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「小室直樹」考

2010年09月30日 18時57分39秒 | 徒然日記

 


小室直樹さんが亡くなられたとのこと。結構その著作を読んできた者としては少し寂しい気持ちになりました。ということで、この機会に<小室直樹>という表象を契機に私の心に紡ぎ出された諸々の事柄を書いておく。本稿はそんな「随想」にすぎません。

一面識もなかったけれど、私は世の読者を二つに分ければ間違いなく小室直樹ファンに属しており、そして、おそらく四つに分けても一番上に属する小室ファンだと思います。ただ、私は、小室さんの<弟子>の副島隆彦氏や宮台真司氏を全く評価しておらず、小室さんご自身についても「好きではある」が、なにがしかの「胡散臭さ」を感じないではありませんでした。

小室さんに感じていた一種の胡散臭さ。これは、例えば、「小室さんの出世作の一つと言われる『危機の構造-日本社会崩壊のモデル』(1976年;中公文庫版・1991年)は、その後、研究者や政治家としてそこそこ有名になられたある女性のゴーストライターが書いた」という、四ツ谷は上智大学界隈ではそこそこ有名な<都市伝説>を耳にしてきたこと、他方、私の(強いて言えば、「表芸」である)憲法や法哲学に関する小室さんの理解の水準がお世辞にもそう高いとは言えないこと。これらを鑑みるならば、全く理由がないわけでもない。だから、<弟子>のお一人で、些かご縁のあった橋爪大三郎さんから<師>の力量や人となりを伺っているのでなければ、私にとって小室さんは、結局、<好きなBGM>程度の存在でしかなかった、鴨。

まずは訃報の転記。

◎<訃報>小室直樹さん77歳=評論家、「アメリカの逆襲」

政治学や社会学など、幅広い学問領域をカバーした評論家の小室直樹さんが4日午前1時3分、心不全のため東京都内の病院で死去したと、東京工業大世界文明センターが28日に発表した。77歳。葬儀は近親者で済ませた。小室さんが特任教授を務めていた同センターは業績を記念したシンポジウムを後日開く。

東京都生まれ。京都大で数学を学んだが、経済学に興味を持ち、大阪大大学院へ。フルブライト留学生として米マサチューセッツ工科大、ハーバード大などでも学んだ。帰国後は東京大大学院などで丸山真男、川島武宜、篠原一、京極純一の各氏らの指導を受けながら、文化人類学、法社会学、計量政治学などを研究した。

大学院修了後は在野の研究者として活動し、自主ゼミを主宰。橋爪大三郎・東工大教授、宮台真司・首都大学東京教授らを指導した。1980年、ソ連崩壊を予測した著書「ソビエト帝国の崩壊」、続いて出した「アメリカの逆襲」がいずれもベストセラーになり、以後は評論家として活躍した。著書はほかに「危機の構造」「韓国の悲劇」「田中角栄の呪い」など多数。

(毎日新聞 ・2010年9月28日)    







もし、「小室直樹とはどんな存在でしたか」と聞かれれば、私は、躊躇なく「いい腕のパン屋さんの、古いけどしっかりした大きなパン焼きカマドのような、厚くて熱くてあったかい方でしたね。私とは志向性のベクトルが少し違いましたけれども」と答えると思います。

すなわち、

私は、小室さんが採用する「より進んだ段階にある学問領域の方法論をより遅れた領域に適用する」研究戦略には違和を覚える。例えば、新古典派総合の経済学の方法論を社会学や文化人類学に応用するという、要は、「数学→物理学;物理学→経済学;経済学→社会学;・・・」という研究戦略には物足りなさを感じるということ。

而して、この戦略と親和性が高いであろう研究フィールドの見つけ方に対してもまた然り。すなわち、「問題の本質は、ある事態と事態、ある事象と事象の境界、すなわち、両義的存在に集中的に顕現する」という想定にも私は些か不満なのです。昔、中沢新一『チベットのモーツァルト』(1983年)を読了したときに、チベットまで行く暇があったら、富士山でビートルズを聞いたり靖国神社でベートベーンのメロディーでも口ずさんだらどうでしょうかと感じたのとこれは同じ不満、鴨。

だから、例えば、<女子高校生>に焦点を当てた宮台氏の研究には食指がどうも動かない。日本における法社会学の黎明期、それこそ小室さんが尊敬しておられた川島武宜さんを含め、多くの研究者が敗戦まだ覚めやらぬ全国の農村にフィルドワークに出かけて行くのを見た、戒野通孝さんが「そんなわざわざ東北や信州の農村に出かけなくても、東大法学部の教授会の中にだって幾らでも法社会学の研究材料は転がっているよ」と喝破されたのと同じような感想を私は宮台氏の作品に感じるのです。閑話休題。   

しかし、もちろん、小室さんの研究戦略は現在の学術研究の定跡ではある。王道とまでは言えないかもしれないけれど、間違いなく定跡ではあるでしょう。畢竟、16世紀-17世紀の「科学革命」以降、ある意味、21世紀の現在に至るまで(将棋に喩えれば、全盛時代の大山永世名人や中原永世名人の負けない棋風の如く)、それは知識社会学的の見地からは極めてオーソドックスな戦略であることは間違いない。

けれども、

言語ゲーム論とフッサールの現象学を「存在論-認識論」の基盤に据え、他方、新カント派の方法二元論と価値相対主義、および、現代解釈学の立場から「認識論-価値論」を再構築しようとしている私にとっては<小室戦略>は今ひとつ方法論的な堅固さに欠けるように見えるのです。   


すなわち、「解釈学的学術領域」こそ人間の知の原基的モデルであるという確信の下、徹頭徹尾、法学・歴史学・哲学・組織神学という「解釈学的学術領域」を中核に据えた社会科学方法論を希求している私にとって(ゆえに、その領域の境界確定のために数学・経済学を少々嗜んできた私の目には)、小室さんの研究戦略は全く正反対の方法論に思えてならない。而して、「私とは志向性のベクトルが少し違いましたけれども」というのはこのような意味なのです。尚、私の社会科学方法論に関しては取りあえず下記拙稿をご参照ください。  

・風景が<伝統>に分節される構図(及びこの続編)
 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/87aa6b70f00b7bded5b801f2facda5e3
 

けれども、小室さんは「いい腕のパン屋さんの、古いけどしっかりした大きなパン焼きカマドのような、厚くて熱くてあったかい存在」でもあった。間違いなくそう思います。

而して、圧倒的な学識を前提に、常識に裏打ちされた健全なロジックでもって人類の代表的な知的遺産を次々に俎上に載せるその心地よさと小気味良さは、喩えれば、かって長らく世界のプロレスリングの最高峰、NWAのチャンピオンとして君臨したハリー・レイスを髣髴とさせる。自身は地味であるにかかわらず、対戦する選手の技量を最大限に引き出し、見る者すべてにプロレスの魅力を堪能させたあのハリー・レイスです。





第一に、小室さんの書かれたものはどれもコストパフォーマンスが素晴らしい。どの一冊も読めば必ず有意義な知識なり発想に出会うことができた。第二に、その理路はどれも圧倒的に分かりやすい。

コストパフォーマンスに関して言えば、

例えば、『危機の構造』で展開されている「構造的アノミー論」(私の言葉で換言すれば、生態学的社会構造の変容にともない、社会統合を担ってきた<政治的神話>がその神通力を失うことに起因する社会の構造的な無秩序状態)。または、『ソビエト帝国の最期“予定調和説”の恐るべき真実』(1984年)の中で簡潔に定式化されているマルクスの「疎外」の意味(これまた私なりに敷衍すれば、マルクス経済理論における「疎外」とは、人間が作り上げた商品や貨幣や資本が、人間の主観や人為的な統制から離脱して独自の自然科学的法則性を帯びる経緯であり、よって、自然に妥当する法則を知ることで人間は自然を漸次支配できるようになるのとパラレルに、商品や貨幣や資本に妥当する法則を知ることにより人間はそれらが編み上げている資本主義社会を制御できるというアイデアに過ぎないということ)、あるいは、『日本人のための経済原論』(1998年)で述べられている、マルクスの「労働価値説は同語反復にすぎず破綻している」ことの説明は秀逸だと思います。   

その大半がビジネス書という書籍の性格から見てそれも当然でしょうが、小室作品には内容面でのオリジナリティーはほぼ皆無と言ってよい。けれども、名人上手ならではのその圧倒的平明性と明晰性は読むものを圧倒していたと言ってよいと思います。尚、マルクス主義に関する私の基本的理解については下記拙稿をご参照ください。



・読まずにすませたい保守派のための<マルクス>要点便覧
 -あるいは、マルクスの可能性の残余(1)~(8)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/385e8454014b1afa814463b1f7ba0448

・「左翼」という言葉の理解に見る保守派の貧困と脆弱(1)~(4)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11148165149.html
 
・グローバル化の時代の保守主義
 ☆使用価値の<窓>から覗く生態学的社会構造
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/2672ba2542aa390757acfc5dab1467d3


その平明さと明晰さに多くの小室ファンは喝采を叫んできたのではないか。もちろん、私もその一人ですけれども。コストパフォーマンスと並ぶこれが小室作品のもう一つの特徴なのだと思います。蓋し、TOEICや大学受験の英語教材、大学院受験やロースクール入試の小論文対策の教材を20年以上に亘って企画・編集してきた身には、「時間対情報」のコストパフォーマンスと並んで、小室作品の分かりやすさというのは驚異的でさえある。

それは、例えば、カリスマ講師として駿台予備校で長らく物理を講じておられた、元東大全共闘議長・山本義隆さんの往年の「講義=作品」に十分に匹敵するのではないか。而して、山本さんの<作品>は、同じ授業を聴講する、片や「東京大学か京都大学に進み物理学の専門研究者を目指す生徒」にも、他方、「単に東京大学か京都大学に進む理工系志望の生徒」にも、遍く納得と感動を与えるものでした。教育業界の方には説明は不要でしょうが、これら両グループの力量差は、将棋に喩えれば、プロ棋士を真剣に目指す奨励会の二段クラスとアマチュアの県大会ベスト16クラスの差はあるのです。    

而して、世の中に摩訶不思議なことはない。畢竟、山本作品と同様、小室作品にも上級者から入門者まで楽しめる工夫と配慮が尽されていた。と、そう私は確信しています。

ことほど左様に、<小室直樹>という些か古くて風変わりなカマドから炊き上がるパンはどれも美味しかった。しかも、パン通にとっても生まれて始めてパンを食べる人にとっても美味しかった。而して、この比喩の延長線上で述べれば、小室さんの多くの<弟子>もまた小室ブランドの<作品>と言えるのでしょう。






蓋し、<小室直樹>はマルクス主義の教条と戦後民主主義の欺瞞がこの社会を覆っていた時代に世界水準の知の開花を準備する苗床となった。社会理論と社会思想の分野にほぼ限定されるものの、その貢献は、喩えるならば、支那の五代十国の乱世に五朝十一君に宰相として仕え社会の安定と伝統の継承に大きな足跡を残した馮道(882年-954年)のそれに優るとも劣らないの、鴨。畢竟、<小室直樹>の戦後日本社会への貢献は極めて大きい。私などが言うことでもないでしょうが、そう私は考えています。

小室直樹先生のご冥福をお祈りいたします。
 
 
 
 

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