野ざらしを心に風のしむ身哉 芭蕉
貞享元年(1684)秋、江上の破屋、芭蕉庵を後に41歳になった芭蕉は門人の千里を伴い、ふる里に旅立つ。この旅の紀行文が「野ざらし紀行(甲子吟行)」である。この「野ざらし紀行」の巻頭に掲げられている句が「野ざらしを心に風のしむ身哉」である。この句を初めて知ったのは高校三年の国語乙、古文の授業においてであった。詩歌に縁のなかった私にこの句が心に沁みていく不思議な感覚を覚えた。晩秋の夕暮の景色が瞼に浮かんだ。行く人のない一本道を年老いた男が一人、杖をつきとぼとぼと行く姿である。泊めてもらえる宿の予定がない。それでも男は物に憑かれたように歩み行く。
この句を習い、私は芭蕉が好きになった。深夜、月下の理想郷に行くようなつもりになって芭蕉は旅立った。旅の食糧を、宿をどうするかと心を煩わすことなく旅立つ。やがて秋風の寒さが身に沁みる。道野辺に自分の髑髏が風雨にさらされる。月下の理想郷の果てを覚悟した心境を詠んだ句だと教師は説明したような記憶が残っている。この教師の説明を聞き、感動が背筋を走った。新しく知ったことに感動する年頃だったのだろう。
この授業のとき、強い雨が降ってきた。外を眺めた生徒に向って教師は言った。今日傘を持ってきていない。どうしようと心配するような者には芭蕉の気持ちなど分かるまいと。ロマンとは日常生活にまとわりつく雑念から解放されることなんだ。芭蕉はロマンに生きた詩人だった。このようなことをこの授業を通して学んだ。
素堂は「野ざらし紀行(甲子吟行)」の跋に述べている。「こがねは人の求めなれど、求むれバ心静かならず。色は人のこのむ物から、このめば身をあやまつ。ただ、心の友とかたりなぐさむよりたのしきハはなし。ここに隠士あり。その名を芭蕉とよぶ」。俳諧師として成功していた芭蕉は俳諧宗匠として安穏な生活を求めなかった。だから現在に伝わる芭蕉の作品があるのかもしれない。
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