醸楽庵(じょうらくあん)だより 

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醸楽庵だより   1541号   白井一道

2020-10-06 11:54:50 | 随筆・小説


法学館憲法研究所 【今週の一言】より
  
 政府と専門家と医療現場の関係
          --- 新型コロナ感染症への対応をめぐって ---
                                  島薗 進さん(東京大学名誉教授)



大学病院と医学教育の苦境
 『朝日新聞』は9月27日付で「東京女子医大、学費1200万円値上げ コロナで経営難」との見出しの記事を掲載している。同大は2021年度の入学生について、学費を6年間で計1200万円上げるという。河合塾の調査では、「総額が最も高いのは川崎医科大(岡山県)の4736万5千円。今回の値上げで東京女子医大は21年度から、金沢医科大(石川県)を上回り2番目に高いところになりそうだ」。
 コロナ禍以前には、医学部学費値下げの動きもあった。日本医科大(東京都)は2018年に初年度の学費を100万円ほど下げた。「順天堂大(東京都)が08年に大幅に下げて以降、優秀な学生を集めようと各大学が相次いで下げていた」。ここへ来て、東京女子医大の学費値上げが伝えられたが、これは東京女子医大の特別な事情というわけではないようだ。
 この記事は、「その(学費値下げの)流れがここに来て変わろうとしている」と述べる。「背景として教育設備に費用がかかることに加え、コロナ禍で大学病院の経営が苦しくなっていることが考えられる」としている。私立大学の医学部への進学がますます高額所得者の子弟に限定されていく方向性をたどることになるだろう。公平さという点で問題が多いとともに、医師の質が落ちることも想定せざるをえない。コロナ禍によって生じた情けない事態だ。
 思い起こされるのは、東京女子医大病院で夏のボーナスが支給されないとの通知を受け、7月16日に労働組合が400名以上の退職を予想しているのが報じられたことだ。これについては、コロナ禍以前からの問題もあったようだが、やはり決定打はコロナ禍による病院収入の激減だったという。『東洋経済新報』は同病院職員に取材し、次のような怨嗟の声を伝えている。
「私たちが必死でやってきたことに、感謝すら感じていないのだと思い、本当に涙が出ます」(30代・看護師)
「どこまで頑張る職員を侮辱し、痛めつければ気が済むのですか? 職員が病気になりますよ」(30代・医療技術者)
 私は若い死生学研究者らが4月末に立ち上げた「感染症と闘う医療介護従事者の話を聴く会」 という集いに加わり、主に医療従事者の話を聞いてきた。大小の医療機関に勤務する人たちの話はもちろん多様であるが、新型コロナ感染症を予防するための労力の大きさとともに、医療機関の経営環境が苦しくなり、そのしわ寄せが医療従事者に及んでいるということは多くの話し手に共通していた。医療機関を支援するという点で、政府の対策はきわめて不十分なものと思わざるをえない。
「専門家会議」「分科会」と医療現場の乖離
 では、政府のコロナ対策への助言を行う役割の「専門家会議」(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議、2月16日初会合)や「分科会」(新型コロナウイルス感染症対策分科会、7月6日初会合)は、現場で診療にあたっている医療従事者の声を十分に反映するような対策を提示してきただろうか。どうもそのようには思えない。政府の対策はことごとに後手に回ったと評されてきたが、それは政府に助言する専門家らの対応の遅れとも深く関わっている。
 この専門家らの中核には、国立感染症研究所の関係者がおり、彼らは厚労省の医系技官らと一体であり、各地の保健所を通して、公衆衛生の具体策を実施する立場にある。オリンピックを開催したかったり、経済重視の政策に傾きがちな政府に専門家が歩調を合わせるように見える事態が続いた。典型的にはPCR検査の拡充が遅れたことだ。
 これについては、まだ初動の段階の2月28日の『日経バイオテク』に久保田文記者が、「新型コロナウイルス、検査体制の拡充が後手に回った裏事情」という記事を寄せている。この記事をみると、厚労省と感染研が自らが開発した検査法にこだわり、大学との協力に対して消極的であったり、世界的に行われている検査の方法は信頼性が低いとして感染研が開発した検査法に固執していることが見えてくる。3月11日には、国立感染症研究所、脇田隆字所長名で「新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)PCR検査法の開発と支援の状況について」という文書が公表された。
 この文書の意図するところは読み取りにくいが、以下のようなところからうかがわれる。「地方衛生研究所で本感染症のPCR検査を開始した当初は、検査の質を保証することが最も重要な課題でした」とあり、これは「検査の質を保証する」ために検査の拡充が遅れたことへの弁明と受け取れる。また、2月13日に、WHOから情報提供がなされたロシュ社製の検査法と本所開発の検査法の相互検証を行い、検出感度が同等であることを公表し、民間の検査機関での検査実施に向け協力を開始した、とある。これは世界的に普及しており、迅速で廉価に検査ができるロシュ社製の検査法の採用が遅れたことの弁明と受け取れる。だが、その後も感染研の検査法への固執が続き、それ以外の検査法の普及が遅れ、それらは高価になる事態が続いた。結果として、あくまで保健所の指示によってのみ行われる行政検査が主体となる時期が続き、長期にわたってPCR検査がしにくい状態が続いた。
なぜ、PCR検査の拡充が遅れたのか?
 ようやく9月28日になって、「秋から冬にかけて新型コロナウイルスとインフルエンザの同時流行に備え、厚生労働省は、相談や検査の体制を10月中に大きく変えることにしてい」る(NHK)との報道がなされるに至った。
 10月から新型コロナウイルスの相談や検査を地域の診療所が担う見込みとなっていることについて、日本感染症学会の理事長で東邦大学の舘田一博教授は「秋冬のシーズンを迎えると、発熱の患者は確実に増えてくるが、多くが普通のかぜの人のはずなので、保健所だけですべて対応することは現実的ではない。開業医の力を借りることで、深刻な状態が続いている保健所の負担が軽減されるきっかけになるはずだ」と述べました。

 PCR検査の実施が保健所の判断によって決められ、37.5度以上の熱で4日間などの条件が付され、たいへん限定されてしまったために、検査ができずに病状が深刻化するなどの事態が目立ったのは3月から5月にかけてのことである。その体制が10月になって、ようやく改善する方向が見えてきたようである。
 まさに後手後手となっているが、これは感染研が自家調整の試薬にこだわったことが大きな要因となった。それによって文科省や全国の大学との連携が遅れてしまった。これについては、山岡淳一郎『ドキュメント感染症利権――医療を蝕む闇の構造』(ちくま新書、2020年8月)に整理して述べられている。3月初め頃、感染症が文科省を通じて全国の大学に遺伝子検査が可能かどうかヒアリングを始めた。ところが、「感染症の自家調整の遺伝子検査に必要な試薬を配布するので、遺伝子検査ができるかどうかというヒアリングで、感染症の自家調整の遺伝子検査が前提になっていた」(ある大学病院の医師)。このため、大学側は応じることがなかったのだという。山岡氏は「厚労省はテリトリーにしがみつき、文科側は不作為で応じる、大学や研究機関の検査能力はまったく活かされなかった」とまとめている(29ページ)。
PCR抑制論を説く専門家
 現場の医療従事者や市民の苦境を軽んじるかのようなこうした対応に輪をかけたのは、PCR検査を増やすことに大きな意義はないという言説だった。たとえば、専門家会議と分科会の双方に加わっており、厚労省による新型コロナ感染症対策の中心的研究者として尽力した東北大学の押谷仁教授は、4月13日の日本内科学会では、「PCR検査数を増やすなということは一度も言ったことがない」と述べている。
 だが、6月1日の外国人記者向けの会見では、「PCR検査の能力を増やすのはとても慎重だった」と英語で説明している。(個人用防護具)が足りないから検査できなかった、検査で患者が増えると病院のキャパシティが追い付かないから検査を増やさなかった、などと述べていた。また、5月29日の記者会見で、押谷仁氏は「(PCR検査によって)症状のない人でどのくらいの感度で(感染が)見つかるかは分かっていない」と述べ、無症状者に検査対象が広がることに慎重な姿勢を見せた」 (『毎日新聞』5月31日)と報じられている。
 押谷氏は濃厚接触者等への聞き取りでクラスターを見つけていく「積極的疫学調査」推進の中心的人物だが、保健所がそちらに力を入れることによって、PCR検査に割く余力が失われることは避けがたいことだった。3月22日のNHK番組、「“パンデミック”との闘い~感染拡大は封じ込められるか~」で押谷氏は、「クラスターさえ見つけられていれば、ある程度制御ができる。むしろすべての人がPCR検査を受けることになると、医療機関に多くの人が殺到して、そこで感染が広がってしまうという懸念があって、PCR検査を抑えていることが日本が踏みとどまっている大きな理由」だと述べていた。
 だが、実は専門家たちは、PCR検査がなかなか拡充しなかったのは、日本にはもともとその能力がなかったからだ、という認識をもっていた。すでに3月10日の参院予算委員会公聴会で政府専門家会議の尾身茂副座長は、「検査は不要だから」、あるいは「医療崩壊を防ぐため」していないのではなく、「検査できないからしていなかった」という趣旨のことを述べていた。押谷氏も、実は検査能力が欠けていたために、苦肉の策として積極的疫学調査で勝負をした、という趣旨のことを何度か述べている。SARSやMERSを経験した東アジアの他の国と比べて、日本は検査体制が整っていなかった。だから、それを補って、検査に匹敵する成果を上げるために積極的疫学調査に力を入れるというのである。
 PCR検査の拡充が遅れた、こうした背景事情について専門家は一度もまとまった説明をすることはなかった。そのかわりに、PCR検査を増やすことにあまり意義はないという科学的根拠のない言説が広まるのを許した、あるいは促したのだった。