醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1521号   白井一道

2020-09-16 06:39:22 | 随筆・小説



 『リテラ』2020.9.15より
  菅政権は第3次安倍内閣か



 総裁選のさなかから「安倍政権の継承」を連呼していた菅義偉・自民党新総裁だが、まさかここまでとは-----。昨日あたりから、菅政権の人事情報が続々と報じられているが、重要ポストで名前が出ているのは、安倍首相の盟友とお気に入りだらけなのだ。
 留任決定の二階俊博幹事長、留任が有力視されている麻生太郎財務相はいわずもがな。党三役では下村博文・元文科相の政調会長就任が決まった。周知のように、下村元文科相は、安倍首相の側近中の側近で、極右政策の推進役を担ってきた。おそらく、菅政権では政調会長として改憲をゴリ押ししていくのだろう。 
 さらに、菅氏は当初、国民的人気の高い河野太郎防衛相を抜擢するのではないかという予測が流れていたが、蓋を開けてみると、加藤勝信厚労相が最有力になっている。
 コロナ対策であれだけ失策を重ねてきたのに、“政権の要”である官房長官に抜擢とは信じがたいが、加藤厚労相といえば、安倍首相が家族ぐるみの付き合いをしてきた故・加藤六月氏の娘の夫で、最も面倒を見てきた政治家。初入閣の際も、加藤氏の義母と親友である安倍首相の母親・洋子氏がプッシュしたという裏話がささやかれたほどだ。
 官房長官にはもうひとり、萩生田光一文科相の名前もあがっているが、萩生田氏も完全に安倍首相の子飼いだ。いずれにしても安倍首相のプッシュの結果であることは間違いない。
 ほかにも、安倍首相の家庭教師を務めていた平沢勝栄氏の初入閣まで確定的になるなど、安倍首相に近い政治家の入閣はまだまだ増えると見られている。
 『バイキング』(フジテレビ)でフットボールアワーの岩尾望が、「安倍政権の継承」を連呼する菅氏の政権を「第3次安倍政権」と皮肉っていたが、閣僚の顔ぶれをみると、それはもはや冗談でなく、完全な傀儡政権が誕生することが確定的になったというわけだ。
 まったくあきれるほかないが、しかし、菅“新首相”の誕生の経緯をみれば、この結果も当然と言っていいだろう。
 マスコミは菅氏がポスト安倍を射止めた理由として、二階幹事長、麻生副総理の支持を得たことを挙げているが、最も大きいのはやはり、安倍首相の“事実上の後継指名”をとりつけたことだった。
 報道されているように、安倍首相は今年の春先まではむしろ、ポスト安倍を狙うことを隠さなくなった菅氏に警戒感を募らせ、むしろ菅氏を外す動きを見せていた。
 ところが、6月、コロナで失政を繰り返し、支持率が低下すると、安倍首相は“政権投げ出し”を考え始め、菅氏をポスト安倍にすることを検討し始める。
 6月10日には、麻生財務相と1時間にわたって会談、その席で菅官房長官を毛嫌いする麻生財務相を「岸田で石破に勝てるのか」と説得。同時に二階幹事長にもその意向を伝え、これを受けて、6月17日、二階幹事長が菅官房長官に支持を伝えた。
 そして、6月19日に、安倍、菅、麻生、甘利明氏の四者で会食をおこなったのだが、この席で菅官房長官を後継者にする方向が決まったのだという。その後、6月24日に安倍首相と二階幹事長が会食して、“菅後継”は確定した。
「とにかく6月の時点で安倍首相の態度が一変して、急に菅官房長官を推し始めたのは確か。これはもちろん、自分が政権を投げ出したくなり、あとを押し付けるのに菅氏が最も都合が良かったというのはある。しかし、もうひとつ、具体的な日時や場所まではつかめていないが、永田町では6月の早い段階で安倍首相と菅官房長官の間で“人事や政権運営に安倍首相の希望を最大限取り入れる”という密約を交わしたといわれている。安倍首相からは加藤、萩生田、下村の主要ポストへの抜擢に加え、今井(尚哉)補佐官を残すことなども条件につけたといわれている」(全国紙政治部デスク)
 おそらく、安倍首相は菅政権になってもこの“オトモダチ”たちに自分の野望のために働かせ、完全なる院政を敷こうとしているのだろう。
 しかも、安倍首相のオトモダチといえば、ゴリゴリの極右思想と新自由主義思想の持ち主というだけでなく、暴言や失言の常習者で、様々な不正や利権に暗躍してきた連中でもある。
「持病の悪化」とやらに同情していたら、この始末。いったい国民はこの男にどこまでやりたい放題させるつもりなのか。      (野尻民夫)

醸楽庵だより   1520号   白井一道

2020-09-14 07:28:59 | 随筆・小説


  
 『リテラ』より
 大坂なおみ選手が「日本に差別はない」というネトウヨに反論!

  Aマッソの差別ネタ報じるニュースをRTして怒りの一言

 プロテニス選手の大坂なおみ選手が、差別抗議デモをめぐりキレッキレの発信を行っていることは、きのう本サイトでお伝えしたばかりだが、またどうしてもお伝えしたいツイートがあったので紹介したい。
 日本でも多くの心ある人々が差別に声をあげている一方で、「日本には差別はない」という言説が広くはびこっている。大坂選手が、こうした「日本に差別はない」論に、「日本にも差別はある」と突きつけたのだ。
 既報のとおり、大坂選手は、差別に抗議の声をあげるとともに、差別をなくすために、より多くの人が沈黙せずに声をあげ動いてほしいと発信している。6月4日には、大坂選手が生まれ3歳までを過ごした日本・大阪で、本日7日午後行われる差別抗議デモの告知をシェアし、普段は使わない日本語で〈お願いします〉と参加を呼びかけていた。
 この大坂選手の呼びかけに対し、日本のネトウヨと思しきアカウントが、〈日本には差別はない。引っかき回すな(There is no racism in Japan. Do not make a disturbance)〉と大坂選手に絡んだ。

 するとこのクソリプに対して、大坂選手は、昨年日本のお笑いコンビ・Aマッソが、「大坂なおみに必要なものは?」というふりに対して、「漂白剤。あの人日焼けしすぎやろ」という差別ネタを披露し、後に謝罪したことを報じる英語のニュースをリツイートし、ローマ字で〈NANIIIIII?!〉=「なにいいいいい?!」と投稿したのである。
 日本にも差別はある。大坂選手は、「日本に差別はない」論をハッキリと否定したのだ。大坂選手の指摘はその通りだ。しかも大坂選手に限っても、Aマッソの件はほんの一例にすぎない。大坂選手をめぐっては、日清のアニメCMのホワイトウォッシュ問題もあったし、ニューヨークタイムズが大坂選手の母・環さんの差別体験について記事にしたこともある。
 もちろんこれは大坂選手だけの話ではない。日本でも、アフリカ系をはじめとする多くの外国人が、個人個人の意識や感情に基づく偏見・差別のみならず、制度的にも差別的扱いを受け著しい不利益を被っている。
 とりわけ、国連からも「現代の奴隷制度」と批判された外国人技能実習生や外国人留学生、アメリカにおけるアフリカ系と同様に歴史的・制度的に抑圧されてきた在日コリアンは、このコロナ禍においても、現在進行形で、政府や自治体により極めて不当な差別的仕打ちを受けている。
 私たちはBLACK LIVES MATTERを支持するとともに、日本における差別をも自覚し抗議の声をあげていくべきだ。
 プロテニス選手の大坂なおみ選手が、差別抗議デモをめぐりキレッキレの発信を行っていることは、きのう本サイトでお伝えしたばかりだが、またどうしてもお伝えしたいツイートがあったので紹介したい。
 日本でも多くの心ある人々が差別に声をあげている一方で、「日本には差別はない」という言説が広くはびこっている。大坂選手が、こうした「日本に差別はない」論に、「日本にも差別はある」と突きつけたのだ。
 既報のとおり、大坂選手は、差別に抗議の声をあげるとともに、差別をなくすために、より多くの人が沈黙せずに声をあげ動いてほしいと発信している。6月4日には、大坂選手が生まれ3歳までを過ごした日本・大阪で、本日7日午後行われる差別抗議デモの告知をシェアし、普段は使わない日本語で〈お願いします〉と参加を呼びかけていた。
 この大坂選手の呼びかけに対し、日本のネトウヨと思しきアカウントが、〈日本には差別はない。引っかき回すな(There is no racism in Japan. Do not make a disturbance)〉と大坂選手に絡んだ。
 するとこのクソリプに対して、大坂選手は、昨年日本のお笑いコンビ・Aマッソが、「大坂なおみに必要なものは?」というふりに対して、「漂白剤。あの人日焼けしすぎやろ」という差別ネタを披露し、後に謝罪したことを報じる英語のニュースをリツイートし、ローマ字で〈NANIIIIII?!〉=「なにいいいいい?!」と投稿したのである。

 日本にも差別はある。大坂選手は、「日本に差別はない」論をハッキリと否定したのだ。大坂選手の指摘はその通りだ。しかも大坂選手に限っても、Aマッソの件はほんの一例にすぎない。大坂選手をめぐっては、日清のアニメCMのホワイトウォッシュ問題もあったし、ニューヨークタイムズが大坂選手の母・環さんの差別体験について記事にしたこともある。
 もちろんこれは大坂選手だけの話ではない。日本でも、アフリカ系をはじめとする多くの外国人が、個人個人の意識や感情に基づく偏見・差別のみならず、制度的にも差別的扱いを受け著しい不利益を被っている。
 とりわけ、国連からも「現代の奴隷制度」と批判された外国人技能実習生や外国人留学生、アメリカにおけるアフリカ系と同様に歴史的・制度的に抑圧されてきた在日コリアンは、このコロナ禍においても、現在進行形で、政府や自治体により極めて不当な差別的仕打ちを受けている。
 私たちはBLACK LIVES MATTERを支持するとともに、日本における差別をも自覚し抗議の声をあげていくべきだ。

醸楽庵だより   1519号   白井一道

2020-09-13 11:41:43 | 随筆・小説

 
 潰瘍性大腸炎の再発を理由にして安倍晋三氏は総理を辞職した。この理由は嘘なのか。



 ジャーナリスト山岡俊介氏の有料配信のネットメディア『アクセスジャーナル』がある。ここに次のような記事が載せてある。
 「8月28日の記者会見時の安倍首相自身の説明によれば、辞任表明したのは、持病の潰瘍性大腸炎が再発したためとされる。
 ところが本紙の元には、こんな情報が入って来た。
「当初、官邸側は慶応大学病院に診断書を出してもらい、それを公表するつもりだった。記者会見に医者同席の案もあった。ところが、大学病院側は拒否。なぜなら、潰瘍性大腸炎は再発しておらず、ストレスから来る一時的な症状悪化に過ぎないから。いくら何でも“虚偽診断”はできないと。
そして、実は慶応大学首脳は、“病気を政治に利用した”ということで内心はカンカンだというのです」
この告発者、その確かな情報源も具体的に明かしてくれた。
しかしながら、これを明かすとその情報源、引いては慶応大学側に迷惑がかかるので明かせないことをご容赦願いたい。
また、この告発者は『リテラ』というニュースサイトの8月29日に出た記事(冒頭写真)に触れ、いい目の付けどころをしているともいった。
是非、その記事を見ていただきたいが、安倍首相は会見で6月の定期健診で再発の兆候が見られたにも拘わらず、その時期以降の首相動静をチェックすると、連日会食、しかも仏料理にステーキなど、本当に再発の兆候が見られていたなら、絶対に避けるべき食事をしていると指摘した。
しかも、同記事によれば、第1次安倍政権を投げ出した前回も、潰瘍性大腸炎が原因とされるが、この際に同じく慶応病院の医師団が公表した診断は「潰瘍性大腸炎」ではなく、強度のストレスと疲労による「機能性胃腸症」だったと。それが今日、潰瘍性大腸炎が事実とされるのは、1回目の政権投げ出し後の08年1月発売の『文藝春秋』に安倍首相が寄せた手記でそういっているに過ぎないという。」
『リテラ』8月29日の記事
「8月17日、安倍首相が慶應義塾大学病院を受診したというニュースが流れた直後、本サイトは「公然の受診や健康不安情報流出は安倍首相の“政権投げ出し”を正当化するための演出ではないか」という疑惑を指摘した。
 昨日28日の辞任表明会見をみて、その疑惑はますます濃厚になったというべきだろう。それは、安倍首相自身の病気や健康状態、辞任決断の経緯などに関する説明が、矛盾だらけのシロモノだったからだ。
 まず、安倍首相は、今回、辞任を決断した原因が持病の潰瘍性大腸炎の再発であるとして、その経緯をこう語った。
「本年、6月の定期健診で再発の兆候が見られると指摘を受けました。その後も薬を使いながら、全力で職務に当たってまいりましたが、先月中頃から、体調に異変が生じ、体力をかなり消耗する状況となりました。そして、8月上旬には潰瘍性大腸炎の再発が確認されました」
 つまり、安倍首相は、6月の段階で潰瘍性大腸炎再発の兆候があることを知り、7月中頃には体調が悪化していたというのだが、しかし、それにしては安倍首相、その6〜7月にやたら会食ざんまいの生活を送っているのだ。
首相動静から、ざっとあげてみよう。まず、6月19日には、東京・虎ノ門のホテル「アンダーズ東京」のレストラン「ザ タヴァン グリル&ラウンジ」で麻生太郎副総理兼財務大臣、菅義偉官房長官、自民党の甘利明税制調査会長と会食しているが、この店は〈高温のオーブンで香ばしくジューシーにグリルした熟成肉〉(HPより)がウリの店だ。
 安倍首相はその翌日、6月20日にも永田町の「ザ・キャピトルホテル東急」のレストラン「ORIGAMI」で秘書官と食事。さらに、6月22日には、丸の内の「パレスホテル東京」の日本料理店「和田倉」で自民党の細田博之・元幹事長と、6月24日には赤坂の日本料理店「たい家」で自民党の二階俊博幹事長、林幹雄幹事長代理と食事している。
 安倍首相が「体調に異変が生じ、体力をかなり消耗する状況になっていた」と説明した7月中旬以降もこの会食ざんまいは変わらない。というか、6月よりさらに料理がこってりしている感じさえする。
 7月21日には松濤のフランス料理店「シェ松尾 松濤レストラン」で長谷川榮一首相補佐官、前秘書官の鈴木浩外務審議官、秘書官らと食事し、翌日22日には銀座のステーキ店「銀座ひらやま」で二階幹事長、林幹事長代理、自民党の元宿仁事務総長、野球の王貞治氏、俳優の杉良太郎氏、政治評論家の森田実氏、洋画家の絹谷幸二氏と会食。
 さらに、7月30日には、丸の内の「パレスホテル東京」内の「和田倉」で自民党の岸田文雄政調会長と会食している。和田倉は日本料理店だが、新聞各紙の報道によれば、安倍首相はここでもステーキを注文。鶏の生姜焼きを注文した岸田政調会長とビール、ウイスキーの水割りを酌み交わしたという。
 これがほんとうに「潰瘍性大腸炎の再発の兆候」があり、「体調が悪化」した人の食生活なのだろうか。潰瘍性大腸炎の活動期は、消化しやすく、高たんぱく・低脂肪の大豆製品や鶏肉、魚類などが推奨され、脂肪の多い食品や、油を使用している料理、アルコール類は控えめにするよう指導されるはずなのだが。」

醸楽庵だより   1518号   白井一道

2020-09-12 10:36:39 | 随筆・小説



「ふるさと納税制度を導入したのが菅氏だ。その問題点」



自民党総裁選が9月14日に投開票となる。現時点では、国会議員票の約7割を固めた菅義偉官房長官が選挙戦を優位に進めている。
 その菅氏が選挙戦で実績としてアピールしているのが、ふるさと納税制度の導入だ。菅氏は、総務相時代の2007年に制度の創設を表明し、2012年に官房長官に就任してからは控除の限度額を倍増させた。
 ふるさと納税は、基礎控除(自己負担額)の2000円を除き、寄付した金額がそのまま税額控除される。さらに、寄付先の自治体から寄付金額に応じた返礼品が届くので、寄付をすればするほど寄付者が“もうかる”仕組みだ。
 この制度に反発したのが、地方税を所管する総務省だ。ふるさと納税は自治体間の返礼品競争を招くとともに、高所得者ほど節税効果が高まる。しかし、制度の問題が改善されることはなかった。なぜなら、提唱者が安倍政権のナンバー2である菅官房長官だったからだ。
 総務省では2014年、自治税務局長(当時)を務めていた平嶋彰英氏が菅官房長官に対して直接、制度上の問題点を指摘していた。しかし、事務次官候補の一人だった平嶋氏は翌年7月に自治大学に異動となり、省外に出された。ふるさと納税に反対したことによる平嶋氏への左遷人事と言われ、霞が関の官僚を震え上がらせた。
 いったい、官邸で何が起きていたのか。現在は立教大学で特任教授を務める平嶋氏が実名で当時の様子を語ってくれた。
──ふるさと納税の寄付控除の上限枠倍増は、どのようにして求められたのですか。
 2012年12月に第2次安倍政権が発足して、ふるさと納税制度をつくった菅義偉さんが官房長官になりました。13年は消費増税の問題などがあったのでふるさと納税には手つかずだったのが、菅さんは、2014年になって寄付控除額の倍増と、税金の還付手続きで確定申告を省略する「ワンストップ特例」の導入、2000円の基礎控除の廃止を求めてきました。
──総務省では反対意見が多かったのでしょうか。
 賛成する人なんていません。総務省の役人どころか、少しでも税制度のことを知っている人なら「こんな制度はおかしい」と思っています。自民党でも、制度の変更を頑張っていたのは菅さんぐらいではないでしょうか。
 実際に、自民党に説明に行った時も国会議員の方から「受益者負担(公共サービスを受ける人が税負担をするという原則)はどうするんだ」というご意見もありました。
──菅さんは、ふるさと納税は自分の生まれ育った所に税金を払うことができる制度だとアピールしています。
 では、日本に在住している外国人が、子供を日本の学校に通わせながら「税金は母国に払う」と言ったらどうしますか。賛成する日本人はほとんどいないでしょう。
 また、自治体間の返礼品競争が激しくなることもわかりきっていました。その結果、アマゾンのギフト券を返礼品として配る自治体も出てきました。事実上の現金還元です。こうなると、自治体も返礼品を豪華にしていかなければならない。結局は、高知県奈半利町でふるさと納税制度をめぐって町職員を巻き込んだ汚職事件まで起きてしまいました。
──たしかに、ふるさと納税は基礎控除の2000円を除いて寄付額の全額(現在は住民税の2割が上限)が控除されるうえに、返礼品を得ることができます。確実な節税方法ですが、税金を払って返礼品をもらうことは専門家から批判も多いです。菅官房長官が控除額を住民税の1割から2割に引き上げようとした時、問題点を伝えたのでしょうか。
 2014年12月、レクの資料と『100%得をする ふるさと納税生活』(扶桑社)という本のコピーをクリアファイルに入れて、内閣官房長官の執務室に行きました。この本には、年収1億円ほどと思われる著者が、600万円のふるさと納税をすることで税金の還付を受け、さらに手数料を除いた599万8000円に対する返礼品について<お取り寄せグルメ>と表現し、<これ、まじで生活できちゃうじゃないか……>と書いてありました。
 私としては、当時は消費増税の負担を国民に求めていた時だったので、ふるさと納税が高額納税者の節税対策になっている現状を示し、制度の問題点を説明しました。
──菅官房長官はどう答えたのでしょうか。
「地元に貢献したくて寄付する人もいる。そういう人間ばかりではない」と言うだけで、制度上の欠陥については理解を示してもらえる感じではありませんでした。「これはダメかな」と思ったのですが、資料だけは読んでもらいたいと思って、クリアファイルに入れて執務室に置いてきました。
 すると、その後にすぐ、内閣官房の職員が私の所にコピーをわざわざ返しに来ました。その後には総務省の上層部からも電話がかかってきて、これ以上は何も言わないように忠告されました。
──翌年の7月に、平嶋さんは自治大学校長に異動となります。事務次官候補だった平嶋さんが省外に出されたことで、安倍政権に異論を唱えた人にたいする「見せしめ人事」との声もあがりました。
 私の人事については、高市早苗総務大臣が記者会見で法令に則って「適材適所で任命する」と答え、菅さんも国会で「まったくの事実無根」と答弁していますから、私が何か付け加えることはありません。
 ただ、クリアファイルの件から年が明けた2015年の初めに、高市大臣から「菅さんと何があったの? 謝りに行ってきなさいよ」と言われたことはありました。ですが、官僚として制度上の欠陥を指摘するのは当然の仕事なので、謝る必要はないと思ってそのままにしていました。
 こういった経緯もあったので、人事については何かあるかもしれないなとは思っていました。
──官房長官に意見することに、怖さはなかったのですか。
 日本が戦争で負けたのは、米国と戦っても負けることはわかっていたのに、軍人を含む官僚たちが政治家に客観的な事実を報告しなかったからです。政治家にとって耳の痛い話でも、役人は事実をちゃんと報告することが仕事です。それをしなかったから、たくさんの悲劇が起きた。
 私としては、事実を伝えることは役人としての当然の仕事で、このことについては今でも後悔はありません。
──ふるさと納税では、地方自治体で働く職員の負担増も問題になっています。
 自治体の納税課で働く職員を描いた『ゼイチョー!』という漫画をご存知でしょうか。この漫画では、税金を滞納する人に対してどうやって税金を払ってもらうかについて描かれています。
 会社員の方は給料から天引きで税金が引かれているので知らない人が多いのですが、税金の滞納者は生活が苦しい方がほとんど。シングルマザーで水商売をしながら子供を育てている女性など、本当に税金を払えない人がたくさんいます。そういった人に対しても、職員は「今すぐ全額払えなくとも、地域社会の会費なので、必ず払ってもらわなければなりません。分割で払いましょう」などと説得して、日々徴収作業をしているのです。
 その一方で、高額所得者が自分の住んでいる自治体に税金を払わずに、高級肉やカニなどをもらっている。税金とは、国民の財産から現金を無理に納めてもらうという意味で、役人にとって神聖な仕事です。ふるさと納税は、そういった神聖な税制度の根幹を揺るがすものなのです。
 誤解しないでいただきたいのは、私は、ふるさと納税をして返礼品を得ている人を批判しているわけではありません。ふるさと納税は、やった方が経済的合理性があるのですから、高額所得者が返礼品をもらいたいと思うのは当然のことです。問題は、こういう制度をつくってしまったこと。総務省の後輩たちには申し訳ない気持ちです。私としては、もっと別のやり方があったのではないかと、今でも忸怩たる思いです。
──現在、自治体が提供する返礼品は、送料や手数料などの経費を含めて寄付額の5割までに制限されています。一方で、返礼品を紹介するウェブサイトが人気を集めています。
 経費を含めて5割までということは、寄付した人の金額の5割が税収から失われているということです。返礼品を紹介するウェブサイトは、ふるさと納税の金額から15%ほどの手数料を得ていると報道されています。近年ではテレビなどでウェブサイトの広告が出ていますが、これも原資は地方自治体の税収になるはずだった税金です。
──ふるさと納税制度をめぐっては、アマゾンギフト券などの返礼品で寄付者を集めた大阪府泉佐野市が制度の対象外となり、同市が国に裁判を起こしました。最高裁では、高裁の判断を覆して泉佐野市が勝訴しました。
 総務省が負けたのは当然です。返礼品は法律で禁止されていないのですから。むしろ、高裁で総務省が勝ったことの方が不思議でした。総務省が返礼品を制限する通知を出しても、法的な根拠がなければ裁判では勝つことができないだろうなと思っていました。
──すでに総務省を退官しているとはいえ、自ら関わった制度の成立のウラ事情を話そうと思ったのはなぜでしょうか。
 菅さんとしては、役人の意見を政治家が押さえつけ、自らの政策を実現させることがリーダーシップだと思っているのかもしれませんが、ふるさと納税は、税制度に対する国民の不信感を高めることになります。
 私は、膵臓がんにかかり、昨年は脳梗塞になって現在はリハビリ中です。それでも、メディアの方がふるさと納税の成立までの経緯を検証したいというのであれば、それは制度に関わった当事者の一人として、説明する責任があると思っています。
(聞き手/本誌・西岡千史)

醸楽庵だより   1517号   白井一道

2020-09-11 16:38:25 | 随筆・小説



   儀式が失われていく社会


 
華女 隣の息子さん、最近学校に行く姿を見なくなったけれど、どうかしたのかしら。
句郎 学校に行く時間になると熱が出るという話をこの間、隣の主人から聞いたよ。
華女 毎朝、登校時間になると熱が出るなんて、少し変じゃない。そんなことってあるのかしら。だってもう中学生でしょ。
句郎 登校時間が過ぎるとケロッと熱は下がり、元気になるらしい。自分の部屋に籠り、ゲームをしているらしいよ。
華女 もう学校に行かなくなって、どのくらいになるのかしら。お母さんも手に負えなくて放っているみたいよ。
句郎 親にとっては心配だよね。聞いちゃ、悪いなと思って聞くこともできないしね。
華女 私、河合隼雄の本を何気なく読んでいたら、不登校の子供の話が出ていたので読んでみたのよ。隣の息子さんと同じような症状の子供さんの話が出ていたわ。これから学校に行かなくちゃいけないと思うと、熱やお腹の痛みなど、いろいろな身体症状が出て来て、その時間が過ぎるとケロッと治ってしまうというようなことが書かれていたわ。
句郎 登校拒否症状が隣の息子さんにはあるということなのかな。
華女 そうなのかもしれないわ。登校拒否する子供は発達の過程に社会性が欠けている。いや子供の発達の過程に社会的問題があるからではないかと私は河合隼雄氏の著書を読んで思ったわ。
句郎 子供の発達の過程に今の社会の在り方が反映し、今の社会の在り方が子供の学校への登校を拒否する症状をうんでいるという事なのかな。
華女 結婚について考えてみると男の人と女の人とが合意して一緒に生活し始めることが実体的な結婚よね。もちろん同棲ということもあるけれども、同棲して結婚ということもあるでしょう。同棲も結婚も実体としては一緒よね。
句郎 でも結婚と同棲は違うように思う。同棲の場合は簡単に別れられるように感じるが、結婚すると別れることが難しいように思う。結婚するより離婚することは困難だという話はよく聞くよね。
華女 同棲と結婚との違いは何が違うのかしら。
句郎 結婚は社会的なものであるが、同棲は私的なものだからじゃないのかな。
華女 結婚は両親族との縁戚関係も生じるということね。同棲の場合は、一緒に住んでいる男女だけの問題だけれども、結婚は両親族との関係が生じるということね。そのことが結婚は社会的なものだということなのね。
句郎 結婚の場合は結婚式という儀式をするでしょ。今でも仏滅の日に結婚する人はいないと言うじゃない。
華女 仏滅の日に結婚式をする人がいないから仏滅の日の結婚式場は安いと言うじゃない。
句郎 結婚式というのは立派な儀式なんだ。この儀式をすると結婚したという実感が生れてくる。
華女 そうなのよね。私も結婚式をして良かったと思っているわ。事情があってやむを得ず結婚式ができなかった人が結婚して25年を経て、結婚式をあげた女性が涙ながらに話しているテレビを見たことがあるわ。
句郎 生活を秩序するものとして儀式は必要なもののようだ。例えば暦にしても五節句というものが昔はあった。一月七日の朝に春の七草(セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ)の七草粥を作り、ようやく芽吹いた春の七草の「気」をいただき、その一年の無病息災を願った。三月三日は桃の節句。誕生した女児を祝福し、健やかな成長を願った。五月五日は端午の節句。誕生した男児を祝福し、健やかな成長を願った。7月7日は七夕の節句。牽牛織女の二星を祭り、若い男女の逢瀬を願った。9月9日は重陽の節句。高きにのほり、老人の不老長生、無病息災を願った。このように子供から老人まで、一人一人の存在を親族全体で受け入れ、言祝ぐ儀式があった。このような儀式が人間を成長させ、その年にあった役割を自覚する儀式があった。この儀式が人間存在を社会化する役割を果たしていた。このような儀式が廃れていく中で人間精神に異常が起きて来た。そのような人間精神の異常現象として、登校拒否、不登校現象というものが起きてきているということなのかな。

醸楽庵だより   1516号   白井一道

2020-09-10 12:07:51 | 随筆・小説


   
 デモクラシータイムス「3ジジ放談」を聞く



華女 三人のお爺ちゃんが政治について言いたいことを言う番組ね。
句郎 早野透さん、佐高信さん、平野貞夫さんの三人が言いたい放題のことをいう番組のようだ。この中に地上波のテレビ政治ニュースや解説番組では決して聞く事のできない真実があるようにも感じている。
華女 今回はどのような話だったのかしら。
句郎 平野さんの話に興味が掻き立てられた。まず、安倍総理の辞任について、医師団からの発言がないということを話していた。
華女 総理大臣が病に倒れ、総理の職を辞した方がいたわね。小渕首相は脳梗塞を患い、辞任した総理だったわね。
句郎 その時は医師団から病についての発表があった。早野透氏がそうだったなと、発言していた。しかし今回の安倍総理の病状についての医師団からの発表はなかった。ただ潰瘍性大腸炎が再発したと本人が説明しただけだった。確かに体の調子が悪いのは間違いのないことのようだけれども、なぜ医師団からの発表がないのか。それには何かを隠したい理由があるのではないかと言っていた。
華女 安倍総理に何かを隠したいことでもあるのかしら。
句郎 佐高信氏が次のようなことを言っていた。2007年7月の参院選では自民党が惨敗したが、安倍首相は続投を表明し、8月27日に改造内閣で再起をかけた。しかし農業共済組合の補助金不正受給問題で当時の遠藤武彦農水相が辞任するなどの不祥事が続いた。安倍首相が突然の辞任を発表したのは、2007年9月12日だった。その2日前の9月10日には、臨時国会で所信表明演説を行い続投の意向を示しており、突然の辞任表明に皆、驚いた。なぜ安倍総理は突然辞任したのかというと、それは安倍総理の3憶円脱税事件があったと、佐高氏はニヤリとして言っていた。
華女 安倍総理の3憶円脱税事件とは、どのような事件だったの。
句郎 父親の安倍晋太郎が無くなり、安倍事務所を晋三氏が相続した際の相続税脱税事件だったようだ。この事件を揉み消すために安倍晋三氏は総理の職を辞したのではないかと佐高氏は述べていた。
華女 今回も安倍総理には何か疚しいことがあるのではないかということなのかしら。
句郎 それは河井杏里議員の公選法違反事件のようだ。
華女 河井議員の公選法違反事件と安倍総理は関係があるのかしら。
句郎 自民党本部から河井杏里議員に一億五千万円の選挙資金が交付されたと言われている。参議院広島地方区は与党と野党で一議席づつ分け合ってきた選挙区だった。そこに自民党候補者を二人立てて、自民党が独占しようとしたのが、今回の事件の発端だった。河井候補がしたことは同じ自民党の溝手顕正候補者の支持者たちに選挙地盤を育成する目的でお金をばら撒いた。野党候補の地盤にお金をばら撒くのではなく、溝手陣営の地盤にお金をばら撒いた方が効果的だと考えたからではないかと思う。自民党議員は票をお金で買っている。これが公選法違反ということになればお金の出どころ、自民党本部が打撃を受けることになる。自民党本部と検察との間に戦いが始まっている。その発火点が黒川検事長の定年延長問題だった。この戦いに安倍総理は敗北した。黒川氏を検事総長にすることに失敗した。河井氏の公選法違反事件の結果を想像し、安倍総理は辞任したのではないかと佐高氏は述べている。河井氏の公選法違反事件だけではなく、森友事件で財務省近畿財務局の職員が自殺した事件があった。わたしは日本国民に雇われていると常日頃自覚し、国民のために仕事をしていると思っていた職員が国民の意志に反する行為をしたと自覚した赤木さんは自分で自分を罰して亡くなった。亡くなった奥さんがなぜ夫はそのような悪事をさせられたのか、国民の意志に反するようなことをなぜ政府はしたのか、このことを知りたいと裁判を起こした。河井杏里議員の公選法違反事件と森友事件の裁判、この二つの事件を揉み消したいというのが安倍総理の辞任だったと3ジジたちは言った。


醸楽庵だより   白井一道   1515号

2020-09-09 14:47:37 | 随筆・小説


   
 節句を詠んだ芭蕉の句

「菊の香にくらがり登る節句かな」


華女 今日は重陽(ちょうよう)の節句ね。9月9日は、奇数の中でもっとも大きい9が重なるから「重陽」と言って、祝われてきた五節句のひとつなのよね。
句郎 重陽の節句は「菊の節句」でもあった。昔、中国では菊のお酒を飲み、栗ご飯を食べ、長寿と無病息災を願ったという。この中国のならわしが日本に伝えられたのが平安時代だった。
華女 「菊のお酒」とは何なのかしら。
句郎 今、日本には「菊水」という銘柄の日本酒があるよ。
華女 お酒の銘柄ではなく、菊で醸したお酒があるのかと思ったわ。
句郎 菊の葉に滴り落ちて来た水が名酒になったという逸話がある。『太平記』の中に「神馬進奏事」の項目がある。後醍醐天皇が駿馬を得た喜びを表現しているところで菊慈童の逸話が出てくる。それは次のようなものである。
 「周の穆王は希代の名馬に乗ってインドに至ると、そこで釈迦に出会い、漢語を以て、四要品の中の八句の偈を賜る。穆王は中国に帰って後、これを秘蔵して人に知らせることがなかった。或る時、穆王の寵愛していた童が誤って王の枕をまたいでしまった。本来なら死罪に値するのだが、罪一等を減じられて、県山に流される。だが、そこは「山深して鳥だにも不鳴、雲暝して虎狼充満せり。されば仮にも此山へ入人の、生て帰ると云事なし」という有様。王はお守りのためにと、八句の偈のうち二句を、童に書き与える。 ―爰に慈童君の恩命に任て、毎朝に一反此文を唱けるが、若忘もやせんずらんと思ければ、側なる菊の下葉に此文を書付けり。其より此菊の葉にをける下露、僅に落て流るゝ谷の水に滴りけるが、其水皆天の霊薬と成る。慈童渇に臨で是を飲に、水の味天の甘露の如にして、恰百味の珍に勝れり。加之天人花を捧て来り、鬼神手を束て奉仕しける間、敢て虎狼悪獣の恐無して、却て換骨羽化の仙人と成る。是のみならず、此谷の流の末を汲で飲ける民三百余家、皆病即消滅して不老不死の上寿を保てり」。
華女 菊の葉に滴り落ちた水は皆、天の霊薬となり、天の甘露になったという話なのね。
句郎 お酒は百薬の長だからね。
華女 長寿と無病息災を願い、高い丘に登り、お酒を楽しんだのが重陽の節句だったということね。それで「登高」も季語になっているわけね。
句郎 「菊の香にくらがり登る節句かな」と重陽の節句を芭蕉は詠んだ。
華女 でも「くらがり」が今いち、ピンとこないわね。
句郎 この句を芭蕉は元禄7年9月9日、最後の伊賀から大坂への旅の途次暗峠(くらがりとうげ)で詠んでいる。この一か月後に芭蕉は亡くなっている。暗峠は奈良県生駒市から大阪府東大阪市に通ずる生駒山中の峠だ。今は住宅地として開発されているから昔の峠を偲ぶことはできないかもしれない。
華女 頼りにした「菊の香」は心に思い浮かべたものね。
句郎 今日は重陽の節季だったなぁー。そのような思いですっと出て来た言葉が句になった。
華女 とても軽い句ね。芭蕉が理想とした「軽み」の句とはこのような句だったのかしらね。
句郎 芭蕉が生きた時代には重陽の節季が広く農民や町人の生活習慣として定着していたので、この句が誰にでも理解できたということかな。
華女 暗峠(くらがりとうげ)を芭蕉は登ろうとしているということが分からなければ、この句は理解できないと思うわ。
句郎 (高きに登る)ということが何を意味しているのかがわかる社会でなければこの句を理解することは難しいのかもしれない。
華女 文学というものも時代や社会の制約から自由ではないということね。
句郎 重陽の節季と暗峠との知識があれば、この句を味わうことができるように思う。
華女 菊の節季が重陽の節季だということなのよね。そのような節季が生きていた時代が分かるとこの句の良さが分かって来るわね。
句郎 「道野辺の槿は馬に食われけり」のような句が芭蕉の句の本質のように感じるな。この軽さが「菊の香にくらがり登る節句かな」にもあるよね。

醸楽庵だより   1514号   白井一道

2020-09-08 15:30:00 | 随筆・小説


   
 芭蕉の発句「白露もこぼさぬ萩のうねり哉」



華女 もう季節は白露なのに今日も暑いわね。
句郎 もう季節は白露なんだね。空気の寒さに霧が木の葉の上に水滴になるのを白露と言った。
華女 昔の人は詩人だったのね。農民にとって季節の移り変わりは生きる上で決定的に重要な出来事だったということなのよね。
句郎 稲刈りの時期をいつにするかということは決定的に重要だった。収量と深い関係があったからね。
華女 収量だけではなく、労働量が増えたり減ったりしたのじゃないかしらね。
句郎 秋晴れの快晴の続く日に稲刈りをすると良かったのだと思うな。
華女 二四季節季が生れた理由には農業の作業日程と関係がきっとあったのだと思うわ。
句郎 中島敦の書いた短編小説『山月記』の中に次のような文章がある。「時に、残月、光冷ひややかに、白露は地に滋(しげ)く、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖(はっこう)を嘆じた。李徴の声は再び続ける。」
華女 白露の季節感が表現されているということね。
句郎 若者の生きる哀しみが表現された小説かな。
華女 「白露」とは、素敵な季節感だわ。この白露に若者の生きづらさを発見した中島敦は凄いと思うわ。
句郎 まだまだ暑いのだけれども一筋の風にさわやかさを感じるのが白露の季節感なのだと思う。
華女 藤原敏行の歌「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」と『古今集』にあるわ。この和歌が表現している季節感が白露ね。芭蕉は白露を「はくろ」ではなく、「しらつゆ」と読ませているのよね。
句郎 「予閑居採茶庵(よかんきょさいたあん)、それが垣根に秋萩を移し植えて、初秋の風ほのなに露置わたしたる夕べ」と杉風(さんぷう)が前書している。芭蕉は支援者の杉風の別邸にお邪魔し、この句を詠んでいる。
華女 杉風とは江戸の人よね。芭蕉は江戸でこの句を詠んでいるのね。
句郎 元禄6年(1693)、芭蕉は江戸にいた。
華女 元禄7年10月には大阪で芭蕉は亡くなっているのよね。歩いて江戸から大坂までよく行ったものね。芭蕉は亡くなるまで動き回る活動的な人だったのね。
句郎 病を得て、寝たきりになって亡くなるよう人ではなかった。亡くなるまで俳諧に遊びきって亡くなった。
華女 この句は秋を代表する花の一つ萩を詠んでいるのよね。芭蕉にはこの句の外にどのような萩を詠んだ句があるのかしら。
句郎 『奥の細道』に載せてある有名な萩を詠んだ句が知られている。
華女 あっ、そうね。思い出したわ。「一家に遊女もねたり萩と月」ね。この句も恋句と言えるのかしらね。
句郎 市振の宿で遊女と一緒になったと『奥の細道』にあるからね。立派な恋句だと思う。萩の花は性的なものを象徴していた。萩の紅い花びらは女性器の外陰部に似ている。万葉集では萩に「芽子」の字を宛てた例が多い。これを文字通り訓読みすれば、一部地域における女性生殖器の呼称に重なるようだから。
華女 萩の花は万葉の時代から詠み継がれてきた花の一つよね。「秋といへば空すむ月を契りおきて光まちとる萩の下露」という藤原定家の歌があるわね。
句郎 芭蕉は日本の詩歌の伝統を継承して「白露もこぼさぬ萩のうねり哉」と芭蕉は庶民の生活に即して萩を詠んだ。
華女 この芭蕉の句は良く萩を見ていると私は思うわ。萩の葉には水滴が溜まっているのよ。だから木が大きく揺れると水滴が一度にどっと零れ落ちるのよ。木はたわみながらも葉の上の水滴をこぼすことはないのよね。水滴をこぼすまいと頑張りぬいている萩のたわんだ枝を見て、芭蕉はその健気な姿に心惹かれたのだと思うわ。
句郎 芭蕉には萩を詠んだ句が十句ある。その中で「一家に遊女もねたり萩と月」と「白露もこぼさぬ萩のうねり哉」と、この二つの句が好きだ。
華女 そうね。私も秋を表現しているという点で「一家に」の句と「白露も」の句はとてもいい句だと私も思うわ。この静かさがいいのよね。

醸楽庵だより   1513号   白井一道

2020-09-07 15:54:38 | 随筆・小説


   
 芭蕉俳諧の恋句



華女 芭蕉は1684年(貞享元年)『野ざらし紀行』の旅に出て、1694年(元禄7年)10月12日、大坂で亡くなるまでの10年間が旅に生き、旅に死んだということなのよね。
句郎 『野ざらし紀行』冒頭の句「野ざらしを心に風のしむ身哉」は野ざらしにされた我が骸骨を覚悟した句になっている。
華女 1684年から1694年までの10年間が、芭蕉が芭蕉であった時間なのよね。
句郎 芭蕉41歳から51歳までの10年間かな。この10年間に芭蕉の人生のすべてが凝縮されているということかな。
華女 芭蕉が芭蕉になっていく出発になったのが『野ざらし紀行』ということね。
句郎 旅の途上、熱田の白鳥山法持寺で芭蕉、叩端、桐葉の三吟歌仙を巻いている。この俳諧の発句が「何とはなしに何やら床し菫草」であった。
華女 後に芭蕉はこの句を推敲し「山路来て何やらゆかしすみれ草」として有名になった句ね。
句郎 この歌仙の中に芭蕉の恋句がある。桐葉が
「芸者をとむる名月の関」を詠んだ句に芭蕉は
「面白の遊女の秋の夜すがらや」と付けている。
華女 桐葉の句「芸者をとむる名月の関」とは何を詠んでいるのか、全然分からないわ。
句郎 芸者とは、今私たちが思い浮かべる芸者ではなく、遊芸の達者な者を言うようだ。「名月の関」とは、名月の頃、関所を通り抜けようとしたところ、関所の役人に呼び止められて芸を所望され、月見の宴をしたということのようだ。
華女 芸人の一団が関所を通ろうとしたところ、月見の宴をしたということなのね。
句郎 「面白の遊女の秋の夜すがらや」と芭蕉は付けた。
華女 遊女の芸が面白く、実に楽しい秋の夜すがらだったということね。このような句が俳諧の恋句というものなのね。
句郎 前句と付句とで一つの世界を詠むのが俳諧の面白みだから。
華女 ここで詠まれている世界は色恋の世界ではないわね。何か、中世的な幽玄な世界のようにも感じられるのよね。
句郎 きっと芭蕉は西行の歌の世界から強い影響を受けているのかもしれないな。
華女 「面白の遊女の秋の夜すがらや」という芭蕉の前句に叩端はどのような付句を詠んでいるのかしら。
句郎 叩端の付句は「燈(ともしび)風をしのぶ紅粉皿(べにざら)」だ。「風をしのぶ」とは、風に吹かれて消えようとして、消えずにいる燈である。風にゆらめく燈に皿の紅粉が笹色にきらめいている遊女の部屋の凄艶な光景を表現している。
華女 関所で楽しんだ月見の宴が凄艶な遊女の部屋に世界が変わったということね。
句郎 想像する世界を次々と変えていく遊びが俳諧というもののようだ。
華女 想像する世界を次々と何人かの仲間と一緒に変えていく遊びが俳諧だったということね。
句郎 俳諧師とはプロの遊び人だった。
華女 文学とは遊びの中から生まれて来たものなのね。
句郎 遊びの世界は、日常の世界とは隔絶された世界であった。であるが故に日常の世界にある世の掟から解放された世界でもあった。礼の世界から解放された世界であった。
華女 礼の世界とは何なのかしら。
句郎 現実の世界にあっては、農民は武士の前に出ると土下座することが礼であった。礼とは秩序というものであった。社会の秩序を整えるものが礼であった。封建社会にあっては礼が最も重要な掟であった。
華女 現代社会にあっても公務員の世界にあっては、上下の関係が明確化されているわね。そこでの上下の関係は礼によって可視化されているように思うわ。命令をする者とされる者との関係を可視化しているものが確かに礼ね。
句郎 特に小・中・高の卒業式などの場合、今でも礼法指導なんていうものを年配の女性職員が生徒の指導をしているようだからね。
華女 儀式というものが封建社会にあってはとても大事なものであったということは礼という秩序を維持する装置だったということなのね。
句郎 遊びは秩序された世界の外の世界だった。
                           岩波新書『芭蕉の恋句』東明雅著 参照

醸楽庵だより   1512号   白井一道

2020-09-06 13:02:24 | 随筆・小説


 
 芭蕉は俳諧に遊ぶ人生を送った



華女 「まゆはきを俤にして紅粉(べに)の花」と言う句を芭蕉は『奥の細道』、尾花沢で詠んでいるわね。色っぽい句よね。当時の一般女性が眉掃(まゆはき)のようなお化粧道具を使っていたのかしら。
句郎 確かに一般農家の女性が眉掃のような化粧道具を使っていたとは思えないな。
華女 白粉を顔に叩き、眉にかかった白粉を掃き落す道具が眉掃よ。普段に白粉を顔に叩いていた女性といったら、廓にいた女性たちだったのじゃないかしらね。
句郎 芭蕉は紅花の咲く畑を見て、紅花の形が眉掃に似ているなと思ったということなのだろうね。
華女 確かに似ているのかもしれないわ。芭蕉は眉掃に思い出があったのよ。
句郎 眉掃を普段に使用している女性との思い出かな。
華女 そうよ。芭蕉も普通も男だったのよ。だからもちろん遊女と遊んだ経験が芭蕉にもあったと思うわ。
句郎 芭蕉の生きた17世紀後半の時代、遊女と遊べる男というのは、それなりに遊ぶお金のあった者だった。芭蕉は俳諧という芸能に生きた俳諧師だったからあぶく銭を持った時期があったのかもしれない。
華女 俳諧の連歌とは、もともと生活に余裕のあった者たちのお遊びだったのでしょ。
句郎 そうなんだろうね。連歌師宗祇が残した俳諧の恋句に次のようなものがある。「藤はさがりて夕暮れの空」という七七の宗長の句に、宗祇は「夜うさりは誰にかかりてなぐさまん」と付けている。夜になったらどの女のところに行って気晴らしをしたものかと、詠んでいる。この句を読んだ一座の者は皆大笑いをした。
華女 猥談をして楽しんだということね。昔も今も猥談があったということね。そのような猥談の一種が俳諧の連歌だったということなのね。
句郎 一座で詠み捨てて遊んだものが俳諧だった。男の遊びは昔も今も変わることなく、女遊びだった。この女遊びを詠んだ句が恋句だった。女遊びを詠んだ恋句の伝統の上に芭蕉の句もある。その一つが「まゆはきを俤にして紅粉(べに)の花」なのかもしれない。
華女 『奥の細道』の旅も芭蕉にとっては遊びであったということね。
句郎 遊びは遊びであっても命を懸けた真剣勝負の遊びであった。
華女 真剣に取り組んだ遊びであったから単なる遊びが文学になったということなのかしらね。
句郎 眉毛に付いた白粉を眉掃で払い落としている遊女と遊んだ夜を芭蕉は思い出していた。尾花沢は最上川の中流域にある紅花の産地だった。この紅花は最上川の水運で酒田に運ばれ、酒田から日本海に出て、北前船で京都まで運ばれて、紅花は顔料になった。
華女 宗祇の句に比べて芭蕉の句は遥かに上品よね。でも芭蕉の句にも脈々と俳諧の連歌の恋句の伝統が息づいているように思うわ。
句郎 『奥の細道』に載せてある俳諧の発句にも脈々と遊びの伝統が息づいている。『奥の細道』最後の句「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」。この句の「ふたみに」という言葉は「二見が浦」の「二見」と「二つ別れ」とが掛けられているよね。伊勢はまた蛤の産地として名が知られていた。このような言葉遊びの句になっている。遊びの文芸、俳諧の連歌が『奥の細道』には息づいているように思う。
華女 『奥の細道』出で立ちの句「行春や鳥啼魚の目は泪」の句は「行く春」に向かって出発し、「行秋ぞ」で終わっているのよね。
句郎 『奥の細道』は紀行文の傑作として知られている。この紀行文は完全な作り物であるということなのだと思う。
華女 作りが過ぎると遊びになるのよね。でもフィクションとしての文芸作品『奥の細道』は立派に文学作品になっているのよね。だから今でも学校で授業の一環として子供たちに教えているのよね。
句郎 単なる遊びに過ぎなかったものであるが故に江戸の裕福な町人や農民の遊びになり、もともと下品な猥談と何ら変わるものでもなかった俳諧の連歌が文学になり、身分の低い町人や農民の文化としての俳諧が文学になった。町人や農民が獲得した文学が俳諧だった。