節句を詠んだ芭蕉の句
「菊の香にくらがり登る節句かな」
華女 今日は重陽(ちょうよう)の節句ね。9月9日は、奇数の中でもっとも大きい9が重なるから「重陽」と言って、祝われてきた五節句のひとつなのよね。
句郎 重陽の節句は「菊の節句」でもあった。昔、中国では菊のお酒を飲み、栗ご飯を食べ、長寿と無病息災を願ったという。この中国のならわしが日本に伝えられたのが平安時代だった。
華女 「菊のお酒」とは何なのかしら。
句郎 今、日本には「菊水」という銘柄の日本酒があるよ。
華女 お酒の銘柄ではなく、菊で醸したお酒があるのかと思ったわ。
句郎 菊の葉に滴り落ちて来た水が名酒になったという逸話がある。『太平記』の中に「神馬進奏事」の項目がある。後醍醐天皇が駿馬を得た喜びを表現しているところで菊慈童の逸話が出てくる。それは次のようなものである。
「周の穆王は希代の名馬に乗ってインドに至ると、そこで釈迦に出会い、漢語を以て、四要品の中の八句の偈を賜る。穆王は中国に帰って後、これを秘蔵して人に知らせることがなかった。或る時、穆王の寵愛していた童が誤って王の枕をまたいでしまった。本来なら死罪に値するのだが、罪一等を減じられて、県山に流される。だが、そこは「山深して鳥だにも不鳴、雲暝して虎狼充満せり。されば仮にも此山へ入人の、生て帰ると云事なし」という有様。王はお守りのためにと、八句の偈のうち二句を、童に書き与える。 ―爰に慈童君の恩命に任て、毎朝に一反此文を唱けるが、若忘もやせんずらんと思ければ、側なる菊の下葉に此文を書付けり。其より此菊の葉にをける下露、僅に落て流るゝ谷の水に滴りけるが、其水皆天の霊薬と成る。慈童渇に臨で是を飲に、水の味天の甘露の如にして、恰百味の珍に勝れり。加之天人花を捧て来り、鬼神手を束て奉仕しける間、敢て虎狼悪獣の恐無して、却て換骨羽化の仙人と成る。是のみならず、此谷の流の末を汲で飲ける民三百余家、皆病即消滅して不老不死の上寿を保てり」。
華女 菊の葉に滴り落ちた水は皆、天の霊薬となり、天の甘露になったという話なのね。
句郎 お酒は百薬の長だからね。
華女 長寿と無病息災を願い、高い丘に登り、お酒を楽しんだのが重陽の節句だったということね。それで「登高」も季語になっているわけね。
句郎 「菊の香にくらがり登る節句かな」と重陽の節句を芭蕉は詠んだ。
華女 でも「くらがり」が今いち、ピンとこないわね。
句郎 この句を芭蕉は元禄7年9月9日、最後の伊賀から大坂への旅の途次暗峠(くらがりとうげ)で詠んでいる。この一か月後に芭蕉は亡くなっている。暗峠は奈良県生駒市から大阪府東大阪市に通ずる生駒山中の峠だ。今は住宅地として開発されているから昔の峠を偲ぶことはできないかもしれない。
華女 頼りにした「菊の香」は心に思い浮かべたものね。
句郎 今日は重陽の節季だったなぁー。そのような思いですっと出て来た言葉が句になった。
華女 とても軽い句ね。芭蕉が理想とした「軽み」の句とはこのような句だったのかしらね。
句郎 芭蕉が生きた時代には重陽の節季が広く農民や町人の生活習慣として定着していたので、この句が誰にでも理解できたということかな。
華女 暗峠(くらがりとうげ)を芭蕉は登ろうとしているということが分からなければ、この句は理解できないと思うわ。
句郎 (高きに登る)ということが何を意味しているのかがわかる社会でなければこの句を理解することは難しいのかもしれない。
華女 文学というものも時代や社会の制約から自由ではないということね。
句郎 重陽の節季と暗峠との知識があれば、この句を味わうことができるように思う。
華女 菊の節季が重陽の節季だということなのよね。そのような節季が生きていた時代が分かるとこの句の良さが分かって来るわね。
句郎 「道野辺の槿は馬に食われけり」のような句が芭蕉の句の本質のように感じるな。この軽さが「菊の香にくらがり登る節句かな」にもあるよね。
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