元不登校の皆勤賞へのロード

中学時代ろくに学校に行かなかった自分が高校は皆勤賞を目指す。管理人は平田真優香さんを応援してます。

資本制私有財産の最後の時が鳴る。収穫者たちが収穫される。 カール・マルクス

2014-01-15 20:58:33 | 日常
筋トレしながら課題楽しい。






やった課題を晒そう!冬休みに出てた楽な方。そんな事より明日休みだやったぜ!木曜日!
古典的資本主義の矛盾を現代資本主義はどうやって解決したか1400文字以上で述べよってさ。


 古典的資本主義は17世紀後半の消費革命に端を発し、18世紀後半の産業革命を以て最盛を極めた。それまで王侯や貴族などのほぼ上流層のみが行っていた消費文化が下流層にも広まり、消費活動の担い手が増えた結果指数関数的に経済規模は拡大した。しかし市場は有限である為に何処かで必ず生産の過剰、即ち在庫を抱え、不況や恐慌へと繋がる。この矛盾を解消する為には計画経済や社会主義による生産の管理、または開拓による市場の拡大であるが、現状これらの手立てはどれも失敗乃至は行き詰まりの結果を見せている。
 この古典的資本主義に一応の解決(あくまでも相対的に『そう見える』だけの話であり、当然全体がそれを共有すれば有限の壁に直面する)を見せたのが現代資本主義である。1908年にアメリカのフォード社が最低限の装備、安価なT型フォードを発表しそれまで富裕層の物であった自動車を経済的に豊かでない層に売り込もうとした。フォード社は古典的資本主義的に活動、盲目的なT型のみの生産を行う事で、結果としてT型はそれ自体が広告となり広く浸透した。1921年時点でのフォード社のアメリカ国内でのシェアは55%と圧倒的であり、1924年には200万台を売り上げ1920年から1927年の間でT型一つのモデルを1500万台生産し続けた。一方で、1921年時点では55%のシェアを誇るフォード社と比べ、11%程しかシェアを獲得出来ていなかったGM社であるが、多種多様なモデルを用意し、数年毎にモデルチェンジ、ローンの導入など様々な経営戦略を打ち出した。これに対しフォード社は対抗策を講じるでもなく我武者羅にT型の生産を続け、料金プランについても当初からの現金一括支払いから揺れる事は無かった。しかし1924年の時点でGM社は18.8%のシェアを獲得し、1927年には43.3%にまで拡大した。これを受けて流石のフォード社もT型の生産を取り止め、GM社と同様にラインアップ化へ転向する事となる。
 此処で注目するべきなのがGM社の経営戦略である。消費者の需要を読み取る努力を怠らず、また製品そのものに限らず、それに纏わるあらゆる要素においても販売の合理化を徹底し常に試行錯誤を行った結果、それまで殿様商売を続けていたフォード社からシェアを奪う事に成功した。では具体的にフォード社がGM社に出し抜かれた要因は、GM社にありフォード社に無かった物は何であるのかと言うとそれは即ち「情報」である。GM社は自社の製品を売る為に市場の調査を徹底し、上記の通り「需要を読み取った」事で高いシェアを獲得出来たのである。フォード社は古典的資本主義的に生産一辺倒であった為に敗北を喫し、GMは情報を重視し、言い換えれば現代資本主義的に戦略を練り勝利したのである。この情報なる物はそれ自体が付加価値を持ち、更には第一次、第二次等の次元を問わずあらゆる産業分野にもそれは適用される。故にこのフォード社とGM社の互いの趨勢の歴史を見ても明らかである様に、情報は現代社会において、特に経済活動において絶対的な武器であると同時に必要不可欠の存在であると言える。この様に古典的資本主義が常に孕んでいた経済全体の自重による崩壊の慢性的な危機は、情報を使役する事で、自由自在な「適材適所」を実現出来る現代資本主義によって一応の解決は出来たと言える(情報という点に着目して、それの是非は兎も角として国家が市場に介入する計画経済なり社会主義なり経済政策なりも情報無くしては成立し得ない以上は現代資本主義であると言える)。



です!正直何もわからなかったから調べて自分なりの解釈を創造した。授業ちゃんと聞いときゃ良かった。
テケトーにそれっぽく纏めてるだけなんで嘘を言ってると思います。信用しないでください。私は嘘つきです。
GM社云々についていきなり話が出てきてちょっと説明不足なのは仕様です。そういう指示があってだね。
つーか同じ様な事を繰り返し言い過ぎ。仕方ないだろ1400文字以上をクリアする為に水増しですね!






さーパワポ修正しよ。


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