醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  6号    聖海

2014-11-19 09:50:34 | 日記
醸楽庵ゼミナール   6号   聖海

なぜ正岡子規は蕪村を芭蕉より高く評価したのか。

 芭蕉の句は嫌い。侘びとか、寂びとかいうのでしょ。農家の古ぼけた納屋を詠んでいるような気がするわ。蕪村の句は明るいじゃない。だから良いのよ。こう発言する若い女性がいた。私は初めて芭蕉の句に親しめない人がいることを知った。
 俳句をする人にとって芭蕉は神様に祭り上げられている。芭蕉の句だったら、何でもいいと言う人がいる。こういう人が大勢いるような感じがするね。だから嫌いだ。俺は芭蕉神社に詣でるつもりはないよ。一茶の句には隣のおやじが詠んだ句のようなものを感じるんだ。だから親しめる。親しみやすいから良いんだ。ここにも芭蕉の句を好まない初老の男がいた。
 蕪村の句に親しむ人が増え始めたのは明治になってから正岡子規が芭蕉の句を否定し、蕪村の句をいい句だと言い始めてからのようだ。正岡子規は明治以降の日本人に大きな影響を与えた。その一つが蕪村の句を高く評価したことだ。子規が芭蕉の句を否定し、蕪村の句を評価した理由は何だったのだろうか。
 「俳人蕪村」の中で子規は述べている。芭蕉は消極的美を表現したが蕪村は積極的美を表現した。季節が積極的に美しいと子規が言うのは春と夏のことである。陽光がきらきら輝く季節だ。蕪村の句には比較的春と夏の句が多い。結果として蕪村の句は明るい。元気で溌剌としているということか。蕪村の句に対し、芭蕉の句には秋と冬の句が多い。秋から冬にかけての季節は消極的である。これが子規の主張である。この季節の柔らかな光に積極的な美しさを子規は感じなかった。芭蕉の句は消極的で暗い。具体的に子規は述べている。「若葉」という季語を芭蕉は二句詠んでいると子規は述べているが実際は四句詠んでいる。子規が紹介する一つは「おくのほそ道」、日光で詠んだ「あらたふと青葉若葉の日の光」である。もう一つは「笈の小文」、唐招提寺鑑真像を拝み、詠んだ「若葉して御めの雫ぬぐはばや」である。子規はこの二句を挙げているが芭蕉はこの他に同じ「笈の小文」に「いも植えて門は葎の若葉哉」があり、「むぐらさへ若葉はやさし破レ家」という句を詠んでいる。子規はこれらの芭蕉の句を知ることができなかったのかもしれない。
 蕪村は「若葉」という季語を十余句も詠んでいると子規は主張し次の句を紹介している。「をちこちに滝の音聞く若葉かな」、「蚊帳(かや)を出て奈良を立ち行く若葉かな」、「窓の灯(ひ)の梢(こずえ)に上(のぼ)る若葉かな」、「絶頂の城たのもしき若葉かな」かな」である。
 春や夏を表現する季語を詠んでいる句が蕪村に比べて芭蕉は少ないから芭蕉の句は消極的だという子規の主張に私は疑問を感じる。例えば「あらたふと青葉若葉の日の光」を私は次のように感じている。日光東照宮に至る参道におおいかぶさる青葉若葉の下を通って芭蕉はお参りに行く。東照宮を拝謁した芭蕉は絶叫した。「あー何と、荘厳なことか」。「おー何と、きらびやかなことか」。「日の光、日光は何と、神々しいことか」。この感動を表現した句が「あらたふと」の句である。この芭蕉の絶叫がなんで消極的なのであろうか。子規の芭蕉解釈はピントがずれている。
 「若葉して御めの雫ぬぐはばや」と芭蕉は鑑真像に拝謁し詠んだ。この句が表現している世界は鑑真の偉業を讃えていることである。日本への渡海に光を失いながら仏教の伝播に命をかけた鑑真の心に涙したのだ。この句が表現する若葉は優しさであろう。こうした優しさが消極的なものであるはずない。芭蕉は「若葉」という春を表現する季語を数多く詠んでいないという理由で消極的である主張するのは句の本質を把握していないのではないだろうか。
 蕪村の句「をちこちに滝の音聞く若葉かな」が表現している世界は春の山の沢である。蕪村は目に見える自然を写生した。日常的に目にする自然を表現した。ここに近代の精神を子規は見た。絵を目に見えるように描く。この精神を文学に適用したのが子規の俳句なのだろう。だから芭蕉の句を古いと否定したのかもしれない。しかし芭蕉の句の方が蕪村の句より表現された世界が遥かに深く、広い。人間の心を芭蕉は表現している。


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