醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1172号   白井一道

2019-08-31 10:17:10 | 随筆・小説



    菊の後大根の外更になし   芭蕉   元禄間年



句郎 「菊の後大根の外更になし」。元禄間年。『陸奥鵆』。
華女 菊と大根ね。二つとも今では季語になっているわね。大根を詠んだ和歌はあるのかしら。
句郎 大根は和歌の対象にはならなかった。大根の姿かたちが歌人の心に訴えるものがなかったのではないかと思う。,
華女 大根が普及したのはいつごろだったのかしら。
句郎 江戸時代に急激に普及したようだ。原産地はコーカサス地方だと言われている。日本には中国、朝鮮を通じて奈良時代にはすでに日本に伝わっていた。
華女 芭蕉の生きた時代には大根が江戸庶民の根菜になっていたということね。
句郎 沢庵漬けが普及するのも16世紀後半頃からのようだ。三代将軍家光が推賞したという話がある。
華女 芭蕉が菊と大根とを取り合わせたところに俳諧があるということなのね。
句郎 何しろ菊は古い歴史を持つ高貴な花として愛でられてきているからな。
華女 そうよね。百人一首にも菊を詠んだ歌が入っているわね。
句郎 「心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花」凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の歌かな。宮廷歌人が菊を詠むようになるのは平安時代になってからだった。『万葉集』には菊を詠んだ歌はない。
華女 どこに白菊の花があるのかしら。ここかなと手を伸ばして手折ってみよう。初霜に惑わせる白菊の花ですこと。というような意味かしら。
句郎 第二次大戦中、アメリカ政府は日本研究をしていた。その成果の一つが文化人類学者R.ベネディクトの『菊と刀』(1946)である。日本文化を象徴するものが菊の花と日本刀だとベネディクトは述べている。
華女 恥の文化と罪の文化として日本文化を解説したものよね。平安時代以来の日本人の思いが菊の花には籠っていると言うことね。
句郎 大根と菊とじゃ、比べものにならないほど日本人の思いの違いがある。今では八重菊を図案化した菊紋である十六葉八重表菊は、天皇および皇室を表す紋章になっている。俗に菊の御紋とも呼ばれている。
華女 そうね。「色かはる 秋の菊をば ひととせに 再びにほふ 花とこそ見れ」(よみ人しらず)。菊の花というのは萎れてきても色が変わり、情緒が出るのよね。
句郎 「秋をおきて 時こそ有りけれ 菊の花 移ろふからに 色のまされば」(平貞文)という歌もあるかな。
華女 芭蕉は古人が菊を愛でてきたことをよく知っていたということね。菊の花を愛でることができなくなっても残念がることなんて少しもありませんよ。大根があるじゃないですかと芭蕉は言っているのね。
句郎 花の季節は春の梅ではじまり、秋の菊で終わる。「菊」は「鞠」とも書く。この字は「窮」に通じる。物事の究極、最後を意味する。つまり菊は今年「最後の花」になる。だから菊の花を惜しんだ。
華女 慈鎮和尚に「いとせめてうつろふ色のをしきかなきくより後の花しなければ」という歌があるそうよ。
句郎 この歌を芭蕉は知っていた。菊の花が終わるのを惜しむのは歌人の皆さんです。私たち庶民にとって菊の花の時期が終わることを残念に思う人はいませんよ。菊の花を愛でることができる方たちはお腹を満たしているからですよ。私たち庶民はいつもお腹を空かしています。菊の花が終わることになると大根が食べごろになる。嬉しい限りだ。皆喜んでいますよ。
華女 菊の花が終わるのを惜しむ歌人たちに対して俳諧に親しむ庶民は大根が食べごろになるを楽しみしているということを芭蕉は詠んだということなのかしら。
句郎 そうなんじゃないの。この句はパロディだ。

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