かながわ平和運動推進委員会

神奈川県高等学校教職員組合の平和について考えるブログです。

横浜市教育委員会による「自由社版」歴史教科書の採択に抗議し、採択の撤回を要求する (声明)

2009-08-09 14:59:31 | 教科書・教育基本法
                      2009年 8月 10日


                                教科書・市民フォーラム
                            代表世話人 高嶋 伸欣・柴田 健
                           〒222-0035 横浜市港北区鳥山町
                                     1096-4―103
                                    Fax:045-471-7270

 横浜市教育委員会は、さる8月4日、「新しい歴史教科書をつくる会(つくる会)」編集の自由社版歴史教科書を市内18採択地区中8地区(港南・旭・金沢・港北・緑・青葉・都築・瀬谷、145校中71校)に採択した。私たちは生徒・現場教師や市民の声を無視したこの暴挙に対し怒りを込めて抗議し、採択の無効・撤回・やり直しを要求する。

 現在、「つくる会」の歴史教科書は、会の内紛により扶桑社版と自由社版の2種類が発行されているが、その内容はほぼ同一で、現在著作権をめぐって係争中である。このような問題を抱えている教科書を敢えて採択し、生徒に供するのは、教育行政として無責任極まりない。
しかも、これら「つくる会」の歴史教科書は、国民主権の憲法下で天皇中心の歴史像を強調し、日本の植民地支配や侵略戦争の本質から目をそらして正当化・美化し、生徒たちに保障されるべき基本的人権や恒久平和主義、国民主権を軽視して軍事力を重視している。また、現実追認型で、声をあげて意見表明する姿勢が育たない「物言わぬ市民」を育成しようとするものである。

 8月4日に開催された教育委員会では、「調査結果を重視する」との声が教育委員からあがりながらも、それらが無視されて、決められていった。さらに、今回の採決では、「横浜市教科書採択基本方針」に新たに全面改訂された教育基本法の趣旨に合致していることを加筆したにもかかわらず、自由社版以外の歴史教科書については、4年前の旧基本方針下での調査資料を流用して審議するという、不公平かつ不公正な手順で進められた。これは明らかに採択手続きの規定に反し、違法である。
 また、今回の採決は無記名投票で行われた。横浜市の教科書審議・採択は、従来から公開で行われ、なんら支障はなかったはずである。にもかかわらず、あえて無記名投票に持ち込むことは、公職である教育委員の責任を不明確にし、情報公開、「開かれた採択」に逆行する行為である。
 このようなやり方は生徒が使う教科書の決め方としてふさわしくない。横浜市はコンプライアンス(法令遵守)を重視する。この教育委員会の決め方は、それに違反したとして是正されなければ、市民に対する重大な信用失墜行為である。直ちに是正されなければならないし、今田教育委員長はその職を続けるべきではない。

 また今田教育委員長は自由社版教科書について、「日露戦争の記述では愛情を持った表現が多かった」と発言したと報じられている。このような意味不明な、また一方的な見解が教科書採択の主な要因にされた点は、見過ごせない。日露戦争の「勝利」は一時的にアジアの人々に希望を与えたものの、その後の「脱亜入欧」的政策が、多くのアジアの人々に裏切りと見なされ、怒りと失望を覚えさせた史実を忘れている。この史実が他社の教科書には明記されている。とても教科書採択に権限を持つ人物の発言とは思えず、この教育委員長と自由社版教科書がアジアを蔑視し、アジアの人々の懸念を無視する共通性を持つことが見えてくる。国連ピースメッセンジャー都市であり、多くの民族が共生している横浜市においてこのような暴挙が行われたことは、これまでの市民の努力を踏みにじり、そして共生を妨げる恐るべき人権侵害にもつながることに気づくべき
である。何よりも生徒たちの教育の場にこのような教科書を無理やり持ち込もうとすることに怒りを禁じえない。

 さらに自由社版教科書は、扶桑社版から急いで起こしたような製版で、これまでの間違いに加えて、新たな不適切な内容や誤字誤植がまだまだ多数ある「似せブランド品」ともいうべき欠陥商品である。これで検定を合格させた文部科学省の責任にも重大なものがある。
 とりわけ、扶桑社版の沖縄戦記述「4月、アメリカ軍は沖縄本島に上陸し」に続けて、自由社版では「ついに陸上の戦いも日本国土に及んだ」と加筆し、それがそのまま検定で認められたのは、重大な事実誤認記述であり、看過できない。第1に、国土での陸上戦は、同年2月に始まった硫黄島(東京都小笠原諸島)の地上戦が最初であり、沖縄戦ではない。第2に、沖縄の地上戦は、本島上陸以前の3月26日に慶良間諸島への米軍上陸から始まっている。しかも、慶良間諸島では、この時「集団自決」事件が起きた。この「集団自決」に対する日本軍の強制を否定した2006年度高校「日本史」教科書検定に対し、沖縄県民を中心とする厳しい抗議を受けて、07年12月に文部科学省は、記述の再修正を認めた経緯がある。この「集団自決」の存在そのものを無視した記述を、07年次と同じ顔ぶれの検定官および検定審議会委員たちが誰一人として気づかずにいたとは、考えられない。「集団自決」そのものだけではなく、07年の沖縄県民の抗議等も存在しなかったかの如く、中学生に学習させようとしている点で、自由社版教科書は最悪のものである。同書を採択したことは、沖縄の人々に対する重大な背信行為である。
 このように、自由社の教科書では中学生の段階で、沖縄戦について誤った学習をさせられることになる。神奈川県では、高校の修学旅行で、沖縄に行き平和学習を実施している学校が多いことが知られている。中学段階でも、沖縄戦の史実を正しく学習できるようにしておくことは、教育委員会の責務であるはずだ。

 かつてこの横浜で提訴した高嶋(横浜)教科書訴訟を担ってきたわれわれとしては、以前から指摘してきた文部科学省の恣意的な教科書検定の問題点を目の当たりにして、このような杜撰な教科書検定なら不要であるとの指摘も改めてしておきたい。しかも、そうした誤りを指摘されていながら「検定に合格している」として、それらを一切不問とした8月4日の横浜市教育委員会審議は、容認できない。
 その文部科学省でさえ、「21世紀の教科書は思考力育成を重視して、すぐ答えや結論のみつかるものにしないこと」と通知しているが、教育委員会では「自由社版は問いの答えがすぐ書いてあって、予習・復習に適している」というレベルの低い議論に終始したことも問題である。

 また今回の採択には疑惑の声を聞く。横浜市教育委員会の今田忠彦委員長と藤岡信勝「つくる会」会長が何回も会い、自由社採択の内諾を得ているという情報が事前に流れ、教育委員会にも知らされていたという。このような疑惑が生じる教育委員長が教育行政のトップに君臨していることは、現場教師や市民無視の「教育改革」を進める横浜市の問題点を如実に示している。また教科書執筆者と採択者が接触することは独占禁止法に違反し、文部科学省の指導にも反している。 今回の採択は不公正・不正な犯罪的行為といえる。またやはり市民および現場教師等の声を聞かずにトップダウン型で横浜の教育をかき回してきた中田宏横浜市長の任命責任も当然問われるべきである。

 生徒たちの教育に責任を負う教育委員会が、政治的で乱暴なやり方で「つくる会」教科書自由社版を採択したことは、大人として極めて恥ずべき行為である。私たちはこの暴挙に対し、断固として抗議するとともに、採択の無効・撤回・やり直しを要求するものである。               以上

横浜市に「つくる会」教科書の可能性が

2009-07-25 22:49:36 | 教科書・教育基本法
横浜市に「つくる会」教科書の可能性が
○横浜市教育委員会では、前回採択で扶桑社支持の熱弁をふるった今田教育委員がその後教育委員長となり、他の教育委員、教育長はすべて入れ替わっています。今田教育委員長は、右派と同趣旨の強引な発言が目立ちますが、横浜市行政事務のトップ出身のためか、教育委員会事務局も頭が上がらないという感じです。

○前回採択では、歴史・公民とも扶桑社が採択審議会の採択候補教科書として入り、市内で長年使用されてきた社は候補外になりました。

○市教委には昨年から、教科書採択について右派の「請願」や「要望書」が相次いで提出され、請願項目が採択されています。

○09年4月、上記の請願が提出されたことを理由に、今田教育委員長が強引に、今年度「採択基本方針」の前文に、「教育基本法」の文言を挿入させました。

○09年6月10日、横浜市議会本会議で自民党議員から教科書採択についての質問。教育長は採択地区と採択審議会の見直しの答弁。

○09年6月23日、教育委員会は横浜市内の採択地区(今年度は18採択地区)を来年度から1採択地区とする意向を承認、県教委に地区変更要望を伝えました。市内1採択地区化は、数年前から右派や今田教育委員長が主張していた項目です。県教委は、8月末までに地区変更の理由書提出を求め、10月の県教委で審議する予定。

以上のような形勢から、横浜がかなり危険な状態です。
全国の皆様からも、採択への意見を出してくださるようお願いいたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●「市民からの提案」として意見を届ける

Eメールの他、私製の封書・はがき・FAXでも受け付けています。
「市民からの提案」と明記のうえ、住所・氏名・電話番号を記入し、以下へお送りください。差し支えなければ、性別・年齢・職業も。
市教委担当課から回答が来ます。

郵便、FAXの送付先は、
横浜市役所(市民活力推進局広聴相談課)
231-0017 横浜市中区港町1-1  電話:045-671-2354
 FAX:045-212-0911 
 メール:http://www.city.yokohama.jp/me/shimin/kouchou/
 
●横浜市教育委員会へ要望書や意見を届ける

要望書や意見の書き方に形式はありません。ご自分の思いをひと言でも結構です。また、教育委員への親展のお手紙でも結構です。

【宛名】横浜市教育委員会委員長 または以下の教育委員
    横浜市教育委員長  今田 忠彦
     委員長職務代理  小濱 逸郎
        教育委員  吉備 カヨ
         〃    野木 秀子
         〃    中里 順子
         教育長  田村 幸久
【住所】〒231-0017横浜市中区港町1-1

【電話・FAX】
(教育委員あて)  教育委員会総務部総務課
          電話  045-671-3240
          FAX 045-663-5547
(教科書採択担当) 教育委員会小中学校教育課
          電話  045-671-3265
          FAX 045-664-5499
(公聴担当)    教育委員会教育政策課
          電話  045-671-3243
          FAX 045-663-3118

教科書・市民フォーラム/1周年総会& 記念講演 「集団自決」検定問題を検証する  

2007-08-20 22:20:26 | 教科書・教育基本法
「集団自決」検定問題を検証する  

日 時:9月29日(土)午後2時~5時  
会 場:横浜市技能文化会館 802号室                                           
*来年度使用の高校日本史教科書から沖縄戦「集団自決」の表現が削除された。「南京大虐殺」「軍隊慰安婦」削除に続く、「つくる会」勢力からの教科書改悪攻撃である。*家永教科書訴訟第3次訴訟での沖縄戦記述問題に次ぐ沖縄戦記述改悪の動きを、執筆者の一人である石山久男氏が検証する。沖縄県議会・全市町村議会一体となった撤回運動も紹介する。                      13:30 開場   14:00 開会挨拶   
14:05 総会   14:30 記念講演(石山久男氏)         15:45 質疑・その他  16:30 閉会挨拶                                       
1.総会(活動報告・活動計画、会計報告他)  2.記念講演 講師 石山久男氏(歴史教育者協議会委員長・日本史教科書執筆者・元高校教員)    
教科書・市民フォーラム     
横浜市港北区鳥山町1096-4 ブロードストーン小机103号            FAX 045-471-7270   
 郵便振替 00240-6-95754 (年会費2,000円 シニア1,000円)

首都圏で会結成/「集団自決」問題  沖縄タイムス6/7朝刊

2007-06-07 13:42:10 | 教科書・教育基本法
 「大江・岩波沖縄戦裁判を支援し、沖縄の真実を広める首都圏の会」の結成総会が六日夜、都内で開かれ、約百五十人が参加した。沖縄戦時に慶良間諸島で起きた「集団自決」への日本軍による命令の有無をめぐり係争中の被告、作家大江健三郎さんと岩波書店側を支援する。日本軍の関与を指摘する記述を削除・修正した、高校歴史教科書の検定の撤回も求めていく。
 呼び掛け人は歴史教科書執筆者や弁護士、大学教授、ジャーナリストら十六人。会則に「沖縄戦の史実の歪曲を許さず、真実を子どもや市民に知らせていく」(一条)などの目的を明記し、満場一致で承認された。
 総会では沖縄国際大の石原昌家教授が講演し、政府が教科書から軍の関与を削除した理由を「有事法制と密接に関係している」と指摘した。
 「軍隊は住民を守らず、逆に殺害することもあるのが沖縄戦を通じた認識。国内戦を想定して国民総動員を狙う場合は、こうした認識が一番の障害になる」と説明した。
 「集団自決」について「政府はこの言葉に靖国思想を意味する『殉国死』のニュアンスを込めている」と強調。「強制集団死」などに改めるべきとの認識を示した。
 呼び掛け人の一人で、子どもと教科書全国ネット21事務局長の俵義文さんは「今回の教科書検定には文部科学省だけでなく政府筋の介入を感じる」と強調。下村博文官房副長官が昨年夏に「自虐史観に基づいた歴史教科書は官邸のチェックで改めさせる」と発言していたことなどを紹介した。


大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会(仮称)結成総会

2007-05-26 10:01:37 | 教科書・教育基本法
■06・06 沖縄戦の実相と教訓を継承し、
              子どもたちに市民に歴史の真実を伝えるために!
大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会(仮称)結成総会
  ──────────────────────────────────
○日時:6月6日(水)18時30分 21時頃 開場:18時
○会場:文京区民センター 2階 2A会議室
    都営三田線/大江戸線春日駅A2出口すぐ
    丸の内線/南北線後楽園駅から徒歩3分
    JR総武線/水道橋駅から徒歩10分
○資料代:500円  
 *予約は不要、どなたでも参加できます。直接会場にお越しください。

☆記念講演 操作されつづける「沖縄戦認識」 経過と背景
      石原昌家(沖縄国際大学教授)
☆特別報告 大江・岩波「沖縄戦」裁判について
      岡本 厚(雑誌「世界」編集長)

○会の主旨
 大阪地裁に「沖縄戦」の記述を巡って岩波書店と大江健三郎氏を相手取り、裁判が起こされました。原告は1945年に慶良間列島で発生した住民の「集団自決」は、原告らが命じたと記述しているが、これは事実に反し、名誉を毀損、あるいは故人に対する敬愛追慕の情を侵害する、というものです。原告らは「健全な国民の常識を取り戻す国民運動にしなければならない」と裁判を利用した運動を展開し、軍命令による「集団自決」はなかったとすることによって、日本軍による住民虐殺の事実を抹殺し、「軍隊は住民を守らない」という認識の転換をねらっています。
 さらに、この3月の高校日本史教科書の検定結果によれば、文科省は、この裁判での原告の主張を理由に沖縄戦における強制集団死・「集団自決」について日本軍による命令・強制・誘導等の表現を削除・修正させたことが判明しました。
 このような動きに対し、歴史の歪曲を許さず、沖縄戦の真実を広く子どもをはじめ市民に知らせていくために、「大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会」(仮称)を結成します。ぜひ多くの方が結成総会に参加し、入会くださるようお願い申し上げます。

○入会は当日会場でも受付(個人年間1000円)   総会参加のみも可

<連続講座>
日時:6月18日(月)18:30 神保町・岩波セミナールーム
講師:高嶋伸欣(琉球大教授) 教科書検定ー沖縄からの異議申し立て

 連絡先:東京都千代田区神田神保町3-2 千代田区労協気付
     E-MAIL okinawasen@gmail.com
 主 催:大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会・準備会
     http://okinawasen.blogspot.com/

 大江健三郎氏と岩波書店が被告とされた「沖縄戦裁判」の勝利のために、支援の活動をすすめます。また、沖縄戦の史実の歪曲を許さず、沖縄の真実を広く子どもをはじめ市民に知らせていくことを目的にとします。

教科書配布裁判を支援してください

2007-02-04 00:04:46 | 教科書・教育基本法
教科書配布裁判を支援してください

背景には扶桑社問題が?!
横浜市の不公平な教科書配布の不当性を訴えます

<特定の教科書だけを配布していいの?>
 教育委員会が、各学校に教科書を配布するなら、全教科全種類を配布すべきです。
 ところが横浜市教委は、06年3月、全種類の教科書ではなく中学5教科だけ、しかも05年の教科書採択で候補に推薦された教科書だけを、研究用として市立中学校に一律配布しました。公平性や公正さを維持すべき教育委員会が、全種類ではなく、あらかじめ教科を限定したり、教科書の種類を取捨選択したうえで、全校に一律配布する行為は許されるのでしょうか・・・?

<不公平な配布は、横浜だけの問題じゃない!>
 横浜のこの不公平な配布方式を黙って許せば、全国の教育現場に影響しかねません。
採択の候補教科書として推薦されると、候補外の教科書を排除したうえで各学校に税金で配布され、手にとってもらえる・・・次回採択への宣伝になるだけではありません。特定の教科書を支持する人々が、研究を強制したり、気に入らない教科書を排除したりする手段として、利用する可能性も出てきます。
 そこで07年1月18日、「教育委員会が、採択費約380万円を使って教科書を取捨選択して配布した行為は、教育委員会としての公平性を欠き、裁量権を逸脱した宣伝行為に等しい」として、横浜市民33人が横浜市長を相手に裁判を起こしました。

<扶桑社問題が背景に?>
 横浜市の配布には、別の問題があります。背景に扶桑社教科書の学校現場持ち込みの意図があるのではないか、という疑念です。05年の横浜市の採択は、学校現場の声を遮断し、歴史・公民の採択では扶桑社が初めて候補入りする一方、市内半分で使用されてきた日書は候補外になり、全地区が別の社に採択変更されました。そして配布のきっかけは、扶桑社を支持した教育委員の「歴史・公民の候補だけの配布」提案だったのです。民主的といわれた横浜の教科書採択は、すっかり様相を変えています。

この不当な横浜の教科書配布を見逃せば、全国に波及しかねません。
皆さまのご支援を求めます!

公平な教科書配布を求める会 代表 高嶋伸欣(琉球大学教授)
◆電話FAX 045-774-5669
◆賛同金 1口1000円以上(入会ご希望の方は2口以上 会報をお届けします)
◆郵便振替口座 00220-8-133178 公平な教科書配布を求める会
◆呼びかけ 教科書・市民フォーラム、かながわ歴史教育を考える市民の会、
教育委員会を傍聴する会、教科書採択制度の民主化を求める神奈川の会


改定教育基本法 2006.12.15 地方紙社説

2007-01-10 21:10:59 | 教科書・教育基本法
行く先は未来か過去か 教育基本法59年ぶり改定
中日新聞・東京新聞・北陸中日新聞 2006年12月16日

 教育基本法が59年ぶりに改定された。教育は人づくり国づくりの基礎。新しい時代にふさわしい法にとされるが、確かに未来に向かっているのか、懸念がある。安倍晋三首相が「美しい国」実現のためには教育がすべてとするように、戦後日本の復興を担ってきたのは憲法と教育基本法だった。「民主的で文化的な国家建設」と「世界の平和と人類の福祉に貢献」を決意した憲法。その憲法の理想の実現は「根本において教育の力にまつべきものである」とし、教育基本法の前文は「個人の尊厳を重んじ」「真理と平和を希求する人間の育成」「個性ゆたかな文化の創造をめざす」教育の普及徹底を宣言していた。

■普遍原理からの再興
先進国中に教育基本法をもつ国はほとんどなく、法律に理念や価値を語らせるのも異例だが、何より教育勅語の存在が基本法を発案させた。明治天皇の勅語は皇民の道徳と教育を支配した絶対的原理。日本再生には、その影響力を断ち切らなければならなかったし、敗戦による国民の精神空白を埋める必要もあった。
 基本法に込められた「個人の尊厳」「真理と正義への愛」「自主的精神」には、亡国に至った狭隘(きょうあい)な国家主義、軍国主義への深甚な反省がある。より高次の人類普遍の原理からの祖国復興と教育だった。一部に伝えられる「占領軍による押しつけ」論は誤解とするのが大勢の意見だ。のちに中央教育審議会に引き継がれていく教育刷新委員会に集まった反共自由主義の学者や政治家の熟慮の結実が教育基本法だった。いかなる反動の時代が来ようとも基本法の精神が書き換えられることはあるまいとの自負もあったようだ。しかし、改正教育基本法は成立した。何が、どう変わったのか。教育行政をめぐっての条文改正と価値転換に意味が集約されている。

■転換された戦後精神
 教育が国に奉仕する国民づくりの手段にされてきた戦前の苦い歴史がある。国、行政の教育内容への介入抑制が教育基本法の核心といえ、10条1項で「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」となっていた。国旗・国歌をめぐる訴訟で、東京地裁が9月、都教育委員会の通達を違法とし、教職員の処分を取り消したのも、基本法10条が大きな根拠だった。各学校の裁量の余地がないほど具体的で詳細な通達を「一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制する『不当な支配』」としたのだった。不当な支配をする対象は国や行政が想定されてきた。
 これまでの基本法を象徴してきた「不当な支配」の条文は、改正教育基本法では16条に移され「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と改められた。政令や学習指導要領、通達も法律の一部。国や行政が不当な支配の対象から外され、教育内容に介入することに正当性を得ることになる。この歴史的転換に深刻さがある。前文と18条からの改正教育基本法は、新しい基本法といえる内容をもつ。教育基本法の改定とともに安倍首相が政権の最重要課題としているのが憲法改正だが、「新しい」憲法と「新しい」教育基本法に貫かれているのは権力拘束規範から国民の行動拘束規範への価値転換だ。自民党の新憲法草案にうかがえた国民の行動規範は、改定教育基本法に「公共の精神」「伝統と文化の尊重」など20項目以上の達成すべき徳目として列挙されている。
 権力が腐敗し暴走するのは、歴史と人間性研究からの真理だ。その教訓から憲法と憲法規範を盛り込んだ教育基本法によって権力を縛り、個人の自由と権利を保障しようとした立憲主義の知恵と戦後の基本精神は大きく変えられることになる。公共の精神や愛国心は大切だし、自然に身につけていくことこそ望ましい。国、行政によって強制されれば、教育勅語の世界へ逆行しかねない。内面への介入は憲法の保障する思想・良心の自由を侵しかねない。新しい憲法や改正教育基本法はそんな危険性を内在させている。

■悔いを残さぬために
 今回の教育基本法改定に現場からの切実な声があったわけでも、具体的問題解決のために緊急性があったわけでもない。むしろ公立小中学校長の3分の2が改定に反対したように、教育現場の賛同なき政治主導の改正だった。現場の教職員の協力と実践、献身と情熱なしに愛国心や公共の精神が習得できるとは思えない。国や行政がこれまで以上に現場を尊重し、その声に耳を傾ける必要がある。安倍首相のいう「21世紀を切り開く国民を育成する教育にふさわしい基本法」は、同時に復古的で過去に向かう危険性をもつ。改定を悔いを残す思い出としないために、時代と教育に関心をもち続けたい。

「改正教基法の課題」 危うい国家的関与の強化
陸奥新報 2006年12月18日

 「教育の憲法」といわれる教育基本法改正案が成立した。しかし参院本会議では投票総数230票のうち賛成131票、反対99票。総数を100とすると「57%対43%」と、ある意味ではわずかの票差は異様であり、それだけ問題のある改正法である点を忘れてはならない。
 教基法は1947年に制定されて以来、初の改正だ。なぜこの時期に、という素朴な疑問は消えない。「戦後体制からの脱却」を掲げる安倍晋三首相にとって、政権の最終目標は憲法改正であり、その布石となるのが教基法改正だ。また、郵政造反組の復党問題や政府のタウンミーティングでの「やらせ質問」などで内閣支持率が急落している折である。今回の改正はつまずいてはならない改憲への第一歩とみての強行突破なのだろうか。とすれば教基法は踏み台とみなされたことになる。教基法の審議中には、いじめ自殺や必修科目の未履修など教育にかかわる深刻な問題が相次いだ。それだけに民主、共産、社民、国民新の野党四党の反対を押し切った与党の姿勢に対して「なぜ今なのか」「急ぎ過ぎ」という批判の声が上がっている。
 改正教基法の一番の特徴は、教育に対する国家的な関与の度合いを強めたことだろう。この点で同法が具体的に反映される今後の学習指導要領改定や学校教育法、教員免許法、地方教育行政法など30を超す関連法の改正から目が離せない。法律は一度成立すると、反対意見があったことは次第に忘れられ、やがて拡大解釈されていく。「抵抗力」の弱い地方では特にその傾向が強く、法解釈は形式的になりがちだ。教員が多忙で、子供と正面から向き合うことが少なくなった教育現場では、国の方向転換に混乱し、いじめの再発や新たな問題も起こりかねない。
 改正教基法の条文では第二条「教育の目標」として豊かな情操と道徳心、公共の精神、伝統と文化を尊重し国と郷土を愛し国際社会に寄与する態度が明記された。これまでの教基法で学問の自由や自発的精神が前面に出ていたのと比べ、改正法では徳目教育を目標化した点が目立っている。「愛国心」について安倍首相は「内面に入り込んで評価することはない」と言っている。だが政府は「教員の指導は責務」「学習姿勢を評価」と、現場に具体的な指導を求めている。
 現場にとって、徳目教育は難題だろう。これから新たな指導要領や関連法に沿った教育が試みられ、やがて「模範校」が一つの基準になるだろう。その過程で、教師の多様な価値観や子供の自由な発想が変にゆがめられないか心配である。学校や教育委員会の硬直的な対応でいじめ問題が膨れ上がったのと同様、徳目教育も形式化する恐れがある。国歌斉唱が学校評価の一つの基準になっているのと同じ理屈だ。上意下達ではない幅のある試行を望みたい。国の教育への関与は、あくまでも抑制的であるべきだ。

             改正教育基本法が成立
北海道新聞 2006年12月16日

 憲法とともに戦後日本の民主主義を支えた教育基本法が改正された。改正法は「わが国と郷土を愛する態度」などを条文に盛り込んだ。戦後教育の枠組みと理念を根底から変える内容だ。
 新しい法律の下で、教育はどう変わるだろう。「国を愛せ」と教師が子供たちに強く求める場面が起きないか。そんな授業を受ける子供たちの態度が「評価」につながらないか。教育現場の創意工夫はどこまで生かされるだろう。こうした点の審議が必ずしも十分だったとは思えない。改正に国民の合意ができていたともいえない。数の力を背景に、今国会で改正法の成立を図った政府・与党のやり方は強引だった。
 安倍首相は、占領時代に制定された教育基本法と憲法の改正は、「自民党結党以来の悲願」だとしていた。それほど重要なら、国民への丁寧な説明と合意形成の真摯(しんし)な努力を重ねる必要があったはずだ。次の課題は憲法改正ということになるのか。国の基本にかかわる問題で、「数の力」に頼る姿勢は、許されるものではない。
*「国家」重視に軸足を移す
 教育基本法は一九四七年、戦前の国家中心教育への深い反省を踏まえて制定された。 前文で「個人の尊厳」を基本とする教育理念を掲げ、憲法の理念の実現を「教育の力」に託した。これに対し、改正法は「わが国と郷土を愛する態度」や「公共の精神」などの徳目を「教育目標」に掲げた。教育理念の軸足を「個人」から「国家社会」の重視に移した。
 しかし、そもそも法で、内心にかかわる「教育目標」を定めることは、憲法が保障する「思想と良心の自由」にそぐわないのではないか。中国や旧ソ連のような社会主義国を除けば、多くの先進国では「国を愛する態度」のような内心の問題まで国法では定めていない。教育目標に徳目を並べ、評価までするという日本の教育は、異質と見られるのではないか。
 「わが国や郷土を愛する態度」を自然にはぐくむことは、国民として大切なことだろう。「公共の精神」を身につけることも、社会生活を営むうえで欠かせない。それを法律に書き込み、子どもが学ぶ態度まで評価するとなると話は別だ。国による管理や統制が過度に強まる懸念がぬぐえない。
*法の名の下で行政介入も
 改正法で見逃せないのは、教育行政のあり方に関する条文の変更だ。改正前の基本法一○条は、教育は「不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負う」と定めている。戦前の国家統制への反省を踏まえ、行政の教育への介入を防ぐ役割を果たしてきた。
 改正法は、「国民全体に対し直接に責任を負う」という文言を削除し、新たに「法律の定めるところ」によって教育を行うと定めた。現場の教師はこれまで、「国民全体に直接に責任を負う」という条文があったからこそ、父母や子どもたちとともに、創意工夫のある教育活動を試みることができた。しかし、法改正によって、時の政府が法律や指導要領を決め、それに基づいて教育内容が厳密に規定されれば、教員は行政の一員としての役割を強いられる。教育法学者からは、政治や官僚の不当な圧力からの独立と自由を目指した当初の立法の趣旨が、法改正で逆転したという見方が出ている。
 文科省は教員評価制度の導入を一部の学校で始めている。制度の運用によっては、教師の仕事が国の決めた教育目標をどこまで実現したかという観点から評価されかねない。こうした問題をはらんでいたからこそ国民の間に懸念の声は強かった。東大が十月にまとめた全国アンケートでは、公立小中学校の管理職の三人に二人が「現場の混乱」を理由に改正に反対していた。ところが安倍首相は国会で「国民的合意は得られた」と繰り返した。政府のタウンミーティングでは、姑息(こそく)な世論誘導も明らかになった。
*施策の吟味が欠かせない
 「教育基本法は個人の価値を重視しすぎている。戦後教育は道徳や公共心が軽視され、教育の荒廃を招いた」 自民党内の改正論者は、このように基本法を批判してきた。教育現場は、子どもの学力低下やいじめなど多くの課題を抱えている。しかし、教育荒廃の原因は基本法に問題があったからではない。むしろ、文科省や教育委員会が、基本法の理念を軽視し、実現に向けた努力を怠ってきたのが現実ではないか。
 文科省は今後、改正法に基づき具体的な教育政策を網羅した「教育振興基本計画」を策定する。教育改革の名のもとに打ち出される施策の中身を、学校現場と父母は十分に吟味し、子どもの成長に役立つ施策かどうかを見極める必要がある。改正法の下での教育現場の変化を、注意深く見守らねばなるまい。


教育基本法 運用の監視が怠れない
信濃毎日新聞 2006年12月16日

 教育基本法の改正案が参議院の本会議で可決、成立した。戦後教育の背骨となった重要な法律が全面的に改定された。個人の尊重より公共の精神を優先し、国を愛する心を求める内容だ。反対が根強い中、論議を尽くさないままに成立したのは残念だ。今後、関連する法律の見直しが進められる。法律に何が盛り込まれるのか。学校はどう変わるか。国の動きをチェックする必要がある。
何より、子どもたちがより息苦しくならないよう、現場の声を上げ続けることが大切になる。
 「伝統と文化を尊重」「わが国と郷土を愛する態度を養う」「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度」-。改正法にはこういった「教育の目標」がずらりと並ぶ。憲法の理想を実現するには「教育の力にまつべきもの」として、個人の尊厳を重んじる現行法から、基本的な考え方が大きく変わる。規範意識を植え付け、国が期待するあるべき姿を押しつける方向に教育がねじ曲げられないか、心配になる。
<規律の重視だけでは>
 教育をめぐる問題は深刻だ。学ぶ意欲の低下、家庭や地域の教育力の弱体化など山積している。こうした問題を、政府は個の尊重や自由が行き過ぎたゆえに生まれたものだとする。根本的な改革のための、基本法見直しだと説明している。
 いまの教育を良くしたいという思いは国民の間に強い。ただ、そのために教育の理念を変える必要性は認め難い。政府の目指す方向と、学校現場や家庭が抱えている問題には大きなずれが感じられる。例えば、相次いで表面化したいじめにどう対応するかだ。いじめられた経験を学校などで語る、20代の人たちの話を聞く機会があった。「学校に行けない自分を悪い人間だと責めながら、行くなら死んでしまいたいと包丁を持った」「生きるのもつらいが、死ねないつらさにも苦しんだ」
過去を語ることは、死にたいほどのつらさを再び体験することにもなる。それでもいじめをなくしたいと、訴え続けている。彼らがそろって口にするのは、いじめる側を厳しく指導しても、解決にならないということだ。「なぜいじめるのか、自分の心に向き合わせる対応が大切」「先生は忙しく、子どもに接する時間が少なすぎる」「親や教師も絡んだ複雑ないじめの実態に、もっと耳を傾けてほしい」。こうした訴えは、どこまで国会に届いているのか。
 14日の参議院特別委員会で、安倍晋三首相は「相手をいじめる気持ちを自律の精神で抑え、教室で迷惑をかけてはいけないと公共の精神や道徳心を教える」と述べた。体験者の声とは懸け離れた理屈である。問題を深刻化しかねない。論議が不十分に終わった一因は、民主党にある。民主党の対案は前文に「日本を愛する心」をうたい、保守的な色合いは政府案よりむしろ強い。政府案が決まれば、どんなマイナスの影響があるのかといった問題追及が足りなかった。
<内心に踏み込む恐れ>
 改正法に基づき、政府は5年間の目標を定める「教育振興基本計画」を作る。関連法の改正や、学習指導要領の見直しも始まる。今後の動きに厳しい目を向ける必要がある。最も心配されるのは、子どもの内面に踏み込む方向が強まることだ。安倍首相は「内心の評価は行わない」としたものの、日本の伝統や文化を学ぶ姿勢や態度を評価することは明言している。評価の対象は「態度」だとしても、法律などで教育目標となれば、子どもに強制することになりかねない。通知票で「愛国心」を評価することに、どんな意味があるのか。
 かつて国旗国歌法の審議でも、日の丸掲揚や君が代斉唱を義務付けるものではないとの答弁はあった。しかし、現実には教職員への指導強化になり、自殺者まで出た。事実上の強制である。二の舞いは避けねばならない。第二の心配は、地域や学校の自主性が狭められることだ。教育基本法は、戦前の教育が国家のために奉仕する国民を育てた反省に基づいて生まれた。「不当な支配に服することなく」と、教育の中立性や自由をうたっている。
<改憲への岐路に?>
 改正法は教育行政について「この法律及び他の法律の定めるところにより行われる」としている。教育内容への国の関与は、強まると考えねばならない。学校の裁量や自由が狭められる心配が募る。学校も家庭も余裕がない。そんな中で、例えば「いじめや校内暴力を5年で半減」といった目標が掲げられたらどうなるか。現場はより息苦しくなる。子どもたちに徳目を押しつけるだけは解決にならない。そういった生の声をこれからも上げ、法の運用に目を光らせていく必要がある。
 教育基本法改正は、憲法改正にもつながる。自民党の新憲法草案は個人の自由と権利の乱用を戒めている。このまま、国の関与が強まる道を選ぶのか。岐路に立っていることを自覚しなくてはいけない。


教育基本法改正・懸念は残されたままだ
琉球新報 2006年12月16日

 教育基本法の改正案が参院本会議で与党の賛成多数で可決、成立した。1947年の制定以来、59年目にして初めて改定となった。教育基本法改正案は、衆院特別委員会、本会議でも与党の単独で採決され、参院でも与党単独での力ずくの採決となった。与党側は、審議は十分尽くしたとするが、果たしてそうだろうか。「成立ありき」の感がぬぐえない。国会での論議を聴いていても、高校の社会科未履修問題などに時間が割かれた。そのことは重要だが、なぜ教育基本法改正が必要なのか、改正で教育をどう変えていくのかなど、改正の本体を問う論議は少なかった。政府側の説明も不十分だった。
 教育が現在、解決すべき問題を抱えていることは、多くの国民の共通の認識だろう。しかし、その解決が教育基本法改正とどうつながるのか、政府、与党から明確な答えを聞くことはできなかった。教育基本法は、憲法と同じく戦後の日本の進むべき方向性を示してきた重要な法律だ。改正は慎重の上にも慎重を期して当然だ。教育は「国家100年の大計」といわれる。その理念を定めた基本法が国民合意とはほど遠く、数を頼みの成立では、将来に禍根を残すことになる。
 改正する理由について政府、与党は「個人重視で低下した公の意識の修正」や「モラル低下に伴う少年犯罪の増加など教育の危機的状況」などを挙げる。しかし、教育を取り巻く問題がすべて現行の教育基本法にあるとするのは、無理がある。安倍晋三首相は、いじめ問題などについて「対応するための理念はすべて政府案に書き込んである」と繰り返した。「公共の精神」や「国を愛する態度」といった精神論を付け加えることで果たして問題が解決できるのか。むしろ、現行法の最も重要な理念である「個の尊重」が、教育現場で本当に生かせるような枠組みづくりが必要なのではないか。
 教育と政治の関係も大きく変わる。現行法では「教育は、不当な支配に服することなく」とされているが、改正法では「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり」が付け加えられた。国会で多数をとって法律を制定させれば、教育内容に介入することも容易になる。教育が時の政権の思惑によって変えられることになりはしないか。改正法が成立したことで、政府は教育振興基本計画を定め、関連法案の改正に着手する。しかし、基本法改正への懸念は残されたままだ。政府は、計画策定などの論議の中で国民の懸念に十分に応える必要がある。


         国会閉会 将来恥じぬ議論したか
中国新聞 2006年12月20日

 安倍内閣が九月に発足後初めての臨時国会が閉会した。85日間の今国会では、「教育の憲法」といわれる教育基本法が制定以来59年ぶりに改正され、防衛庁の「省」昇格関連法もあっけなく成立した。戦後の教育の根幹や防衛政策が大きく転換する、曲がり角の国会になったといえる。しかし、重要法案の白熱した論戦があったか。政府の説明は全く十分でなく、民主党など野党の追及も迫力を欠く体たらくだ。国民に賛否があり、国の行く末を左右する法案に対して、今国会が将来の検証に恥じない丁々発止の議論をしたとはとても思えない。今国会は、安倍新内閣の国づくりの方向性とその実像を国民に示す機会だった。「改革、競争」一辺倒だった小泉前内閣の何を継承し、何を刷新するのか。だが、安倍晋三首相の打ち出す「戦後体制からの脱却」の必然性や真意は、多弁ながら明確ではなかった。
 改正教育基本法は、現行法が培った「個」の尊重から「公」重視に基本理念を急旋回させた。教育目標に「愛国心」重視の姿勢を掲げた。では、なぜ戦前回帰なのか、それによっていじめ自殺や各教委の無責任対応など混迷する現場が立て直せるのか。愛国心も個々に価値観が違うものを強要していいはずはない。社会情勢の変化を見据えた教育再生について、説明責任が果たせたとはいえまい。
 防衛庁の省昇格関連法にしても、国防権限が強化され、「付随的任務」だった自衛隊の海外派遣が「本来任務」に格上げになる。これまでの「専守防衛」を根本から覆しかねない重大な懸念をはらむ法案である。こうした安倍内閣の「危険ゾーン」への踏み込みをただせなかった民主党の責任は大きい。独自に提出した教基法改正案では、むしろ愛国心は自民党より色濃く盛られた。集団的自衛権でも一昨日まとめた「政権政策」で一部容認に踏み込むなど、自民党との対立軸が明確でない。対案を出しつつ攻め切れない小沢体制の弱さが、重要国会で露呈した形だ。考えてみれば、自民党復党問題に大義があったか。タウンミーティングやらせ問題、税制改正の企業優遇路線。民主党が攻める切り口は多々あった。それを生かせない野党第一党に、来夏の参院選で政権交代をかける力量があるか。
 昨秋の衆院選で自民党に圧倒的多数議席を与えた有権者も、今後の国の在り方を見極めたい。

【声明】新教育基本法制定に断固として抗議する

2007-01-10 20:54:42 | 教科書・教育基本法
▼▼【声明】新教育基本法制定に断固として抗議する

 政府・与党は12月15日、参議院で教育基本法政府「改正」案の採決を強行し、成立させた。私たちはこれを絶対に許すことはできない。
 この「改正」案は、日本国憲法の立憲主義に反し、時の政権が教育内容を規定し、統制することを自由にする違憲の法案である。それを、充分な国会審議もなく、数の暴力をもって強引に成立させた。成立過程においても民主主義を踏みにじるものであった。
 いま、なぜ教育基本法を改定する必要があるのか、改定によって教育の諸問題が解決できるのか、政府は何ら具体的な説明もしていない。改定を急がず、充分な国民的論議を求める世論を無視し、教育改革タウンミーティングで多額な予算を浪費し、「やらせ」によって教育基本法改定の世論をねつ造した。道義無き政府がこどもたちに道徳や規範意識をたたき込むと言い、愛国心を強要し、国に命を捧げさせようとしている。
 いま憂慮されている教育の諸問題は、かつての国家主義教育の強い反省から生まれた教育基本法を実現してこなかった政府の責任である。私たちは、子どもたち一人一人のための教育、子どもたちが自分で自分の人生を選びとる力をつける教育をめざしてきた。私たちは烈しい憤りをもって「新教育基本法」を否定する。
 政府は、早くも12月22日にこれを公布し、施行する。各学校の卒業・入学式において、「愛国心」の名のもとに教職員・児童・生徒ひいては市民に「日の丸・君が代」について敬意の表明や斉唱の強要を適法としたい意図が見える。私たちは、こうした思想・信条、表現の自由の侵害を許さない。私たちは、政府お抱えの教育再生会議の成り行きを注視し、今後急がれるであろう学習指導要領や関係法令の改悪、教科書をはじめ教育内容への介入を許さない取り組みをそれぞれの場で進めていく。国家教育への進行を阻止するとともに、私たち自身の教育を受ける権利を確かなものとし、こどもたちに平和で明るい未来を約束する努力を続けていくことを表明する。

2006年12月21日
               教科書・市民フォーラム(横浜市港北区)気付
               教育基本法改悪をとめる!神奈川実行委員会