青函連絡船の100周年、最終便の船長と乗客が再会(読売新聞) - goo ニュース
青函連絡船の100周年に、最終便の船長と乗客が再会したそうだ。 いやいや、懐かしいんでないかい?
自分も中学校の修学旅行と学生時代に青函連絡船をよく利用したものだ。 羊蹄丸、摩周丸、八甲田丸、洞爺丸(台風で沈没した)など殆ど総てに乗った。 当然のことながら3等雑魚寝クラスだった。 船酔いのしにくい位置も研究した。 真ん中の通路に近い位置で、進行方向に体を合わせて寝ると比較的楽だった。 一度もゲロを吐いたことはなかった。
トイレで大便をしていると、船体が傾くときギーと軋む音がしていた。 今もあの音は耳に残っている。 北海道に渡るときは列車を降りて青森駅の長いホームを急ぎ足で桟橋に向かった。 船内の好みのところを確保するためだ。 夏は甲板で潮風に吹かれながら 「ようやく着いた」 という思いで心を弾ませて帰省をしたものだ。
青函連絡船の100周年に、最終便の船長と乗客が再会したそうだ。 いやいや、懐かしいんでないかい?
自分も中学校の修学旅行と学生時代に青函連絡船をよく利用したものだ。 羊蹄丸、摩周丸、八甲田丸、洞爺丸(台風で沈没した)など殆ど総てに乗った。 当然のことながら3等雑魚寝クラスだった。 船酔いのしにくい位置も研究した。 真ん中の通路に近い位置で、進行方向に体を合わせて寝ると比較的楽だった。 一度もゲロを吐いたことはなかった。
トイレで大便をしていると、船体が傾くときギーと軋む音がしていた。 今もあの音は耳に残っている。 北海道に渡るときは列車を降りて青森駅の長いホームを急ぎ足で桟橋に向かった。 船内の好みのところを確保するためだ。 夏は甲板で潮風に吹かれながら 「ようやく着いた」 という思いで心を弾ませて帰省をしたものだ。
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