最近、実はワタクシ失恋しました・・。しかも、立て続けに。立ち直れない。うぅ・・。
とゆうのも、行きつけのお店が、諸事情により閉店することに!
おかみさんにも、可愛がってもらっていたのに、あんないいお店だったのに。
えええ一瞬、時が止まる。考えられない。受け入れられない。
あのショック。会いたいヒトはもういない、みたいな。これは失恋じゃ・・(笑)
そして、人生最期に食べたいと心底思っていた愛してやまないフライドポテト
なんでも一週間前に、バージョンが変わったらしくて、ワタシの好きなポテトはもういない。
お店の方に、悲しみをぶつけてしまう。オトナ気なくてごめんなさい・・・
署名運動でもする。お金があれば、大株主にでもなって、権力にモノを言わせて
復活させる。どうやったらまた出会えるのか、あれやこれや、考えるアホなワタシ。
本当にアタマを殴られたようにくらくらする。なぜどうして
結構みんなに、『人生最期の晩餐は、このお店のポテトと決めているの』と
いうと、そろって、笑う。ポテト?それでいいの?みたいな。
ワタシは、なぜかわからないけれど、あのポテトはとても美味しいからと思っていた。
カリッと感も、ほわっと感も、お塩とバターの絡みも、すべてが絶妙にワタシを満足させるバランス。
でも、失ってみて、初めて気が付いたの。
あのポテトは、ワタシにとってしあわせの象徴だったんだってゆうことに。
注文して、ポテトが来るまで、好きなヒトと一緒に待つ。わくわく。
そんなワタシをみて、アホだなぁと言いながらも、微笑む。
ポテトが来て、バターをまんべんなく溶かしてくれる。それを待つワタシ。おあずけ。
そして、ようやく美味しい大好物を食して、思わず頬がこぼれる。 しあわせな瞬間。
そんなポテトを挟んでの数々の思い出たち。思い出しても自然とほころぶ。
きっと、ワタシは自分の最期の晩餐に、あの瞬間を思い出させてくれる、
しあわせの象徴を、食べたいと思ったのかもしれないと思ったとき、
ワタシのなかで、意味を持って動き出したのだ。何かがぱちんと弾けた。
はたからみて、くだらないことかもしれない。なにをそこまでってバカにされるかもしれない。
でも、そんなふうに意味を見出せたことに、うれしく思っているワタシがいる。
やっぱりアホまっしぐらなカヒミでした!