二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

古代からのジャパニーズブルーブラッド

2006年08月20日 15時21分39秒 | 日記・エッセイ・コラム
 皆さんこんにちはお元気ですか?
 今日の名古屋は曇っていて気温も少し低めです。久しぶりに散髪をしてきました。なんというか宇宙から来た宇宙人のように、日本のことを生まれる前は分かりませんが、本などで勉強して、やっと自分が今立っている場所がどうなっているのかが、分かりかけてきました。もちろん昔起こったことを実際に経験することはできないので、その著者の主観が入るわけですが、合理的な文章の本を読んでいるので、あまり偏った意見は書いてありませんでした。そもそも僕の卒業した学科は法学部法律学科ですが、一応法学士という資格がもらえるのですが、そのような資格があるということは、世の中にそういう教育を受けた人が国家にとって必要であるから、国もそういう資格を作ったわけで、ある一定の知識を身につけたことによって、社会に貢献できることを前提としてその教育がなされるわけで、その一定の知識なり、情報を生かして生きることが望まれるわけですが、一般的に法学部の法律学科は法的な知識を身につけて、それによる判断で社会に貢献することが望まれますが、いわゆるリーガルマインドというもので、日本では東京大学法学部というところがそのヒエラルヒーの頂点に存在し、中京大学の法学部はそのヒエラルヒーの下部構造で、上を見たらきりが無く、また下を見てもきりが無い、ということが言えると思われますが、そのある一定のいわゆる判断、すなわち情報処理は、果たして社会にどう影響し、そしてその社会に資するかということをかんがみた場合、法的な思考での判断は合理的でなくてはならず、文学のように玉虫色の表現も、政府の現行憲法の解釈のように、平然と行われていることを考察した場合、さて法とは何かということを果たしてどれだけの法学部の出身者が知っているか、または理解しているかが問題となりますが、法律の主体は考える人の、いわゆる人間でして、これは自然科学とは大いにことなることであると思われます。自然は人間が滅んでも、その名称である自然と呼ばれるかどうかは分かりかねますが、その状態は残りますが、法律のような人間社会が存在しなくては、また発生しなかったであろう文化というものに非常に、密接に関係してきているものであり、文学その他のいわゆる人文科学と共に、文明の発生から今日に至るまで紆余曲折のあったであろうこの、今は法律の話をしているので、法というものは人類の繁栄の記憶と共にあり、滅び行く文明もあったでしょうが、日本国内で言えば、天皇陛下を頂点とする、天皇制の国家は、先の大戦で存続の滅亡の危機にありましたが。今は同盟国となったアメリカの温情かはたまた戦略的な判断かは分かりかねますが、日本文明はその輝きをまた取り戻しつつあるようです。古代においては我が二村氏の一族が貴族すなわちブルーブラッドとして活躍していたようですが、はてさて、昨今の社会情勢は混迷を極め、私たちのご先祖様が見ていたらどう思ったであろう最近の教育であり、また社会であると思われます。いわゆる日本文化と日本文明の真の解放を目指して、ここに新憲法設立の夢を描きつつ、その先駆的役割を果たすであろう、現代の政治集団、自民党に期待しながら、今日は失礼いたします。
 それでは。

 一定の心の動きありけるを人はそれをば教育とす

 日本人文明の民明らかで世界に向けて闇を晴らさん

 自民党ここが日本の岐路に立ち勇敢にこれ指導をしまん

 あのころは若すぎたかもそう思い花は大人の心に残る

 God bless you!

 


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