JUN-Zの夜遊び日記

everybody needs somebody to love

(小説) カイブシコリ~第2章

2006-09-02 18:32:46 | 小説
とりあえず彼はこの小川を辿っていく事にした。
ここから下って行けば、知床の方へと行けるだろう……。
見覚えのある風景と匂い…。
幼い時に母親に連れられ、訪れた事があったのだ。
しかし今は感慨にふける余裕などない。力無くとぼとぼと歩いていく。

小川のせせらぎと人を寄せ付けない鬱蒼とした森の中を進む。
聞こえてくるのは、川の音、小鳥のさえずり、ざわざわと木々達の囁き声のみだ。
遠くで鹿が鳴いた-やつらはいい…。そう思った。
草さえあれば生きていけるのだから-。
だが現実はそうではない。冬眠しない彼らはこれから酷寒の北海道で生死の境目を
行き来しなければならないのだから。
現に餓死した鹿を食べる事もある。だが決して良質の食料とは到底言いがたいものであった。
筋と骨ばかりの鹿を食べても、感覚的に満足できるものではないのだ。

“ガサガサっ”-不意に目の前に一匹の狐が飛び出して来た。
「くくくっ…」-狐は口をゆがめながら、その蔑んだ笑みをカイブシコリに浴びせた。
その笑みの意味を瞬時に悟ったカイブシコリは一つ大きなため息をつく。
「旦那、そんな事じゃ野たれ死にするのが落ちですぜ?」
『風上か……』-自分の置かれている状況に嫌気がさした。
獲物に接近する際は、風下から接近しなければならない。
そうしなければ匂いで相手に接近を告げる事になってしまうからだ。
歩いてるだけとはいえ、余りにも不用心な自分が情けなかった。
「いったいなんの用だ?俺は先を急いでる。からかいに来ただけなら、もう用済みだ。」
「そんな冷たい事言わねぇでくださいよ。」
「見てのとおり、俺からおこぼれちょうだいするつもりなら、他を当たった方がいい。」
狐はカイブシコリの全身を舐めまわすように観察した。
「ふふん…こりゃ確かに旦那の言う通りのようですね。」
その台詞が終わる終わらないうちに、カイブシコリは歩きだそうとしていた。

素早い反応でぴょんと後ろに飛び退く狐-2頭の間は一定の距離を保っている。
「ふん…」-くえない野郎だ。今度はカイブシコリが口元を曲げた。
「おっとぉ!いきなり動かないでくださいや。」-狐は冷静を努めた。
「俺はお前なんか食おうとも思わないし、暇つぶしにも付き合ってられないんだよ。」
どんどん前に進むカイブシコリ。
ぴょんぴょんと後ろに下がる狐-相変わらず距離は保ったままだ。
「そんな事言って、このままここを進むとえらい目に合いますぜ?」
カイブシコリの歩みが止まった。
「どういう事だ?」
狐の顔に満足げな表情が浮かんだ。
「ここをしばらく行くと、人間共の縄張りに入っちまいますよ?」
カイブシコリは眉間に皺を寄せた。
「そんなははずはない。ガキの頃来た事があるんだ。」
「時代は変わるってやつですよ、
やつら人間共はどんどんうちらの縄張りを侵してやがんですって。」
「………ここからどのくらい先だ?」

一瞬の間をおいて、狐は言った。
「ここから3つ尾根を超えた所までやつらは進出してきてますぜ。」
カイブシコリは唸った-まさかそこまで来てるとは。
そんな姿を見て、よりいっそう得意満面の表情を浮かべる狐。
「それにもうひとつ。これは旦那にとってやばい話です。」
声を落とし、囁くようなトーンで語りかける。
「旦那の同類が人食いやらかしたんですよ、昨日この先でね。」
衝撃が全身を突き抜けいくのがわかった-奴だ。奴しかいない。
総毛立ち、ぶるぶると震えながら、それが怒りからなのか畏怖しているからなのか、
そこまでは考えがつかなった。
そんなカイブシコリの状況を知ってか知らずか、狐は話を続ける。
「しかもガキを食いやがったんです。人間共は犯人を殺そうと躍起になってますぜ。
しかし大したもんです、そう思いませんか旦那は?」
「んっ?……」
「だってそうでしょう!人間共の縄張りに堂々と入って行って、人食いやらかしちゃうですから。」
『そんな事はどうだっていい…』-カイブシコリはガンゼムイの事より、これから自分が
どうすればいいか、その事の方が重要である。
その話が本当なら、ルートを変えなくてはならない。このまま進むのは自殺行為だ。
「余計な事をしてくれた……」
そう囁くカイブシコリが気づいたどうかはしらないが、一瞬、狐の眼光に鈍い光が宿った。
「まぁ確かにそうでしょう!同類とはいえそんな事されちまったら、疑いかけられて
無駄死にするかもしれないんですからねぇ。」

“ごうっ!”
「そんなのはまっぴらごめんだ!」-狐に向かって吠えた。
言葉の衝撃に足がもつれ転びそうになりながらも狐は体裁を取り繕うのに必死になった。
「そ、そりゃそうです!!ですからここで会ったのも何かの縁!いいルート教えますぜ!」
「………………。」
狐は息を整え、子供をあやすように語りはじめた。
「ここからしばらく行くと……」
「ちょっと待て……目的はなんだ?」
カイブシコリは狐の表情から何かを読み取ろうとしていた。
「狐のお前が、なんの見返りもなしでそんな事を話そうとするなんて虫が良すぎるぞ。」
そんなカイブシコリの考えがわかったのか、狐はやや開き直り気味になった。
「虫が良すぎるもなにも、たんに好意からですぜ?狐もたまには利害関係なしで動く事も
あるんですって。厳しい自然の中で共に生きてる同志!……たまにはね。」
カイブシコリは狐を凝視しながら、しばらく考え込んだ。
静寂の後、一陣の風がわめきながら通り抜けていった。

「いや……俺は俺で道を探す。」
やれやれといった表情で狐はかぶりを振った。
「頑固ですなぁ。まぁいいでしょう、じゃあひとつだけ教えときますぜ。
この先しばらく行くと川が二股に別れます。一つは人間の縄張りへ。もう一つは
安全な道。旦那が自分で選択してくださいな…。」
そう言うと狐はカイブシコリの為に道をあけた。

無言のまま通り抜けるカイブシコリ-それをじっと見つめる狐。
一瞬ピリっとした空気が流れたが、周囲のざわめきにかき消された。
しばらくそこに立ち止まっていた狐は口元に卑屈な笑みを浮かべながら、
逆の方向に歩き出した。
「どっちに行っても地獄ってね……」

続く