For every Lysacek or Kim, there are dozens of skaters who are still struggling to master the system. Sasha Cohen, who won the silver medal in Turin but didn't make this year's Olympic team, said last month during U.S. Nationals in Spokane, Wash., that she spends her routine counting instead of performing. ・・・
This focus on mental math can somewhat diminish the casual fan's enjoyment of the sport. Commentator Dick Button warned NBC viewers before nationals that they were not going to see the skating "we necessarily like the most."
"We have to remember that this is a judging system based on points," Button told NPR. "It's the point value that counts [for] each of the individual moves."
ライサチェクやキムヨナが一人いればそれに対して採点システムを習得するのに苦労している何十人もの選手が存在している。トリノオリンピックの銀メダリストながら今年のオリンピックでは代表選考に漏れたCohen選手は、先月、ワシントン州スポケーン市で開催された全米選手権の期間中に、演技中は演技より数えることに忙しいくらいだと語ってくれた。(中略)
選手が演技ではなく数えることに気を取られているという事態はフィギュアスケートからファンが得る楽しさを幾らか減退させるのではなかろうか。実際、全米選手権を前にしてコメンテーターのButton氏は、NBCの視聴者に「無理してそれが好きだと自分に思い込まさねばならないような」スケートを見に行くのはお薦めしないと述べている。
「我々がはっきり意識すべきは、現下の採点基準はポイント制をベースにした採点システムということなんです」と彼はNPR放送で語った。「選手の個々の動作を規定しているのは得点の大きさなんですよ」とも。
Jump combinations are still valued highly on the score sheet, but the "transitions" -- the moves and footwork that skaters perform while moving across the ice for their next jump combinations -- are important as well. Lysacek made the most of those. Skaters who dismiss such elements lose points but also give performances such as Plushenko's -- athletic, but more disjointed than graceful.
"They're so busy having to do all these things," Hamilton said. "A lot of skaters haven't taken the time to work on the artistic element. But the best are doing everything."
The system cuts both ways. It certainly doesn't reward artistic performers such as American Johnny Weir. ・・・
Of course, the system isn't set in stone. The pendulum has swung from a completely subjective free-for-all to a points-driven strait jacket. It eventually will swing back to some middle ground. Perhaps reducing the number of technical requirements would be a place to start. ・・・
ジャンプのコンビネーションには今でも高い得点が与えられる。けれど、「移行」 ― 次のジャンプのために氷上を移動する際の足の運びや技と技のつなぎ ― の重要性もコンビネーションに劣らない。そして、ライサチェクはこれら移行の大部分を上手にこなしたが、これら移行のエレメンツへの配慮を怠った選手は得点を失うことになる。もちろん、移行への配慮と引き換えにプルシェンコがそうしたように運動競技的なエレメントを実施する手もある。けれども、それはプログラムの流れをギクシャクさせ優美とはとても言えない。
「選手はすべてのことをやらなければならないので極めて慌しい状態に置かれることになる」「芸術性を高めるエレメントを行なう時間がないと感じる選手も大勢いる。けれども、ベストはすべてをやり尽すことだ」とHamilton氏は述べる。
現在の採点システムはもう一つの路線にも厳しいものである。すなわち、芸術性を追求するアメリカのWeirの演技にもそう高い得点は与えられないのだ。(中略)
もちろん、フィギュアスケートの採点システムは変更不可能というものではない。而して、採点基準は、客観性をより志向する地点と主観性をより志向する地点の間を常に揺れ動く振り子のようなもので、今は前者の地点から前者と後者の中間の地点に「振り子の針」は動こうとしているの、鴨。ならば、技術的な要求事項の個数を幾らか減らすことが、おそらく、最初に手を付けるべき採点基準改定の第一歩ではないだろうか。(後略)
She is intellectual as well as cute, isn't she? Having seen her overwhelming victory at this Olympics game, anybody may understand the victory was done on the basis of her mature personality, I think.
「ルール」の本性から考える採点基準改定の構図
私は、Hamilton女史の提言に基本的には賛成です。要は、(イ)現在の「客観化」には理由があるが、それがフィギュアスケートの存在理由たる<美の追求>を歪めるものとすれば、それは、角を矯めて牛を殺す類の愚策であろう、と。
また、(ロ)プルシェンコ提言にも全面的に反対というわけではない。カントの『美と崇高との感情性に関する観察』を紐解くまでもなく、人間技とは思えない高難度の演技を見る驚きも<美>と通底していないはずはないからです。
ここで考えるべきはソルトレークスキャンダルが発端となった「客観化」とはそもそも何を目指したものだったのかということ。裏から言えば、「客観化」には二つの意味があったのではないかということです。すなわち、
・審判員・国際スケート連盟の不正防止
・採点基準の与件化・明確化・可視化
もちろん、例えば、審判の責任の所在の明確化、(あるタイプのエレメンツやコンポーネンツに関しては)ビデオ判定の義務化等々、これら両者は相補的のものではあるでしょう。しかし、一方は審判員とISUの行動規範であり、他方は「選手の行動規範=審判員の裁判規範」であることから、その法規範としての性質の径庭は小さくはない。もっとも、これらが(イ)(ロ)という「選手の行動規範=審判員の裁判規範」の内容に関するものであるのに対して、浅田選手の贔屓筋の再改定要求内容(から(ロ)を除いた残余)と親和性を帯びていることは明らかだと思います。
ならば、まして、本編記事でも述べた通り、この「客観化」の流れがその基底に、「サーカス」からの脱却という<美>のイメージの転換、大きく言えば、思想的な路線変更をも伴ったものである以上、2010年の今、採点基準の再改定を求めるステーツホルダーにはかなり多様な隊列が含まれていると考えるべきでしょう。それ正に、
同床異夢
而して、このコメントは結論の抽出ではなく、問題がどういう構図をして我々の眼前に横たわっているのかを整理することが目的。よって、最後に一つだけ注意を喚起しておきたい。それは、「ルール」というものはそれが有権解釈される中で(例えば、以下の新聞情報がその一つの好例を示唆していると思いますが)自生的に変化していく経緯です。
●五輪フィギュア 採点傾向に変化、ジャンプ回転数甘めに
今大会は高得点化が進み、自己ベスト得点や今季ベスト得点の更新が続出。ジャンプ回転数の認定は甘めで、エレメンツ(要素)のGOE(出来栄え評価)、表現力などを示すプログラム構成点も高めだった。平松純子・国際スケート連盟(ISU)技術委員は「(ジャッジ用)教育ビデオで『質のいいものはどんどん点をあげよう』とあり、それが表れてきた」と指摘。「ジャンプは高さや前後の流れで質を評価するし、連続ジャンプは高さの差が大きい『親子』より、差が少ない『兄弟』の方がいい」と説明する。(毎日新聞: 2月27日)
法の自生的変化とは何か
例えば、キムヨナ姫にはジャンプの「回転数不足」という疑惑があるそうです。しかし、蓋し、そんなヨナ姫のジャンプも、有権解釈においては、「サーカス」ではない<美>の追求という現下のフィギュアスケートの<美>の理念からはOKだったということ。上の情報にもある通り、その点は他の競技者に対しても公平に適用されたわけですから。
実際、野球の場合、ルールブックの規定は不変なのに(デッドボールの危険性を減らすべく)、アメリカのストライクゾーンは内角と上辺がボール1個分(外/下)になっている。けれど、それが万人に適用される限り、公平性も含めなんの問題もない。と、これが法の自生的変化のもう一つのサンプルです。ならば、採点基準の改定要求に際しても「ルール」自体の自生性をも考慮に入れて案と策とを練るべきだと思います。
畢竟、今回のオリンピックでは、ヨナ姫の回転が「回転」の認定基準だったのかもしれません。而して、それは「ヨナ姫の回転=基軸通貨」ということであり、毫も、「ヨナ姫の回転=贋金」論とは位相を異にする認識です。要は、ヨナ姫の<信用>が「ルール」に自生的変化を促したの、鴨。
いずれにせよ、荒川静香・キムヨナ姫の両女王の戴冠を想起すれば、自己のスタイルを貫くことと、「ルール」を上手に利用することの両立が栄冠への道。ならば、次のオリンピックに向けて日本は、世界が希求する<美>のイメージを念頭に据えて、日本代表選手に可能な限り有利な「ルール」の改定を勝ち取るべく諸外国の同志との共闘を模索するのみ。と、そう私は考えています。
連帯を求めて孤立を恐れず、
力及ばずして倒れることを辞さないが、
力尽くさずして挫けることを拒否する。共に闘わん!
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