僕の日記によく出てくる「ブラザー」とは一体何者かと思っている人がもしかしたらいるかもしれません。
勉強するフリにちょっと飽きたので、今日は日本のビーバス&バットヘッドを目指す僕とブラザーについて書こうと思います。
ブラザー、ちょっと気色悪いこと書くかもしれないが許せ。
彼はネット上ではMJと名乗っているので、ここでもMJと書かせてもらいます。
MJと僕チュ・カメムシ・ショタの出会いは高校入学してしばらくしてからであった。
僕は今よりもずっと眉毛が細く15歳らしい垢抜けない少年だった。
MJはその僕よりもさらに見た目に垢抜けないノッポ少年だった。
お互い厚ぼったいヘアースタイルで初めて交わした言葉は確か「パソコンやってんの?エロいサイトって見れるの?」だったはずだ。
小さい頃からパソコンに触れてきているという彼の話を聞いて僕から友好の証として出た言葉は「エロいサイトって見れるの?」だったのだ。
エクセレント。
23歳の僕から15歳の僕に小遣いとしてエロ本を進呈したい。
予想に反して彼は良く喋る男だった。
モデルガンやマリリン・マンソンのことをそれはそれは沢山話してくれた。
僕は思っていた。
「もういい、喋るな」
彼は本当に良く喋る男だった。
彼も僕もビーバップとは無縁の少年だったが、集団や大勢に対する苛つきのようなものをお互い持っていたので、高校三年間は専ら教師をネタにした下賎な話題で盛り上がっていた。
僕らにかかれば体育教師は全員ゲイだったし、国語教師はスカトロマニアだった。若い教師に至っては皆先輩教師の性の捌け口にされていた。
僕がある日ジェルで長髪を固めてドレッドもどきにしていって体育教官室に呼び出されたときは、解放された10分後には
教師「おいカメムシ、どうして呼び出されたか分かるな?」
僕「いえ、わかりかねます」
教師「そうか、ならコイツをくわえてみろ」
・
・
教師「ご苦労だったな。よし、シャワーを浴びて来い」
という一連の会話が捏造され卒業するまでアホみたいに笑い倒したものだった(因みにこの先生の画像を勝手に僕のmixiの画像に使ってます。一生笑いものにしてやるゾ☆ミ)。
今思うと教師に対して一番失礼だったネタは、一人の若い教師が休日やYシャツの下にPIKOのTシャツ着てそうだと勝手にイメージだけで言っていたことかもしれない。
僕らにとってPIKOは恥の極みなのです。
また、MJとは気持ち悪いくらいそれまで経験してきたものが重なっていた。
しかも、しょうもないところでばかり。
外を歩いているときに知らないお爺さんから説教され、それを無視して歩き続けてついて来られたり、幼児の頃に見ただけでしかないはずの、単発二時間ドラマの子供がソーセージを切っているところをつまみ食いしようとして指を切り落とされるシーンを鮮明に覚えていたり・・・。
これらにピンと来た人、あなたもブラザーです。
彼とは喧嘩らしい喧嘩などはしたことがないが(一回くらいは怒らせたことあったかな)、5年以上付き合っていると決していつも笑えることばかりではなかった。
僕がこれまでの人生で最悪の時を迎えたとき頼ってしまったのはやはり彼だった。
泣きじゃくり何の言葉も紡ぎ出せない僕に彼は黙って胸を貸してくれた。
僕が一応落ち着きを取り戻したころには、アリエナイブラックジョークを呟きあっていた。
去年僕らの友達が自殺してしまったときもそうだった。
その告別式、僕らは泣いた。
涙なんてそうそう涸れてくれるものではないらしい。
焼き場へ向かう車の中で僕らはオーディオのスイッチを入れた。
流れた曲はミザルー(パルプフィクションやTAXIのアレ)のヒップホップヴァージョン。
「ハッ、ハッ、ハァァァ!!」の掛け声と共に火を噴くエンジン。
僕らはアがりにアがった。
不謹慎なのは百も承知だった。
しかし、僕らの生活は既にその九割がブラックジョークで形成されているのだ。
人の死だろうが被差別者だろうが黒い笑いのネタにしなければ気が済まないのだ。
ある人が聞いたら憤慨するような話を挨拶代わりにするのだ。
お陰で大抵のことは笑って済ませられる器量は得たつもりだけれども。
きっと僕たちは死んだら地獄へ落ちるでしょう。
そして未来永劫黒人ラッパーにディスられる刑に処されることでしょう。
その前にうざすぎる僕達に誰かの堪忍袋の緒が切れてしまうかもしれません。
けど、やめない。
自分のこと言われてるっていつまで経っても気づかないエゴレス共や不勃起ペレ共にはまだまだ毒吐き足りない。
聖書も全然燃やし足りない。
アメ公も露助もニグロもチョンもチャンコロもニーズも攻め足りない。
見ろよ。
右も左も赤も鷹もネタの宝庫じゃねーか。
だからブラザー、
俺たちはこのままでいよう。
妙にアメリカナイズされて芝居がかった僕らの言動をもっと知りたければC-WALK界のユダ・MJの日記も合わせてどうぞ。
あと、今サイモン&ガーファンクル聴いてるんですけど別ウィンドウで開いてるPIKOのホームページのさざなみ音が重なって台無しです。
勉強するフリにちょっと飽きたので、今日は日本のビーバス&バットヘッドを目指す僕とブラザーについて書こうと思います。
ブラザー、ちょっと気色悪いこと書くかもしれないが許せ。
彼はネット上ではMJと名乗っているので、ここでもMJと書かせてもらいます。
MJと僕チュ・カメムシ・ショタの出会いは高校入学してしばらくしてからであった。
僕は今よりもずっと眉毛が細く15歳らしい垢抜けない少年だった。
MJはその僕よりもさらに見た目に垢抜けないノッポ少年だった。
お互い厚ぼったいヘアースタイルで初めて交わした言葉は確か「パソコンやってんの?エロいサイトって見れるの?」だったはずだ。
小さい頃からパソコンに触れてきているという彼の話を聞いて僕から友好の証として出た言葉は「エロいサイトって見れるの?」だったのだ。
エクセレント。
23歳の僕から15歳の僕に小遣いとしてエロ本を進呈したい。
予想に反して彼は良く喋る男だった。
モデルガンやマリリン・マンソンのことをそれはそれは沢山話してくれた。
僕は思っていた。
「もういい、喋るな」
彼は本当に良く喋る男だった。
彼も僕もビーバップとは無縁の少年だったが、集団や大勢に対する苛つきのようなものをお互い持っていたので、高校三年間は専ら教師をネタにした下賎な話題で盛り上がっていた。
僕らにかかれば体育教師は全員ゲイだったし、国語教師はスカトロマニアだった。若い教師に至っては皆先輩教師の性の捌け口にされていた。
僕がある日ジェルで長髪を固めてドレッドもどきにしていって体育教官室に呼び出されたときは、解放された10分後には
教師「おいカメムシ、どうして呼び出されたか分かるな?」
僕「いえ、わかりかねます」
教師「そうか、ならコイツをくわえてみろ」
・
・
教師「ご苦労だったな。よし、シャワーを浴びて来い」
という一連の会話が捏造され卒業するまでアホみたいに笑い倒したものだった(因みにこの先生の画像を勝手に僕のmixiの画像に使ってます。一生笑いものにしてやるゾ☆ミ)。
今思うと教師に対して一番失礼だったネタは、一人の若い教師が休日やYシャツの下にPIKOのTシャツ着てそうだと勝手にイメージだけで言っていたことかもしれない。
僕らにとってPIKOは恥の極みなのです。
また、MJとは気持ち悪いくらいそれまで経験してきたものが重なっていた。
しかも、しょうもないところでばかり。
外を歩いているときに知らないお爺さんから説教され、それを無視して歩き続けてついて来られたり、幼児の頃に見ただけでしかないはずの、単発二時間ドラマの子供がソーセージを切っているところをつまみ食いしようとして指を切り落とされるシーンを鮮明に覚えていたり・・・。
これらにピンと来た人、あなたもブラザーです。
彼とは喧嘩らしい喧嘩などはしたことがないが(一回くらいは怒らせたことあったかな)、5年以上付き合っていると決していつも笑えることばかりではなかった。
僕がこれまでの人生で最悪の時を迎えたとき頼ってしまったのはやはり彼だった。
泣きじゃくり何の言葉も紡ぎ出せない僕に彼は黙って胸を貸してくれた。
僕が一応落ち着きを取り戻したころには、アリエナイブラックジョークを呟きあっていた。
去年僕らの友達が自殺してしまったときもそうだった。
その告別式、僕らは泣いた。
涙なんてそうそう涸れてくれるものではないらしい。
焼き場へ向かう車の中で僕らはオーディオのスイッチを入れた。
流れた曲はミザルー(パルプフィクションやTAXIのアレ)のヒップホップヴァージョン。
「ハッ、ハッ、ハァァァ!!」の掛け声と共に火を噴くエンジン。
僕らはアがりにアがった。
不謹慎なのは百も承知だった。
しかし、僕らの生活は既にその九割がブラックジョークで形成されているのだ。
人の死だろうが被差別者だろうが黒い笑いのネタにしなければ気が済まないのだ。
ある人が聞いたら憤慨するような話を挨拶代わりにするのだ。
お陰で大抵のことは笑って済ませられる器量は得たつもりだけれども。
きっと僕たちは死んだら地獄へ落ちるでしょう。
そして未来永劫黒人ラッパーにディスられる刑に処されることでしょう。
その前にうざすぎる僕達に誰かの堪忍袋の緒が切れてしまうかもしれません。
けど、やめない。
自分のこと言われてるっていつまで経っても気づかないエゴレス共や不勃起ペレ共にはまだまだ毒吐き足りない。
聖書も全然燃やし足りない。
アメ公も露助もニグロもチョンもチャンコロもニーズも攻め足りない。
見ろよ。
右も左も赤も鷹もネタの宝庫じゃねーか。
だからブラザー、
俺たちはこのままでいよう。
妙にアメリカナイズされて芝居がかった僕らの言動をもっと知りたければC-WALK界のユダ・MJの日記も合わせてどうぞ。
あと、今サイモン&ガーファンクル聴いてるんですけど別ウィンドウで開いてるPIKOのホームページのさざなみ音が重なって台無しです。
お、覚えてる。。。。
やっぱあれは実際にみたテレビだったんだ…
「ママー、痛いよー痛いよー」
ネタにしてしまえばとりあえずいいんだ。
そうすれば全部笑い飛ばす事ができる。
いや、そんな事考える必要もないか。
このままでいいんだ。
泣いても笑ってもこれが俺たちだ。
素のまま生きようぜ兄弟。
ちなみにソーセージではなくあれはハムだ。
指を切られた子供はお婆ちゃん→作業員に抱えられリレーされ病院へ。
お母さんは切断された指をタッパに入れて病院へ。
かめはめっはーかめはめっはー(ザックリ)痛いよ痛いよ痛いよ痛いよー
チリーン。
>>にく
なんてこった。
こんな近くにまだブラザーがいたなんて・・・
お前が、ブラザー・・・・・・認めたくない!
>>goth
素朴な感想は素朴に嬉しい朴よ。
ありがと!
>>ブロス
ハムか。
そうか、ハムか!
HAHAHAHAHA!
そうだ。そうだった。ハムだった!
HAHAHAHAHAHAHAHA・・・・・・!!
・・・ふぅ、まぁなんつーか、言いたいこと伝わったみたいで良かったよ。
そーゆーことだ。
今気付いたけど、お隣りクラスだった彼ですか!
なんか言ってやってくれよ。
どうも~お久しぶりです。お元気??
そうそう、お隣りクラスだった彼だよ。
けっこう誰が誰だかわかんないもんなんだねぇ。
まぁそんな感じでヨロシク。
ステラのHMVで会って以来だね★
ウラタキには何回か会ってたよ。太ってた!最近は知らないけど。
これからもどうぞお元気で・・・☆