じょじょりん文庫

読書好きで雑読。ゴルフ好きでへたくそ。
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超訳 ニーチェの言葉 フリードリヒ・ニーチェ

2010-03-25 | その他
超訳 ニーチェの言葉

ディスカヴァー・トゥエンティワン

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この本,売れているそうですね。
好きと言える分際ではありませんが,高校生の頃からニーチェは読んで,今書棚には「ツァラトゥストラ」「道徳の系譜学」「善悪の彼岸」「この人を見よ」なんてあたりを直ぐ読めるように入れてあります。
で,超訳ニーチェですが,ざっと読んでみると,まるでゲーテ格言集を読んでいるかのような,ごくまっとうな格言集になっている感じがしました。編集がまっとうすぎて,ニーチェではないみたいです。

私は,ニーチェといえば,リヒャルト・シュトラウスの有名な「ツァラトゥストラかく語りき」の音楽で表象されるようなちょっと常軌を逸した感じを持っていますので,この「超訳ニーチェ」はイメージがだいぶ違います。表紙の裏にも「明るいニーチェ」と書いてありましたが,明るいニーチェは既にニーチェではないのではないかという疑問はあります。

内容文についても,ニーチェの原文をわかりやすくアレンジしているのでしょうが,説明がちょっと多くて,文の美しさを損なう感じがします。
その例ですが,この本の記載158に以下のような文が載っています。
「158 愛が働く場所
善悪の彼岸。それは善悪の判断や道徳を完全に超越した場所のことだ。
愛からなされることはすべてその場所で起きている。だから,愛の行いは,いっさいの価値判断や解釈が及ばないものであるのだ。」

原文はたぶんこれでしょう。「善悪の彼岸」の第4篇153
「愛によってなされたことは,つねに善悪の彼岸にある。」

やはり,原文の方が遙かに美しいですね。ニーチェは短い言葉でズバッと言っているので,あまりこう説明文にしない方が,ニュアンスが伝わるように思うのですが……

ニーチェの中で私の一番好きな著作は「善悪の彼岸」(特に第4篇)なのですが,このほかの著作を見ても,「善悪」「道徳」「超人」なんて言葉がとても多く,ドイツ人をとても嫌っているかのような記載が多いのです。
たぶんニーチェは当時のドイツ人社会の中の価値観に,自分との間に埋めがたい溝を感じていて,自分の価値観が良いのか悪いのか,許されるのか許されないのかに悩み,許されないもしくは受け入れられないと思った段階で,それをも超越する「超人」とか「彼岸」「永遠回帰」なんていう方向に思想が行ったのではないか,なんて素人ながら思ったりしています。

結局ニーチェの満たされなさは解決しなくて,最終的には彼の精神も彼岸に行ってしまったわけですが,そうした苦悩や悩みが,この本からは感じられません。編者の方が意図的に削除しているのだと思いますが,いままでニーチェを読んでいない人や,あまりニーチェの苦悩が好きでない人をターゲットにしているのだとすれば,良いかも知れません。
でも,ニーチェのニーチェたる由縁と言うところからは,外れていると思います。

この本でニーチェも良いかなと思われたら,是非ニーチェの著作そのものを読んでみて頂いて,(自分の精神状態の良いときに)苦悩を実感して頂きたいと思います。
岩波文庫とか,光文社古典新訳文庫などで出ていますよ。

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