Re:Zero 18話 (嫁ランキング天王山)外国人の反応【日本語字幕】
DJアニキの洞察眼が鋭すぎて脱帽ものww
日本人で適当に見ているだけの層よりもキャラクターの心の動きの深いところまでスバル視点、レム視点、視聴者視点3つを混ぜて正当に評価しているのでこの人は本当に凄い
よく字幕翻訳動画でここまで考察できるものです
加えてエミリアとレムのヒロインレースの意見まで素晴らしすぎてこの人は本当に理解が深い・・・
リゼロのスバルが屑だとか、キャラクターの心の動きが理解できないとかの批判をする者は往々にしてスバル視点でしかスバルの人間性を理解していなかったり、或いは視聴者視点からでしかスバルの内面を読み取れない人の意見なんですよね
DJニキのように様々な視点を持って18話を評価しないと18話がどれだけ深みのある話かは見えてこない
最近の視聴者・読者は作品の上部だけしか見れずに評価を下す人が多いように思えます
つまり読解力が乏しい
そのようなノイジーマイノリティー(もしかしたらマジョリティーかもしれない)がネットに蔓延ってるから特にそういった印象を持ってしまうのかもしれませんが
作品の上部だけしか読み取れない消費者が増えたのは市場の影響もあるでしょうね
大量消費型市場にアニメや漫画ラノベの業界は陥っているから、そこで評価を得ようとする1番簡単な手法が分かりやすい流行りのポイントを押さえた商品を消費者に提供する事
これだけ毎クールアニメ作品が作られていては視聴者側としては沢山のアニメを見ようとしては一つ一つを深く見ていけないんですよね
だから視聴者の人気を得やすくする為に作り手側は分かりやすく派手でインパクト重視の作品を作りがちになる
インスタント食品のように濃い味、即効性重視のもの
変に凝ったものを作ってどれだけその作品に深みがあろうともその作品が地味なら時間のない視聴者はもっと派手で簡単なものを選びます
過去にそういったテクニカルな名作を狙いすぎて、しかし視聴者への受けは悪く人気が出なかったという作品はごまんとあります
得てしてそのような奥行き、深みのある作品は地味なものにもなりやすい
例を挙げるとその極地は回るピングドラムという作品
あれは文学的すぎて誰も本当の意味で理解することはできない作品
作品が視聴者側からすり寄ることを求め、しかしすり寄ってきた視聴者を無慈悲にも突き放す。そんな印象のアニメ
個人的にはあの手の作品はかなり好きです
ピングドラムはまだ成功した部類だと考えますが、テクニカルに狙いすぎるといくら中身が面白くても評価は落ちる
ユリ熊嵐のほうはピングドラムとは違って失敗したように思えます
どこまで視聴者を突き放すか、その塩梅が難しいですね
面白いものが売れるんじゃなくてウケるものが売れるんですから
ちなみにユリ熊嵐の方は5話くらいでついていけなくなって見れませんでした
流行りはインスタントアニメだからそのような作品ばかりが市場に出回り消費者もそれに毒されてインスタントな感想しか持てなくなった
そういった印象
だから個人的には、ですが今後アニメの本数は今の半分くらいには減らしてほしいと願う今日この頃
今のアニメ、漫画ラノベの市場は飽和していて「えっ、こんな面白くない作品までアニメ、漫画、ラノベになるの?」という事態になってます
それらが蔓延ると以降の業界の作品レベルの質の低下に繋がるので数は減らすべき
最近の消費者が表層的な感想しか持てない人も増えてきたのは、単に作り手側の責任とも言えます
最近のアニメ、漫画、ラノベは売れている作品の相互参照をして作っているせいか。或いは単に作り手側に実力がないせいかテンプレな作品しか作れない人が多い
キャラクターの行動一つとってもそこに意味を一つしか付与出来なかったりだとか
特にハーレム系エロラノベに多いですね
名前は上げませんがどれも全部中身は同じで絵柄とスパイスが多少異なるだけ
異質な存在ですがハーレム系ラノベ原作アニメが今の大量消費型市場の影響を受けて生まれたアニメ作品そのものを体現しています
個人的にハーレム系作品は好きではありません
ヒロインが主人公に惚れる要因が訳が分からないものばかりですからね
ハーレムとエロありきで物語を作っているために心の動きが不自然
ラブコメはどれだけ登場人物をキャラクターではなく血の通った人間として描くかが勝負だとは思えますがテンプレハーレム作品はどれも都合のよいキャラクターとして登場人物が配置されているだけなんですよね
最近のアニメで、これは丁寧に血の通った人間としてラブコメ描いているなあと感じた作品はプラスティックメモリーズのツカサとアイラのやり取りですね
ああいったラブコメこそが見ていて気持ちがいい
しかし需要があるのは今のハーレム系作品。視聴者側がそもそも求めているし簡単に売れるんですよね
まあ売れると言っても無難成功レベルの円盤売り上げでなかなか1万枚越えはないですが
それでも狙いまくって狙いを外して爆死する売り上げ1000枚以下のアニメと比較すれば簡単に数字は出せます
アニメを売り上げで語るのは好きではないのでここらで控えますが
だがそれが続くと今後の作品がどんどん腐っていくジレンマ
まあ嫌いと評しつつもエロハーレム系ラノベやアニメは結構好きなんですけどね
頭空っぽにして見れるアニメは楽しいけどそれがスタンダートになると未来が暗いというお話です
因みにひいき目もありましょうがリゼロのラブコメは割と人間を描いていると思います
キャラクターとして都合よく配置されている節もありますが、そもそもリゼロはシリアスよりにシビアに物語が描かれているためにヒューマンドラマタイプ
わかりやすく例を挙げると18話でラストにレムはスバルに抱きしめられて涙を流しますが
その涙の本当の意味は視聴者にはわからないようになっている。レムにしかわからない
そういった表現の作品が最近とても少ないんですよね
最後のレムの涙の理由は色々と原因を考える事ができる
エミリアには勝てないという乙女心の涙。自分の鼓舞により英雄が帰ってきたという嬉し涙。スバルがカッコよすぎて自然に流れた涙などなど
どのように解釈する事もできて視聴者の数だけ正解がある
もちろん全然的を外した感想は一般的に見れば間違いと言えようが、その感想を発した人にとっては正解なんで否定はできない
映画、着信有りの「人の数だけ空はあるんだよ」という名言を思い出すなぁ
着信有りののラストに意味不明に唐突に捻じ込まれるこの台詞。アレの意味が本当にわからない
おそらく作り手側も明確な意図を持って用意した台詞ではなく、視聴者の判断にお任せしますスタイルだとは思えるが
普通に考えれば、人の数だけ価値観が存在しその人その人に物事の判断基準はあるんだよ
だから同じ景色を見ていたとしても本当に見えている景色はその人その人で異なるし、ある人にとっての正義はある人にとっては悪でしかない
人の多様性を解いた台詞であり
劇中の代理ミュンヒハウゼン症候群は一般的に考えれば悪だけど患者にとっては愛情表現であり正義、だとか
でもこれだと誰でもわかるような考察なんで違う気がする
おそらく映画製作者側もよくわかってないとは思う
真実着信有りという作品そのものから生まれ出た名言だろうとは思いますね
平坦な壁に綺麗なボールを投げたら同じ方向に帰ってくるシンプルな作り、ではなく
凹凸のある壁にでこぼこしたボールを投げたら色んな場所にボールが帰ってくる
そういった深みや奥行きのあるキャッチボール作品がブログ主は好きです
このように作品と消費者との間でキャッチボールできる作品が非常に少なくなってきたように思えます
長くなりましたのでまとめるとリゼロ超面白いね!という事です
DJアニキの洞察眼が鋭すぎて脱帽ものww
日本人で適当に見ているだけの層よりもキャラクターの心の動きの深いところまでスバル視点、レム視点、視聴者視点3つを混ぜて正当に評価しているのでこの人は本当に凄い
よく字幕翻訳動画でここまで考察できるものです
加えてエミリアとレムのヒロインレースの意見まで素晴らしすぎてこの人は本当に理解が深い・・・
リゼロのスバルが屑だとか、キャラクターの心の動きが理解できないとかの批判をする者は往々にしてスバル視点でしかスバルの人間性を理解していなかったり、或いは視聴者視点からでしかスバルの内面を読み取れない人の意見なんですよね
DJニキのように様々な視点を持って18話を評価しないと18話がどれだけ深みのある話かは見えてこない
最近の視聴者・読者は作品の上部だけしか見れずに評価を下す人が多いように思えます
つまり読解力が乏しい
そのようなノイジーマイノリティー(もしかしたらマジョリティーかもしれない)がネットに蔓延ってるから特にそういった印象を持ってしまうのかもしれませんが
作品の上部だけしか読み取れない消費者が増えたのは市場の影響もあるでしょうね
大量消費型市場にアニメや漫画ラノベの業界は陥っているから、そこで評価を得ようとする1番簡単な手法が分かりやすい流行りのポイントを押さえた商品を消費者に提供する事
これだけ毎クールアニメ作品が作られていては視聴者側としては沢山のアニメを見ようとしては一つ一つを深く見ていけないんですよね
だから視聴者の人気を得やすくする為に作り手側は分かりやすく派手でインパクト重視の作品を作りがちになる
インスタント食品のように濃い味、即効性重視のもの
変に凝ったものを作ってどれだけその作品に深みがあろうともその作品が地味なら時間のない視聴者はもっと派手で簡単なものを選びます
過去にそういったテクニカルな名作を狙いすぎて、しかし視聴者への受けは悪く人気が出なかったという作品はごまんとあります
得てしてそのような奥行き、深みのある作品は地味なものにもなりやすい
例を挙げるとその極地は回るピングドラムという作品
あれは文学的すぎて誰も本当の意味で理解することはできない作品
作品が視聴者側からすり寄ることを求め、しかしすり寄ってきた視聴者を無慈悲にも突き放す。そんな印象のアニメ
個人的にはあの手の作品はかなり好きです
ピングドラムはまだ成功した部類だと考えますが、テクニカルに狙いすぎるといくら中身が面白くても評価は落ちる
ユリ熊嵐のほうはピングドラムとは違って失敗したように思えます
どこまで視聴者を突き放すか、その塩梅が難しいですね
面白いものが売れるんじゃなくてウケるものが売れるんですから
ちなみにユリ熊嵐の方は5話くらいでついていけなくなって見れませんでした
流行りはインスタントアニメだからそのような作品ばかりが市場に出回り消費者もそれに毒されてインスタントな感想しか持てなくなった
そういった印象
だから個人的には、ですが今後アニメの本数は今の半分くらいには減らしてほしいと願う今日この頃
今のアニメ、漫画ラノベの市場は飽和していて「えっ、こんな面白くない作品までアニメ、漫画、ラノベになるの?」という事態になってます
それらが蔓延ると以降の業界の作品レベルの質の低下に繋がるので数は減らすべき
最近の消費者が表層的な感想しか持てない人も増えてきたのは、単に作り手側の責任とも言えます
最近のアニメ、漫画、ラノベは売れている作品の相互参照をして作っているせいか。或いは単に作り手側に実力がないせいかテンプレな作品しか作れない人が多い
キャラクターの行動一つとってもそこに意味を一つしか付与出来なかったりだとか
特にハーレム系エロラノベに多いですね
名前は上げませんがどれも全部中身は同じで絵柄とスパイスが多少異なるだけ
異質な存在ですがハーレム系ラノベ原作アニメが今の大量消費型市場の影響を受けて生まれたアニメ作品そのものを体現しています
個人的にハーレム系作品は好きではありません
ヒロインが主人公に惚れる要因が訳が分からないものばかりですからね
ハーレムとエロありきで物語を作っているために心の動きが不自然
ラブコメはどれだけ登場人物をキャラクターではなく血の通った人間として描くかが勝負だとは思えますがテンプレハーレム作品はどれも都合のよいキャラクターとして登場人物が配置されているだけなんですよね
最近のアニメで、これは丁寧に血の通った人間としてラブコメ描いているなあと感じた作品はプラスティックメモリーズのツカサとアイラのやり取りですね
ああいったラブコメこそが見ていて気持ちがいい
しかし需要があるのは今のハーレム系作品。視聴者側がそもそも求めているし簡単に売れるんですよね
まあ売れると言っても無難成功レベルの円盤売り上げでなかなか1万枚越えはないですが
それでも狙いまくって狙いを外して爆死する売り上げ1000枚以下のアニメと比較すれば簡単に数字は出せます
アニメを売り上げで語るのは好きではないのでここらで控えますが
だがそれが続くと今後の作品がどんどん腐っていくジレンマ
まあ嫌いと評しつつもエロハーレム系ラノベやアニメは結構好きなんですけどね
頭空っぽにして見れるアニメは楽しいけどそれがスタンダートになると未来が暗いというお話です
因みにひいき目もありましょうがリゼロのラブコメは割と人間を描いていると思います
キャラクターとして都合よく配置されている節もありますが、そもそもリゼロはシリアスよりにシビアに物語が描かれているためにヒューマンドラマタイプ
わかりやすく例を挙げると18話でラストにレムはスバルに抱きしめられて涙を流しますが
その涙の本当の意味は視聴者にはわからないようになっている。レムにしかわからない
そういった表現の作品が最近とても少ないんですよね
最後のレムの涙の理由は色々と原因を考える事ができる
エミリアには勝てないという乙女心の涙。自分の鼓舞により英雄が帰ってきたという嬉し涙。スバルがカッコよすぎて自然に流れた涙などなど
どのように解釈する事もできて視聴者の数だけ正解がある
もちろん全然的を外した感想は一般的に見れば間違いと言えようが、その感想を発した人にとっては正解なんで否定はできない
映画、着信有りの「人の数だけ空はあるんだよ」という名言を思い出すなぁ
着信有りののラストに意味不明に唐突に捻じ込まれるこの台詞。アレの意味が本当にわからない
おそらく作り手側も明確な意図を持って用意した台詞ではなく、視聴者の判断にお任せしますスタイルだとは思えるが
普通に考えれば、人の数だけ価値観が存在しその人その人に物事の判断基準はあるんだよ
だから同じ景色を見ていたとしても本当に見えている景色はその人その人で異なるし、ある人にとっての正義はある人にとっては悪でしかない
人の多様性を解いた台詞であり
劇中の代理ミュンヒハウゼン症候群は一般的に考えれば悪だけど患者にとっては愛情表現であり正義、だとか
でもこれだと誰でもわかるような考察なんで違う気がする
おそらく映画製作者側もよくわかってないとは思う
真実着信有りという作品そのものから生まれ出た名言だろうとは思いますね
平坦な壁に綺麗なボールを投げたら同じ方向に帰ってくるシンプルな作り、ではなく
凹凸のある壁にでこぼこしたボールを投げたら色んな場所にボールが帰ってくる
そういった深みや奥行きのあるキャッチボール作品がブログ主は好きです
このように作品と消費者との間でキャッチボールできる作品が非常に少なくなってきたように思えます
長くなりましたのでまとめるとリゼロ超面白いね!という事です
私も最近アニメの感想を見ていると考えないで表面だけ見ている人が多いと思いました。
回るピングドラム、難しくて理解できませんでしたが面白かったです。それよりもずっとリゼロは分かりやすいと思うのですが好みなのでしょうね。