二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

記憶と忘却の狭間で。

2005年10月31日 10時25分39秒 | アート・文化
 皆さんこんにちはお元気ですか?
 最近買った東京大学出版会の本はとても難しい、こんな難しい本をおばかさんな中京大学法学部卒が読んでいる所に面白みがある。もしバリバリのエリートが「あーこんな本ね」ってさらさら読解してしまって、きちんと頭の中に納まるという僕にしてみれば異常事態が発生したら、面白くないのである。そうだおばかな中京大学卒が必死に理解しそして脳みそのひだを細かくしようとするさまが、傍から見ると滑稽で面白いのである。わざわざ本屋に予約して買った本であるが、店員のアルバイトのお嬢さんになんて見られているのだろうと、考え出したらきっと馬鹿にしてるんだろうなーとますます屈折した性格になってしまうのである。ここは中京大学の「真剣味」を思い出し、真剣だからこそ滑稽に思えるいわゆるユーモアなのである。自分でも三日後には書いてあったことの一割も思い出せないだろうなっと思うのだが、その記憶の消去されるさまが、強烈であるがゆえに生きていけるのであって、こうして一生懸命自己を防衛しようとするさまに、一種の自己愛を感じ「おお神よ」我に忘却を与え賜いしその御心に感謝しますとただただ神に祈るのである。忘却の中にひとかけらの輝きを発見する喜びを与え給わん事を祈りつつ今日は失礼いたします。
 それでは。

コメント (1)
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