
少し寂しい真実…。
先天的に障害を持って生まれてこられた方や、
後天的に身体の自由を奪われた方々のことをたまに考える。
それは「ジョゼと虎と魚たち」といった映画や、
以前にもブログでとりあげた「1リットルの涙」といったテレビドラマ、
「成田真由美」さんのように障害を乗り越えてスポーツで活躍する姿、
そして、障害なんてなんのそのと縦横無尽に飛び回る「五体不満足」の著者、
乙武洋匡さんのような方の活躍を目にすると、
「障害があったってなくたって関係ない…」と思えてくる。
しかしこれはやはり健康な人間、
つまり手や足を自由に使え、
自分で物事を考えて、話すことのできる側の人々の意見なのだろう。
メディアは障害を乗り越えて輝く姿をたびたび伝えているが、
実際はきっと美しいことばかりではないのだ。
私のように、時おりこういった美談に感動する人は多いと思うが、
毎日、毎分、困難に立ち向かい続ける人生というのは、
実にたいへんなことなのだと思う。
きっと上で述べたような数々の物語に対する評価は、
障害を持たれている方と、健康な方で意見が異なるはず。
それでも、大切なことは、自由自在に動けなくとも、話せなくとも
立派に生きておられる方々に恥ずかしくないように、
簡単に命を絶ったり、人を傷つけたりすることなく、
与えられた命を誠実に生きていかなければならないという志である。
この作品の中に「障害者のクセして、
私の彼氏を奪うなんて…」という台詞があった。
きっと製作側にとっても議論の対象となった台詞の一つであっただろうが、
私はこの台詞が健常者、というか人間のエゴを如実に表現していると感じた。
我々は自分と異なる人間を見下す性癖があり、
自分に害がない時は忘れているものの、
害を及ぼすとなると、この歪んだプライドというか、
何の意味もないのに比較して、空っぽの優越感に浸る時がある。
また、健康な人々と障害者が交わるとき、
健康な人々の側にはいつも「逃げる」という選択肢があることも、
この作品が訴える紛れもない真実である。
障害を持っておられる方と健康な方とでは、
思い出の価値が異なるということも、
この作品の重要なメッセージであると感じた。
身体に不自由があっても、
思い出を心の中で一生懸命に磨いて、
その輝きをどんどん増し、
輝きから喜びを得ることで、
生きる力を得ていると感じた方も多いのではないだろうか…。
作品の最後のシーンで、
網で鮭を焼いているジョゼの姿からは、
恒夫が去った寂しさが感じられるものの、
逆に輝く思い出を手にした満足感というか、
生きていたことの喜びも感じられたような気がした。
恒夫と過ごした輝いた時間、
それは好きな人と動物園に恐ろしい虎を見に行くことであり、
生まれて初めて海を見に行くことであり、
彼と過ごせる時間があったとしても、
一緒に行った水族館が閉館しているという、
幸せな中にも、不都合が起こりうるという現実らしい物語の数々が、
作品のリアリティーを高めている気がした。
観る人によって、その焦点は異なるだろうが、
なかなか味のある作品だと、
またもや邦画の妙に唸ったのであった。
妻夫木聡、池脇千鶴の演技はどこか人懐っこさが感じられて、
二人の世界にスーっと吸い込まれるような感じがした。
二人とも、実に将来が楽しみな役者さんである。
また、以前にも紹介した「パッチギ」と「ゆれる」にも出演されていたが、
新井浩二という役者も(ヤンキー役が多い…)、
ユーモアというか、独特なトゲトゲしい雰囲気を醸しだしていて、
将来に鑑賞する作品で出会うのが楽しみである。
作品評価: 8点(10点満点)