かながわ平和運動推進委員会

神奈川県高等学校教職員組合の平和について考えるブログです。

集会報告 「パレスチナ、レバノンで何が起き、どうなっていくのか」

2007-01-06 15:06:07 | 平和通信vol149(2006/10)
集会報告

「パレスチナ、レバノンで何が起き、どうなっていくのか」
 
     主催:明治大学軍縮平和研究所・日本ビジュアル・ジャーナリスト協会

 「美しい日本」で登場した人物が隣国への「武力攻撃」も辞さない構えだ。この集会のテーマは突き詰めて考えると、国家間の紛争の解決手段として軍事力を認めるか、認めないかと言う問いかけだった気がする。
 10月8日明治大学で、明治大学軍縮平和研究所と日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)共済の集会に参加した。報告者は、大手メディアのジャーナリストがいない危険な地域で、カメラひとつで現地を取材している面々だ。豊田直巳、綿井健陽、古居みずえ、森住卓(当日取材のため欠席)、土井敏邦。
報告者の綿井は司会を務めた土井に「250席満席になったら、坊主にする」といったそうだ。正直、私も、「パレスチナ、レバノン」で人が250も来るのかと思っていた。しかし、参加者は238人。スタッフの席はなかった。しかも、もっと驚いたのは若者が多いことだ。
 マスコミで報道されない生の映像はそれだけで迫力はあるのだが、取材する側の真摯な姿勢が伝わって来る映像が4時間半という時間の長さを感じさせなかった。紙面がないので、土居が報告した「イスラエルの市民が今回のレバノン攻撃をどう見ているのか」について報告したい。イスラエル国民の92%が支持し、「勝てなかった」という今回のレバノン戦争だが、インタビューした市民のほとんどが、戦争の失敗は政府指導者にあるとし、戦略戦術上の失敗が敗因と考えている。一般市民の犠牲についても、攻撃すると言っているのに(実際ビラを空からばら撒く)逃げない市民が悪い。さらに、アラブ系のメディアの被害者の映像は捏造と誇張だと言う。イスラエルではアラブ人が被害に遭っているという報道は反イスラエル報道とされ、伝えようとするジャーナリストもパージされると言う情況があるというのだ。真実を見ようとしない、真実を見たくない。情報を受け取る側がそうなったとき、ジャーナリズムは何に依拠すればよいのか?
 他国の問題ではない。綿井がこんなことを話した。「レバノンの取材映像を何度もテレビ局に持っていくが、なかなか取り上げてくれない。レバノンのニュースになったとたんに視聴率が下がる」と言うのだ。見ようとしないのだ。一方、朝鮮人民共和国に対して、拉致問題以降、過剰なまでの報道だ。「核実験を実施した」と声明を出したことで、さらに、敵国「北朝鮮」キャンペーンが加速する。国連決議に反対などと誰も言えない。反日的とされるからだ。決議に賛成すると言うことは朝鮮の船舶を臨検するということだ。トラブルが武力衝突に、それをきっかけに、戦争を仕掛ける。仕掛けるのは必ず勝つというアメリカだ。そして、多くの市民が殺される。そうなったとき、破れかぶれになった指導者が核のボタンを押すことになるかもしれない。戦前追い詰められた日本がなにをしたかを考えてみればよい。報告者のひとり、豊田直己の「これだけ人が殺される現場を見て、やはり、武力では人は守れないんだ。」といった言葉が心に残る。             (敬称略)