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一生の宝物「法華経」の宝島の世界へあなたをエスコート
仏教経典の中の王様「法華経全28品」の完全解読に大チャレンジ!

Popular Deciphering104 比喩品第三(その26)

2025年04月18日 16時16分33秒 | 生き方
比喩品第三(その26)

子どもたちに告げてさとす
Inform and instruct the children
多くの苦しみと災難について説く
Explain the many sufferings and hardships
邪悪な鬼と毒虫たち
Evil spirits and poisonous insects
火災が広がっていく
The fire disaster spreads
多くの苦しみが次々にやってくる
Many sufferings follow in order
次々と絶え間なく続いていく
Continually and unceasingly connected
毒ヘビやマムシと戯れる、まじる
Intermingling with vipers and pit vipers
多くの夜叉たちに加えて
And also many yakshas
鳩槃茶(くはんだ)という種類の鬼
Kumbhāṇḍa-type demons
野干(ジャッカル類)、キツネ、犬のような獣たち
Jackals, foxes, and dogs
鷲、鷹、ふくろうのような猛禽たち
Vultures, hawks, owls
百足類(ムカデなど)の仲間たち
Creatures like centipedes
飢えと渇きがひどく、苦悩が迫る
Hunger and thirst causing torment
甚だ恐ろしく、おびえるべき
Extremely terrifying and dreadful


この苦難の対処(場所)
This place of suffering and hardship
ましてや大火が起こっている
How much more with the great fire
子どもたちは無知である
The children are ignorant
父の教えを聞いてもなお
Though they hear the father's teaching
なお楽しいことに執着している
Still attached to their pleasures
戯れをやめない、遊び続ける
They do not stop playing
このとき父は、長者は
At this time, the elder (father)
そしてこのように思った
And thought thus
子どもたちは今のような有様だ
The children are as they are now
私の悲しみを増す
Increases my sorrow and anguish
今この家の中には
In this house right now
一つとして楽しめるものはない
Not a single thing is enjoyable
そして子どもたちは
And the children, meanwhile
遊びにふけってやまない
Completely lost in play
私の教えを受け入れない
They do not accept my teaching
火によって害されようとしている
About to suffer from the fire




日曜日、月曜日を除く毎日、法華経を訓読に解読したものをブログ投稿しておりますが、同時に法華経原文の真読(漢文)と読み仮名(和英両方)も掲載し照らし合わせれるようにしたものを電子書籍化して安価な有料販売を開始しております。この度は、序品第一に引き続き、方便品第二の真読&訓読(和英翻訳付き)を発行いたしました。
 ぜひお買い求めください。↓



2年間で法華経経文すべての解読を完成させます!

なかなか手に入りにくい素朴に残された漢字だけで綴られた法華経の真読翻訳ですが、案外確かな方法での整理がついてない現状を知るにつれ、これは兎にも角にも自分で調べて作ってみる手段が何より自分のものとして本当の仕事の価値を得れるに違いないと思いました。その方法はどうあれ、案ずるよりもた易く疲労感なしに執筆完成したのがこの宝の本書でした。その秘訣に、実践すべきは仕事の道であり、その中央に法華経を置いて訓読を理論とし、その後に法華経の真読を仕上げることで自分の仕事の道がすでに理論付けられてきます。法華経の真読をあなた自身のバックエンドの実践とし、法華経の訓読をフロントエンドの理論として獲得されることを期待します。 

 「方便品第二」について 方便というものは仏教用語であり、仏教とはそもそも真実の知恵へと教え導いてくれるものですが、その真実の目的地へ挫けずに至らせるために方便という教えが別にあるのです。それが真実の仏教の道のりではない寄り道をしながら導く方便説法です。夢のようなおかしな話だけれど、導かれる人が興味を持って理解しやすいような例え話や比喩の物語を用いながら導く教えが別にあるというわけです。このような方便な教えは仏教の真実よりも普段日常に過ごしている一般的な話題や情報のようなものの中から本当に真実のゴールへ通じているかどうかを見通す力を養い授けてくれることになるでしょう。多くの情報に埋もれる中ですべてを丸のみに信じることは不可能であり、どうも変だな、それは本当なんだろうかと自分で判断しながら捨てるべきものは捨てるようにして、淘汰して残った真実が普段の生きるべき道になって見えてくることは何よりも楽しいことです。





Popular Deciphering103 比喩品第三(その25)

2025年04月17日 16時13分37秒 | 生き方
比喩品第三(その25)

ムカデやヤスデのような虫たち
Centipedes and millipedes
毒蛇の類、毒を持つ蛇たち
Types of poisonous snakes
火に焼かれている
Burned by the fire
争って巣穴から逃げ出す
Flee from holes in panic
鳩槃荼という鬼(怪異の存在)
The kumbhāṇḍa demons
自由に取って食べる
Seize and eat at will
また多くの餓鬼たちがいて
And again many hungry ghosts
頭の上で火が燃えている
Flames burn above their heads
飢えと渇きと熱に苦しむ
Tormented by hunger, thirst, and heat
周囲の障害に苦しみ逃げまどう
Rushing in distress among barriers
その家はこのような有様である
Such is the state of the house
非常に恐ろしく、畏れるべきである
Extremely frightening and dreadful
毒と火災の害
Poison, harm, and fire disasters
多くの災難がひとつではない(数知れず)
Countless are the hardships


そのとき、家の主人は
At that time, the householder
門の外に立っている
Standing outside the gate
誰かが話しているのを聞く
Heard someone speaking
おまえの子どもたち
You children
遊びが原因で先に
Having come in due to play
この家に入ってきた
Entered this house
幼く無知である
Young and ignorant
遊びに夢中で執着している
Deeply absorbed in play
長者はそれを聞き終わって
The elder heard it fully
驚いて火の家に入った
Shocked, he ran into the burning house
今うまく救い出すべき時だ
Now is the time to rescue them
焼かれて害を受けぬようにさせる
Let them be unharmed by the fire




日曜日、月曜日を除く毎日、法華経を訓読に解読したものをブログ投稿しておりますが、同時に法華経原文の真読(漢文)と読み仮名(和英両方)も掲載し照らし合わせれるようにしたものを電子書籍化して安価な有料販売を開始しております。この度は、序品第一に引き続き、方便品第二の真読&訓読(和英翻訳付き)を発行いたしました。
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 「方便品第二」について 方便というものは仏教用語であり、仏教とはそもそも真実の知恵へと教え導いてくれるものですが、その真実の目的地へ挫けずに至らせるために方便という教えが別にあるのです。それが真実の仏教の道のりではない寄り道をしながら導く方便説法です。夢のようなおかしな話だけれど、導かれる人が興味を持って理解しやすいような例え話や比喩の物語を用いながら導く教えが別にあるというわけです。このような方便な教えは仏教の真実よりも普段日常に過ごしている一般的な話題や情報のようなものの中から本当に真実のゴールへ通じているかどうかを見通す力を養い授けてくれることになるでしょう。多くの情報に埋もれる中ですべてを丸のみに信じることは不可能であり、どうも変だな、それは本当なんだろうかと自分で判断しながら捨てるべきものは捨てるようにして、淘汰して残った真実が普段の生きるべき道になって見えてくることは何よりも楽しいことです。





Popular Deciphering102 比喩品第三(その24)

2025年04月16日 16時00分09秒 | 生き方
比喩品第三(その24)

このようなさまざまな災難
Such are the many hardships
恐れが計り知れない
Fear and dread beyond measure
これは朽ち果てた家である
This is a decayed and ruined house
一人に属している
Belongs to one person
その人はちょうど出たところであった
That person had just gone out
それほど時間がたたないうちに
Not long after that
その後、家の中から
Then, in that house
突然火が起こった
Suddenly a fire broke out
四方すべてが同時に
On all sides at once
その火はすべて燃えさかった
All the flames blazed fiercely
家の主要な構造部分すべて
Beams, rafters, and pillars
爆音がして大地が裂けた
Roaring sounds and rending shakes
壊れて折れ落ちた
Broken, collapsed, and fallen
壁が崩れ倒れる
The walls collapse and fall


諸々の鬼神など
Various demons and spirits
大声で叫び上げる
Cry out in loud voices
鷲やその他多くの鳥たち
Vultures and various birds
鳩槃荼(長身の鬼)たち
Kumbhāṇḍa demons, and others
周囲の障壁におびえている
Frightened by surrounding threats
自力では脱出できない
Unable to escape on their own
凶暴な獣と毒虫
Fierce beasts and poisonous insects
穴ぐらに潜んでいる
Hiding in holes and crevices
毘舍闍という名の鬼たち
Piśāca demons
そこにも住んでいる
Also dwell within it
福徳が乏しいために
Due to lacking merit and virtue
火によって追いつめられる
Pressed by the force of fire
互いに残虐に傷つけあう
Harming and killing each other
血を飲み肉をむさぼる
Drinking blood and devouring flesh
野干に属するものたち
Creatures like jackals
すでにみな死んでいた
All had already died
凶悪な大きな獣たち
Large, fierce beasts
競い合ってやってきて食う
Come competing to devour
けむりと臭気が乱れ立つ
Foul smoke and disorder abound
四方がふさがれている
All directions are blocked




日曜日、月曜日を除く毎日、法華経を訓読に解読したものをブログ投稿しておりますが、同時に法華経原文の真読(漢文)と読み仮名(和英両方)も掲載し照らし合わせれるようにしたものを電子書籍化して安価な有料販売を開始しております。この度は、序品第一に引き続き、方便品第二の真読&訓読(和英翻訳付き)を発行いたしました。
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Popular Deciphering101 比喩品第三(その23)

2025年04月15日 16時53分23秒 | 生き方
比喩品第三(その23)

またさまざまな鬼たちがいる
There are also many demons
その体は非常に大きい
Their bodies are very large
裸で黒くやせ細った姿
Naked, dark, and emaciated
常にその中に住んでいる
Always dwell therein
大きな悪声を発する
Emit terrible loud sounds
食を求めて叫び呼ぶ
Shouting and calling for food
またさまざまな鬼たちがいる
There are also many demons
その喉は針のように細い
Their throats are like needles


また多くの鬼がいる
There are also many demons
頭が牛のようである
Their heads are like those of oxen
ある鬼は人の肉を食べる
Some eat human flesh
また犬をむさぼり食う
Others devour dogs
髪が乱れてぼさぼさである
Their hair is disheveled
残酷で危険な存在である
Cruel and dangerous beings
飢えと渇きに苦しめられている
Tormented by hunger and thirst
わめきながら走り回る
Screaming and running about
夜叉や餓鬼たち
Yakṣas and hungry ghosts
凶暴な鳥や獣たち
Wicked birds and beasts
飢えた者たちが四方へ急ぐ
Rushing in all directions from hunger
窓をのぞき見ている
Peering through the windows




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 「方便品第二」について 方便というものは仏教用語であり、仏教とはそもそも真実の知恵へと教え導いてくれるものですが、その真実の目的地へ挫けずに至らせるために方便という教えが別にあるのです。それが真実の仏教の道のりではない寄り道をしながら導く方便説法です。夢のようなおかしな話だけれど、導かれる人が興味を持って理解しやすいような例え話や比喩の物語を用いながら導く教えが別にあるというわけです。このような方便な教えは仏教の真実よりも普段日常に過ごしている一般的な話題や情報のようなものの中から本当に真実のゴールへ通じているかどうかを見通す力を養い授けてくれることになるでしょう。多くの情報に埋もれる中ですべてを丸のみに信じることは不可能であり、どうも変だな、それは本当なんだろうかと自分で判断しながら捨てるべきものは捨てるようにして、淘汰して残った真実が普段の生きるべき道になって見えてくることは何よりも楽しいことです。





Popular Deciphering100 比喩品第三(その22)

2025年04月14日 16時48分50秒 | 生き方
比喩品第三(その22)

その家は恐ろしい
That house is terrifying
変わり果ててこのようになった
Its state has become like this
どこもかしこもである
Found everywhere
あらゆる妖怪や魔物
Demons and specters
夜叉(人を悩ます鬼類)と悪鬼たち
Yakṣas and evil spirits
人肉を食らう
Devour human flesh
有毒な虫のたぐい
Classes of poisonous insects
凶暴な鳥や獣たち
Wild and dangerous beasts
卵からかえり、乳を飲み、生まれる
Hatch, suckle, and be born
各自が身を隠して守る
Each hides and protects itself
夜叉たちが争ってやって来る
Yakṣas come competing
食物をめぐって争う
Fight to get and eat it
すでに食べて満腹になる
Having eaten and become full
悪意がさらに燃え盛る
Evil minds intensify
争いの声、怒声
Sounds of quarrel and fight
非常に恐ろしくて畏れ多い
Extremely fearsome and dreadful


鳩槃荼(くばんだ)という鬼(仏教の鬼類)
Kumbhāṇḍa demons (long-bodied spirits)
地面にしゃがみうずくまる
Crouching low on solid earth
時には地面から浮く
Sometimes lifted from the ground
一尺(約30cm)、二尺ほどの高さ(跳ぶなど)
One or two shaku in height
行ったり来たりして遊び歩く
Wandering back and forth
勝手気ままに遊び戯れる
Frolicking in unrestrained play
犬の両足をつかむ
Grabbing the dog by both legs
打って声を出せなくさせる
Beat until silenced
足で首を押さえつける
Press the neck with the foot
犬を怖がらせて楽しむ
Frightening the dog for amusement




日曜日、月曜日を除く毎日、法華経を訓読に解読したものをブログ投稿しておりますが、同時に法華経原文の真読(漢文)と読み仮名(和英両方)も掲載し照らし合わせれるようにしたものを電子書籍化して安価な有料販売を開始しております。この度は、序品第一に引き続き、方便品第二の真読&訓読(和英翻訳付き)を発行いたしました。
 ぜひお買い求めください。↓



2年間で法華経経文すべての解読を完成させます!

なかなか手に入りにくい素朴に残された漢字だけで綴られた法華経の真読翻訳ですが、案外確かな方法での整理がついてない現状を知るにつれ、これは兎にも角にも自分で調べて作ってみる手段が何より自分のものとして本当の仕事の価値を得れるに違いないと思いました。その方法はどうあれ、案ずるよりもた易く疲労感なしに執筆完成したのがこの宝の本書でした。その秘訣に、実践すべきは仕事の道であり、その中央に法華経を置いて訓読を理論とし、その後に法華経の真読を仕上げることで自分の仕事の道がすでに理論付けられてきます。法華経の真読をあなた自身のバックエンドの実践とし、法華経の訓読をフロントエンドの理論として獲得されることを期待します。 

 「方便品第二」について 方便というものは仏教用語であり、仏教とはそもそも真実の知恵へと教え導いてくれるものですが、その真実の目的地へ挫けずに至らせるために方便という教えが別にあるのです。それが真実の仏教の道のりではない寄り道をしながら導く方便説法です。夢のようなおかしな話だけれど、導かれる人が興味を持って理解しやすいような例え話や比喩の物語を用いながら導く教えが別にあるというわけです。このような方便な教えは仏教の真実よりも普段日常に過ごしている一般的な話題や情報のようなものの中から本当に真実のゴールへ通じているかどうかを見通す力を養い授けてくれることになるでしょう。多くの情報に埋もれる中ですべてを丸のみに信じることは不可能であり、どうも変だな、それは本当なんだろうかと自分で判断しながら捨てるべきものは捨てるようにして、淘汰して残った真実が普段の生きるべき道になって見えてくることは何よりも楽しいことです。