スマイル(^o^)

『笑顔に勝る化粧なし』 
『笑う門には福来る』の言葉があるように
 笑顔で暮らしましょっ♪(#^^#)

Ψ:あれから・・・

2007年10月27日 23時12分35秒 | Daily life


カーテンを明けたら、一面真っ白だった。
あの日、この街に初雪が降った。
「○○っ!見て見て!! 雪すごいゎ!! 真っ白だょ」
って、息子を起こして、2人して窓の外を眺めていた。

雪なんて毎年イヤになるほど見てるのに、初雪の時は何故か、ワクワクしてしまうのは何でなんだろう?(笑)

そんな時に、電話が鳴った。

こんな早く誰だろ? って、思いながら受話器を取って・・・・
信じられない言葉をしゃべる相手の話を聞いていた。
『○○○さんが・・・・亡くなったの』

へっ? 兄の何が無くなったんだ?って。
なに言ってんのこの人?

普通に考えて、有り得ないことを受け入れる(納得する)までに、頭の中の回線がフル活動してるのに、その事実を受け入れられなかった。
身体の中に入って来ようとしてる悲しみを有りったけの力で阻止してる感じだった。

でも、事実は事実。
現実は現実。
兄の生命の糸が切れたのだ。3年前の10月26日。43歳。脳溢血。夜眠ったまま呆気ない、ホントに呆気なく旅立ってしまった。

生きている間、ほとんど連絡も取り合わなかった兄妹だったけど、「いる」ということが安心だったし、支えだった。

丁度その頃、ラジオから聞こえたのが‘千の風になって’

~私のお墓の前で 泣かないでください
 そこに私はいません 眠ってなんかいません
  千の風になって~♪

仕事の手を止めて声を出して泣いた・・・
そして、思う。
兄はいつも私を見守ってくれているんだなぁ~と。

3年の月日はあっと言う間だったような気がする。


今年の初雪はもう少し後になる予報だ・・・・


∽*∽*∽*∽ 今日の格(名)言∽*∽*∽*∽

《10月20日》
~美智子皇后(1934年10月20日 - )
 【日本の皇族。身位は今上天皇(明仁)の皇后。お印は白樺。日本赤十字社名誉総裁、国際児童図書評議会名誉総裁。】

◎「幸せな子」を育てるのでなく、 どんな境遇に置かれても「幸せになれる子」を育てたい。


《10月21日》
~江戸川乱歩(明治27年(1894年)10月21日 - 昭和40年(1965年)7月28日)
 【大正~昭和期の推理作家、評論家である。筆名は、アメリカの文豪エドガー・アラン・ポーをもじったもの。日本推理作家協会初代理事長。1936年1月から1962年12月にかけて、「少年倶楽部」や「少年」に連載された少年向けの小説「 怪人二十面相」「明智小五郎」「少年探偵団」などが有名】

◎うつし世は夢、夜の夢こそまこと


《10月22日》
~カトリーヌ・ドヌーブ(1943年10月22日-)
 【フランス・パリ出身の女優である。1998年の『ヴァンドーム広場』でヴェネチア国際映画祭女優賞を受賞。】

◎恋というものは誰もそれに逆らえず、自分を守ることもできない本能的感情よ。
◎トップにはなりたくはないわ。いつも自分より上にある何かを見上げていたいから。


《10月23日》
~ペレ(1940年10月23日 - )
 【ブラジルのミナス・ジェライス州トレス・コラソンエス出身の元サッカー選手。アフリカ系ブラジル人。
生涯で1281ゴールを記録するというその実績から、「20世紀最高」、あるいは「サッカー史上最高」と評される選手。「サッカーの王様」と称される。】

◎美しいフットボールをやって負けるよりも,ひどいフットボールをやって勝つ方がいい。


《10月24日》
~小林カツ代(1937年10月24日~)
 【大阪府出身の料理研究家。同じく料理研究家であるケンタロウは実子。】

◎生きるためには食べなくてはなりません。食べるためには食料が必要です。お金がどれほどあっても、お金を食べることはできません。
◎何よりも大切にしなければいけないのは食であり、農であり、それらを育てていく人材です。


《10月25日》
~ピカソ=パブロ・ピカソ(1881年10月25日 - 1973年4月8日)
 【スペインに生まれ、フランスで制作活動をした画家・彫刻家。キュビスムの創始者であり、20世紀以降で最も有名な芸術家である。生涯におよそ13,500点の油絵と素描、100,000点の版画、34,000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な画家であるとギネスブックに記されている。】

◎子供の頃は、ラファエロのように描いていた。子供のように描けるようになるのに、一生かかった。


《10月26日》
~フランソワ・ミッテラン(1916年10月26日 - 1996年1月8日)
 【フランスの左派政治家。社会党所属(第一書記)。フランス第五共和政の第4代共和国大統領を2期14年にわたって務めた。】

◎病は神が癒し、医者が謝礼を受取る。
    ↑
 なんか・・・・意味深い、感慨深いです。


《10月27日》
~セオドア・ルーズベルト( 1858年10月27日 - 1919年1月6日)
 【アメリカ合衆国の第25代副大統領および第26代大統領。第32代大統領フランクリン・ルーズベルトは彼の従兄弟に当たる。】

◎最も優れた管理者とは、計画遂行に相応しい人材を選び出す見識と、彼らのやることに干渉しない自制力を備えた人間である。


<10月20日 59:332>
<10月21日 37:304>
<10月22日 44:294>
<10月23日 27:192>
<10月24日 33;123>
<10月25日 45:136>
<10月26日 38:109>
<10月27日 59:148>


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10 コメント

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Unknown (きゃふちゃん)
2007-10-28 11:23:27
k-a-3さんのお兄様のご冥福をお祈りいたします。私も電話で父の死を聞いた時、一瞬意味が分らなかったのを覚えています。その後何をしなければいけないのか、一人アメリカにいる私は以外に冷静だったのも事実でした。それはまだ現実を受け入れられていなくて、ただ帰国しなければという思いだけだったのかもしれませが。後半年で私も父が他界してから3年目になるのですが、凄く早くここまできました。時間だけが本当に早く経ちますよね。父は50歳でした。今は私もk-a-3さんと同じで見守ってくれてるんだと。本とに「有難う」と毎日思うだけです。毎日電話をしていたので、凄く声が聞きたいと思う時が凄く今でもあります。。ってすいません。。私事で長くなってしまいました。
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Unknown (kim)
2007-10-30 03:01:30
k-a-3さん、

お兄様、早すぎましたよね。
何の前触れもなく、急に家族がいなくなってしまう
なんて私には考えられません。 
どんな、リアクションななるんだろう?
私の父は、闘病生活2年の後になくなりました。
覚悟はできていても、その瞬間は
起こせばおきるだろうと信じこんで、何度も
呼んで目を覚まさせようとしたのを姉が止めたのを
今でもはっきり覚えてます。7年前のことです。

人間の命は、儚いですよね。 
そう思うと、毎日を大切にしないとと
おもうのですが、ままならないです。
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Unknown (フヂタ)
2007-10-30 21:36:57
急逝してしまった事実ってのは中々受け入れられないんでしょうねぇ
「いる」ってことが安心ってのはありますから

僕も家族には殆ど会ってないですから・・・
もう少し会うようにしようかな・・
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きゃふちゃんさんへ (k-a-3)
2007-10-31 13:23:01
ホントに、ホントに、月日の流れは早いですね。
ソレはある意味‘時薬’となって、自分の心を癒してくれているのかもしれません。

時間が解決してくれること、時間だけしか解決できないこともありますからね・・・・

もっと、話しをしておけば良かったとか、もっと・・・・と思いますが、ソレは今になって思うことで、何事もなく時間が過ぎていたら、何にもしないまま時間ばかりが過ぎて行くんだと思いますしね。

でも、亡くなっているからこそ、今、心に思うことも伝わっているんだと思いますしね。
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kimさんへ (k-a-3)
2007-10-31 13:36:23
そうでしたか・・・
kimさんもお父様を亡くされて7年が過ぎたんですか・・・
眠ったまま亡くなった兄の顔は、本当に眠っているようで、顔に触れたら「なにすんだょ」って起きてきそうなほど穏やかな顔でした。
でも、冷たくて現実がそこにあったんですけどね。

そうですね。
文字通り、明日のことは誰にも分からない・・・
一日一日を大事に生きなければ!と思いますね。
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フヂタさんへ (k-a-3)
2007-10-31 13:43:16
そうなんですよ。
「いる」ということに甘えちゃうというか、ソレが普通すぎてなんも考えていないんですよね。

何年か前に同級生も亡くなったんです。
突然でした。
その時も思ったんですけど「そのうちにね~」とか「いつかね~」って先延ばしにするのはやめようって。
お互いに許せば!なんですけど、会える時間があるときには会おう♪って思いましたね。
思った時には行動しておこう!って。
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Unknown (きゃふちゃん)
2007-11-01 02:54:36
よく「もっと話をしておけばよかった」という事を聞きますが、k-a-3さんも仰ってますが、私の場合不思議な事にそれは思わないんです。もちろん話せればいいのですが、小さい頃から、喋り過ぎたといいますが、毎日電話で長い間喋ったり、家にいても私が父の後をついてどこにでも行ったりしていたので、そういう意味での「話しておけばよかった」はないんです。ただ毎日会話をし過ぎて、声を聞きたいというのは凄くあるんですよね。いつも思うんです。多分普通の父娘が会話する一生分の会話は、もうすでにしているんだと。旅行もいっつも一緒に行ってましたし。ってすいません・・。又私事を書いてしまいました。。
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そうでしたか。 ()
2007-11-02 17:27:10
そうなんですよね~
あまり連絡を取り合わなくても
「健在」なのが普通ですもんね。

親の場合はまだ諦めが
付くんですけど
兄弟は若いですよ。

あまり苦しまずに逝かれたんですかね。
家族にとっては、せめてもの救いですよね。
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きゃふちゃんさんへ (k-a-3)
2007-11-03 18:59:14
それは、心残りがなくて、羨ましいといえば羨ましいですね。
私の場合は、まさかこんな日が来るなんて思ってもいなかったし、大人になってから、連絡を取り合わない兄妹だったんですよ。
それでもなんにも困らない。みたいなね・・・。
だから、知らないこといっぱい。って言うか、ほとんど知らないまんまだもの。。。。

逆に、私は、なんの思い出もないことで、亡くなってしまった実感もないんです。
今までとなんも変わらない日常だから・・・

返信する
茜さんへ (k-a-3)
2007-11-03 19:26:14
そうだったんです。
丁度1年前に母親が亡くなって、一周忌の話しで連絡したのが話しをした最後になってしまいました。
きっと、母親が連れて行ったのか?母親が恋しくて側に行ったのかも?って、私は思ってます。

脳溢血で亡くなった人としては、とてもキレイだったらしいです。
その人によっては、苦しむそうですから・・・

兄は、ホント、身内ながら「こんないい顔してたっけ?」って思うほど、いい顔でした。
あの顔を覚えていられるのも、ある意味、幸せなことですね。
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