那谷寺の由来
那谷寺は白山信仰の寺で、養老元年(717)越(こし)の大徳泰澄神融(たいちょうじんゆう)禅師によって開創されました。
禅師は夢にみられた十一面千手観世音菩薩のお姿を自らお造りになり、洞窟内に安置し、岩屋の胎内をくぐって、人としての罪を白く清める霊場としました。そして、この地にお堂を建立され、自生山岩屋寺と名付けられました。
その後、寛和二年(986)に西国三十三番札所を開かれた花山(かざん)法皇がこの地においでになった時、洞窟内の観音様を拝せられ、西国三十三ヶ所第一番紀伊の那智山と、第三十三番美濃の谷汲山の各一字をとって那谷寺(なたでら)と改め、七堂伽藍を御造営なされました。
往時は寺院二百五十ヶ坊に及ぶ隆盛を極めましたが、延元三年(1338)南北朝の争い、弘治元年(1555)朝倉景隆により坊舎が焼きつくされました。
しかし寛永年間(1640)、加賀藩主前田利常公がその荒廃を嘆き、後水尾天皇の勅命を仰ぎ、岩窟内本殿、拝殿、唐門、三重塔、護摩堂、鐘楼、書院等を再建、境内の一大庭園を復興され今日の御祈願所とされました。
こうして那谷寺は森の中の自然の曼陀羅の寺院として、今も大切に守られております。
ふ~ん
奇岩遊仙境に行ってみよう
鎮守堂
護摩堂
時間があれば行きたいですね
鐘楼
参道に戻ります。
いい苔です
山門
山門前
那谷寺 良かったなぁ
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