来週1月21日に、麹町のカスケードホールで、東京都児童作曲コンクールの表彰式と作品発表会がある。
私は毎年、夏休み前から4年生以上を対象に作曲指導をして、応募を呼びかけている。
今年度は5年生が5人作品を応募し、全員入選させていただいた。
夏休みも毎日学校に呼んで、マンツーマンで指導した甲斐があった。
最近、記譜についても厳しくなって、筆圧・符割り・発想記号などのダメ出しがあり、何度も書き直させた。
冬休みも、この作品発表会にむけて、ピアノの指導をしたり、歌の録音をしたり、二部合唱に編曲したりして、毎日出勤していた。
異動1年目というのは、その学校にとって新しいことを始めるのに、いろいろと周囲の人に理解してもらうのが大変である。
昨年末は、事実無根のクレームを保護者に書かれ、管理職に毎日のように呼ばれ、本当に気分が滅入り落ち込んだ。
納得がいかないまま、家まで謝りにも行かされた。
同時期に、手術が必要な病気も見つかり、悶々とする日々が続いていた。
もし西本さんとの第九がなかったら、最悪の年末になっていた。
第九を歌っている時だけは、全てが小さなことのように感じられた。
そして、西本さんとの会話に救われた。
「小学校の先生は大変やね。(ようこそ先輩の授業は)3日間だけやったけど、私には勤まらんわ~。子どもはかわいいけどね。」とおっしゃっていた。
そして最後に「がんばってくださいね。」と握手をしてくださった。「はい、がんばります。」と言った後、私は泣きそうになった。
その後、東響コーラスの仲間から、西本さんの「波瀾万丈」のDVDを借り、
留学時代に大変なご苦労をされ、ヘルニアとムチウチを併発され、
杖をついて舞台に上がる姿を見て、号泣した。
彼女の苦労に比べれば、私のは取るに足らない。
もっと強く生きよう!と心に誓った。
西本さんが人に優しいのは、いろんな痛みがわかる人だからなのだと思う。
今も、寝ても醒めても西本さんのことを考えてしまうのは、
彼女の生き方に、ものすごく勇気をもらったからだ。
音楽的にも人間的にも、少しでも彼女に近づきたい。
話を作曲コンクールのことに戻そう。
今度の作曲コンクールには、私の前任校での教え子が2年連続で入選しており、その子に会うのも楽しみの一つである。
1年ぶり、どのように成長していて、どのような作品を聴かせてくれるのか、ワクワクする。
だいたいの学校が自作自演するのだが、今回の私の学校では、
課題詩にメロディをつけたものが1曲(児童が独唱し私がピアノ伴奏をする)
グループで作詞してメロディをつけたものが1曲(これは私が合唱曲に編曲したものを5人で二部合唱する)
ピアノ独奏曲が1曲である。
毎年、作品発表会を聴いて思うのは、作曲した児童が必ずしも演奏も素晴らしいわけではないけれども、舞台での表情や立ち振る舞いはとても大切。
やはり音楽は、自分の気持ちや思いを聴いている人に伝えるものだから、心をこめて演奏してもらいたい。
「秋のトンネル」…3拍子のリズムにのって、すすきが揺れている感じを出してね。
「Happy Smile」…5人で仲良く手を繋いで、笑顔で歌ってね。聴いている人達も笑顔になるように、元気を届けよう!
「川の光」…左手はゆったりとした川の流れを静かに表現。
アルペジオは、重要な音を意識して浮き立たせて。
右手はキラキラと水面を照らす光を思い浮かべ、メロディラインをはっきりと弾いてね。
いつも言っているように、右手と左手は別々に練習してね。
納得できるレベルになってから、両手のバランスを考えて弾いてね。
もし、当日緊張して、頭が真っ白になったとしても、練習をいっぱいしてれば、手がおぼえていて勝手に動いてくれるから。
明日も必ず、練習してね。
金曜日の帰り、学校を出たのが20時過ぎで、勤務校の保護者の方に会った。
「先生、こんなに遅くまでお疲れ様です。子ども達のためにいつも熱心にありがとうございます。」とご丁寧に挨拶していただいた。
嬉しく有り難かった。疲れが吹っ飛んだ。
クレームつける親もいれば、感謝してくれる親もいる
何より、頑張っているかどうかは、自分自身が一番よく知っている。
作曲コンクールと同時進行で、「6年生を送る会」の全員合唱曲と学年の歌、全クラス分の音源の録音。
卒業式で歌うオリジナルソングのピアノ伴奏譜の浄書。
音楽部の研究紀要の原稿作成。
来年度のキャリア教育の全体指導計画作成。
今日はどこへも行かず、持ち帰り仕事をこなした1日だった。
やることが多くて押しつぶされそうだが、1月末の西本さんのタイトなスケジュール(毎日本番!しかも日本各地に移動し)を拝見して、私も弱音を吐かずに、笑顔で仕事をしようと決意した。
私は毎年、夏休み前から4年生以上を対象に作曲指導をして、応募を呼びかけている。
今年度は5年生が5人作品を応募し、全員入選させていただいた。
夏休みも毎日学校に呼んで、マンツーマンで指導した甲斐があった。
最近、記譜についても厳しくなって、筆圧・符割り・発想記号などのダメ出しがあり、何度も書き直させた。
冬休みも、この作品発表会にむけて、ピアノの指導をしたり、歌の録音をしたり、二部合唱に編曲したりして、毎日出勤していた。
異動1年目というのは、その学校にとって新しいことを始めるのに、いろいろと周囲の人に理解してもらうのが大変である。
昨年末は、事実無根のクレームを保護者に書かれ、管理職に毎日のように呼ばれ、本当に気分が滅入り落ち込んだ。
納得がいかないまま、家まで謝りにも行かされた。
同時期に、手術が必要な病気も見つかり、悶々とする日々が続いていた。
もし西本さんとの第九がなかったら、最悪の年末になっていた。
第九を歌っている時だけは、全てが小さなことのように感じられた。
そして、西本さんとの会話に救われた。
「小学校の先生は大変やね。(ようこそ先輩の授業は)3日間だけやったけど、私には勤まらんわ~。子どもはかわいいけどね。」とおっしゃっていた。
そして最後に「がんばってくださいね。」と握手をしてくださった。「はい、がんばります。」と言った後、私は泣きそうになった。
その後、東響コーラスの仲間から、西本さんの「波瀾万丈」のDVDを借り、
留学時代に大変なご苦労をされ、ヘルニアとムチウチを併発され、
杖をついて舞台に上がる姿を見て、号泣した。
彼女の苦労に比べれば、私のは取るに足らない。
もっと強く生きよう!と心に誓った。
西本さんが人に優しいのは、いろんな痛みがわかる人だからなのだと思う。
今も、寝ても醒めても西本さんのことを考えてしまうのは、
彼女の生き方に、ものすごく勇気をもらったからだ。
音楽的にも人間的にも、少しでも彼女に近づきたい。
話を作曲コンクールのことに戻そう。
今度の作曲コンクールには、私の前任校での教え子が2年連続で入選しており、その子に会うのも楽しみの一つである。
1年ぶり、どのように成長していて、どのような作品を聴かせてくれるのか、ワクワクする。
だいたいの学校が自作自演するのだが、今回の私の学校では、
課題詩にメロディをつけたものが1曲(児童が独唱し私がピアノ伴奏をする)
グループで作詞してメロディをつけたものが1曲(これは私が合唱曲に編曲したものを5人で二部合唱する)
ピアノ独奏曲が1曲である。
毎年、作品発表会を聴いて思うのは、作曲した児童が必ずしも演奏も素晴らしいわけではないけれども、舞台での表情や立ち振る舞いはとても大切。
やはり音楽は、自分の気持ちや思いを聴いている人に伝えるものだから、心をこめて演奏してもらいたい。
「秋のトンネル」…3拍子のリズムにのって、すすきが揺れている感じを出してね。
「Happy Smile」…5人で仲良く手を繋いで、笑顔で歌ってね。聴いている人達も笑顔になるように、元気を届けよう!
「川の光」…左手はゆったりとした川の流れを静かに表現。
アルペジオは、重要な音を意識して浮き立たせて。
右手はキラキラと水面を照らす光を思い浮かべ、メロディラインをはっきりと弾いてね。
いつも言っているように、右手と左手は別々に練習してね。
納得できるレベルになってから、両手のバランスを考えて弾いてね。
もし、当日緊張して、頭が真っ白になったとしても、練習をいっぱいしてれば、手がおぼえていて勝手に動いてくれるから。
明日も必ず、練習してね。
金曜日の帰り、学校を出たのが20時過ぎで、勤務校の保護者の方に会った。
「先生、こんなに遅くまでお疲れ様です。子ども達のためにいつも熱心にありがとうございます。」とご丁寧に挨拶していただいた。
嬉しく有り難かった。疲れが吹っ飛んだ。
クレームつける親もいれば、感謝してくれる親もいる
何より、頑張っているかどうかは、自分自身が一番よく知っている。
作曲コンクールと同時進行で、「6年生を送る会」の全員合唱曲と学年の歌、全クラス分の音源の録音。
卒業式で歌うオリジナルソングのピアノ伴奏譜の浄書。
音楽部の研究紀要の原稿作成。
来年度のキャリア教育の全体指導計画作成。
今日はどこへも行かず、持ち帰り仕事をこなした1日だった。
やることが多くて押しつぶされそうだが、1月末の西本さんのタイトなスケジュール(毎日本番!しかも日本各地に移動し)を拝見して、私も弱音を吐かずに、笑顔で仕事をしようと決意した。