6.11.民宿・泉屋(後編)
「ゆっくりしてきなよ」
10:15amの「日昇丸」は10:45am、三十分程で竹富島に着いた。石垣島に比べ、不思議なくらいにこの島は晴れていた。石垣↔竹富の間は、わずか6km程である。それでもここでは考えられる事なのであろうか。
桟橋から島の中央へ向かう道すがら、「日昇丸」に同船していた二人の女の娘を誘い、(いつ誰に教えられたのか解らないが)私達がこれから行こうとしている民宿・泉屋に連れて行く事にした。
その民宿泉屋に五人で着くと、おばちゃんがアイス・コーヒーを出してくれた。束の間くつろいでいると、足が異様に短く躰ががっしりとした男が現れ、人なつっこそうに話しかけてきた。東京・大田区から来ていると云う事で、私達が来る迄はたった一人の客であったらしい。それで暫く雑談した後、先ずは浜に出てみようという事になり六人で出掛ける事にした。
蒼い空、みどりの海、白い珊瑚の砂浜。風に揺れて立つ波の音も無く、ここではただ静寂が守られている。私はジーパンの裾を捲くり上げ、驚く程遥か遠く迄続く遠浅の渚を歩いた。女の娘二人とガラにもなく貝殻拾いなどをしてみた。私は泳げるという程のものではないけれど、それにしても水着を持って来なかった事が悔やまれてならない。
夜は民宿のオヤジさん主催による酒飲み会が開かれ、地酒・泡盛を飲み、三線に合わせて手拍子をとり島の歌を聴く事が出来た。これは私にとってとても貴重な、願ったり叶ったりの事だった。そしてそれは楽しい夜の席だった。竹富島の話しに始まり、音楽、モンパ(島特有の毒消しの葉)などについて…。
今夜は泊まり客の数も少ないので、全員がお故郷自慢の民謡でも何でも良いから、とにかく一曲は歌うという事になった。私も歌わされたのだけれど、この様な席での歌など知らないし、東京には民謡など少なくまた知らないので、〈今この場で歌えそうな曲〉を思い出し、昼間目にした民宿のオンボロ・ギターを借りて、「ゆっくりしてきなよ」を演った。 「二カ月ぐらい前に、或る友達の為に書いたオリジナルです。曲名は、ゆっくりしてきなよ…」と言って歌い始めると、(以外にも)みんなの手拍子が加わった。 『何でこの曲に手拍子がえ入るの?』…と思いながらも、逆にそのリズムに合わせる様に演らざるをえなかった。そうしたらそれがかなりウケて、オヤジさんは馬鹿みたいに感心して褒めはやしてくれた。 「いや、驚いた。まさかジュンにこんな才能が有ったなんて、ワシは思ってもみなかった。作詞・作曲をするなんて、素晴らしい事だよ。これからは見直さなければいけないな」
何とまあ、たった一曲の自作の歌が、私への評価を180度変えてしまうなんて…。しかし、これは嬉しい評価ではある。もともとこの「ゆっくりしてきなよ」は古い友達について書いたもので、詞としてはブルースの定型・三行詞ではあるけれど、曲の方はブルースを意識していたものの、いつの間にかフォーク・ソングっぽくなり、今ここで手拍子も入れられる少々ゆったりとした曲として落ち着き始めている。つまり、三段階の変化をして、殆んど最初とは異う曲になったのである。この様な状況での思いもよらぬ編曲と云うのもあるものなのか…。まるで生き方の変化を思わせている様に感じる。東京を出て以来、いや、それ迄にも無い素敵な夜だ。
これが竹富島、民宿・泉屋での初めての夜。
この小さな島、当然まだまだ全てを見たとは言えないけれど、那覇以上のカルチャー・ショックを受けたのは事実。今(現在)思えば、この日を初めとした毎日が、私を変えていった様に思える。
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