特撮マニアであれば名前を知らない人の方が少ないと思われる、竹内博さんが亡くなられたそうである。
10代で円谷プロに入り、ケイブンシャの怪獣怪人大百科のベースとなる書籍を作られ、朝日ソノラマ発行の特撮関連書籍、特にファンタスティックコレクション等でお名前をよく拝見した。
子供の頃から名前をよく見た方の1人である。
別名義(酒井敏夫)で特撮のサントラ企画や製作などにも携わられていた。
円谷英二氏や大伴昌司氏の偉大さは竹内さんの書籍で教わったと言っていいかもしれない。
それは、手塚治虫先生の偉大さを藤子不二雄先生の作品で覚えた様に。
訃報に触れてる氷川竜介さんのブログです。
「訃報:竹内博さん」
我が家にも竹内さんの書籍「OHの肖像」や「写真集特技監督円谷英二」等が今もある。
本当に竹内さんがいなかったら、子供むけ特撮ドラマを大人の視点で観たりするといった事はなかったかもしれない。
たくさんのマニアを生んだ人だったと思う。
子供の頃からよく名前を見てたもんで、もっと年齢がいってるかと勝手に思っていたが、まだ55歳だったとは・・・。
いくらなんでも早すぎである。
ビデオもなかった頃、ケイブンシャの大百科や朝日ソノラマの特撮書籍は大事な宝物でした。何度も読み返しました。
ご冥福をお祈りします。
10代で円谷プロに入り、ケイブンシャの怪獣怪人大百科のベースとなる書籍を作られ、朝日ソノラマ発行の特撮関連書籍、特にファンタスティックコレクション等でお名前をよく拝見した。
子供の頃から名前をよく見た方の1人である。
別名義(酒井敏夫)で特撮のサントラ企画や製作などにも携わられていた。
円谷英二氏や大伴昌司氏の偉大さは竹内さんの書籍で教わったと言っていいかもしれない。
それは、手塚治虫先生の偉大さを藤子不二雄先生の作品で覚えた様に。
訃報に触れてる氷川竜介さんのブログです。
「訃報:竹内博さん」
我が家にも竹内さんの書籍「OHの肖像」や「写真集特技監督円谷英二」等が今もある。
本当に竹内さんがいなかったら、子供むけ特撮ドラマを大人の視点で観たりするといった事はなかったかもしれない。
たくさんのマニアを生んだ人だったと思う。
子供の頃からよく名前を見てたもんで、もっと年齢がいってるかと勝手に思っていたが、まだ55歳だったとは・・・。
いくらなんでも早すぎである。
ビデオもなかった頃、ケイブンシャの大百科や朝日ソノラマの特撮書籍は大事な宝物でした。何度も読み返しました。
ご冥福をお祈りします。
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