かながわ平和運動推進委員会

神奈川県高等学校教職員組合の平和について考えるブログです。

集会報告 「パレスチナ、レバノンで何が起き、どうなっていくのか」

2007-01-06 15:06:07 | 平和通信vol149(2006/10)
集会報告

「パレスチナ、レバノンで何が起き、どうなっていくのか」
 
     主催:明治大学軍縮平和研究所・日本ビジュアル・ジャーナリスト協会

 「美しい日本」で登場した人物が隣国への「武力攻撃」も辞さない構えだ。この集会のテーマは突き詰めて考えると、国家間の紛争の解決手段として軍事力を認めるか、認めないかと言う問いかけだった気がする。
 10月8日明治大学で、明治大学軍縮平和研究所と日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)共済の集会に参加した。報告者は、大手メディアのジャーナリストがいない危険な地域で、カメラひとつで現地を取材している面々だ。豊田直巳、綿井健陽、古居みずえ、森住卓(当日取材のため欠席)、土井敏邦。
報告者の綿井は司会を務めた土井に「250席満席になったら、坊主にする」といったそうだ。正直、私も、「パレスチナ、レバノン」で人が250も来るのかと思っていた。しかし、参加者は238人。スタッフの席はなかった。しかも、もっと驚いたのは若者が多いことだ。
 マスコミで報道されない生の映像はそれだけで迫力はあるのだが、取材する側の真摯な姿勢が伝わって来る映像が4時間半という時間の長さを感じさせなかった。紙面がないので、土居が報告した「イスラエルの市民が今回のレバノン攻撃をどう見ているのか」について報告したい。イスラエル国民の92%が支持し、「勝てなかった」という今回のレバノン戦争だが、インタビューした市民のほとんどが、戦争の失敗は政府指導者にあるとし、戦略戦術上の失敗が敗因と考えている。一般市民の犠牲についても、攻撃すると言っているのに(実際ビラを空からばら撒く)逃げない市民が悪い。さらに、アラブ系のメディアの被害者の映像は捏造と誇張だと言う。イスラエルではアラブ人が被害に遭っているという報道は反イスラエル報道とされ、伝えようとするジャーナリストもパージされると言う情況があるというのだ。真実を見ようとしない、真実を見たくない。情報を受け取る側がそうなったとき、ジャーナリズムは何に依拠すればよいのか?
 他国の問題ではない。綿井がこんなことを話した。「レバノンの取材映像を何度もテレビ局に持っていくが、なかなか取り上げてくれない。レバノンのニュースになったとたんに視聴率が下がる」と言うのだ。見ようとしないのだ。一方、朝鮮人民共和国に対して、拉致問題以降、過剰なまでの報道だ。「核実験を実施した」と声明を出したことで、さらに、敵国「北朝鮮」キャンペーンが加速する。国連決議に反対などと誰も言えない。反日的とされるからだ。決議に賛成すると言うことは朝鮮の船舶を臨検するということだ。トラブルが武力衝突に、それをきっかけに、戦争を仕掛ける。仕掛けるのは必ず勝つというアメリカだ。そして、多くの市民が殺される。そうなったとき、破れかぶれになった指導者が核のボタンを押すことになるかもしれない。戦前追い詰められた日本がなにをしたかを考えてみればよい。報告者のひとり、豊田直己の「これだけ人が殺される現場を見て、やはり、武力では人は守れないんだ。」といった言葉が心に残る。             (敬称略)
                         

 日本のイラク戦争は終わっていない ②

2007-01-02 14:02:54 | 平和通信vol149(2006/10)
イラク内戦と報道
          日本のイラク戦争は終わっていない ②

イラク戦争で日本のマスコミが報道しないこと              

 アメリカの侵略戦争~侵略と言う言葉は使わない。

 ブッシュの戦争の理由は「イラクの大量破壊兵器の保持」。国連はイラクでの査察継続を訴え、多くの国も戦争に反対した。周知のとおり、後に「大量破壊兵器はなかった」ことが明らかになり、アメリカも認める。世界でもっとも大量破壊兵器を保持しているのはアメリカである。反米であると言うことで、「大量破壊兵器」を保有していると言う可能性や憶測だけで、先制攻撃したのだ。たとえイラクの大量破壊兵器を保持していてもそれがアメリカにどのような直接的な脅威があったのだろうか。このことだけでもアメリカの侵略戦争であったことは明らかだ。しかし、日本のテレビ、大手の新聞で「侵略」という言葉を使ったことを見聞きしたことはない。
さらに、「大量破壊兵器がない」となると、ブッシュはフセインが「イスラムテロ組織・アルカイダと関係がある。」と言い出した。しかし、これもなかったことが判明すると、今度は「それでもイラクはアメリカにとって脅威だった」と言う。ならば、「アメリカが脅威を感じたときは戦争を仕掛けることがある」と公言したということだ。
一方、ブッシュの「確たる証拠がある」という情報については、当時の日本の国会でも議論があった。真っ先にこの侵略戦争に支持を表明し、戦時下に軍隊を派兵した小泉を批判することはなく、彼の開き直りとも言うべき国会答弁は面白おかしく伝えるのだ。日々、罪もない人が殺されているのにである。この侵略戦争に加担しているにかかわらず、NHKはじめテレビは何回も何回も「自衛隊のイラクの復興支援活動」と宣伝する。


石油のための戦争ということ                        

 イラクに石油がなかったら、イラクは攻撃されなかっただろう、と言われる。1998年OPECのデータによると、イラクの原油生産量は1日当たり218万バレル(世界原油の3.3%)世界11位であるが、石油埋蔵量はサウジアラビアについで世界第2位。当時の水準で生産しても140年は採掘でき、これは世界一位だ。しかも、良質で安価で砂漠地帯にはまだまだ優良な油田があるとも予想されている。しかも、チェイニー副大統領(当時)始め、政権内には石油関連企業の責任者も多数いたのだから、イラクは最高のターゲットだった。

 1991年の湾岸戦争後、国連の厳しい経済制裁を受けたイラク。乳児死亡率10.8%、5歳以下の死亡率13.1%、1991年からの5年間で100万人が死亡その大半が子供と言う。それでも、フセイン政権を支えたのは豊富な石油資源だった。湾岸戦争後、イラクの油田利権を獲得した国はフランス、ロシア、中国、イタリア、スペイン、オーストラリア、インド、インドネシアなど10カ国を超える。もちろんアメリカとイギリスは油田の利権を獲得できなかった。

 占領後、無政府状態の中でも、石油施設だけはアメリカ軍の厳重な警備下に置かれた。しかも、占領軍の石油部門の顧問団のトップは、元ロイヤル・ダッチ・シェル米国法人社長のフィリップ・キャロルが就任した。2003年5月のブッシュの戦争終結宣言の前4月末に、すでにイラクの主要油田のひとつキルクーク油田で、米軍の手によって原油生産が再開され、その後、2ヶ月もたたないうちにイラクの原油が輸出された。全くイラクに石油利権を持たなかったアメリカがイラクの石油の生産、輸出をコントロールすることになったのだ。
2003年12月9日ブッシュは全世界にこう言う。「われわれは(アメリカ、イギリス)は戦争と言う代償を払った。復興はわれわれがする。」と。言い換えれば、「戦争で獲得したものは自分たちのもの。戦争に反対した国には渡さない。」と公言しているように聞こえる。
アメリカにとってイラクは石油なのだ。アメリカの当初の計画では石油生産を戦前水準の日量200万バレルにまで「復興」させる計画だった。原油価格が1バレル当り約30ドルとすると、その生産額は1日当り6千万ドル(70億円)を超える。1日70億円。年間に直すと2兆6千億円。CPAのブレマーは「イラクは今年末までに約50億ドル分の石油を売却するが、手数料や湾岸戦争の賠償金の名目でまずアメリカがその3割、15億ドルを収奪する。残り35億ドルも、開発事業を賄う基金に預託する。」と2003年6月米紙に語ったと言う。
イラクの戦後復興の利権は石油だけではない。戦争で破壊されたインフラの整備もまた大きな「ビジネスチャンス」なのだ。これも戦争終結宣言前の2003年4月中旬、アメリカ国際開発庁はイラク復興の中核をなすインフラ整備にアメリカの建設大手企業ベクテルに発注することを決めた。一年半の契約で総額は6億8000万ドル。イラクに投入された「復興資金」は、米系多国籍企業に流れるシステムができあがっている。

ベクテル社

 世界60数カ国でプロジェクトを展開するアメリカの大手建設会社。共和党への献金は1999年から4年間で76万5504ドルの大スポンサーだ。イラク戦争で最も利益を上げた企業である。社長はイラク戦争1ヶ月前2003年2月、ブッシュ大統領の輸出諮問委員会の委員長に任命され、中東地域の「市場経済化」を推進する任務を与えられた。イラク戦争開戦時の顧問がG・シュルツ。レーガン政権時代には国務長官。「ネオコン」のリーダー的存在で2002年「イラク開放委員会」の議長を務め、フセイン政権に対する武力攻撃キャンペーン活動を展開した。
                                       (出展:『週刊金曜日483号』)

復興支援というが                               
 派兵当初から自衛隊が行くより、NGOの方が同じ予算で何十倍の復興支援が可能で、武器を携えた支援活動はNGOの活動も危険になる可能性があると多くのNGOが指摘した。

 マスコミは自衛隊のサマワ撤退にあたって、「サマワで7割が自衛隊の活動を評価」とする記事を大きく報道した。この報道のイメージは絶大だ。およそ800億円は投じたと思われる今回の派兵にはさまざまな問題があっても、現地で評価されているから良かった。という最大のPRである。
アンケートはサマワに日本人記者はいないので、現地のメディアと協力で実施したとされる。この結果がまったく虚偽とは思わない。事実、ひとりの被害者や加害者を出さず、派兵当初の給水活動や破壊された施設の補修、さらに医療機器の提供など800億円も掛けて評価されないわけがない。報道すべき大切なことは、それにもかかわらずどうして次のようなことがあったのかということの検証である。まず、自衛隊は日を追って、基地外で活動することが危険になり、宿営地内外合わせて、13回も迫撃砲で砲撃されたのはなぜかということ。イギリス軍、オランダ軍、地元の警察に守られていたのにである。後半の自衛隊は宿営地から出て、活動することはほとんどできなかった。撤退時には宿営地の後の地権をめぐって、イラク軍と地主が対立、発砲事件まで起きて、自衛隊は秘密裏に撤退したのだ。
アメリカの侵略戦争に加担したと受け止められたからではないのか?そう、事実、加担している。アメリカの掃討作戦は続き、自衛隊派今、要因、物資、おそらく兵器も輸送している。それを報道しない。

 アフガニスタン
 
 最近になって、ようやくアフガニスタンの記事が増え始めた。
ブッシュの「テロとの戦争」の幕開けが、アフガニスタン攻撃だった。ビン・ラディンを匿っているとして、9.11報復戦争を仕掛けたのだ。世界中でこのような戦争ができるのはアメリカだけだ。犯罪者は警察によって検挙されるべきだ。それが国際的な犯罪なら外交で解決されるべきだ。もし、アメリカの戦争で解決する論理が正しいと言うなら、亡命したフジモリ大統領を受け入れた日本はペルーに攻撃されかねない。

 それはさて置き、アフガニスタンはついこの間まで、タリバン政権以後、女性の社会進出や民主化など、カルザイ政権のもと順調な国内情勢が報道されていた。2002年、新政権が発足し、カルザイ大統領も日本にやってきた。内戦状態になって、初めて伝えられる。つまり、我々はアメリカの「対テロ戦争」がうまくいっていると言う部分だけ報道されていたということではないだろうか。
もうひとつ忘れてならないのは、このアメリカの侵略に加担するインド洋での海上自衛隊の活動は今でも継続されている。防衛庁の資料によると今年9月20日までの実績は艦艇用燃料補給回数678回(うち330回がアメリカ)総量約45万kl、ヘリコプター燃料補給回数49回〈うち27回がアメリカ〉740klである。

自衛隊の経費は

 2005年11月4日 内閣総理大臣小泉純一郎 の 衆議院議員阿部知子提出イラク特措法に基づく陸上自衛隊の活動等に関する質問に対する答弁書より

 法に基づく対応措置の実施に係る所要経費のうち、現段階で集計が終了している平成十七年七月三十一日現在の実績は、次のとおりである。
 陸上自衛隊に係る所要経費は約四百八十八億円であり、その内訳は(組織)防衛本庁の(項)防衛本庁として約三百六億円、(項)武器車両等購入費として約七十八億円、(項)装備品等整備諸費として約百四億円である。
 海上自衛隊に係る所要経費は約五億円であり、その内訳は(組織)防衛本庁の(項)防衛本庁として約二億円、(項)武器車両等購入費として約一億円、(項)装備品等整備諸費として約一億円である。
 航空自衛隊に係る所要経費は約八十五億円であり、その内訳は(組織)防衛本庁の(項)防衛本庁として約三十億円、(項)武器車両等購入費として約十六億円、(項)装備品等整備諸費として約三十九億円である。

 平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法(平成十三年法律第百十三号)に基づく対応措置の実施に係る所要経費のうち、現段階で集計が終了している平成十七年九月三十日現在の実績は、次のとおりである。

 海上自衛隊に係る所要経費は約四百三十二億円であり、その内訳は(組織)防衛本庁の(項)防衛本庁として約三百三十五億円、(項)武器車両等購入費として約二十三億円、(項)装備品等整備諸費として約七十四億円である。
 航空自衛隊に係る所要経費は約十七億円であり、その内訳は(組織)防衛本庁の(項)防衛本庁として約千万円、(項)装備品等整備諸費として約十七億円である。


イスラエルのレバノン侵攻とパレスチナ

 9.11でアフガニスタンに戦争をした同じ論理でイスラエルはレバノンの「ヒズボラ」を攻撃した。実際に攻撃されたのは大多数の市民と子供たちだ。その日の朝日新聞の夕刊の一面トップは秋田県の女性が子供を「殺した」とされるという記事だった。他の多くの新聞もである。

 注目したいのは、レバノン侵攻後、直前まで報道された、イスラエルのパレスチナへの攻撃の記事はなくなった。レバノン南部のヒズボラが拘束した2人のイスラエル兵の救出を名目にしたレバノン攻撃、国際社会の目がレバノンに向いているとき、それと同時進行している同じイスラエル軍のガザでの武力攻撃は、何一つ私たちには伝わってこない。

 パレスチナでは日々、パレスチナ人が殺されている。被害は日常化しているのだ。それでも、報道されることはほとんどない。一方、イスラエルで「テロ」があって、被害者が出たことは報道する。「テロ」の後にはイスラエルの報復攻撃が何倍、何十人の市民を殺しているのだが、それはあまり伝えられない。日常化されることはニュースではないということか。

 パレスチナではハマスが選挙によって、政権をパレスチナ人から付託された。長期化したファタハ政権下で、いつまでも続く、イスラエルの攻撃と日常的な生活を常に奪われる現状。さらに、ファタハ内部の腐敗。イラクで行われた選挙と比べ物にならないほどの民主的な選挙の結果であったと考えられる。ところが、ハマスは「武装組織」という宣伝をされ、欧米はパレスチナへの人道支援を中止した。日本もである。この結果、占領下でただですら厳しいパレスチナ人の生活はどうなっているのか?ハマスは武装組織なのか?国際的な支援がなくて、今、パレスチナ人はどれだけ、危機に瀕しているか。マスコミは報道しない。水平線のかなたの子供たちの死が、本当は私たちも関与しているのに、私たちの関心事はある母親が娘を殺害したかもしれないと言う、自らになんら関係のない事柄ということなのだろうか。

自衛隊員の生の声が伝わってこない

 3年6ヶ月、第10次に及んだ自衛隊の派兵。陸上自衛隊が600人、航空自衛隊が200人、合わせて、800人が10次というから、単純計算すると8000人が派兵されたことになる。8000人もいて、彼らの声が何一つとして伝わってこない。現地取材が全くできなかったマスコミであるから、イラクの派兵を検証する上でも、現場で何が起き、そのとき隊員たちはどう行動し、何を感じたのか?公務員の秘守義務を根拠に、当局が厳しい緘口令を敷いているのは想像に難くない。だからこそ、マスコミは彼らの本当の声や思いを伝える必要があるのではないか?

 2004年から2005年夏まで、約1年半の間に、イラク派兵の陸上自衛官が3人も自殺していることが、今年の3月明らかになった。そのときの陸上幕僚広報室は次のようにコメントした。「3人の自殺がイラク派遣によるものかは分からない。プライバシーの問題もあり、詳細は明らかにできない。」と。プライバシーの問題もあろう。しかし、なぜ自殺したかを把握できなくて、どうして対策が立てられるのか?兵隊の命を粗末にする、これも日本軍の伝統なのだろうか。

記者が居ない                                 
イラクが「内戦」状態となって、日本のメディアは一斉に記者を引き上げさせた。それでも、危険承知で取材活動を続けたジャーナリストは・・・2004年5月27日、日本人ジャーナリスト橋田信介と小川功太郎は殺害された。武装グループによる犯行と報道されたが、本当のところは分からない。彼らをねらっているのは、現地の武装グループだけではない。もっとも報道されたくない国は、皮肉にも「世界中に自由と民主主義を」と公言するアメリカだ。事実、アメリカ軍は記者のいるホテルに砲撃したのだ。アルジャジーラの記者はアメリカ軍によって殺された。アメリカは一貫して、誤爆と言う。そんな状況下で、バクダットから中継で報道されるNHKの記者の姿は異様と言うしかない。ホテルから出られない。それでも取材しているように報道する。
本誌発行の神奈川高教組は継続してイラク現地報告会を実施してきた。高遠菜穂子さん始め、数名の方に講師をしていただいたが、講師の一人、2004年のファルージャを取材されたジャーナリストの土井敏邦さんの著書(「フォトジャーナリスト13人の眼」)にこんな一文があった。「私がバクダッドから送ったその映像や文章は、『スクープ』として日本のテレビや雑誌で伝えられた。ジャーナリストの本分をいくらか果たせたような気がした。しかし、帰国後、『ファルージャ 2004年4月』というルポを読んで愕然とした。それは、まさに米軍の猛攻撃のなか、(中略)負傷者の救援と遺体の収容のために奔走した英国人平和活動家たちの記録だった。〈中略〉少女の首からどくどく流れる血、射抜かれた心臓が飛び出し、胸が空洞となったまま路上に放置された老人の遺体〈中略〉ジャーナリストの自分がなぜ、平和活動家が入れたその現場にいなかったのか。〈中略〉過酷な情況のなかで呻吟する底辺の人々の、声にならない『叫び』に耳を澄まし、伝えていくこと---それこそがジャーナリストとしての自分の役割だと思っている。その民衆のうめき声を聞き取れる距離に自分の身を置くことができないなら、ジャーナリストとして私は失格である。」と。

カタール放送局アルジャジーラ爆撃

 2001年11月、アフガニスタンの首都カブールのアルジャジーラ事務所を爆撃。2003年4月、イラクのバグダッドにあるアルジャジーラ事務所を爆撃し、タリク・アユーブ特派員を殺害している。アメリカは攻撃の意図を否定しているが、イギリスのミラー紙は2005年11月22日付で、ブッシュ大統領が2004年4月16日の米英首脳会談で、ブレア首相にカタールのアルジャジーラ本社の爆撃計画を伝えたと報じた。2006年1月、イギリスの治安判事裁判所はこのときの機密メモを持ち出した元内閣府の職員と当時労働党の議員の元調査員を機密保護法違反容疑で予備審問にはいるとした。(2006年8月「赤旗」の記事参考)
〈特集終わり 敬称略〉

日本のイラク戦争は終わっていない ①

2007-01-02 13:59:28 | 平和通信vol149(2006/10)
イラク内戦と報道
          
日本のイラク戦争は終わっていない ①

「一発の銃弾も発せず、一人の死者も出さずに帰国したことは日本国民、イラク国民にとって長く記憶に残る」7月29日、首相小泉純一郎のイラクから撤退した陸上自衛隊部隊の隊旗返還式での誇らしげな発言である。マスコミも自衛隊の「復興支援」の成功を宣伝し、日本のイラク派兵は終了したかのように報道した。しかし、陸上自衛隊が撤退する一方、航空自衛隊は米軍の軍事作戦の支援を継続し、最も危険な都市、バクダッドまで新たに派兵された。さらに、8月21日にイラクに向けて、小牧基地から派兵された航空自衛隊の第2陣200名は、バクダッドからのイラク北部のカルバラまで、軍事支援の範囲を広げた。
「イラク復興支援」の名の下に、米軍の要員や物資・兵器の輸送を「戦闘地域」に送る。国民に知らされず、アメリカのイラクの侵略戦争への参戦は続いている。

  内戦のイラク                                             
「自衛隊が派遣される地域は戦闘地域ではない」これが派兵前からの政府の建前だった。2003年5月、ブッシュはイラク戦争の終結を宣言した。ところが、終結宣言とは裏腹に、イラク民間人の死者は増え続けた。当初は米軍による攻撃や掃討作戦が、そしてアメリカの占領政策が次から次へと失敗するに連れて、スンニ派とシーア派の宗派間抗争の被害者も急増し、今では毎月1000人以上の民間人が命を落としている。
今年8月1日、アメリカ国防総省でさえ、議会に提出するイラク情勢報告で、「内戦につながりかねない状況にある」と認めている。さらに、その中で、「イラク国内の暴力行為は、単一に組織化・統一された反対派や武装勢力のものではありえず、治安情勢は現在、イラク自由作戦の開始以来最も錯綜している」とし、「民族・宗派間抗争の継続がイラクの安全と安定にとって最大の脅威」としている。
9月18日、国連のアナン事務総長も国連本部で開かれたイラク支援のための国際会合で、「もし現在の排斥と暴力のパターンが継続するなら、イラクの国家が崩壊する重大な危機があり、全面的な内戦に陥る可能性がある」と警告した。「身元不明遺体や、その属する宗派を理由に虐殺された遺体はバクダッドで4月だけで1091人にのぼる」2006年5月10日の、イラクのタラバニ大統領に声明である。バクバッドでは毎日、頭部を撃たれたり、拷問の傷の跡がある遺体が見つかると言うのだ。アメリカ国防省の認識どおり、これは「民族・宗派間抗争」が背景にあることが物語っている。この情況は「内戦」と言えるのではないのか。

 いったい被害者はどのくらいいるのか。マスコミでもよく登場するイラクでの民間人の死者を集計している欧米の市民組織「イラク・ボディカウント」によると、2003年3月に始まったイラク戦争から2006年9月現在までのイラクでの死者は約46000人。次ページのグラフに見られるように、ひと月あたりのおよその死者は2003年が400名、2004年は600名、2005年は1000名を越え、今年になって、1200名と増加の一途をたどり、今では毎日40人が殺されていることになる。手や足を失ったり、その負傷者の数は計り知れない。そして、そんな膨大な死者の数の数倍の遺族の悲しみが一人一人にあることを想像しなければ、ことの悲惨さは理解できない。13万を越える米軍も治安維持が不可能な状態にある。バクダッドを始め、イラク各地で日常化している爆弾攻撃のターゲットは米英を中心とする占領軍だけではない。米英の傀儡とみなされたイラク政府機関にも広がっている。いずれにせよ、被害者の多くは、何の罪もない一般の人々だ。被害者はそれだけだろうか。
 
 忘れてはならないのは13万人の米軍は治安維持部隊ではない。2004年の2度に及ぶファルージャでの虐殺に見られるように、「テロとの戦争」を遂行するための反米勢力すべてを掃討するための占領軍と言うことだ。掃討作戦で死傷する市民は計り知れない。それが、次の暴力をうむ。今のイラク市民は米軍の掃討作戦、宗派・部族間の抗争、そして無政府状態という三重苦の恐怖のなかで、生きている。それでもイラク戦争を支持する人はフセインの恐怖よりましだ。と言うかもしれない。確かに、フセイン政権はクルド人虐殺など、国際的な人権団体アムネスティ・インターナショナルも報告してきたように、その恐怖政治は有名である。それは許されることではない。問題は彼がいなくなったあと、恐怖政治はなくなったが、日々人が殺され、日常的恐怖が蔓延した無秩序な内戦状態になったと言う事実だ。この状態を作ったのは誰か?支援しているのは誰か?この状態を予想なかったのか?もっとも予想しなかったのはブッシュ政権の人々ということか?。



本当に内戦は想定外だったのか                     

 イラクの内戦状態を2003年に、すでに警告していたのはアジア経済研究所の酒井啓子だ。フセインが優遇したスンニ派に変わって、多数派のシーア派が政治を主導していくと、権力関係が逆転し当然宗派対立が発生する。宗派の対立だけではない、クルド人などの問題もある。フセインが徹底的に弾圧し、虐殺したクルドの民族問題も表出する。イラクの戦後は相当複雑化する。ブッシュは「パンドラの箱を開けた」ということだ。
事実アメリカの占領政策は2003年当初からつまづきの連続だった。アメリカの支援を受けていた亡命イラク人に主導権を持たせようとしたことの失敗から始まり、現在まで。2003年6月1日、連合国暫定当局CPAが戦後統治を開始し、その代表者にポール・ブレマーが任命された。文民をイメージさせたのだ。テレビ画面にいつも登場した背広とネクタイ姿の人物である。その彼が2004年6月、CPAの解散にともない、帰国するとき、やはりいつものネクタイにスーツ姿だった。しかし靴は軍用靴。その映像はテレビでも報道された。一刻も早くバクダッドを離れたい、身の危険を感じたのかもしれない。ブッシュがバクダッド入りしたときも、現地の誰にも知らされないトップシークレットだったという。内部に通報者がいるかもしれない。イラク人は信用できないのだ。それらはアメリカの占領政策の失敗の象徴のようである。
極々単純に考えたとして・・・。イスラム教徒の宗派別で人口構成をみるとシーア派の多い国はイランだ。イラクもスンニ派よりシーア派が多い。フセイン政権はスンニ派の政権で、重要ポストからシーア派を排除し、スンニ派が独占していた。1979年以来10年以上にも及ぶ、イラン・イラク戦争ではアメリカはシーア派イスラム共和国の革命がイランから波及させないために、フセインを支援した。今でも、アメリカの次の戦争の最大のターゲットはイランだ。フセイン後に、イラクにシーア派主導の政権ができると言うことは、反米、親イラン国家と言うアメリカにとって最悪のシナリオとなる。
事実、イランからのシーア派政党への資金援助、国境地域での親イラン民兵への軍事的経済的援助や、10万人単位のイラン要員のイラクでの活動など、イランの影響力は相当大きくなっていると言う。それがさらに、宗教間の抗争に拍車を掛けている。

 アメリカは、そんなイランの存在がイラク支配にもっとも脅威となることから今後さらに、イランへの圧力を強めていくだろう。自らイラク戦争を開始して、泥沼化した情況の原因をイランにあると、責任を転嫁し、戦争を仕掛けるということになれば、これはイスラム教をなくすまで戦うと言う終わりなき戦争となる。それはアメリカにとっての石油とイスラエルを「守る」ための戦いなのだ。

 内戦はアメリカの占領政策が作った。

 戦争前までは、イラクでは異なる宗派間の結婚も普通のことで、諸共同体は共存していた。ブレマーの基本法が宗教や民族に基づく共同体を社会・政治秩序の基盤に据える考えを導入し、国の構造を変えた。統治評議会の構成から軍隊、警察、行政と、国のあらゆるレベルでシーア派,スンニ派、クルド人、トルクメン人がそれぞれ何割と割り当てられた。米国はシーア派とスンニ派を敵対させるよう、宗教的な民兵を経済的、軍事的に援助し、各地に送り込んでいる。ペンタゴンは、民兵や暗殺団のために2004年度に900億ドルを投入している。・・・こうした民兵は、内務省傘下で超法規的な逮捕、監禁、拷問を組織化する死の部隊と繋がっている。
(2006年8月「世界」より要約 アブドゥル・ジャバル・アル・クバイシ氏へのインタビューから クバイシ氏はイラク愛国者同盟代表で、反占領の言論活動で米軍に逮捕された経歴を持つ)

 イランイラク戦争
 
 イランは1979年、イラン革命によって、親米政権のパーレビー国王が倒され、シーア派の宗教指導者ホメイニのもと、イスラム共和国となった。中東に反米イスラム国家が出現したのだ。石油利権がからむ重要な中東でアメリカにとって、反米イスラム革命の封じ込めは最重要課題といえる。1980年9月、フセイン政権のイラクの攻撃で始まったイランイラク戦争。1990年に停戦となる10年以上の戦争で双方の被害者は100万人を越えるといわれている。この間、一貫してアメリカはフセインのイラクを支援し続けたのだ。

 余談だが、この戦争中、ほとんどの中東諸国がイラクを支援した。イランを支援した国もある。シーア派が多く、イスラム重視政策を取っていたシリア、反米ではトップキャスターだったカダフィ大佐が政権を握るリビア。もうひとつ意外な国がある。それはイスラエルだ。 

 ブッシュは60年前の日本の占領が日本を民主的国家にしたと言う成功例をイラクに重ね合わせたと言う報道もある。もし、本当にこれが、世界を支配している国家の指導的立場に居る者の考えなら、呆れるばかりだ。60年前のイラクと日本では恐怖政治と独裁と言う面では同じだが、戦争前の情況が全くちがう。日本はアメリカとは4年足らず、アジアとは14年、続いた戦争で、贅沢は敵と言われ、食料は配給制、国民は疲弊していた。しかし、国民は公民科教育の中で天皇のために死ぬことが名誉とされ、死を意識して生きていたのだ。私の母に以前、終戦の日のことを聞いたことがある。「泣いたんか?」「泣けへん。明日から空襲がないんかとほっとしたわ」と。イラクはどうか。湾岸戦争後の経済制裁にもかかわらず、世界第2位の埋蔵量の石油を糧に国力を回復し、インフラも整備され、女性の社会進出も中東で最も進んだ国家のひとつだ。ひとつだった。
アメリカはフセインの国内での人権侵害が背景にあるため、圧制からの解放者として、広く受けいれられると考えたというのは想像に難くない。40日間で終わった戦争はその希望的観測を確信にしたかもしれない。イラクの市民もフセイン独裁政権が崩壊し、自由と民主主義を標榜する国家に期待した国民は少なくなかっただろう。石油があり、外貨もある豊かなイラクで、仕事がない、子供が学校にも行けない、女性が町を歩けないほど治安が悪化し、生活できなくなった現状に対する矛先がどこに行くかは明らかだ。しかも、アメリカ企業が復興を独占し、石油利権をおうとしているのだから。

日本の首相だけは批判に曝されなかった?何故?          

 アメリカの戦争に、早くから支持し参戦したイギリス、イタリア、スペインの首相らは次々と支持率を低下させていった。しかし、小泉だけは違っていた。もっとも、戦死者を出していないことも、他の国と大きく違うが、「自衛隊広報」しかメディアが伝えないことも大きな要因である。
2003年1月、陸上自衛隊の先遣隊を待っていたのは約100人の報道関係者だった。2月末、本隊が到着して、3月の給水活動や公共施設の補修の様子が大きく報道される。このときのことを共同通信記者・石坂仁は「先遣隊が設定した『話題づくり』をしているだけで一日を終わってしまうことが多く、そんな記事でもかなり大きく掲載されているのを見て、『これでもいいのかな』と勘違いしそうになったこともあった。」と記している。(『世界』2006年8月号)情報発信者が勘違いしそうという報道を何回も聞かされた多くの国民はどうなるのだろう。
派兵当初の3ヶ月は自衛隊の活動PR期といっていい。しかし、バクダット始め、イラク全体の情勢は次第に混沌としてくる。2003年4月、サマワでも宿営地近くに最初の迫撃弾攻撃があった。そして、日本人3人の人質事件が起こる。「自衛隊の撤退」が人質解放の条件という、政府にとって想定外の事件である。この事件を期に(利用して)記者の安全確保という名目で、一部の記者を宿営地に「保護」し、記者たちは自衛隊の装甲車と航空自衛隊の輸送機でサマワを追い出す。
死者を出さないことが政治的な最重要事項であった政府・防衛庁は「隊員の安全確保」という名目で報道規制を要求する。結局、2004年3月11日、報道側は報道規制を受け入れた。取材について、取材申請を行う。さらに、「情報の取り扱いに関する事項」の中に「安全確保等に悪影響を与える恐れのある情報については、防衛庁または現地部隊による公表または同意を得てから報道します。それまでの間は発信および報道は行われません」とされている。安全確保等に影響を与える項目として10項目も挙げ、自衛隊の部隊の配備や各部隊の人数や実際に活動する人数、将来の行動計画など、ほとんどが「検閲」を受けるということだ。これを「大本営発表」というのであるが・・・
2004年10月、宿営地をねらった7回目の攻撃はロケット弾が宿営地内に着弾するものだった。しかし、このころには大手メディアの記者たちは姿を消していた。イラク報道はフリーのジャーナリストしか発信できなくなり、その後、フリーのジャーナリストも殺害され、私たちにはまさに自衛隊については「大本営発表」しか知らされなくなった。
NHKのニュースは自衛隊撮影の映像を繰り返し流す。戦時中の記録映画のようである。NHKはご苦労にもバクダッドの町を背景にして、記者が現地の様子を報道する。記者自らが街中を取材したものではないだろうに。バクダットにいなくてもつかめる情報を発信するのである。自衛隊と同じである。何をしたかより、そこに居ることに意味があるのだ。真実味のある情報だと思わせる効果が。問題なのは、リアルタイムで流されるその映像について、見る側が「大本営発表」という意識があまりにも希薄だということだろう。

日本の役割
 
 イラク国内で何が最も日本に望まれているか、といった根源的の部分が精査されないまま「自衛隊の派遣」ということ自体が対米公約のごとくに扱われて「派遣ありき」というかたちで進められていったことの問題点は、改めて問い返えされるべきであろう。確かに戦後のイラクの混乱に対して、国際社会が何らかの形でこれを正常化の方向で支えていくことは、必要である。急務といってよい。だが問題は、この混乱が軍事力で解決すべき問題なのかどうか、ということである。・・・日本がになう役割はどこにあるのか?・・イラクにおいてこれまでに日本が構築していたイメージとは、あくまでも経済大国としての日本であり、民間企業の技術力である。・・・イラクでは現在、外国軍はすべて「占領軍」と見なされる環境が形成されつつある。・・・「(外国の)兵隊たちに「止まれ」と制止されるような」なかで、イラク人たちは「ここは自分の土地なのに」と反発を強めていく。・・・日本に対するイラク人の期待が高い分だけ、イラク人の失望もまた深いものとなろう。
〈岩波新書「イラク 戦争と占領」より抜粋
       酒井啓子著2004年1月発刊〉


 12月の国民議会選挙の投票率は7割と報じられたが
選挙登録や投票率の不正もある。シーア派、スンニ派、クルド人などが共存するバクダッドの選挙区では、不正を避けるため各共同体が自主的に監視を行い、投票率は18%だった。これが現実的な数字だろう。モスル近郊ではクルド人が投票用紙で一杯になった投票箱を投票所に持ち込んだことが発覚している。まず、技術的に問題があった。「民主選挙」の国際監視団はわずか20人。監視団も運ばれてくる投票箱の監視方法がないと認めている。
(2006年8月「世界」より要約 アブドゥル・ジャバル・アル・クバイシ氏へのインタビューから クバイシ氏はイラク愛国者同盟代表で、反占領の言論活動で米軍に逮捕された経歴を持つ)




「マスコミ信じられますか?」

2006-12-17 16:37:02 | 平和通信vol149(2006/10)


              神奈川高教組第49次教育研究集会・平和分科報告
    
     「マスコミ信じられますか?」

 10月28日、神奈川高教組教研集会が横浜平沼高校で開催され、午後の平和教育分科会に参加した。この分科会では「マスメディア、信じられますか?」をテーマにパネルディスカッションが行われた。参加者は、組合員以外の2名を含んで11名。パネリストは商工高校の小島浩介氏、元執行委員の吉村博氏、そして元神奈川新聞記者でフリージャーナリストの池添徳明氏。
 小島氏は「マインドコントロール by TV」というテーマで、テレビは新聞と比べると桁外れに影響力があると分析した。また、最近のイラク報道・朝鮮人民共和国問題・市民運動弾圧事件などでの、テレビ報道の偏りへの言及があった。
 吉村氏は、「マスメディアをどうとらえるか」がテーマであった。まずマスメディアには、『民主主義』達成の道具と、大衆支配の道具であるという二面性を持つことが示された。新聞報道については全国紙を比較し、警察のリークをそのまま掲載している新聞が多いことが分析された。
吉村氏が注目するのは新聞・テレビの二大マスメディア以上の影響力を持つに至ったインターネットと携帯電話である。インターネットは10億人が使用し、携帯電話に至っては20億人になろうとしているという。携帯+ウエッブで同時性の情報が手に入れられる。ブログが急速に増え、さまざまな情報が発信されている。例えば、靖国問題で検索すれば390万件の情報がヒットする。しかし、90%の人は上位の30件ぐらいまでしか見ない。そこに大衆操作の仕掛けをつくる事が可能になる。我々も、こちら側から積極的に情報を発信することが必要になっている。
 池添氏は「ジャーナリズムの現場から」というテーマで、記者時代に手がけた事例をあげながら、新聞社を退職してフリージャーナリストになった経緯を話された。話の中で、若手の記者が社を辞めるのは、やりたいことができない、上司が記事を受け入れてくれないなどの理由があるとのことだった。また、ジャーナリストとしての「志」を持ち続けられる記者は二割ぐらいで、後は感覚が麻痺し保身に走る記者が多いという。がんばっている記者を支えるのは応援の葉書、というお願いもあった。氏は最近、新採用教員の死亡・自殺問題などを取材している。
 質疑応答では、NHKの問題が話された。企画物はよいのだが、人気のあるニュースに問題があり、政府の宣伝的なものが多く、政府の決定したものしか流さないとの指摘があった。また、インターネットの信憑性についての討論があり、すべての情報は“眉唾物”との認識から始める必要がある。地方紙については、県などの圧力に弱いなどの問題点が挙げられた。
 我々は、マスコミを通じて情報を得ると同時に情報操作を受けている。インターネットの情報も手軽で便利である。しかし、操作されているという危険性は常にあり、情報源を複数にするなど、冷静に判断する必要がある。さらに、これからは受身ではなく、積極的に情報をこちらからも発信するべきであると考えさせられた。
        (T.S)