JUN-Zの夜遊び日記

everybody needs somebody to love

(小説)カイブシコリ~第4章

2006-09-14 20:15:16 | 小説
森はひっそりと息を潜めている。
男達の瞳は狩りの本能で埋めつくされていた。
初老の男が小山のような黒い影に、徐々に近づいて行く。
慎重に……決して相手に気配を悟られないよう細心の注意を払っていた。
周りの男達はその場を動かなかった。どうやらそういう手筈になっているらしい。
広葉樹林と針葉樹林が折り重なる様に入り組み、下草がズボンの裾を撫でていく。
木々の隙間から地面まで差し込む陽光が今は恨めしい。

しかしどうだ。初老の男の身のこなしは。
滑らかにまるで氷の上で踊っているかと錯覚してしまうほどの軽やかさだ。
熟練…そして凄腕の猟師ということが一目瞭然である。
彼はただ、一息も漏らさずにターゲットを見据えながら、淡々とその距離を縮めていった。

『ふむ……。』-その地点にたどり着いた。
彼の視界から見える黒い影は、その場に立ち止まりなにかをしているようだ。
『隙だらけだ…。』
やおら腰を下ろし深く息を吸い込む。
黒い影からは一瞬たりとも目を離さずに、ズシリと肩に食い込んでいるものを下ろした。
ジッパーを開く音さえも聞こえないくらい慎重にゆっくりと開けていく。
と同時に決して抗う事できない断末魔がそこに潜んでいた。
相手の命を一瞬で絶ち、その存在さえも過去から消してしまうのではないかと思うほど禍々しい。
今までいくつもの命を絶ってきたであろう黒く鈍い光を放つその凶器を彼は構えた。
ターゲットスコープのクロスゲージはぴたりと急所に合わされている。
黒い影は動かない…だが腹が微妙に上下している。
その揺れに彼は呼吸をあわせていく。
いいリズムだ……そして次に彼が息を止めた時、死神が舞い降りた。

パァーン!!!!!

森が一斉に悲鳴を上げた。
鳥達はこぞってその場から飛び立ち、リス達も巣穴の奥深くで震えた。
鹿達は混乱し、子連れの狐は子を守ろうと低く身をかまえた。
木々はその枝先まで小刻みに振動し、草花はその可憐な花をそむけた。

黒い影が崩れ落ちた。
音は聞こえなかった。
ただそこには「無」しかなかった……。

初老の男は立ち上がり、そしてゆっくりと死神が待つ場所に歩いていく。
後ろで事態の成り行きを見ていた男達は、ざわざわと音を立てながらその後を追う。
皆のその目には恍惚の欲情が浮きあがっている。
一種の集団心理であろう、狂気と歓喜は常に紙一重なのだ。

「……………。」-初老の男は倒れた物体の状況を観察していた。
ふいに腹部を触りはじめた。
追いついてきた男達も歓喜の表情から苦虫を潰したような顔になっていく。
「一応確認する。」
ギラリと光るマタギ用のナイフを取り出し、腹を割いた。
その結果に一同、落胆の色が隠せなかった。
胃袋の中には未消化の…明らかに今食べたと思われる木の実があるのみ。
『餓死寸前じゃないか……。』-初老の男は腹の中をまさぐりながら、ふと気づいた。
「妊娠しているな。」
初老の男の目に哀しい光が宿った。
餌を求めてここまで放浪の旅を続けたのだろう……。
妊娠していればなおさらだ。
しかし-彼はこうも思う。
この先は人間達の住む世界。自分たちにも身を守る権利があるのだと。
自然界に浸食してきて偉そうな事を言うつもりはないが、山も森も全ての自然に対しても
愛情と畏敬の念を深く感じている-ならばこそ生態系の頂点に立つ者として、
処断を下さねばならない……。
それが人間のエゴだとも彼は感づいていた。

「んっ!?」
彼はむさぼり食べるのをやめた。
その音が聞こえてきた方向に神経を集中させた。
一度聞いたら、二度と忘れられない悲鳴にも似たあの音……。
いやな予感がした。

つづく