
果たして究極の愛といえるだろうか…。
一昔前に、「失楽園」ということばが流行った。
流行に鈍感な私は、その時に映画を観ず、小説も読まなかったが、
なぜか今こうしてアメリカで映画を観ることになった。
失楽園とは創世記第三章の挿話であり。
蛇にそそのかされたイヴとアダムが、
神の禁を破って「善悪の知識の実」を食べ、
最終的にエデンの園を追放されることを意味するらしい。
映画のテーマはご存知「不倫」である。
出版社に勤める元エリート、現窓際族の久木(役所広司)と、
書道講師の松原(黒木瞳)の不倫物語。
お互いに家族を持ちながら「身体が合う」ことから、
どうにもこうにも離れられない関係となってしまう。
やがて、仕事を失い、家族も失い、
自らが愛する人のみが互いの目の前に残る。
そして、二人はなぜか死を選ぶ。
しかも「繋がったまま」での死を選ぶのである…。
たしかに「体の相性」というのは、
想像以上に大切な要素なのかもしれないが、
残された家族は果たしてどう感じるのだろうか…。
アメリカで観た映画だが、
自分が「いかに日本人であるか」を思い知らされた感がある…。
すでに離婚の手続きを取っていたとしても、
なぜ、そんな形で死を選ばなければならないのかと
きっと疑問に思うに違いない。
当の本人たちは、幸せの絶頂の一瞬をスナップショットにして、
最高の愛の形を表現したのかもしれないが、
私は分別ある大人の愛の形としては、
ずいぶんと歪んだものであると思えて仕方がなかった。
たとえ乗り越えられないと思えるほどの荒波が押し寄せようとも、
生き抜く方がよほど美しいからである。
もちろん映画の話だからよいのであるが、
映画を真似する人々がいないことを願いたい…。
この広い世界で、一人の女と一人の男が、
数奇な縁でめぐり合い、結婚するのだから、
その組み合わせが最高のものかといわれると、
他にもよい組み合わせがあることも決して否定はできない。
いや、相性が合うことの方が奇跡なのかもしれない。
しかし、結婚とは、完璧ではない二人が妥協し、
互いをいたわり合いながら同じ道を歩く共同作業なのだ。
納得ができないからといって、
簡単に投げ出すのでは有意義な人生を歩めない。
純粋な愛の形としての恋愛論としては、
何か伝わってくるものがあったが、
多くの人々にとって愛は最初からあるものではなく、
築きあげることに意義があるように思えてならなかった。
我々がその一生を終えるときに、
この人と出会えて本当によかったと思えたとき、
すべての我慢や苦痛は霧のように晴れ、
すがすがしい景色があなたの前に広がるに違いない。
私が一生愛せる人と出会ったならば、
この映画とは異なる形の愛を表現したいと思う。
誰の目にも美しく映る物語ではないかもしれないが、
相手の目だけには美しく映る人でありたいと、
心からそう願った…。
作品評価: 6点(10点満点) 次回のトピック: 「一か八か… 株式増資」
←ずいぶん後退しました…涙。応援よろしくね。