ブログ冒頭の⤴️画像:記事内容と関係なさそうな「食べ物やお料理さん系」が少なくないことの理由はなんだろう?
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/4e03beafbd5b690bed61fda9e978db7a
この記事はこのイベント⤵️から始まります。
「STU48瀧野由美子”ゆみりん卒業コンサートのチケット”↖️貧乏暇なしのわが家は一択です」
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/7399b70a820fd6667daaa86f30ea83f3
広島グリーンアリーナで開催された贔屓のアイドルさんの卒コンに参戦。
はい、行きましたよ。コンサート第二部・後半は競争率高いの見えてたので前の方。予定していた知人とのお茶会も数日前にキャンセルになっていたので、後はもみじ饅頭駅界隈(↖️「JR広島駅」とも呼ばれているらしい)でゆみりん👩🎓卒業👩🎓の雰囲気味わってました。
と、急に小腹がすいてきた。そこでむしょうにあるものが食べたくなった。
それは、新幹線ではすぐそこ、博多のとある🍛カレー🍛プレーンの一皿。
(↖️原則、わが家はこのカレーにはトッピングは❎厳禁❎)
https://tabelog.com/fukuoka/A4001/A400101/40027029/
♥️KABUが子供の頃は西鉄福岡駅と同じビル内(地下)の西鉄名店街にあったと思います♥️
わが家の郷里、福岡県の大牟田に(今も)ある三井系の研究所で技術職として働いていた父は夜学で大学を卒業して、その後、地元で中学の教員になった。激務の中よく片道当時は2時間近くかけて福岡まで(↖️福岡の南部県民は「博多」のことを「福岡」と呼びます)通えたものだと、わが父親ながら尊敬する。しかし、世の中に摩訶不思議なことはありません。
なぜ、営利第一で労働者から可能な限り搾取するものとされる(笑)会社が通学や試験・実習のための欠勤や勤務時間帯の変更をーー労組からの「なんであいつだけ❗️」「依怙贔屓じゃなかか?」「組合ば分断する策動ぞ❗️」という声を無視してーー父に認めてくれたのか?
はい、①それはすでに父が幾つかの「発明と発見」で会社に莫大な利益をもたらした実績があるから。そして、②父より随分若いーー確か、東京の旧「三井」から派遣されてきた慶応卒のーー上司に共通の趣味の数学と哲学談義を通して可愛がられていたから。それにしても・・・。
それにしても、福岡までの通学は時間的・金銭的、なにより、体力的に大変だったと思う。そのころ、わたしは物心つく前で全然記憶にないけれど、十歳以上年上の兄たちは「そのころ家にいる父を見た記憶がない」と言っている。でもそこはKABU先生🌺 いつかその当時のことを父に直接聞きました。そして、ここでも世の中に摩訶不思議なことはありませんでした❗️
ーきついと言えばきつかった、でも、半年もすると慣れた
ー組合からの破門状態をみれば「やり遂げるしかない❗️」と
悩みなど朗らかに吹き飛んでいた
ー実は、通学は往きは絶好の🛌仮眠時間と帰りは絶好の📖👓️読書の時間。
で、卒業前は通えなくなるのが残念だった😢
ーそういえば、後半はときどき、(わたしの母からもらった)おこづかいで
西鉄名店街にできた🍛カレー🍛屋さんに寄るのが楽しかった♥️
それから、KABUも小学生になり中学生になり、なにかの用事で家族で福岡に出かけるときにはどこぞのレストランや料亭とかでいただく「ディナー」や「アフタヌーンティー」や「懐石料理」とは別次元で「ナイルのカレー」はわが家の<正餐>でした。
ネットで見かける「食パンは英語でなんと言う?」類いの記事↖️面白いけどちょびっと迷惑かも
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/5fc098f9884e1ac07f0c697584644f81
夜学通学当時、お財布も厳しいこともありトッピングなしでプレーンの一皿を注文していただろう父は(懐かしさもあってそれを注文するし)もちろん全員がプレーン一皿を朗らかに誇らしくいただいていました。そんな家族でナイルに最後に行ったのはいつだったか?
と、そんな思い出が急に脳裏に浮かんだ
もみじ饅頭駅の遅い夕刻でした。
以上
Only yesterday☆ある九州の元公立中学校校長の回想
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/702a2aa00d2ef7a6ff7d38c125ee4f82
江川泰一郎「英文法の基礎」を巡る複雑な雑感↖️後半に父がちょびっと登場します
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/a267f7d3bfbaa362281e6e3bd8820008
今日も朝ごはん朝ごはん食べて英語頑張りましょう❗️