定期的にこのブログに目を通して下さった方、ありがとう。
また再開する予定だが、一時的とはいえ、とりあえず今日をもって物理的に常時ネット接続環境が無くなるので、しばらくは不定期のアップとなることを報告させていただきたい。メールでいろいろなことを語り合った方、ブログにコメントを下さった方、トラックバックしていただいた方…、「誰かがいつもブログ読んで下さっている」という事実がなければ、短い期間ではある . . . 本文を読む
二度とこのような惨事が起きてほしくないものだ。
歴史は繰り返されるというが、昨日の尼崎鉄道事故は1991年に起こった滋賀の信楽鉄道の事故を越えて、鉄道事故の最悪のケースとなってしまった。いつもと同じように家を出たはずの肉親が、変わり果てた姿で家にもどってこようとしている現実を、誰が信じられるであろうか。この悲劇に命を奪われた方の冥福を祈ると共に、身体や心に傷を負った方が一日も早く癒えることを願い . . . 本文を読む
電話インタビューが終わった日のことである。
しばらく会えなくなる友人と会うために夕方に出かけたのだが、いつも行くような居酒屋ばかりでは芸がないということで、いろんな店で少しずつ食べて飲む、いわゆる「ハシゴ」に挑戦しようという話になった。その第1件目に選んだのが「立ち飲み屋」である。みなさんは立ち飲み屋へ行かれたことがあるだろうか。
私は以前に文化人類学を教えるアメリカ人教員に「立ち飲み屋」の存 . . . 本文を読む
木曜日の話である。
そう、朝から「かかってくるはずのない電話」を緊張した面持ちで待っていたあの日だ。決めていた予定にポッカリと穴があき、精神的に引きずって引越しの準備に一日を費やすのは避けたかったので、自転車で遠出することにした。花冷えではあったが、なんともすばらしい天気の一日だった。ちなみに「花冷え」とは「桜の咲く頃にくる寒さ」を指すことばだが、「花ぐもり」「花暦(はなごよみ)」「花言葉」など . . . 本文を読む
今日はインタビューを受けられるのだろうか…。
まったく笑える話だが、漠然とした不安を抱えながらも、朝5時半に起床した私は気合を入れて朝の支度を済ませた。木曜日と同じように、一通り想定した質疑応答のシミュレーションを行ったが、7時には準備が終了した。メールの処理をしてみるものの、時間があまったので引越しの準備を少しだけ進めた。8時15分、テレビでも見ようと思ってリモコンのスイッチを押し、「今日も日 . . . 本文を読む
古き悪しき日本の商習慣なのか…。
引越しはなかなか骨の折れる作業である。私はどちらかといえば好きな方であるが、何から何まで荷物をすっかり別の場所に移すというのは確かに精神的にも肉体的にも大変な作業なのだ。10年近くも実家を離れて暮らしていると荷物も山のようになる。「いつか使うだろう…」と思ってクローゼットに入れてあった衣類や小物、本や雑誌、電化製品や古いパソコンなど、ありとあらゆるものがでてくる . . . 本文を読む
「情けない」を通り越して「笑える」話だ。
今日は9時からインタビューの予定だったので、いつもより早く6時前に起き、シャワーを浴びて、2時間ほど一通り書類に目を通して整理し、気合を入れて電話の前に座っていたのだが、待てど暮らせど電話がかかってこない。「う~ん」と緊張したまま待ち続けていたのだが、ようやくメールを確認して時差の計算間違いで、インタビューが今日でないことがわかった。「あれ?サマータイム . . . 本文を読む
つきつめると人間の本質は善なのか悪なのか…。
先日も述べたが、日中、日韓の仲が芳しくない。今週は株価にも日本VSアジアの影響が出ているようなので、早急に事態が鎮静化することを願うばかりだ。
私は日本人だが、客観的に判断しても双方の主張に決定的な間違いはないように思える。中国は日本の歴史認識を非難し、謝罪を求める。日本は中国人のデモを非難し、賠償を求める。いたちごっこの水掛け論で、互いの代表が話 . . . 本文を読む
古新聞のもう一つの注目記事は阪神大震災関連のものであった。
記事はボランティアにまつわるもので、在日韓国人の呉光現(オ・クァンヒョン)という方が紹介されていた。呉さんがボランティアを震災のボランティアを始めたきっかけは2つあるという。いずれも被災地に入った日に経験したことだそうだ。
震災直後の神戸の街を歩いたとき、呉さんは「わ~、すごい!」と叫びたかったという。後に自らの野次馬根性を恥じたそう . . . 本文を読む
クローゼットから古い朝日新聞がでてきた。
引越しの準備とは、ある意味自身の過去との対面である。
手紙や写真からは過去の忘れがたい想い出や時には苦い想いをも呼び起こす。
また、新聞や雑誌の記事からは、その時代に起こった事件や出来事、
またその時代独特の雰囲気などを感じ取ることができる。
クローゼットの片隅で、時の試練にじっと耐え、
黄色く変色した新聞に一通り目を通すと、
2つの記事に目が留まったの . . . 本文を読む
朝日新聞にとてもユニークなCSRの記事が紹介されていた。
Corporate Social Responsibility(企業の社会的貢献)の活動の母体となるのは大阪府内のパチンコ店の共同組合だそうだ。
「愛の一握り運動」と銘打ったこのCSRは、パチンコやスロットの景品を交換する際に、パチンコ玉やスロットコインを文字通り一握り分寄付してもらい、それを換金して、義援金に充てる仕組みとなっている。 . . . 本文を読む
ある詩を読んで、随分と昔に心に響いた歌を思い出した。
英語を真剣に勉強し始めた頃、歌なら楽しく学べるのではと考えて、その時代に流行っていたまだマイナーだった頃のマライア・キャリーやセリーヌ・ディオン、シカゴやエアサプライなどの歌をよく聴いた。ハロウィーン、ジャーニー、ファイアーハウスを、懐かしいと思われる方も多いのではないか。これらすべてが、私に英語のすばらしさと難しさを教えてくれた先生である。 . . . 本文を読む
良い生き方で人生を歩むためのヒントであるといえないか…。
先日、Yahooオークションのお話をしたが、「持っていても仕方がないし、価値のわかる人の手にわたることを考えれば…」と意を決して出品したはずなのに、落札期間が終わろうとするころには、「誰かもう一声お願い!」と、当初の思惑とは矛盾する気持ちが自分の中に生まれていることに気づく。
また、「こればっかりは、手間を考えると赤字だな…」と思いなが . . . 本文を読む
おそらく外国語を学ぶ誰もが経験することだと思う。
異なる文化に接すると、日本語はとても「謝ることば」であり、日本人はとても「謝る人々」だと気づく。「どうもすみません」「もうしわけありません」「ごめんなさい」など、意識して一日を過ごすと何度そういった謝辞を述べているかに驚くはずだ。
私は決してこの「謝りの文化」を否定しているわけではない。むしろ、日本人の謙虚さや敬意を誇らしく思うほどである。これ . . . 本文を読む
随分と前に感銘を受けたことばは、時の試練に耐え、今でも立派に感銘を与えてくれる。
どんな生活であれ、日々を生きるということは、何かを学んでいることだと信じたい。しかし忘れやすいのが私の欠点である。少しでも大切な教訓を忘れないようにとの思いから、印象に残ったことばは、記事を切り抜いたり、メモに書いたりするように心がけている。
ここ数年は、「後で読むといっても読まない場合が多いから…」という理由で . . . 本文を読む