力しています。日本は、国際社会の責任ある一員として顔の見える人道復興支援に取り組んでいます。」
 これが、防衛庁のHPの宣伝文句である。いかに貢献したかと動画配信までする熱の入れようだ。もちろん迫撃砲で攻撃されたことなどの情報はない。

 26カ国がイラク復興支援というが、兵員総数17万7千人のうち、16万人が米軍だ。次いでイギリスの7100人、韓国約2300人、オーストラリア約1400人、ポーランド900人だ。アメリカとこれら5カ国で約17万2千人。あとの5千人を20カ国が「国際社会の責任」を果たしているというのだ。さらに、20カ国の内訳は表のとおりである。これら20カ国と日本を比較したとき、経済力と軍事力の違いは明らかだが、それよりも、なぜ経済的に脆弱な国がイラクに派兵するのかという素朴な疑問がわいてくる。そこにはアメリカの影があることは容易に想像できるのではないか。
 いずれにせよかつては40以上の国が参戦したブッシュのイラク戦争だが、スペインやイタリアなど国民の反対で撤退し、歴史的に最も関係の深いイギリスも数ヶ月以内に1600人削減するという。そんな中、アメリカの戦争に諸手を挙げて常に賛成してくれる日本の存在はアメリカにとって、何とも利用価値がある。しかも、軍事力でも世界をリードし、イージス艦や哨戒機などハイテク機器を備えた兵器を保有する日本は現代戦には欠かせない。スペイン、イタリアなど各国が撤退する中、昨年、小泉首相は航空自衛隊の継続は兵を決め、昨年、閣議決定された。派兵された200人の航空自衛隊の任務は、各国が兵員を削減する中、アメリカの要請でさらに重要となるだろう。イラク復興支援ではなく、米軍の掃討作戦でイラクの人たちを殺す作戦の支援をしているに他ならない。

航空自衛隊の任務は?

「航空自衛隊はC130輸送機3機と隊員約200人を派遣、クウェートを拠点にバグダッドや北部アルビルに国連や多国籍軍の物資を運んでいる。」これが、マスコミの一般的な報道である。「国連や多国籍軍の物資」というのは事実を正確に伝えていない。
 「自衛隊イラク派兵差止訴訟」全国弁護団によると、陸上自衛隊の撤退後の航空自衛隊の「週間空輸実績報告」 (2006年7月17日からから11月12日)を情報公開請求で入手したという。報告文書には「空輸の日時、出発・到着地、輸送人の所属と人数、物資の数量などが記載され」ているが、「約五十数回の輸送のうち、 (1)七月十七日の陸自(2)八月三日の外務大臣(3)九月六日の「国連」(アリアルサレムからバグダッドを二往復)に関する三件のみ。あとはすべて黒く塗りつぶされていました。」(2007年1月12日「赤旗しんぶん」より)と言う。
航空自衛隊が何を輸送するかは、イラク派兵をめぐる国会での大きな争点であった。米軍の兵器や兵士を輸送するのかどうかは「憲法の禁止する集団的自衛権の行使を逸脱している。」と野党もマスコミも問題視したのである。当時この問題を小泉政権は、一貫してあいまいしていた。「武器・弾薬の輸送は行わないとしている」(平成15年12月9日小泉首相記者会見)「実施要項のなかでも同様に定められているが、兵員輸送などの際に兵士らが通常携行する小銃などの武器・弾薬は人員輸送の一環として輸送している」(平成16年8月2日小泉首相答弁)と発言していた。

 今はまったく問題にされないが、その姿勢を継承する安部政権は情報を一切明らかにしない。(野党も追及しないのだが)実はこの姿勢は政府にとって、非常に大切なことである。それは戦争をするには国家は本当の情報を知られたくないからだ。情報公開できないということはそこには米軍の武器も弾薬も兵士も、「集団的自衛権」を行使し、米軍の軍事作戦と行動をともにしているということではないか。
 政府が公表しない、またマスコミも取り上げない米軍支援の実態。そうなると、公表されているものから推測するしかない。再び航空自衛隊のHPを見た。2004年3月3日から2007年3月22日現在の3年間で、航空自衛隊の輸送回数は483回、輸送物資重量517.535トンとされ、その内容は「我が国からの人道復興関連の物資陸上自衛隊の人員・生活物資その他の補給物資関係各国・関係機関等の物資・人員」と書かれている。このHPは一週間ごとに更新されるようだが、6ヶ月前のHPによると、2004年3月3日から9月21日の2年半の輸送回数は378回、輸送物資重量は479.975トンとされている。と言うことは最近の6ヶ月間の月平均の輸送回数は17.5回。最初の2年半の月平均の輸送回数は約12.2回だから月5回も輸送回数が増加している。今では2日に1便は輸送している。陸上自衛隊がサマワを撤退したには昨年の7月17日だ。
 「・・・人道復興関連の物資陸上自衛隊の人員・生活物資」と言うのに、明らかに、陸自撤退後の方が回数が増えている。しかも、陸上自衛隊撤退前は危険とされ、派兵を見合わせていたバクダッドなども追加された。
 米軍の要請で行われる戦闘地域への兵員や物資の航空自衛隊の輸送。これがイラク国民には日米軍一体の掃討作戦を展開していると見えるのは当然のことだ。

空だけではない。

 航空自衛隊は3年以上も、米軍の支援を行っているが、米軍支援と言うのであれば、海上自衛隊のほうが期間や貢献度も大きいのではないだろうか。表は海上自衛隊のHPからである。
 2001年の9月11日のニューヨークの貿易センタービルのテロをきっかけに、小泉政権は「テロ特別措置法」を成立させ、アフガン攻撃の米軍支援を始めた。「Show the flag」などという言葉が、マスコミを中心に宣伝され、米軍の後方支援という憲法の禁止した「集団的自衛権の行使」に踏み込んだ。反対の声はかき消され、わずか2ヶ月で、11月9日にはインド洋に向けて、海上自衛隊の艦船が、出撃した。「教え子は再び戦場に行った」のはこのときである。 
 半数以上が米軍対象の支援だ。パキスタンが多いのは米軍がアフガニスタン攻撃の拠点とした国であることも関係があろう。2001年11月より今日に至るまでインド洋で、長期にわたって米軍の後方支援を行っている。
 これまでに補給した艦船の燃料は約47万kl。47万klというと100m四方のグランドに47m約12階建てのビルの大きさというところになる。コストを調べてみた。国内のある海上運輸業の船舶の燃料油価格は2006年現在46100円とされている。2005年から2006年にかけて30%高騰したというから、1kl当たり35000円として計算したとすると、約165億円になる。艦船の燃料だけで日本に住む人は一人当たり150円を戦争に負担したのだ。確かに、海上の給油や給水と言った米軍支援であるから、危険は少ないが、イラクもアフガニスタンもこの6年間で平和になっただろうか。
 
 日本の海外派兵の始まりは1991年、イラク湾岸戦争だ。このときの任務は戦闘終結後の機雷の除去だった。10年後の2001年はアフガン攻撃の海上からの後方支援。2003年はイラクへの「復興支援」の名目で陸海空自衛隊の派兵。そして、現在は内戦下のイラクへの派兵。さて、この次は?防衛庁から防衛省になって、愛国心を強制して、憲法を変えて、政治家たちがすることはもはや明らかではないか。それなのに、反対の声は残念ながら小さくなっている気がする。今一度、イラクでなにが起こっているか、戦争の姿をしっかり認識し、日本がその戦争にどう加担しているのかを知ることが重要ではないだろうか。

まずはこのブログを読んでいただきたい。

2007-05-03 18:50:07 | 平和通信vol151(2007/4)
イラク内戦。マスコミが伝えるのは爆弾テロのことばかりだ。内戦のイラクで何が起こっているか、われわれに伝えられる情報は少ない。まずはこのブログを読んでいただきたい。

サーブリーンのレイプ…

最近、ブログするエネルギーと決意がなかなかわいてこない。イラクの状況を考えるだけで消耗し落ち込むからだろうと思う。でも、今夜は書かなくてはならない。

 これを書いている今、チャンネル4(ナイル衛星放送で見られるMBCのチャンネル)では、借金から抜け出す方法をオプラ[トークショーの司会者]がアメリカ人に教えている。スタジオを埋める、見るからに買い物しすぎてるアメリカ女性たちに対して、ブランド品をもっと減らしてもやっていけるとゲストが話している。収入と財産をいかに増やすか、彼らがしゃべっている時、アル=ジャジーラでは若いイラク女性のサーブリーン・アル=ジャーナビーが、イラク治安部隊に家から拉致され、レイプされたと語っているのだ。
視聴者には彼女の目しか見えない。彼女の声はかすれ、上ずったり詰まったりする。ついに彼女はもうこれ以上話せないとレポーターに告げ、恥ずかしさのあまり目を覆ってしまった。 
彼女は誰よりも勇気あるイラク女性かもしれない。アメリカ軍とイラク治安部隊が女性たち(男性たちも)をレイプしていることはみんな知っている。でも実名でこのことを世間に明らかにしたのは、彼女が最初ではないだろうか。彼女が自分の身に起こったことを語るのを聞くと、私の心は痛む。彼女をうそつきという人もいるだろう。他の人たち(戦争を支持するイラク人も含む)は彼女を売春婦と呼ぶだろう―あらかじめ言っておく。恥を知れ。サーブリーンを誘拐するとき、どんな口実を使ったのだろうか。たぶん彼女は「テロリスト容疑者」といういつもの見出しでやつらが拘束する何千人もの人々の一人なのだろう。CNNやBBCやアラビーヤの字幕で「イラク治安部隊が暴徒を13人拘束した」と出たうちの一人だったかもしれない。彼女をレイプした男たちは、ブッシュとコンディがあんなに自慢しているあの治安部隊、つまり、アメリカ人に訓練された人々なのだ。これはアメリカのイラク占領ドキュメンタリーをひもとけばすぐに見つかる章。レイプされ、殺され、両親と妹たちとともに焼かれた14歳のアベールのことを語る章だ。やつらは、バグダード南部のハイ・アル=アミルという地域にある家から彼女を誘拐した。ギャングなんかじゃない。イラク平和維持隊か治安部隊。アメリカによって訓練されたやつらじゃないの?どういうやつらか知ってるでしょ。彼女は残酷に集団レイプされ、今そのことを語っている。彼女は、安全のためかプライバシー保護のため、顔を半分隠している。彼女が語ったことをここに翻訳してみる。

「私は『私は何も持ってない(私は何もしてない)』とその人に言いました。彼は『何も持ってないって?』と言い ました。ひとりの男が私を地面に投げつけ、私はタイルで頭を打ちました。彼はそのことをやりました―つまり、私をレイプしました。次の男が来て、私をレイプしました。3人目もまた私をレイプしました。(間―すすり泣く)私は彼らに頼み、叫びました。すると、一人の男が私の口を覆いました。(不明瞭、泣く)別の男が来て言いました。『終わったか?おれたちも番を待ってるんだ』すると彼らが言いました。『だめだ、アメリカ人の委員が来た』。彼らは私を裁判官のもとに連れて行きました。
キャスター:サーブリーン・アル=ジャーナビーは、治安部隊のひとりが彼女のビデオ/写真を撮り、レイプのことを人に話したら殺すと脅したと語っています。彼女が調査官に会ったあとで、また別の将官が彼女をレイプしました。
サーブリーンは続ける。

「男たちの一人が言いました…私は彼にこう言ったのです。『どうか―あなたのお父様とお母様にかけて―私を放してください』彼は『いや、いや。母親の魂にかけて、おまえを放してやるさ。ただし条件がある。お前がたった一つこっちにくれさえすればね』と言いました。私は『何を?』と尋ねました。彼は『レイプしたいのさ』と答えました。私は『だめ―できません』と言いました。すると、彼は私を武器のある部屋に連れて行きました・・・そこには武器、カラシニコフがあり、小さなベッドが(不明瞭)、彼は私をそこに座らせました。それから(将官が来て)彼に言いました。『この女を置いていけ』。私はクルアーンにかけて誓い、言いました。『預言者の光にかけて、私はそのようなことをしません。』彼は言いました『そのようなことをしないって?』私は答えました。『はい』。(泣く)彼は黒いホースを持ち上げました。管のようでした。それで腿をぶたれました。(泣く)私は言いました『私になにをしてほしいというの?レイプしてと言えというの?私にはできないわ・・・私は***(売春婦)じゃないもの。そういうことはできないわ』。すると彼は『俺たちは欲しいものを取る。欲しいものでなければ殺す。それだけだ』と言いました。(すすり泣く)もうこれ以上話せない・・・ごめんなさい。最後まで話せません」

この女性を見て、激しい怒りのほか何も感じることができない。私たちはいったいなにを得たのだろう。私は知っている。外国人が彼女を見ても、決してわが身に引き寄せて感じることはできないだろう、ということを。彼らは気の毒だと思うだろうし、少し怒りを感じるかもしれない。でも、彼女は私たちの仲間で、彼らの仲間じゃない。彼女はTシャツとジーンズに身を包んだ少女ではないから、彼らはせいぜいぼんやりとした同情を感じるだけだろう。かわいそうな第三世界の国々―女性たちはこんなことに耐えている、と。以前は決してこんなことに耐える必要がなかったことを知ってほしい。イラク人が路上でも安全でいられたときがあったのだ。もうずっと前のことになってしまったけれど。戦争の後、私たちは、少なくとも家にいればしばしの間安全だと慰めあった。家庭は聖域、じゃなかった?もうそんなこともなくなってしまった。彼女は、自分自身の家やイラクの刑務所で暴行された数十人、あるいは数百人のイラク女性の一人にすぎない。彼女は私のいとこに似ている。友達に似ている。たまに道で会うと立ち止まって噂話をした隣人に似ている。彼女を見るイラク人はみんな、彼女のうちに、いとこを、友達を、姉妹を、母を、おばを、見るだろう・・・。 来月3人のイラク女性の処刑が予定されていることについて人道機関が警告を発している。ワッサン・ターリブ、ザイナブ・ファディル、リカ・オマル・ムハンマドの3人だ。いずれも「テロリズム」の罪に問われている。つまり、イラクレジスタンス組織とつながりがあるということ。これは、彼女たちが、レジスタンスに加わっていると疑われる人物の親戚かもしれないという意味だ。あるいは、彼女たちがたんに悪いときに悪いところにいただけのことかもしれない。一人は刑務所で出産した。彼女たちがどんな拷問に耐えたのだろうと思う。アメリカの占領下でイラク女性は少なくとも“ある程度は”平等だったなんて、誰にも言わせない―いまや男性と同じように処刑されるほど平等なのだ。 そしてまた、国内や国外にいるイラク人とイラクにいるアメリカ人、どちらにとっても状況は悪化し続けているときに、アメリカにいるアメリカ人はいまだに戦争や占領を――勝ったのか、負けたのか、良くなったのか悪くなったのかと討論している。
 
ぐずぐずと問い続けているあらゆる馬鹿者たちのためにはっきりと言おう:状況は悪くなった。もうおしまい。あなたの負け。あなたが持ち込んだ、アメリカじこみの猿どもの歓呼を受けて、戦車でバグダードに乗り込んだ日に、あなたは負けた。兵士が陵辱したすべての家族を、あなたは失った。アブ・グレイブでの写真が公表され、私たちが目の当たりにしている、この路上で繰り広げられた残虐行為が、収容所の壁の向こうと同じだと実証されたとき、勇ましく、まっとうなイラク人をあなたは失った。殺人者を、略奪者を、無法者を、そして暴力団の親分たちを権力の座につけ、イラクの最初の民主政府として彼らを迎えたとき、あなたは負けた。身の毛のよだつ処刑を最も偉大な達成と称したとき、あなたは負けた。かつては持っていた敬意と評判を失った。3000以上の兵士を失った。それがアメリカが失ったもの。せめて石油がそれだけの価値あるものであったと願いたいものだ。
  2007年2月20日  午前1時9分 リバー