醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1504号   白井一道

2020-08-29 16:08:38 | 随筆・小説



  命なりわづかの笠の下涼み  芭蕉



句郎 1676年、延宝4年、33歳になった芭蕉
は故郷伊賀上野を目指して東海道を下っていた。
 静岡県掛川市佐夜の中山峠にさしかかった。芭蕉は西行の歌が自然と胸に沸き起こって来た。
華女 西行は佐夜の中山で詠んでいる歌があったわね。句郎君、覚えているかしら。
句郎 勿論、覚えているよ。「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山」だったかな。
華女 こんな年になってまた「佐夜の中山」の峠道を越えることがあるなんてと感慨にふけっているのよね。命があってこそのことだ。「佐夜の中山」の峠道を今越えようとしていると思いを深くしているのよね。
句郎 佐夜の中山と言われた峠は東海道の難所の一つとして詠われてきたところのようだからね。箱根の峠や鈴鹿峠と並んで、東海道の三大難所の一つに数えられていたところだったからな。
華女 「佐夜の中山」は歌枕になっている所ね。「東路のさやのなか山なかなかになにしか人を思ひそめけん」と紀友則の歌が『古今集』にあるわね。どうして私はあの人が気になりだし、好きになってしまったのかなと気持ちを詠った歌ね。
句郎 「佐夜の中山」は東海道の難所として数多くの歌人に詠み継がれてきた歌枕だった。その歌枕になっている「佐夜の中山」を通り過ぎようとしていた芭蕉の心には今いる場所に刺激されて一句を詠みたいという強い思いが込み上げてきたという事なのだろうと思う。
華女 歌枕の場所にいるだけで感動するという事があったということなのね。
句郎 そういうことは今でもあるように思うな。日光の華厳の滝に行くとそこに立っている「巌頭之感」という碑を見て明治に生きた青年の思い、生きる悩みの深さのようなものに感慨を持つと思う。
華女 「巌頭之感」よね。私も高校生の頃、英語の先生から聞いたことがあるわ。
  巌頭之感
悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ。萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。
 これが「巌頭之感」のすべてよね。藤村操が自殺した華厳の滝が自殺の名所になったという話を聞いたことがあるわ。
句郎 土地、場所に宿る地霊というものがあるように歌が詠まれ、人々に歌い継がれていくとそのような場所が歌枕となのだと思う。「佐夜の中山」にやって来た芭蕉はこの場所にいるだけで感動していた。その結果、詠まれた句が「命なりわづかの笠の下涼み」だった。
華女 「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山」と詠んだ西行の歌の「命なりけり」という言葉から「命なり」の言葉をいただき、句を詠んだということなのね。
句郎 猛暑だったのだと思うな。笠によって遮られた日影に命を感じたのではないかと思う。
華女 佐夜の中山が実際、どのような場所であったのか、分からないけれども木陰など何もない一本道だったのかもしれないわね。笠に遮られた僅かな日影に命が休まるような涼しさを感じたということなのよね。
句郎 厳しい労働を強いられた労働者が炎天下に体を休めていると一筋の風が吹き抜けていった。その一筋の風に安らぎを覚えたというような話をキリスト教会で聞いた。その風に神の存在があるという話に展開していったが、その一筋の風に命を感じるという気持ちは分かる。
華女 「下涼み」という言葉が季語になっているのよね。この「下涼み」という季語を十二分に表現している句だと私は思うわ。
句郎 ほんの僅かな涼しさに命の輝きがあるということかな。
華女 人間は僅かなものに心が集中するとそこに自分がいることに満足するのかもしれないわ。
句郎 誰でも「足る」を知ることが今の自分を肯定的に受け入れることができるように思うからな。
華女 確かにそうなのよ。小さなことであってもそこに満足感が得られることがだいじなのよ。
句郎 笠の下の涼しさに命の有難さかな。

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