菅改造内閣発足。国民的な「敵役=小沢氏」を代表選挙で下しての改造内閣発足ともなれば、支持率的にはその前途は、少なくとも向う100日は洋々たるものでしょう。しかし、政界は一寸先は闇。まして、民主党の統治能力の乏しさが支持率で解消するはずもなく、101日後の菅政権はもう<北斗の拳>状態に陥っているの、鴨。
鳩山政権末期、社民党の連立離脱によってはっきりしたことは、国の安全保障・外交政策という基本政策で一致できない諸政党が「連立政権」を形成することは不可能ということ。而して、これは大なり小なり「二大政党制」についても言えることではないか。ならば、改造内閣発足から101日目、今年の12月27日には、泡沫政党を掻き集めた形の連立政権になっているにせよ、あるいは、民自の二大政党による大連立政権になっているにせよ、日本の政治にそう期待はできないの、鴨。以下、敷衍します。
蓋し、社会政策や文教政策、そして、産業政策等々の領域で政策の違いはあり得るとしても(アメリカの共和・民主の両党を見ても、ドイツの社会民主党(SPD)とキリスト教民主同盟(CDP)を見ても政策が違うからこそ違う政党なのでしょうから)、国の安全保障・外交政策、そして、「何がその社会の統合軸であるか」に関する共通の枠組みがなければ、二大政党制にせよ連立政権にせよ安定した政治は不可能ではないかということ。
いずれにせよ、現下の民主党政権が標榜している「政治主導」なるものは、所得の再配分や産業構造の変換という政策部面では意味があるのかもしれませんが、危機管理や外交の部面ではそれは政権を動かす(少なくとも)第一順位の原則ではないのではないかということ。米英には 「政争は水際まで:Politics should end at the water's edge.」 (野党が与党を攻撃するのは当然であるが、国と国との境の海岸線から先の事柄、つまり、外交・安全保障・食料とエネルギー安保等々の分野は与野党を超えて協働してことに当たるべきだ)という箴言がありますが、民主党政権は、水際から向こう側の事柄をも「政治主導=与党の国会議員の主導」で解決できるとする誤謬を犯しているように見える。蓋し、この私の予想が満更間違いではないとすれば、その誤謬の基底には権力の万能感とも言うべき、傲岸不遜と無知蒙昧が横たわっているのかもしれません。この点に関しては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。
・政治主導の意味と限界
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/e15107c9b4be9ba3a0116e40a8577f39
・「事業仕分け」は善で「天下り」と「箱物」は悪か
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/44d9945d8782c40071e473ca1ef0cf81
◆政党の収斂化と包括政党の誕生
カール・シュミットは、大衆民主主義下の福祉国家を念頭に置く場合、「国家は全体国家(totaler Staat)に堕している」と喝破しました。而して、「全体国家」とは、人間の生活の全体を支配する強力で権力主義的な政府という意味ではなく、「全体化」したがゆえに、社会の種々諸々の雑多な国民大衆の要求をすべて顧慮せざるを得ない、図体は巨大であるにせよ主体性の乏しい弱々しい国家という意味なのです。このカール・シュミットの「現代国家=全体国家」認識は正鵠を射ているものではないか。
畢竟、1989年-1991年、社会主義が崩壊する随分前から、社会主義と資本主義の両体制が漸次接近する「収斂化」が見られるという考え方(Convergence Theory)がありました。蓋し、これは生産手段の私有を認めるかどうか、その裏面としての計画経済を放棄するか否か、あるいは、経済の計画と一党独裁的な前衛党を担う中央集権的官僚の存在を認めるかどうかとい<漸近線>を跨ぐことはなかったとしても(だからこそ、結局、政治以外の面では社会主義を放棄した支那を除けば、ほとんどの社会主義諸国は崩壊したのでしょうから)、この「収斂理論:Convergence Theory」は、昭和金融恐慌と大恐慌以来の、就中、1973年オイルショック以降の財政と金融のマクロ経済政策、すなわち、ケインズ政策を採用した資本主義諸国と社会主義諸国の比較においてはかなり成功したモデルではないかと思います。
ならば、グローバル化の昂進著しい、大衆民主主義下の福祉国家を与件とするとき、すなわち、カール・シュミットの言う「全体国家」を前提とするとき、保守政党であろうとリベラル政党であろうと左翼政党であろうと、実は、その政党がキルヒマンの言う意味での「包括政党」、すなわち、国民全体の利害を代表する国民政党を目指す限り(パラドキシカルですが、現実の選挙においては国民・有権者の一部(part)の支持を受けたにすぎない政党(party)が、国民を代表して国家権力を行使するということは、建前にせよその政党は「包括政党」であることを自任しているということでしょう)、どの政党の政策も「収斂化」せざるを得なくなる。
要は、所定・定番の行政サーヴィスの遂行に政権のほとんどの能力を割かざるを得なくなる。よって、国の安全保障、そして、伝統と慣習を顕揚涵養することによる国民統合・社会統合の重要さを知らない我が国の民主党政権のような「悲劇的-喜劇的」例外は置いておくとしても、今回、英国で保守党と自民党の連立政権が誕生したことは単なる権力の甘い汁の分け前に与ろうとする不埒な野合ではない、繰り返しになりますが、それは21世紀の政治史の必然なの、鴨。
保守主義の立場に立つ者として、個別日本の現下の政治状況においても連立政権が、よって、比例代表制や中選挙区の選挙制度が好ましいとは必ずしも私は考えていませんが、少なくとも、英国に関してはそう言えると思います。尚、私の考える保守主義の意味については下記拙稿をご一読いただければ嬉しいです。
・保守主義の再定義(上)~(下)
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/141a2a029b8c6bb344188d543d593ee2
◆連立政権と二大政党制の棲み分け
上述の如く、「グローバル化の昂進著しい、大衆民主主義下の福祉国家を与件」とするとき、各政党の政策は「収斂」せざるを得ず、よって、これまでは水と油、否、不倶戴天の敵同士と見られていた諸政党が連立政権を形成する条件は整ってきている。と、そう私は考えています。
否、今回誕生した英国の連立政権が、より政策とイデオロギーの近い「労働党-自民党」ではなく、比較的それらの差異が大きい「保守党-自民党」によって樹立されたように、支持基盤やイデオロギーの類似性は「近親憎悪」的な感情を惹起させるだろうから、むしろ、些か、異質な政党同士の方が連立を組みやすいの、鴨。この経緯は、日本の場合、支持層が重なる公明党と共産党、そして、イデオロギーが近しい共産党と社民党の間の<不倶戴天の関係>を想起すれば分かりやすい、鴨。
いずれにせよ、()政策面での各政党の違いが漸次極小化していること、他方、()これまたグローバル化の昂進に伴い「世界の唯一の超大国=アメリカ」もその超大国の地位を世界資本主義システム自体に<大政奉還>しつつある現在、畢竟、世界の相互依存関係の深化と世界の不安定化もまた加速している現在、すなわち、安定した実行力のある政府の形成が今までよりも一層必要になっている現在、連立政権、就中、大連立による政治的に盤石な政権の誕生は時代が要求しているものかもしれません。まして、()福祉国家における行政権の肥大化に基づく政策の収斂や時の政権のフリーハンドの余地の縮小とは逆に、グローバル化の昂進の中で有権者・国民の価値観が多様化する傾向を鑑みるならば、連立政権は人類史の必然とさ思います。
では、日本でも、より連立政権を具現しやすい比例代表制や中選挙区制を大胆に採用すべきなのか。宮澤内閣(1991年-1993年)以来の政治改革の潮流の中で、アメリカの二大政党制とともに日本の政治が目指すべきお手本と喧伝された英国の二大政党制が今回潰えたことを見てそう語る論者もおられる。しかし、私はそのような議論には与しません。
蓋し、「いつでもどこでも、すなわち、普遍的に優れた選挙制度などは存在しない」のです。而して、2010年の英国においては連立政権が歴史的必然であり、今後、比例代表制を大幅に組み込んだ下院の選挙制度を導入するのが英国の順路かもしれない。けれども、日本の場合には英国とは置かれている「歴史的-政治的」な状況が異なる。ならば、2010年の日本においても比例代表制や中選挙区制が望ましいとは当然のようには言えないと思うのです。
畢竟、日本の政党政治が現在抱えている死活的に重要な問題は、(甲)有権者・国民の多様な意見や価値観の受け皿となる政党が存在しない、あるいは、有権者・国民の多様な価値観や意見が正確に諸政党の党勢に反映されていないことなどではなく、(自民党と民主党保守派の得票率を合算すれば)有権者・国民の圧倒的多数を占める保守層の受け皿となる政党が存在しないことではないか。而して、(乙)二大政党の一方の当事者として期待する向きもあった民主党が、経済政策・社会政策の拙劣さ荒唐無稽さは置いておくとしても、①安全保障政策、②文化・伝統の顕揚と涵養による社会統合という二点において(欧米を見渡す限り、左翼政権であろうと中道左派政権であろうと、政権与党の「必須科目」であるこの二点において)政権与党として致命的に拙劣であることだと思います。
要は、日本には、政治力において有権者・国民の圧倒的支持を期待でき、かつ、能力的にも政権を担える政治勢力が、自民と民主の両党内の保守派、その他、有象無象の保守系新党に散在している。而して、日本の政治が孕む現下の問題を上の如く捉えた場合、
比例代表制の本格導入はこの「市場=有権者・国民」のニーズと「商品供給=政治政党」を乖離させる蓋然性が高く、現下の政治情勢においては日本では自民党と(鳩山政権の崩壊を「他山の石」として学習した)党内保守派が主導する民主党の二大政党制が次善であり、自民党内の保守改革派を中心に諸政党に散在するすべての保守派を糾合した新生自民党による一党独裁が最善である。
ならば、憲法改正を嚆矢とする保守政党による戦後民主主義の清算が終わり、日本政治の新しいプラットフォームが形成されるまでは小選挙区制がむしろ望ましい。而して、比例代表制が最善の選挙制度になるのは日本ではその後の歴史段階においてである。と、そう私は考えています。
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