英語と書評 de 海馬之玄関

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文型談義・再論 「英文法にこだわる日本人の美意識の光と陰」

2005年06月18日 18時09分30秒 | 英語教育の話題


この記事は、「なぜ日本では5文型論が生き残っているのでしょうか?」の再論です。続編というより再論。重なる部分も多いと思いますが日本の英語教育を考える上で大切なポイントであることは確かでしょうから、敷衍させていただくことにしました。私の主張は以下の4点です。

・文型論が日本でだけ生き残っているのはそれが日本人の美意識と共鳴するからだ
・コミュニケーションのツールとしての英語という観点からは文型論は無用の長物だ
・しかし、文型論が無用の長物とわかった上でそれを愛好するのは日本人の勝手だ
・否、文型論はある種のコミュニケーションにとってはそれなりに有効な知識かもしれない



文型の考え方は便利です。文型(この記事では「文型論」という言葉は「5文型論」のことと考えていただいて結構です。)の知識があれば、そして、辞書を引くのを厭わないのならばたいていの英文の意味は理解することができます。つまり、ほとんどすべての英文は文型の考え方で理解でき説明できることは確かです(★)。このように、シンプルな思考の道具で様々な英語のセンテンスが統一的に説明できる所が日本人の美意識にアピールするのでしょうか。英文法のおおよそのテキストや参考書に文型のアイデアがかれているような国は、現在では世界中で日本だけなのですから、そうとしか考えられないと私は思います。

★註:文型論は語順論
文型は語順も決めている。これが文型論を教える際にしばしば先生方の盲点になっていることだと思います。教える方は、「第4文型は、主語→述語動詞→間接目的語→直接目的語だよ」と語順も含めて各文型の違いや性質を生徒の方々に伝えているつもりでも、知識を受け取る方の生徒側では、「第4文型は、主語・述語動詞・間接目的語・直接目的語なんだね/第4文型は、間接目的語・直接目的語・述語動詞とそれと主語だよね」と文型を構成する文の要素の組み合わせを受け取っている場合がまれに見られるということです。

このポイントさえしっかり伝えられたのならば、後は、(広義の)倒置のパターン;目的語+主語+述語動詞;方向を表す修飾語+述語動詞+主語;形容詞の補語+述語動詞+名詞句の主語;否定の副詞+助動詞+主語+述語動詞;Here-There構文;(仮定法のifの省略による、)助動詞+主語+述語動詞、等々を覚えさえすれば(少なくともTOEICやTOIEFL程度の英文なら)ほとんどの英文の意味は解読可能になると思います。
例えば、

 

中原道喜先生の名著『新英文法読解法』(聖文新社・2003年4月, p.10)から転記させていただくと、(*^o^)/\(^-^*)

「次の各文を和訳し、その文型をS(主語)、動詞(【述語】動詞)、O(目的語)、C(補語)によってしめしなさい。

(1)(a) The girl became his wife.

     (b) The hat became his wife.

(2)(a) They remainded there chattering.

     (b) They remainded still unsolved.

・・・ 

(4)(a) She made some tea herself.

      (b) She made herself some tea.

  (c) She will make him a good wife. ↖KABU 追加。

(5)(a) I found my cousin a job.

     (b) I found my cousin a bore.

 

【解答】中原先生の本読んでください。

というわけにもいかない、鴨。だから、一応、

(1)(a) SVC

     (b) SVO

(2)(a) SV

     (b) SVC

・・・ 

(4)(a) SVO

      (b) SVOO

      (c) SVOC or  SVOO  (↖「she will make herself  a good wife for him.」が元々の形だから)

(5)(a) SVOO

    (b) SVOC 



文型の考え方が英文を理解し説明する上で有効なのにはしっかりとした理由があります。そう、日本だけにせよ文型論がポピュラーになれるのには英語自体の性質にも理由がるのです。ご存知の方も多いでしょうが、英語はもともとゲルマン系の言葉として述語動詞や人称代名詞だけでなく(go, went, gone の変化とか、I, my, me などの変化だけでなく)、名詞や形容詞も激しく変化する言語でした。

語形変化(特に、語尾変化)のことを歴史言語学では「屈折」といい、「屈折」の激しい言葉を「屈折語」と言いますが、英語ももともとは現在のドイツ語のように屈折の激しい「屈折語」だったのです。そして逆に、この屈折ルールのお蔭で、センテンスの中のある単語がセンテンスのどこに置かれていても、それが「目的語」なのか「補語」なのか、あるいは「主語」なのかが比較的容易にわかるような言葉でした。これも現在のドイツ語を想起していただければわかりやすいですよね。さて、屈折ルールが厳格に適用される言葉では、センテンスの意味を理解する上では「語順」はそう重要なファクターではありません。昔の英語は正にそのような言葉でした。あくまでも現在の英語との比較の上でですがそう言えます。

しかし、万物は流転する。現在の英語は屈折の度合いが少なくなっており、センテンスの意味を理解する上で「語順」が極めて重要な役割をはたしています(語順によって、センテンスを構成する単語が文のどんな要素であるかが決まる言葉を「孤立語」と言います)。現在の英語はドイツ語のような「屈折語」から中国語のような「孤立語」に変化してしまったのです。そして、この「屈折語」から「孤立語」への英語の移行が、文型の考え方が英文の仕組みを理解する上での有効性を担保しています。


しかし、文型の考え方が便利なのは英語のセンテンスの仕組みを説明することに限られることも確かです。実際に英語を聞いたり話したり読んだり書いたりするためには、個々の単語(特に、述語動詞になる「動詞」の)性質や用法を知らなければどうしようもありません。例えば、take や make は目的語を取るのか取らないのか、look はどんな前置詞と一緒になってそれぞれどんな意味を持つのか(look at, look up to, look for, look over,・・・)等々を知らなければ英文の意味は金輪際わからないし、話すことも書くこともできないでしょう。

こう考えれば、アメリカやイギリスで出版されている英文法のテキストの多くが、日常生活でも社会生活でもよく使われる動詞の使い方に慣れることから(be 動詞, make, have, do, take, go, run, walk, give, ask, get, bring, hold, say, tell, leave・・・を取り上げて、次に疑問文や否定文への変換訓練をすることから)説明を始めていることは合理的なのだと思います。そこでは、5個や7個のセンテンスパターンですべての英文を統一的に理解するような日本式の姿勢は「理論的には美しくとも、それは英文法の研究者だけがやればいいような暇つぶしの類の事柄」に感じられのだと思います。

英米の英文法のテキストは、英語のセンテンスを聞き/話し/読み/書くための<マニュアル>とも言うべきものであり、テキストの中にも実際に聞き/話し/読み/書くプラクテイスの要素が一般的に実に豊富です。といいますか、プラクティスをすることが英文法テキストの本当の使用目的であり、そのプラクティスのために(しかたなく、必要最小限の)英文法の知識が紹介してあるのかもしれないとさえ私は感じてきました。それに対して、日本の英文法の教科書は、英語のセンテンスの<設計図>とも言うべき英文法の知識を覚えるための便法として(しかたなく)、聞き/話し/読み/書くプラクティスの要素を混入している! 彼我の差は歴然です。


文型論がそうプラクティカルなものではないことを認める限り、しかし、日本人の持っている美意識は(TOEIC・470点以上の初級者、特にTOEIC・800点以上の中級者にとっては)、逆に誰からも批判されることでもないのではないでしょうか。それに、コミュニケーションのツールとしての英語力が同じくらい身についているとしたら、それに加えて、きちんとした英文の理解ができること:文法的に厳密で精緻な英文読解ができるに越したことはないでしょう。正に、「鬼に金棒」の喩えです。

英語のネーティブスピーカーの彼氏/彼女と英語で愛を語らい、ビジネスを英語でなんとかこなす英語力が身についているのなら、英文法の力は説得力がある、あるいは、教養を感じさせる英語を聞いたり話したり読んだり書いたりできるためにも重要なファクターだと思います。まして、英文が厳密に理解できるということは(訓練と経験しだいですが)、速く正確に英文を理解できることと同値です。そして、英米のビジネスコミュニケーションのやり方をデファクトスタンダードとするインターナショナルビジネスが、(文字によるにせよ音声によるにせよ)煎じ詰めれば<ドキュメントの作成と解釈>であることを想起すれば、中級以上の英語力をお持ちの方にとって、英文法の知識こそ最もプラクティカルな知識だと言っても過言ではないのではないでしょうか。このように日頃から私は考えています。

英文法の知識は役に立たない無用の長物でも過去の遺物でもなく、インターナショナルビジネスに従事する中級以上の方にとってはプラクティカルでエフィシエントな知識である。この主張に簡単には「同意できないよね」と思われる方でも、ここの「英文法の知識」を「ライティングのスキル」や「プレゼンテーション/パブリックスピーチのスキル」に置き換えるとすれば、随分、賛成票が増えるのではないかと楽観しています(笑)。要は、私が主張したいことは、教養ある品格ある論理的で事実を踏まえた英語を書き/話すためには英文法の知識は重要であるということなのです。もっとも、「鬼に金棒」という組み合わせが大切であって、コミュニケーション能力の向上と無関係に「金棒」である英文法のマニアックな知識を愛でる「金棒フェチ=英文法フェチ」とでも呼ぶしかない態度は、最早、日本人の美意識によってさえもそう多くの支持は集められないでしょうけれども。


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