外気温は低かったみたいですが、家の中は暖かかったです。
日中は窓を開けるほどでした。
確かに・・・お友達から届けられた、私の大好物の『サツマイモ』を蒸かしていたのもあったとは思うのですが・・・・
鍋から吹いていた湯気の中には、お友達の心も混じっていたから・・・ポカポカだったんですね~
最近、息子との事で、話し合い?言い合い?になったこともあり、ここのところ取り上げられている「いじめ」問題のことを考えたんですよ。
私が小学生だった今から30数年前。
田舎の学校ということもあり、本当に長閑でした。
まぁ、先生に恵まれていたことは確かなんですが・・・・。
小学2~4年までの担任は同じ先生でした。男の先生で、どっちかと言えばお爺ちゃんの域に入ってました。
夏の体育の授業は殆ど、目の前の海で海水浴。(岩場の海だったので、戦利品も)
理科の時間だったか、道徳だったか忘れましたが、裏山へ探検に出かけました。山ブドウや野いちごを摘まみながら、バッタやトンボを追いかけたりもしていました。
途中で、農家のおばさんたちや、漁師のおじさんたちにすれ違っても「こんにちはぁ~」って元気に挨拶し、途中にある同級生の家に寄ってトイレを借りたり、水分補給をさせてもらったり・・・・
でも、勉強もチャンとしてました。
国語の時間、「電話」という漢字がなかなか読めなくて、みんなで居残り。読めた人から順に帰る。ということもありました。
(これをチャンとしていたと言う基準にしていいものかは、おいておいて・笑)
そして、先生がどこかに旅行に行ってきたら、必ず皆にお土産を買ってきてくれまたんですねぇ。
赤と青の色鉛筆
ず~っと使わないで取って置いたはずなんだけど・・・・いつの間にかどっかにいってしまいました~
大人になってからもず~っと年賀状のやり取りは続いていました。
先生の年賀状は昔から自分で作った版画。
何回も何回も色を重ねた、手(心)の込んだものでした。
先に奥さんを亡くされた年に、そのことを知らせる電話を頂いたのは、先生が転勤で地元を離れて10数年後の事でした。
その後体調を崩し入退院を繰り返していると、聞いていても、なかなかお見舞いにも行かれないでいたある日、突然、電話を頂きました。
『先生な、チョッとノドの調子が悪くて、これから本格的に入院になるんだ・・・。多分、こうやって電話するのも最後かもしれないからと思って・・・。
お前はしっかりした子だったけど、それがあまりにも気になってな・・・。年賀状貰うたびに、お前らしく生きてるんだなぁ~と思っていたんだぞ・・・。そしたらな、これからも、お前はお前らしく頑張るんだぞ・・・・』って、しわがれた声で、一方的にしゃべって電話は切れてしまいました。
その年の年賀状は届くことなく、春になった頃、息子さんから先生が亡くなったことを知らせるハガキが届きました。
そこに書かれていた息子さんの住所が内地だったので、お墓参りにも行けないままで、月日が流れてしまいました。ハガキも今は手元から無くなってしまったような気がします。
昔々・・・
私たちの子供の頃は、競い合う事などなく、助け合いながら、長閑に時間が流れていました
息子が小さい頃、同級生によく言われた。
「いやぁ~、あそこ(私達が居た田舎)で育ててやりたいボンズだな」って・・・・
『先生! 元気にやってますよ 私たちのこと見ながら、まったくお前ならな・・・って、笑ってくれてますかぁ~~~』
☆・・・…?????????????…・・・☆
今日は何の日?
<10月28日>
『1636年、ハーバード大学(米国最古の大学)創立』
『1886年、米独立100周年を祝い仏から寄贈された自由の女神像の除幕式が行われる』
※この、除幕式が行われた日を、25日のところに書いてしまいました。が、正しくは28日でした。訂正いたします_(._.)_
<10月29日>
『1945年、日本勧業銀行、第1回宝くじを発売 1枚10円 1等賞金10万円 売り上げは2500万円』
『1969年、ソニーと松下電器が家庭用VTR の開発を発表した⇒ホームビデオの日』
<10月27日閲覧数171pv アクセス数70ip>
<10月28日閲覧数65pv アクセス数32ip>