かながわ平和運動推進委員会

神奈川県高等学校教職員組合の平和について考えるブログです。

 日本のイラク戦争は終わっていない ②

2007-01-02 14:02:54 | 平和通信vol149(2006/10)
イラク内戦と報道
          日本のイラク戦争は終わっていない ②

イラク戦争で日本のマスコミが報道しないこと              

 アメリカの侵略戦争~侵略と言う言葉は使わない。

 ブッシュの戦争の理由は「イラクの大量破壊兵器の保持」。国連はイラクでの査察継続を訴え、多くの国も戦争に反対した。周知のとおり、後に「大量破壊兵器はなかった」ことが明らかになり、アメリカも認める。世界でもっとも大量破壊兵器を保持しているのはアメリカである。反米であると言うことで、「大量破壊兵器」を保有していると言う可能性や憶測だけで、先制攻撃したのだ。たとえイラクの大量破壊兵器を保持していてもそれがアメリカにどのような直接的な脅威があったのだろうか。このことだけでもアメリカの侵略戦争であったことは明らかだ。しかし、日本のテレビ、大手の新聞で「侵略」という言葉を使ったことを見聞きしたことはない。
さらに、「大量破壊兵器がない」となると、ブッシュはフセインが「イスラムテロ組織・アルカイダと関係がある。」と言い出した。しかし、これもなかったことが判明すると、今度は「それでもイラクはアメリカにとって脅威だった」と言う。ならば、「アメリカが脅威を感じたときは戦争を仕掛けることがある」と公言したということだ。
一方、ブッシュの「確たる証拠がある」という情報については、当時の日本の国会でも議論があった。真っ先にこの侵略戦争に支持を表明し、戦時下に軍隊を派兵した小泉を批判することはなく、彼の開き直りとも言うべき国会答弁は面白おかしく伝えるのだ。日々、罪もない人が殺されているのにである。この侵略戦争に加担しているにかかわらず、NHKはじめテレビは何回も何回も「自衛隊のイラクの復興支援活動」と宣伝する。


石油のための戦争ということ                        

 イラクに石油がなかったら、イラクは攻撃されなかっただろう、と言われる。1998年OPECのデータによると、イラクの原油生産量は1日当たり218万バレル(世界原油の3.3%)世界11位であるが、石油埋蔵量はサウジアラビアについで世界第2位。当時の水準で生産しても140年は採掘でき、これは世界一位だ。しかも、良質で安価で砂漠地帯にはまだまだ優良な油田があるとも予想されている。しかも、チェイニー副大統領(当時)始め、政権内には石油関連企業の責任者も多数いたのだから、イラクは最高のターゲットだった。

 1991年の湾岸戦争後、国連の厳しい経済制裁を受けたイラク。乳児死亡率10.8%、5歳以下の死亡率13.1%、1991年からの5年間で100万人が死亡その大半が子供と言う。それでも、フセイン政権を支えたのは豊富な石油資源だった。湾岸戦争後、イラクの油田利権を獲得した国はフランス、ロシア、中国、イタリア、スペイン、オーストラリア、インド、インドネシアなど10カ国を超える。もちろんアメリカとイギリスは油田の利権を獲得できなかった。

 占領後、無政府状態の中でも、石油施設だけはアメリカ軍の厳重な警備下に置かれた。しかも、占領軍の石油部門の顧問団のトップは、元ロイヤル・ダッチ・シェル米国法人社長のフィリップ・キャロルが就任した。2003年5月のブッシュの戦争終結宣言の前4月末に、すでにイラクの主要油田のひとつキルクーク油田で、米軍の手によって原油生産が再開され、その後、2ヶ月もたたないうちにイラクの原油が輸出された。全くイラクに石油利権を持たなかったアメリカがイラクの石油の生産、輸出をコントロールすることになったのだ。
2003年12月9日ブッシュは全世界にこう言う。「われわれは(アメリカ、イギリス)は戦争と言う代償を払った。復興はわれわれがする。」と。言い換えれば、「戦争で獲得したものは自分たちのもの。戦争に反対した国には渡さない。」と公言しているように聞こえる。
アメリカにとってイラクは石油なのだ。アメリカの当初の計画では石油生産を戦前水準の日量200万バレルにまで「復興」させる計画だった。原油価格が1バレル当り約30ドルとすると、その生産額は1日当り6千万ドル(70億円)を超える。1日70億円。年間に直すと2兆6千億円。CPAのブレマーは「イラクは今年末までに約50億ドル分の石油を売却するが、手数料や湾岸戦争の賠償金の名目でまずアメリカがその3割、15億ドルを収奪する。残り35億ドルも、開発事業を賄う基金に預託する。」と2003年6月米紙に語ったと言う。
イラクの戦後復興の利権は石油だけではない。戦争で破壊されたインフラの整備もまた大きな「ビジネスチャンス」なのだ。これも戦争終結宣言前の2003年4月中旬、アメリカ国際開発庁はイラク復興の中核をなすインフラ整備にアメリカの建設大手企業ベクテルに発注することを決めた。一年半の契約で総額は6億8000万ドル。イラクに投入された「復興資金」は、米系多国籍企業に流れるシステムができあがっている。

ベクテル社

 世界60数カ国でプロジェクトを展開するアメリカの大手建設会社。共和党への献金は1999年から4年間で76万5504ドルの大スポンサーだ。イラク戦争で最も利益を上げた企業である。社長はイラク戦争1ヶ月前2003年2月、ブッシュ大統領の輸出諮問委員会の委員長に任命され、中東地域の「市場経済化」を推進する任務を与えられた。イラク戦争開戦時の顧問がG・シュルツ。レーガン政権時代には国務長官。「ネオコン」のリーダー的存在で2002年「イラク開放委員会」の議長を務め、フセイン政権に対する武力攻撃キャンペーン活動を展開した。
                                       (出展:『週刊金曜日483号』)

復興支援というが                               
 派兵当初から自衛隊が行くより、NGOの方が同じ予算で何十倍の復興支援が可能で、武器を携えた支援活動はNGOの活動も危険になる可能性があると多くのNGOが指摘した。

 マスコミは自衛隊のサマワ撤退にあたって、「サマワで7割が自衛隊の活動を評価」とする記事を大きく報道した。この報道のイメージは絶大だ。およそ800億円は投じたと思われる今回の派兵にはさまざまな問題があっても、現地で評価されているから良かった。という最大のPRである。
アンケートはサマワに日本人記者はいないので、現地のメディアと協力で実施したとされる。この結果がまったく虚偽とは思わない。事実、ひとりの被害者や加害者を出さず、派兵当初の給水活動や破壊された施設の補修、さらに医療機器の提供など800億円も掛けて評価されないわけがない。報道すべき大切なことは、それにもかかわらずどうして次のようなことがあったのかということの検証である。まず、自衛隊は日を追って、基地外で活動することが危険になり、宿営地内外合わせて、13回も迫撃砲で砲撃されたのはなぜかということ。イギリス軍、オランダ軍、地元の警察に守られていたのにである。後半の自衛隊は宿営地から出て、活動することはほとんどできなかった。撤退時には宿営地の後の地権をめぐって、イラク軍と地主が対立、発砲事件まで起きて、自衛隊は秘密裏に撤退したのだ。
アメリカの侵略戦争に加担したと受け止められたからではないのか?そう、事実、加担している。アメリカの掃討作戦は続き、自衛隊派今、要因、物資、おそらく兵器も輸送している。それを報道しない。

 アフガニスタン
 
 最近になって、ようやくアフガニスタンの記事が増え始めた。
ブッシュの「テロとの戦争」の幕開けが、アフガニスタン攻撃だった。ビン・ラディンを匿っているとして、9.11報復戦争を仕掛けたのだ。世界中でこのような戦争ができるのはアメリカだけだ。犯罪者は警察によって検挙されるべきだ。それが国際的な犯罪なら外交で解決されるべきだ。もし、アメリカの戦争で解決する論理が正しいと言うなら、亡命したフジモリ大統領を受け入れた日本はペルーに攻撃されかねない。

 それはさて置き、アフガニスタンはついこの間まで、タリバン政権以後、女性の社会進出や民主化など、カルザイ政権のもと順調な国内情勢が報道されていた。2002年、新政権が発足し、カルザイ大統領も日本にやってきた。内戦状態になって、初めて伝えられる。つまり、我々はアメリカの「対テロ戦争」がうまくいっていると言う部分だけ報道されていたということではないだろうか。
もうひとつ忘れてならないのは、このアメリカの侵略に加担するインド洋での海上自衛隊の活動は今でも継続されている。防衛庁の資料によると今年9月20日までの実績は艦艇用燃料補給回数678回(うち330回がアメリカ)総量約45万kl、ヘリコプター燃料補給回数49回〈うち27回がアメリカ〉740klである。

自衛隊の経費は

 2005年11月4日 内閣総理大臣小泉純一郎 の 衆議院議員阿部知子提出イラク特措法に基づく陸上自衛隊の活動等に関する質問に対する答弁書より

 法に基づく対応措置の実施に係る所要経費のうち、現段階で集計が終了している平成十七年七月三十一日現在の実績は、次のとおりである。
 陸上自衛隊に係る所要経費は約四百八十八億円であり、その内訳は(組織)防衛本庁の(項)防衛本庁として約三百六億円、(項)武器車両等購入費として約七十八億円、(項)装備品等整備諸費として約百四億円である。
 海上自衛隊に係る所要経費は約五億円であり、その内訳は(組織)防衛本庁の(項)防衛本庁として約二億円、(項)武器車両等購入費として約一億円、(項)装備品等整備諸費として約一億円である。
 航空自衛隊に係る所要経費は約八十五億円であり、その内訳は(組織)防衛本庁の(項)防衛本庁として約三十億円、(項)武器車両等購入費として約十六億円、(項)装備品等整備諸費として約三十九億円である。

 平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法(平成十三年法律第百十三号)に基づく対応措置の実施に係る所要経費のうち、現段階で集計が終了している平成十七年九月三十日現在の実績は、次のとおりである。

 海上自衛隊に係る所要経費は約四百三十二億円であり、その内訳は(組織)防衛本庁の(項)防衛本庁として約三百三十五億円、(項)武器車両等購入費として約二十三億円、(項)装備品等整備諸費として約七十四億円である。
 航空自衛隊に係る所要経費は約十七億円であり、その内訳は(組織)防衛本庁の(項)防衛本庁として約千万円、(項)装備品等整備諸費として約十七億円である。


イスラエルのレバノン侵攻とパレスチナ

 9.11でアフガニスタンに戦争をした同じ論理でイスラエルはレバノンの「ヒズボラ」を攻撃した。実際に攻撃されたのは大多数の市民と子供たちだ。その日の朝日新聞の夕刊の一面トップは秋田県の女性が子供を「殺した」とされるという記事だった。他の多くの新聞もである。

 注目したいのは、レバノン侵攻後、直前まで報道された、イスラエルのパレスチナへの攻撃の記事はなくなった。レバノン南部のヒズボラが拘束した2人のイスラエル兵の救出を名目にしたレバノン攻撃、国際社会の目がレバノンに向いているとき、それと同時進行している同じイスラエル軍のガザでの武力攻撃は、何一つ私たちには伝わってこない。

 パレスチナでは日々、パレスチナ人が殺されている。被害は日常化しているのだ。それでも、報道されることはほとんどない。一方、イスラエルで「テロ」があって、被害者が出たことは報道する。「テロ」の後にはイスラエルの報復攻撃が何倍、何十人の市民を殺しているのだが、それはあまり伝えられない。日常化されることはニュースではないということか。

 パレスチナではハマスが選挙によって、政権をパレスチナ人から付託された。長期化したファタハ政権下で、いつまでも続く、イスラエルの攻撃と日常的な生活を常に奪われる現状。さらに、ファタハ内部の腐敗。イラクで行われた選挙と比べ物にならないほどの民主的な選挙の結果であったと考えられる。ところが、ハマスは「武装組織」という宣伝をされ、欧米はパレスチナへの人道支援を中止した。日本もである。この結果、占領下でただですら厳しいパレスチナ人の生活はどうなっているのか?ハマスは武装組織なのか?国際的な支援がなくて、今、パレスチナ人はどれだけ、危機に瀕しているか。マスコミは報道しない。水平線のかなたの子供たちの死が、本当は私たちも関与しているのに、私たちの関心事はある母親が娘を殺害したかもしれないと言う、自らになんら関係のない事柄ということなのだろうか。

自衛隊員の生の声が伝わってこない

 3年6ヶ月、第10次に及んだ自衛隊の派兵。陸上自衛隊が600人、航空自衛隊が200人、合わせて、800人が10次というから、単純計算すると8000人が派兵されたことになる。8000人もいて、彼らの声が何一つとして伝わってこない。現地取材が全くできなかったマスコミであるから、イラクの派兵を検証する上でも、現場で何が起き、そのとき隊員たちはどう行動し、何を感じたのか?公務員の秘守義務を根拠に、当局が厳しい緘口令を敷いているのは想像に難くない。だからこそ、マスコミは彼らの本当の声や思いを伝える必要があるのではないか?

 2004年から2005年夏まで、約1年半の間に、イラク派兵の陸上自衛官が3人も自殺していることが、今年の3月明らかになった。そのときの陸上幕僚広報室は次のようにコメントした。「3人の自殺がイラク派遣によるものかは分からない。プライバシーの問題もあり、詳細は明らかにできない。」と。プライバシーの問題もあろう。しかし、なぜ自殺したかを把握できなくて、どうして対策が立てられるのか?兵隊の命を粗末にする、これも日本軍の伝統なのだろうか。

記者が居ない                                 
イラクが「内戦」状態となって、日本のメディアは一斉に記者を引き上げさせた。それでも、危険承知で取材活動を続けたジャーナリストは・・・2004年5月27日、日本人ジャーナリスト橋田信介と小川功太郎は殺害された。武装グループによる犯行と報道されたが、本当のところは分からない。彼らをねらっているのは、現地の武装グループだけではない。もっとも報道されたくない国は、皮肉にも「世界中に自由と民主主義を」と公言するアメリカだ。事実、アメリカ軍は記者のいるホテルに砲撃したのだ。アルジャジーラの記者はアメリカ軍によって殺された。アメリカは一貫して、誤爆と言う。そんな状況下で、バクダットから中継で報道されるNHKの記者の姿は異様と言うしかない。ホテルから出られない。それでも取材しているように報道する。
本誌発行の神奈川高教組は継続してイラク現地報告会を実施してきた。高遠菜穂子さん始め、数名の方に講師をしていただいたが、講師の一人、2004年のファルージャを取材されたジャーナリストの土井敏邦さんの著書(「フォトジャーナリスト13人の眼」)にこんな一文があった。「私がバクダッドから送ったその映像や文章は、『スクープ』として日本のテレビや雑誌で伝えられた。ジャーナリストの本分をいくらか果たせたような気がした。しかし、帰国後、『ファルージャ 2004年4月』というルポを読んで愕然とした。それは、まさに米軍の猛攻撃のなか、(中略)負傷者の救援と遺体の収容のために奔走した英国人平和活動家たちの記録だった。〈中略〉少女の首からどくどく流れる血、射抜かれた心臓が飛び出し、胸が空洞となったまま路上に放置された老人の遺体〈中略〉ジャーナリストの自分がなぜ、平和活動家が入れたその現場にいなかったのか。〈中略〉過酷な情況のなかで呻吟する底辺の人々の、声にならない『叫び』に耳を澄まし、伝えていくこと---それこそがジャーナリストとしての自分の役割だと思っている。その民衆のうめき声を聞き取れる距離に自分の身を置くことができないなら、ジャーナリストとして私は失格である。」と。

カタール放送局アルジャジーラ爆撃

 2001年11月、アフガニスタンの首都カブールのアルジャジーラ事務所を爆撃。2003年4月、イラクのバグダッドにあるアルジャジーラ事務所を爆撃し、タリク・アユーブ特派員を殺害している。アメリカは攻撃の意図を否定しているが、イギリスのミラー紙は2005年11月22日付で、ブッシュ大統領が2004年4月16日の米英首脳会談で、ブレア首相にカタールのアルジャジーラ本社の爆撃計画を伝えたと報じた。2006年1月、イギリスの治安判事裁判所はこのときの機密メモを持ち出した元内閣府の職員と当時労働党の議員の元調査員を機密保護法違反容疑で予備審問にはいるとした。(2006年8月「赤旗」の記事参考)
〈特集終わり 敬称略〉