◆妻の姓名乗る「女姓婚」増加 “主夫”願望、男性の経済力低下
結婚して女性の姓を名乗るカップルがゆるやかに増えている。名付けて「女姓婚」。男性の経済力の低下と“主夫”願望、女性の結婚後も姓を変えずに働きたいという両者の理由が背景にある。社会学の研究者からは「格差社会や少子化を打開する妙薬となるのでは」と注目を集めている。
夫婦は同じ姓を名乗ることが民法で定められている。「女姓婚」は女性側の親との養子縁組を前提とする従来の「婿養子」とは異なり、婚姻届の夫婦の氏欄で「妻の氏」を選択するだけで実現する。
神戸市で仲人業を営み、著書『女姓婚のススメ』がある伊達蝶江子さん(48)の相談所ではここ1年ほどで10件を成婚させた。問い合わせ件数も増えているという。
厚生労働省によると、昭和50(1975)年に結婚した夫婦のうち女性の姓を選択したのは約1.2%。平成12(2000)年は約3%、22(2010)年は約3.7%と、ゆるやかながら増えている。このデータには婿養子も含まれるが、伊達さんは「女性婚」という選択は確実に増えているという。
なぜ「女姓婚」なのか。メリットとして女性は旧姓のまま仕事が続けられ、夫の家に嫁いでからの嫁姑問題が回避できる。男性は、女性を養うという義務感から解放され、低所得でも結婚へのハードルが下がる。女性主導のため、いわゆる「草食系男子」でも結婚しやすいという。
伊達さんは「2008年のリーマンショックから、男性の経済力の落ち込みがますます厳しくなった。男性が女性を養う“男のかい性”はもはや幻想になった」と分析する。
実際、内閣府の一昨年の調査で、年収300万円未満の20~30代男性で結婚しているのは約9%だが、300~400万円になると20代は約26%、30代は約27%と増加。30代男性は年収に応じて結婚率が上がり、20代男性は400~600万円だと40%近くが既婚だ。
伊達さんは、「最近、名前が変わると仕事に影響すると心配していた女性医師が、『女姓婚』をして結婚と仕事の両立を手にいれた。相手の男性も旧来の固定観念から解き放たれ、お互いが幸せになっている。今、『女姓婚』は互いに自立し、家庭を作りたい男女に受け入れられている」と話している。
京大大学院の落合恵美子教授(家族社会学)の話 「庶民に姓がなかった江戸期も、姓を持った明治以降も、男性の1割は跡取りのいない妻方の家に入っていた。その後、勤め人の増加などで、夫の姓を名乗る結婚が当たり前になったが元に戻っただけとも言える。『女姓婚』は男性の経済力の低下や男女平等の価値観のもとで仕事や家事、育児を分担するライフスタイルの反映でもあり、少子化と格差社会脱出の妙薬となるのではないか」
(産経msnニュース:2012.1.7 14:45)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120107/trd12010714460009-n1.htm
所謂「女姓婚」の漸増は、これまた所謂「専業主婦」の漸減の裏面ではないでしょうか。而して、
①元来、「姓」は「kabane」であり、蘇我大臣や物部大連の「臣/連」の如く「カーストの標記:出自に起因する社会的に期待される役割の標識」であったが、漸次それは「姓=sei」となり、単に彼や彼女が所属する氏族を識別する標識の「氏名=ujina」となって行った。更には、自称にせよ「徳川家康≒新田家康=源家康」とされる如く、ある氏族の中の連枝・分派を表す(要は、その分派の根拠地・創業地という、文字通り、地名である)「苗字」に、もって、最後的には「家制度」の確立に伴い<家>の名前である「名字」の意味に変遷したこと
加之、②江戸時代は公家・武家以外の庶民(?)は、村名主等々の特に許されたごく一部の例外を除き「名字帯刀」が禁止されたとされるのは、「名字を名乗ること/刀を公の席で帯びること」が抑制される建前になっただけのことで、それは江戸期にこの社会の人口の少なくとも80%を占めた<農工商>の庶民が「姓:氏名・苗字・名字」を喪失したわけではないこと(例えば、上州新田郡三日月村の農家出身の無宿・木枯らし紋次郎は帯刀して股旅していたのですが(笑)、ちなみに、紋次郎さんが生きていた頃の、関東の街道筋は五街道が「道中奉行≒国土交通大臣」の、その支道が「勘定奉行≒財務大臣」の管轄下に置かれていたのであり、紋次郎さんは紛う方なき「公的空間」を帯刀しつつ旅していたのです!)
並びに、③夫婦別姓の制度は、白黒はっきり言えば(江戸中期以降の武家の家庭を除けば)明治以降の慣習であり、個別日本においては優れて<近代的に特殊>な事柄にすぎないこと。けれども、カレーライスや女子校生のセーラー服が、間違いなく現在の日本社会の伝統であるように、夫婦別姓も現在の日本の立派な/正式の伝統に他ならないこと
これら①~③は、最早、常識に属することであろうと思います。ならば、これら①~③を反芻するとき、蓋し、(実は、下記の(1)の認識は転記記事に登場する落合恵美子さんの先駆的業績なのですが、)この「漸増-漸減」の社会史的の背景もまた、
(1)栃木・群馬・山梨・佐賀も伝統的に「専業主婦」空白地帯というイメージもありますが、「近代日本A:江戸後期」の武家社会の文化が「近代日本B:明治・大正期」にかけて公家も含む一般の家庭にも流れ込む中で、他方、軍人を含む「勤め人」が庶民の間の<理想>的な職業となって行ったプロセスで「専業主婦」の概念が確立し、而して、戦後の高度経済成長期の中で<専業主婦>が社会層としても成立したこと
(2)「専業主婦」を必須のユニットとする家庭が日本社会で多数派を占めたことは、しかし、日本史上一回もないこと。現在は寧ろ「近代日本:A+B」に回帰しているとも言えること
(3)この潮流はマクロ的には(19世紀半ばから20世紀初頭にかけての)英米の近代的な家族の成立および変遷ともパラレルなこと
と言えるの、鴨。ちなみに、落合恵美子さんは、私が直接知る範囲で、現在の日本の社会科学系の<三大美人研究者>のお一人と私的に認定している方ですが(他は、恒吉僚子・東京大学大学院教育学研究科教授(比較教育社会学)と、落合さんと同じく京都大学大学院教授の高山佳奈子(刑法)さん!)、そんなことは取りあえずどうでもよいとして・・・。
蓋し、もし、上記(1)~(3)の理解がそう満更間違いではないとすれば、引用した産経msnが伝える日本社会の現下の変貌、加之、それを踏まえた「女性婚-専業主婦」の評価・分析には、(日本のみならず)近代の工業化した社会における、
(甲)家庭モデルの変遷
(乙)家事労働の貨幣価値の発生と変遷
の両軸の交点に問題を据える必要があるだろう。と、そう私は考えます。
ちなみに、後者(乙)の観点は、1970年代の欧米の「家事労働論争」(モダン・マルクス主義・ポストマルクス主義の三つ巴の論争;日本では、水田玉枝・教条主義的なマルクス経済研究者や共産党系の有象無象の論者・「江原由美子→上野千鶴子」を各々その<輸入総代理店格>とする鼎立)の、ある意味、<仲間内>でのみ通用する小難しい我田引水的言説よりも、例えば、アガサ・クリスティー『パディントン発4時50分』(1957)に登場する、現代社会における「家事労働力の不足」に着眼して大成功を収めるオックスフォード大卒のスーパー家政婦・ルーシー・アイレスバロウの活躍がより参考になる、鴨です。家政婦ミタではなくスーパー家政婦のルーシーですよ、為念。閑話休題。
何を私は言いたいのか?
それは、この「女性婚の漸増-専業主婦の漸減」の傾向をして、それを「女性宮家創設問題に飛び火しかねない問題」「女性婚は減少抑制すべき事象」と捉える、「女性宮家-女系天皇制」反対論者の一部に見られる認識と主張に対する異議申し立てです。
蓋し、「女性婚の増加→女性宮家の実現の可能性増大」といういう捉え方は正しいの、鴨。けれど、「女性宮家」を阻止するためにも「女性婚」もまた抑制されるべきであるし/抑制可能でもあるとは到底言えないだろうということ。
敷衍します。「女性婚の増加→女性宮家を容認する世論の拡大」という認識は正しいでしょう。しかし、「女性宮家を容認する世論の拡大の阻止→女性婚の抑制」という手段や施策は筋違いでもあり、何より到底不可能である、と。それは、一茶の「名月をとってくれろと泣く子かな」の寓話にも等しい主張であろうと。そう私は考えるのです。
蓋し、資本主義やグローバル化、ナショナリズムが<危険>であるからといって、あるいは、支那や韓国の存在が不愉快だからといって目を瞑ればそれらがなくなるとか、日本の国会で法律を定めれば、若しくは、日本の憲法を改正すればそれらの問題の重篤や存在の害毒を軽減できるということがおそらくないように、「女性宮家-女系天皇制」を阻止するための施策と「女性婚」を封じる施策とはおそらく位相を異にするだろうということです。
畢竟、寧ろ、「女性婚漸増-専業主婦漸減」の現下の現実は、「女性宮家-女系天皇制」を阻止することが容易ではない/ならば、その阻止のための施策は更に練り直す必要があるという認識の契機であろうと思います。
パラドキシカルな物言いをさせていただければ、ゲーム理論を持ち出すまでもなく、もし、孫子の「敵を知り己を知れば百戦危うからず」の箴言が洋の東西を問わず古今を問わず有効な箴言であるとすれば、「敵-己」のより正確な認識に誘うこの「女性婚漸増」の趨勢と情報は、寧ろ、「女性宮家-女系天皇制」反対の論者にとっては<天佑神助>でさえあろう、と。
保守主義からする「女性宮家-女系天皇制」肯定論を呼びかけている私としては(「余計な情報を漏らしてくれたわね」と些か苦虫を噛みつぶしながら)そう思っています。尚、保守主義からの弊ブログの「女性宮家-女系天皇制」肯定論3部作+総論については下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。
而して、全国の保守派の同志読者の皆様(あくまでもこの「女性宮家-女系天皇制」に関してですけれども、)よしんば主張の結論こそ違え、今後ともよろしくお願いいたします。そして、
б(≧◇≦)ノ ・・・日本のために共に微力を尽くさん!
【保守主義からの女系天皇制肯定論-海馬之玄関ブログ三部作】
・「女性宮家」は女系天皇制導入の橋頭堡
:「女性宮家創設をどう思う?」-私家版回答マニュアル
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11140265605.html
・覚書★女系天皇制は<保守主義>と矛盾するものではない
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/4e4851bc3a1a404bbc8985650d271840
・女系天皇は憲法違反か
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/3ab276729a79704d3dbe964193ad5261
【保守主義からの女系天皇制肯定論-総論】
・完全攻略夫婦別姓論要綱-マルクス主義フェミニズムの構造と射程
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/32678755bd2656513241097aae7b6254
・天皇制と国民主権は矛盾するか(上)~(下)
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/882ff5664ee9a04196989023f7e2cb04
・「天皇制」という用語は使うべきではないという主張の無根拠性について(正)(補)
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/b699366d45939d40fa0ff24617efecc4
・覚書★保守主義と資本主義の結節点としての<郷里>(上)~(下)
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/bdcdd6661ad82103a6d8d07d93eb7049