介護サービスほっと通信

「暖か介護でほっと一息」をモットーにしています。日々の仕事の中から感じたことなどを発信していきたいと思います。

「このようになっていないのはおかしい」という感覚

2009年12月04日 13時14分49秒 | 雑感
制度である以上一定のスールが存在する。
そのルールは「全ての人」にとって共通して適用されるものではあるが、そのルールで全ての人に対応ができるものではない。従って必ず「例外」が存在する。

介護支援専門員が「このようなサービスを利用者に使いたい」と思ったとき、そのサービスが制度のルールでは使えないとなっていることがある。このとき「絶対に不可」というものは少なく、基本的には「原則として不可」となっている。これは必ず存在する「例外」に対応することを想定しているからだ。

介護支援専門員は自分の担当している利用者のケースを「例外」と思いたい。
例外に属するのでサービスを使えるはずだと思いたい。
しかし実際には「例外」とはならないから冒頭のように「使えない仕組みが変だ」と感じるのであろう。

ところが、制度として全ての人の全てのニーズを充足できるような制度設計は不可能である。そういう仕組みは理論的には可能だが現実的には不可能だ。なぜなら制度を動かしていく財源問題を考慮すれば「何でもあり」の形では財源がいくらあっても足りなくなるからだ。

だからこそ限られた財源の中でより多くの利用者に対して制度としての支援を提供するためには「例外」を設け、その例外で可能な限り掬っていこうという考えに至る。

とすれば介護支援専門員が行うべきことは制度への文句を言う前に、「例外」であることを客観的に証明することであるはずだ。その方法こそがアセスメントである。それは単にツールを使ったという問題ではなく、詳細な情報収集と分析による「例外」適用されないと生活が成り立っていかないということの根拠を明確にするアセスメントが必要とされているのだ。

これを行ったけれども「例外」として認められないというのであれば、その支援を保険給付としては不可能ということになるので、そのニーズをどう充足していくのかということがその後についてくることになる。例えば「自費利用」を促されることが多いのだろうが、その自費サービスに費やすことのできる琴線がない場合にはどうするか。それを介護支援専門員が一人で考え悩む必要はない。「だめだ」といった人を含めて答えを出してもらうということを求めていく。それこそ介護支援専門員は「結果の連絡」という役回りになっていくことも必要なことである。当然例外適用にならないといった以上、その判断に対する責任もついて回るということを自覚した上での判断を求めていけばいい。

そして、制度設計上のミスや保険者担当職員のミスなどについては声を大にして表面化していくことが必要になる。何もしなければ何も変わらない。何かを変えるためには行動を起こすことが必要だ。

それこそがソーシャル・アクションというものになる。

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