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1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 名医を知りたければ、医者仲間に聞け。名匠を知りたければ、大工仲間に聞け。名僧を知りたければ、坊主仲間に聞け。プロが認める、プロ。

2023-05-14 06:30:52 | 法話
【5月15日投稿分】

読者若者が「人に対し、勝手なイメージを持って、その人の事を『こんな人間』と。後でその決め付けが間違いだったを知って、大恥をかいた事ってありますか、住職は」と。「勿論、あるよ」「実は、番組『酒のツマミになる話』を見ていて、上地雄輔さんが、元横綱の貴乃花さんが、ゆっくりと行動する理由は、怪我をしない為と。物を落としても、ゆっくり拾ったり、呼び止められても、ゆっくり振り返るは、慌てて動いたら、怪我(筋肉、筋を痛める)をする確率が高いからと、言われていました。その話を聞いた時、私も貴乃花さんの事は『ふうたらぬるい人間やな。さっさと動けや、さっさと喋れや』と思っていたので、ほんと、猛省です。他にも、相手の事を殆ど知らないのに『何だ、あいつは』と勝手に決め付けて、周囲に同調を促す行為も何度か。ほんと、我ながら、あかんわ」と。

対し、拙僧「SNS の中では、その様な傾向は頻繁にありそうだよね。誹謗中傷のターゲットになってる見知らぬ人を、寄って集って、人差し指1本(いいね砲)で自殺に追い込んだり。そろそろSNS も本格的に、抜本的見直しが必要かな。それにしても、貴乃花さんは、プロ中のプロだよね。『君子危うきに近寄らず』を徹底されていたんだね。君は知らないだろうが、金田正一さんという400勝投手がおられてね。現役中は、酒も煙草も絶っていたそうだよ。この方も当に、プロ中のプロ。本当のプロフェッショナルは、日常生活からそうなんだろうね。400勝って、簡単に言うが、毎年20勝を20年間なんて。これから先、恐らくこの記録が塗り替えられる事は。何にせよ、人を見た目だけで判断するは、大きな過ちを産むよね」と、この若者に。

更に、この若者に「拙僧には、お世話になった高僧がいて、その方は、口調が非常にゆっくりで、その様にされていた理由を、高僧が他界された後に、拙僧は知る事に。その方は、酷い吃り(どもり、小児期発症流暢障害)だったそうで、本来は早口だったのを、ゆっくりと喋るを心掛ける事で、どもりを抑えておられたと。拙僧も『めまい(メニエル病)』を20年以上も大事に持ってるが、檀家の医師から『メニエルに効く特効薬はないですよ。気圧の変化、ストレス、睡眠不足、疲労、几帳面な性格などが原因。気圧の変化は仕方ないとしても、他はどうにか、ご自分で工夫が出来るでしょ。言動をゆっくりする事で、手足の末端まで血流が行き届きます。これも、防御法です。回遊魚は返納しろと、何度も言ってるでしょ、住職』と度々怒られてるよ。持って生まれた本性は、なかなか改善は難しいよね」と。

続けて、この若者に「プロと言えば、こんな話も。知人で会社の社長(父親)と専務(息子)は、仕事で同じ目的地に行くにしても、片方は新幹線、片方は飛行機と。または、車で行く場合でも、別々の車で現地に向かうと。同時に事故に遭う(死)を避ける為、2人で一緒に移動する事は絶対にしないと。社員、取引相手、家族に迷惑を掛けない為に、と言われてたよ」と。

さて、この法話の初文の『勝手なイメージ』ですが、時代、時代で順送りの様に、若者否定、年寄り否定、の言葉が。昨今もある若者に「朝起きて、飯食って、大小便。昼間働き、暗くなったら、家に帰り、風呂に入って、夕飯食べながら、酒飲んで、寝る。原始時代から、人間の営みは、何1つ変わってない。変わってきたは、使う道具だけ。温故知新の考えは、老人にとっても、若者にとっても、大事だよ」と。

温故知新といえば、20年程前、知人社長が「住職よ。井戸を掘る(1メートル掘るに1万円前後の費用)に当たって、最新の機器を使って水脈を探し、何ヶ所も掘ったんだが、水脈にぶつからん。何か、よか知恵がないかい」と。対し「拙僧の爺様が生前、こんな事を。『快晴の日の夜に、漆塗りの重箱を逆さにして、掘りたい所に何個か置け。早朝、その重箱の内側に水滴が付いていたら、その下に水脈がある』と。昔ながらのやり方らしいですが、何かしらの根拠に基づいた方法かどうかは、知らないよ」と。後日、知人社長から「水が出た」とお礼の連絡が。その時、拙僧『偶然にしても、偶々にしても、結果が出たは、よかった』と心の中で、亡き爺様に感謝を。

次回の投稿法話は、5月20日です。




【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 北九州市が七色の雲時代、拙僧は幼少期、公害喘息に。環境破壊の代償に経済繁栄を。何かを求めれば、何かを我慢するは、当然の事。

2023-05-08 17:40:11 | 法話
【5月10日投稿分】

読者で16歳の男子が「住職さん。この前、用事があって、5月の連休に親戚のいる東京へ。時間が許したので、超一流大に在学中の従兄弟が、従兄弟の友人と2人で僕を東京見物に。山手線の階段を上っていた時、発車のベルが。すると、従兄弟が突然に猛ダッシュを。『えっ』と、従兄弟の友人と僕は顔を見合わせ、急いで後を追うと、閉まる寸前のドアに無理矢理乗り込もうとする従兄弟がそこに。『はっ、何、1人で乗り込んでどうするの。目的地も決めてなかったのに』と心の中で。まあ、携帯があるから見失っても連絡は、取れるには取れるが。この従兄弟の兄ちゃんですが、自己中心的な人だとは、知ってはいましたが『ここまでとは』と少々びっくり。従兄弟の友人も小声で「何を考えてんだ、こいつ」と従兄弟の顔を見ながら。この様な事が、まかり通る家庭環境で、育ってきたんでしょうね」と。

対し「拙僧も君と全く同じ経験を、45年前にしたな。拙僧の経験場面に出てきたその人は、今でも付き合いはあるが、60歳を超えても、その頃の自己中心的性格は、根本的には変わってないかな。当に『三つ子の魂百まで』だよ。結構、こんな人、あちこちにいるよ。お寺の仕事に携わって40年、数多の親子を見てきたが、良しも悪しきも『子供は親が育てただけしか、育ってない』が基本かな。君と同じ経験をした45年前に拙僧『こんな人間になっちゃあかんな』と子供心に。見えているもの、聞こえているものは全て、自分の教訓になるものばかり。そう考えたら君も、君の従兄弟の兄ちゃんから、よか教訓をもらえたな」と。

更に、この16歳の男の子が「住職さん、ついでだけど愚痴らせて。その5月の連休中は、東京の親戚の家で泊まらせてもらっていたんだけど、ご飯を食べる時に、その従兄弟の兄ちゃんから『よく食べるよな』と。悪気で僕に言った訳じゃないとは思うんだけど、この言葉ってさ、箸が止まるんだよね。親戚とはいえ、他人の家でしょ。『お前、遠慮がないな』と言われているみたいで」と。「君は、しっかりと親に育てられてるみたいだね。まあ、言い方にもよるだろうけどな。それでも他人の家では、口に入れる物は、やっぱ、気を遣うわな。食べ盛りの子供達(親戚の子、友人の子、檀家の子など)がお寺に来た時には拙僧、いつも『さあ、遠慮はいらん。吐くまで食え』と言ってるよ。この言葉で、多少は気が楽になるんじゃないかな、と思ってね」と。

続けて拙僧、この16歳読者に「君は、大河ドラマの『龍馬伝』と『青天を衝け』を知ってるか」と。「いえ」「明治維新時代の話だが、ドラマとはいえ、参考になるよ。1度、じっくりと見てごらん。そこに出てくる三菱財閥創始者の岩崎弥太郎さんと、生涯500もの企業に携わり『資本主義の父』言われた渋沢栄一さんが描かれているが、両極端の生き方だ。が、どちらが良い、悪い、ではないよ。世の中(世の中以外でも)が動く時には、色んな役割の人間が必要になる。王将ばかりが、駒じゃないで」と。

更に、拙僧「何でもがそうだが、否定から入ったら、得る物はないよ。人は、自分と考え方の違う者、自分の知識、経験の中にない物、を否定する傾向があるが、それでは損するだけだよ。『龍馬伝』の中では拙僧、好きな場面はなんぼでもあったが、岩崎弥太郎さんが、父親が大怪我をした事で、たった16日間で江戸から高知まで、走って戻ってきたも、好きな場面の1つ。自分が行動を起こせない理由を『時間がないから。距離が遠いから。お金がないから』と言い訳をする人に拙僧、数多出会ってきたが、自分の足を止めてるのは自分で、第三者が止めてるんじゃないもんな」と、この16歳読者の男の子に。

拙僧が投稿する法話は、ツイッター、Instagram、Facebook、ブログ、において、小中高生が数多、読んでおられますので、時には、この様な話もいいかな、と。

次回の投稿法話は、5月15日です。投稿写真は、北九州市が七色の雲だった時代。







【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 明治生まれのわが爺様は、おっそろしく激しい爺様だったが、婆様に荷物を持たせるを見た事がない。

2023-05-03 19:27:50 | 法話
【5月5日投稿分】

今月(5月)の13日は、拙僧爺様の祥月命日(立ち日)、当年で34回忌。この日は、拙僧兄の誕生日、1年365日もあるのに、何故、ピンポイントでその日に。檀家の中にも結構、この様な『月、日(家族の誕生日に、家族の立ち日など)の偶然』って、結構あるんですよね。「私の事を、忘れてくれるなよ」という事なのかな、家族に所縁の日に旅立って逝かれたは。

第二次世界大戦中、満州に渡り、事業(土建業)をしていた拙僧爺様(明治41年生まれ)。満州国政府奉職時代の三原朝雄(明治42年生まれ。文部大臣、防衛庁長官など)さんとはその頃からの縁で、日本に帰ってからも度々、福岡県遠賀の事務所に足を。拙僧が車の免許を取ってからは、拙僧の運転で何度か、三原朝雄さんの事務所へ。2人(三原さん、爺様)並んで座っていると『えっ、ここって、怖い事務所なの』という感じでしたね。爺様は満州より帰国後、北九州で起業した『山本工作所』を横で支え、その配下で『三友工業』を起業。伴侶の婆様は、満州時代から爺様に散々苦労(金銭に加え、飲む、打つ、買う)を強いられ、晩年は『江戸の仇は長崎で』と言わんばかりに、爺様を痛ぶり倒しておりましたね。

因みに、徳川慶喜公が、大正2年にご他界された時、拙僧爺様は5歳。自分の爺様が子供時代に、慶喜公(徳川15代将軍)が生存されていたなんて、何とも不思議な感覚ですよね。

さて、その爺様が平成2年、83歳で他界を。病院から戻ると、婆様は爺様の亡骸にしがみ付いて大泣きを。当時27歳だった拙僧は『ほう、あれ程に爺様をいじめ倒していたに、やっぱり夫婦、悲しいんだな』と。葬儀には、600人程の会葬者が。その中には「満州で親方(爺様)に命を助けられました」という中国人の方が3人ほど。葬儀の会葬者数を見ると、その人がどんな生き方をしてきたか、一目瞭然にて。1000人近くの葬儀を勤めてきた拙僧には『会葬者数と故人の生き様は比例する』は、確かなものかな、と。恩を受けた人達は、必ず『有難うございました』と、お礼に足を運んで来られます。通夜、葬儀、初七日の取り上げ法事が終わり、親戚一同がそれぞれ自宅へと帰宅し、いつも通りの家族だけになると、婆様はそそくさと爺様の写真(遺影)を箪笥の中に片付け「迎えに来られちゃ、堪らんわい。これからが、私の人生じゃ」と。拙僧、唖然として『あんた(婆様)、さっきまで泣いてたんとちゃうんか』と心の中で。やっぱ、女性は生き物が違う。檀家さんの中でも、奥様が先立つと、そう時間を待たずに旦那さんが、後を追っていくケースは、少なからず。が、旦那さんが先立つと、奥様は確実に、10年は若返る。世界各国において、平均寿命は例外なく、女性の方が男性よりも長い。わかる様な気がする。

爺様が他界して1年後、お寺のお手伝いさん(爺様の会社の従業員だった女性。お寺での勤務は約30年)の夢の中に爺様が出てきて『婆さんを連れて行く』と。お手伝いさんは咄嗟に『爺ちゃん、3年待って』と嘆願。すると爺様が、生前の時の様な強い口調で『3年やな。二言はないな』と。見事、その3年後、婆様は爺様の住むあの世へ。婆様の葬儀の時、お手伝いさんが「あの時、夢とはいえ、何で私、10年って、言わなかったんだろ」と落ち込んで。対し、拙僧「あなたが口に出した『3年』が、婆さんの寿命だったんじゃないの」と。

余談ですが、爺様と婆様には、山ほど面白いエピソードが。拙僧が書いた『爺様、婆様、おもろ話』の1つ『長崎鼻論争』は、30年程前に、どこぞの出版社に取り上げられ、感動本の片隅に掲載して頂きました。その話が以下の話です。

突然に爺様が大声を張り上げ、玄関の戸が壊れんばかりに開けて外へ。2階にいた拙僧夫婦(当時、拙僧25歳、妻21歳)は、1階へ降りていき「どうしたの。また、喧嘩したんね」と言うと、婆様が「爺さんがな、会社の社員を連れて、鹿児島県の長崎鼻へ社員旅行に行ったと言うんでな、『アホか。長崎にあるから、長崎鼻と言うんじゃ。知識がないから、嘘がバレろうが」と言うと、怒って出ていったわい」と。「婆ちゃん。長崎鼻という地名は、全国に8箇所ほどあって、鹿児島県でも正解なんだよ」と教えると「ほう、そんなこったいかい」と、だけ。夕方になると婆様は、境内地をウロウロと。どうも、出ていった爺様が心配みたいで。しばらくして、そそくさと婆様が家の中へ戻って来る様を見て、拙僧夫婦『爺様が帰ってきたんだな』と。その爺様の手には、何やら大きめの本が。地図帳であるは、容易にわかった。玄関の戸を壊れんばかりに開けたかと思うと、大きな足音を立てて、婆様の居る仏間へ一直線に。地図帳を見開き「見てみい。長崎鼻は、鹿児島じゃろうが」と鼻息荒く大声で爺様、勝ち誇った様に。だが、婆様は、その地図を見ようともせず「あんたがそう思うんなら、思えばいいじゃろ」と一蹴。その婆様の返しに爺様は言葉も出ず、荒い鼻息の音だけが部屋に。その夜、また、下の部屋から「痛い。よく見て切らんか。何度言えばわかるんじゃ」と婆様の声が。覗きに行ってみると、左半身付随(多少は動く)の婆様の爪を、爺様が切ってあげている姿が。

【おまけ】
拙僧爺様は、生涯において、50組以上の仲人を。拙僧に「昔も今も、若者が結婚に尻込みするは、そうは変わらん。不安に思う心は同じ。今と昔の差は、世話する人間の有無。30歳を過ぎても子供が独身は、親が売って回らんと買い手はつかん」と。若い頃は拙僧「凄い言い方だな」と思っていたが、昨今『親活(独身の子供の代理で、子供の結婚相手を見つける会)』が方々で立ち上がってる様を見ると、爺様が言ってた事だ、と。

次回の投稿法話は、5月10日です。投稿写真の達磨大師は、金剛寺の客殿に置かれていますが、我が爺様にそっくりにて。亡き人の悪口言うも、また、供養。忘れ去るが、1番あかん。年忌法要(3回忌、7回忌など)は、故人への御礼報謝にて。